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受験国語ができるようになるため覚えておくべきこと 【改訂版】  作者: 逸真芙蘭


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第2節 なぜ我々は評論が読めないのか

 そもそもの話をしよう。なぜ国語ができない受験生が生まれてしまうのか。なぜ母国語であるはずの現代文というものはこれほどまでに難解なのか。

 それはひとえに、「新しい概念の受容」という行為が、本質的に苦痛を伴うほど難しいから、という点に尽きる。

 こういうイメージを持ってみよう。評論とは未来人から古代人に宛てた手紙なのだ、と。読者の我々が古代人で、未来人たる筆者から、時空を超えて、進化のヒントをもらっているイメージだ。第一節に記した通り、筆者の主張とは既知の事実ではなく、我々が受け入れがたい一歩先の概念であることが多い。筆者は一般人が気づいていない、進んだ概念を発見した未来人で、それを文書によって我々に理解させ、我々を次の文明ステージに進めようとしているのだ。


 いくつか例を挙げよう。


 まず経験のないものに、経験を伝える困難さについてだ。

 労働のつらさを、労働したことのない若者に伝えるのは難しい。

 週40時間(現実的にはそれ以上だが)40年、会社に拘束され、理不尽な要求に耐え続けなければならない重力を、その場にいたことのない人間に伝えるのは難しい。

 君たちが大学受験生なら、受験のつらさを、それを知らない小学生に伝える難しさ、とも言い換えられる。

「無理数とか……もう無理っす」

「sin, cos, tan……三角……関係?」

「何がn→∞だ。おれの心が極限だ」

「リスニング無理。聞き取れない(´;ω;`)」

「E=mc²…… なるほどエネルギーは質量で、質量はエネルギーなのか……ほう?」

 などなど例を出したらキリがない。単に学問の難解さだけでなく、精神的なストレスも加わって、受験のつらさは増している。受験生が3年間で経験するコンテクストがあっての「受験はつらい」である。

 受験生にとっての3年間の重みが小学生にはただの数字にしか見えないように、経験の断絶は情報の解像度を致命的に下げる。


 経験の断絶は時に価値観の衝突も生む。

 まだ奴隷制の残っていた時代を想像してほしい。奴隷を持つのは当たり前と考えられていた時代の話だ。

 現代の国際的な考え方では、奴隷制などタブーであることは言うまでもない。ということは、その奴隷が当たり前だった時代に、支配階級の人間で、「私たちと奴隷たちは同じ人間なのだ。彼らを奴隷にするのはおかしい」という概念を発見した人がいたはずだ。 

「奴隷を持つべきでない」

 彼らはそのような主張を声高らかに奴隷主に宣告した。

 奴隷主からすれば、そんな事をいう人間の話は、到底受容できないものだったに違いない。その主張は自分たちの生活を脅かすものにしか見えなかっただろう。

 そんな彼らに対し、ペン1本で戦うとしたら、君たちはそれをどう伝える。過去の偉人達でさえ苦戦した。だからこそ、奴隷解放のための戦争が世界中で起きたのだ。


 もっと極端な話をしよう。イメージして欲しい。経験もなく、価値観も変わり、時代も違う。そんな断絶がある相手に、自分たちの概念を伝える難しさを。

 もし君が、車のすごさを一万年前の人類に手紙で伝えるとしたらどうだろう。

 乗り物の概念すら怪しい古代人に、モータライゼイションが社会にもたらした影響を説明するのは、かなり難しい作業になるし、ほぼほぼ全ての古代人が、真にその概念を理解するのは難しいと思われる。

 乗り物という概念がそもそも何なのかという説明から始まり、車輪の発明、発動機の発明と、人類が車を発明するまでの過程から理解させなければならない。ようやくそれが終わって、モータライゼイションの何たるかを説明するには、時間的距離の短縮なり、物流の毛細血管化なりを説明する必要があるが、一つ一つの文の単位をとっても、古代人には理解しがたい概念だ。


 そして、その時空を超えた概念の伝達こそ、今、君たちが直面している、現代文読解というものに帰着できる。

 大学受験生という人種は、成熟した人間(研鑽を積んだ著者)からすれば、ある意味古代人みたいなものだ。評論の著者は概して著名な学者であり、学問的社会的に成功した人種であることが多い。そんな著者らが、我々読者に伝えようとしていることは、彼らが数十年かけて発見した新しいオペレーションシステムなのである。受験を乗り越え、社会人となり、数十年さまざまな経験を積み、知見を集め、時に辛酸を嘗め、そうして得た新しい概念だ。君たち読者からすれば、それはまさに数十年後の未来から送られてきた進化への手がかりなのだ。

 数十年のコンテクストを知り得ない我々にとって、彼らの概念が難解でないはずがない。


 そしてその難解な概念を読み込もうとする時、我々がやりがちなエラーがある。


 それが文章の断片化、つまりはつまみ読みだ。

 

 新しいオペレーションシステムにアップデートする際に、プログラムの一部分だけを切り取って、コンピュータに読み込ませたところで、それが意味をなさないことは、デジタルネイティブである君たちであれば想像に易いだろう。


 文章の部分部分が難解なために、理解がまだらになり、結果としてつまみ読みになってしまうのならまだ救いようはある。語彙を鍛え、コンテクストを仕入れ、読解力を上げればいいからだ。しかし、これは個人的な経験に基づくが、国語ができない受験生は、問題文が引用する、傍線部付近の文しか読んでいないことが多々ある。つまり意図してつまみ読みをしているのだ。

