第九話 遠征前日
訓練後、日が傾いた王宮の中庭。静かなその空間で、あたしは1人息を吐く。
……流石に、連日稽古ってなると疲れるな。
明日は遠征本番、厳しいのも当たり前だ。だがそれが連日続くと流石にきつい。
何度もマメが潰れ、硬くなった手のひらを見る。今までほとんど動いたことがない吹けば飛ぶような華奢な体。
連日の筋肉痛にも、もうすっかり慣れちまったけど。
髪をかき上げ前を見る。
「何をしているのですか? ジュリ」
急にかけられた声にびくりと体が揺れる。
振り向いた先に見えたのは、特徴的な褐色肌だった。
「エイダか。急に背後から話しかけんな、驚くだろ」
くるりとエイダの方へ体を向け、目線を下げて顔を見る。
「すみません。1人でいるのが珍しかったので、つい」
エイダは僅かに眉根を寄せた。
「あんたこそ何で1人なんだよ。大体いつも部下かノア様と一緒だろ」
「ここでノア様と待ち合わせをしているんです。今後の討伐計画を練るついでに、お茶でもどうかと」
その言葉に、ぴくりとこめかみが動く。
「ほぉ、逢引きの予定ってわけか。よくあたしの前で口にできたな」
今は堪えて鍛える時なのはわかってる。それでも2人の関係性を感じると、どうにも心穏やかにはいられなかった。
あたしは茶どころか、ノア様に会えてすらいねぇ。
「確かにノアは貴女の婚約者です。しかし、彼が選んだのは私。少なくとも今はそうでしょう?」
悪びれる様子もなくこちらをまっすぐと見るエイダ。
堂々としたその様子に、思わず頬が引きつる。
こいつ……中々いうじゃねぇか。
「確かに"今は"そうだ。だがな、あたしはここで終わるような女じゃねぇ。ヘンリーに一撃入れられる程度には強くなったんだぜ?」
エイダは肩を震わせ、目を見開く。
「ヘンリーに……?」
この話をすると揃いも揃って皆同じ反応すんな。それだけあいつの強さは絶対的ってことだろうけど。
「そうだ。あたしは明日の遠征でノア様の婚約者として相応しい功績を残す。その余裕も今日限りだぜ、聖騎士様」
挑発するように片方の口の端を吊り上げる。
エイダはその様子に眉をひそめ唇を僅かに歪ませた。
「貴女が強くなるのならば、私はさらに上を目指すだけです。ノアの隣を譲るつもりはありません」
そのセリフはいつもより早口で、心なしか声が震えている。
「はっ、そう来なくちゃな。……あたしはノア様を愛してる。譲る気はねぇよ」
視線が交差し、火花を散らした。
まるで季節外れの焚き火でもしているかのように、周囲の空間が熱を持つ。
「あ……あの……」
それを遮ったのは控えめで美しいテノールだった。
声の主人の方へあたしとエイダは同時に視線を動かす。
そこには顔を赤く染め、控えめに手を伸ばすノア様がいた。
「すみません、お話し中に」
ノア様は目を伏せて、声を揺らす。
「構わねぇよ。ノア様の声が聞けるなら、あたしはいつでも大歓迎だぜ?」
エイダよりも早く、ノア様の前へ陣取った。
こういうのは先手必勝だ。遅れをとるつもりはない。
「これからエイダとティータイムらしいな。そんなにあたしにヤキモチ妬かせたいのか?」
ぐっとノア様の首に手を回し、こちらを向かせる。
「この落とし前は、明日の遠征の後につけてもらうぜ? ご褒美をどうするかちゃんと考えておいてくれよ?」
「っ……!」
ノア様は顔を真っ赤に染めて、震える瞳であたしを見つめる。
その瞳に映るのが、ずっとあたしだけならよかったのに。
「ジュリ、何をしているのですか……!」
エイダは声を荒げながらあたしとノア様の間に割って入る。振り払われた手がジンと痛んだ。
「残念、番犬がいるからここまでだな。……またな、ノア様」
笑いながらそう言い残し、背を向けて歩き出す。
今のあたしは力がたりねぇ。だから今だけは、ノア様の隣を譲ってやる。
たが、それも今日限りだ。
明日の遠征で証明してやる。
ノア様の隣で最後に笑うのは、エイダではなくあたしだと。
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