第三章 北の砦と試される信頼2
***
北の砦は、王都から馬で半日以上かかる。凍てつく風が吹きすさび、岩山の頂に築かれたその要塞は、まるで冬そのものが形を取ったかのように沈黙していた。
「……ここが、今回の守りの要か」
目の前に広がるのは、黒く沈む森。遠くから低く響く魔獣の咆哮が、風に乗って耳に届く。夜ごと魔障が渦を巻き、魔獣が現れるという報告は決して誇張ではなかった。
影のように揺らぐ木々の間から赤く光る眼が一瞬覗き、すぐに消える。それが、境界線を越えようとする魔獣の気配だった。それはこの国の北境を蝕む、絶えぬ災いの根源――そして、この国の北境を脅かす厄災の源でもある。
「副団長、部隊の配置完了しました!」
「よし、無理はするな。魔障の濃度が高いということは、間違いなく数も多い。絶対に焦るな――守りを最優先だ」
しかも北境の魔障は、ただ身体を蝕むだけのものではない。恐怖や不安を煽り、人の心をじわじわと削っていく。それが、この地で語り継がれてきた真の厄介さだった。
実際、過去には兵の士気が折れた瞬間に、防備を誇った砦が一夜で崩れ落ちた例もある。私自身、前の戦で見た――魔獣の群れが霧の中から飛び出し、仲間の一人がパニックに陥って味方を傷つけた瞬間。血の臭いがまだ鼻に残っている。
(だからこそ……心が折れたら終わりだ)
剣の腕や陣形以上に、今夜試されるのは騎士たちの“心”だった。
部下へ的確な命令を下ろし、深く息を吐いた。ふと胸元に触れる。内ポケットの奥に、薄い銀色の包み紙が一枚――真琴が渡してくれたチョコの“最後の欠片”の包み紙。
ただの紙切れのはずなのに指が触れた瞬間、微かに甘い香りの記憶が立ちのぼった。
(……君の作る甘さを、こんなにも鮮やかに思い出すとはな)
戦場の埃と鉄の匂いにまみれた空気の中で、それだけが異質なほど優しい。香りを思い出しただけで、胸の奥のざらつきがするりと溶けていく。まるで真琴自身が、すぐ傍で息をしているみたいだ。
(……帰りたい。君の作る温かい場所へ)
そう思った自分に、わずかに息を呑む。守りたいからでも、責任からでもない。ただ、あの甘さをもう一度、隣で感じたい――そんな理由で心が動いたのは初めてだった。
(真琴……君はいったい、私に何をしたんだ)
問いは風に消える。けれど胸の奥では、すでに答えが形になっていた。