 彼らは国語なぞいつも使っている日本語なのだから、適当に読めば答えが出ると思い込んでいるのだろう。しかしそうではないのだ。全ての情報を読み込んで初めて、OSのアップデートは完了する。未来人からのメッセージは、全文を読んで、それどころか、その文のコンテクストをすべて理解して初めて、理解できるのだ。


 つまみ読みでは意味をなさないということを理解してもらうために、一つの物語について触れよう。


 『シュタインズ・ゲート』という作品がある。

 過去にタイムリープする話なのだが、物語の序盤で、主人公たちは「dメール」という、過去に送信できる電子メールを開発する。

 過去の自分達が未来からのメールを読むことで、未来を変える、という展開から始まるが、物語が転換点を迎えるのは、過去の自分の脳に、現在の自分の脳内データを転送して、事実上の物理的タイムリープを可能にしてからだ。これにより物語は劇的に動き始める。主人公が直接過去に干渉できるようになったからだ。

 「dメール」では18文字のデータしか転送できない。それを受け取った過去の主人公たちが起こす行動は、予測不可能で、かつバタフライエフェクトによりとんでもない未来を導いてしまう。このコンテクストのない概念を送りつけることで未来を変えようとする不確定さは、まさに断片化された文から筆者の意図を妄想する行為になぞらえることができる。対して、自分自身の脳の情報全てを過去に送信するというタイムリープでは、ある程度の確実性を持って、世界線の選択を行えるようになった。タイムリープとはまさしくコンテクストを含めた全文理解により、未来の思考をインストールする行為といえる。

 コンテクストのない断片読解とコンテクストを伴う全文読解とで、解像度が天と地ほど違うのは明らかだ。


 文章の型がわからないと言う君は自問してほしい。木を見て森を見ず、の状態になっていやしないか。

 断片化された文それ自体は、少し勉強した受験生なら理解できるだろう。しかしすべての文を断片化し、各々で意味を完結させようとすれば、それは筆者の意図する真理を破壊することになる。すべての文を品詞分解して辞書的な意味を振ったところで、何が筆者の主張たる「A=B」なのか分かるはずがない。複数の文によって初めてA=Bという真理が説明されるのであり、文章のつまみ読みとは文字通り書面をシュレッダーに掛ける行為に等しく、そんなことをして新しい概念を理解できるはずがないのだ。


 学生が「労働は大変だ」と言っても、小学生が「だいがくじゅけんはつらい」と言っても、奴隷主が「奴隷は大切だ」とせせら笑っても、古代人が「クルマハスゴイ」と唱えても、それは単に音をなぞらえているだけにすぎない。

 つまみ読みを辞めない限り、君たちは何時まで経っても、音真似をしている古代人から進化することはできない。


 最後に三原則を再掲して、本文を締めくくる。


 国語ができるようになるための三原則。




一、筆者の言うことは絶対。




二、小説に感情移入しない。




三、型を理解する。そのために小論文を書けるようにする。


 


 以上を留意して勉強されたい。

 国語教諭というものは、国語教育の専門家というよりも、国文学者としての素質のある人たちだと、個人的には考えている。

 少なくとも、彼らは大学受験時に、国文学を学ぼうと、その学部を選択しているわけで、国語が得意な受験生であったことは想像に難くない。

 僕はというと、国語教育の専門家でもなければ、国文学者というわけでもない。

 どちらかと言うと、国語が苦手だった口で、この文にたどり着いた子羊たちと同じく、受験のときには苦労した。だからこその 第2節 なぜ『我々』は評論が読めないのか、だ。国語が苦手だった僕だから伝えられるものがあるはずだと思って、この文章を書いた。

 投稿サイトでわかりやすい文を書くにはどうするかと奮闘しているうちに、文章を書くスキルと言うより、むしろ読み解くスキルのほうが伸びた気がする。

 結局書けないものは理解できないのだと思う。理解できるということは、その考えを再現できるということだからだ。

 第三原則で、小論文を学べと書いたのはそういう背景がある。おすすめの参考書は「小論文これだけ!」シリーズだ。自分が受ける学部のテーマがあれば、それを選んでいただければよいと思う。

 第3原則を守るのが難しければ、せめて記述問題の勉強をしっかりしてほしい。記述問題の本質は文章の要約であり、僕が本文で述べた、全文読解を大前提とするものだからだ。河合塾出版の「得点奪取現代文」という参考書がお勧めだ。国語の先生がやりがちな

「この問いの答えはここにあります(`・ω・´)キリッ」

生徒の心の声:(で、なぜそこにあると言えるんだい?)

 みたいな、曖昧な解説ではなく、根拠を持った応用の効く解説を丁寧にしてくれる。


 しかし、ここまで書いておいてこんな事を言うのもあれだが、受験科目は国語だけでない。受験生の最終目標は大学合格であり、国語に時間を割きすぎたせいで合格を逃しては本末転倒である。

 国語の点数を10点上げるために、他の科目で20点落としていては意味がないのだ。少なくとも、受験生であるならば。

 原則は覚えておいてほしい。だけど、国語で無双するために、新書や小説を片っ端から読んでいくのはお勧めしない。

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― 新着の感想 ―
受験期を久しぶりに思い出しました。 とてもわかりやすい解説だと思います。 高1の時くらいに読みたかった……!!
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