第四十九話
宙を舞う血飛沫と、頭に響く心臓の音。
「くそっ……数が多い……!」
視界を埋め尽くすほどのハウンドの群れ。いくら雑魚でもここまで多いと厄介だ。
「ノア様! そっちは大丈夫か!?」
敵を回し蹴りで吹き飛ばしつつ右後方にいるノア様に呼びかける。そちらに視線をよこす余裕もない。
「だいっ、じょうぶです!」
上がった呼吸の音。苦しげな声。
厳しそうだな。早く向こうにいかねぇと。
「加速」
魔力を巡らせ足をぐっと踏み込む。足が地面にのめりこむ感覚と、一気に遅くなる世界。すっかり慣れたこの感覚に身を任せ、あたしはガッと拳を突き出した。弾ける毛皮。飛んでいく肉片。開けていく道。
隙間ができたその一瞬で、ぐるりと周囲の様子を確認する。
ノア様がいるあたりだけなんであんなに数多いんだよ……!
舌を打ちノア様の方へ視点を定め、重い足を無理矢理動かし進んでいく。歩いた道に落ちた血飛沫と肉塊。赤いカーペットのようなそれを踏みつけて前へ前へと足を進める。
ノア様まであと数歩のところまで近づいたその時――ノア様の姿が、ぐらりと僅かに傾いた。
「ノア様!!」
あたしは一気に前へ踏み込む。拳の先に捕えたのはノア様の背後を襲う1匹のハウンド。その頭を地面へ叩きつけると、グシャリと真っ赤な花が咲く。
「大丈夫か!?」
ばっと顔をあげる。視線の先には体勢を立て直し終えたノア様がいた。
「すみません……」
「気にすんな」
ノア様が剣を振る動きに合わせ、邪魔にならぬよう周囲の雑魚を殲滅していく。
この半年であたしはノア様の隣に立てる女になった。敵を倒すたびにノア様を助けるたびにそう感じる。
お互いの背中を守るように立ち回る。その一体感が心地いい。
それから何分たっただろうか。地面を覆うハウンドの亡骸と、周囲を震わす荒い息。それが戦いの終わりを表していた。
「ノア様、大丈夫か?」
「ええ……ありがとうございます」
肩で息をしながらノア様を見る。
「ちゃんと強くなっただろ? お前と背中を合わせられる程度には、な」
にっと歯を見せて笑うと、ノア様は軽く目を見開いてからふわりと微笑んだ。
「えぇ。……ジュリはすごいですね。たった5ヶ月弱でこんなふうに強くなってしまうなんて」
「あたしにはお前って目標があるからな。……全部、お前のお陰だ」
ノア様はその言葉にぴくりと体を震わせて、ほのかに頬を赤らめる。
「……今はもう、私よりジュリの方が強いかもしれませんね」
「あたしの方が強い……っていうのは、嫌か?」
「そんなことありません。ただ……自分の弱さが、嫌になるんです。置いて、いかれそうで」
どこか寂しそうなノア様の瞳。その目尻をなぞるようにあたしはすっと指をそわせる。
「前に言ったろ。あたしは置いていかねぇ。ノア様ごと、全部引き上げて見せるって。……その気持ちは今もかわらねぇよ」
ノア様はまっすぐにこちらをみつめる。その瞳はどこか熱っぽくて自然と鼓動がどきりと跳ねた。
「私は一度エイダを選びました。彼女の強さが、眩しくて。その手を取りたくなってしまった。……でも貴女は眩しいだけじゃなく、隣を共に歩んでくれる」
ノア様の手が、あたしの手にそっと重ねられる。
「私は……貴女に、惹かれているのかもしれません」
「ノア様……」
「今日馬車でガブリエルが貴女の恋人だと言った時、それが嘘だと分かっていても……胸が、苦しくなりました」
絞り出すようなその声が、あたしの心を揺らす。
「もしここで貴女を選べば、きっとエイダは傷つくでしょう。今の私は……まだ、それに耐えられない。ずるいことを言っているのは分かっています。ただ……あと少し、時間をいただけないでしょうか」
真剣な青い瞳が、あたしを貫くように細められる。
あたしはその言葉に――ふっと、口元を緩めた。
「ならエイダが傷つく気すら起きないぐらい、あたしが選ばれて当然だって思わせてやるよ」
案外、あたしたちは似たもの同士なのかもしれない。誰かとの気持ちの間で揺れて、それでも、必死に答えを探す。
あたしは弱い。ノア様と同じぐらいに。
だから弱いなりに――しっかりと、向き合いたいと思ったんだ。
「あたしもノア様を選びたい。この2週間で距離は確実に縮まった。まだ時間もある。まずはこの戦いを終わらせて、それからゆっくり考えても遅くねぇと思わねぇか?」
ノア様は唇を噛んでから、ふっと、柔らかく笑った。
「そう、ですね。このまま……私たちのペースで歩み寄っていきましょう」
重ねられた手がぎゅっと握られる。
その控えめな反応がくすぐったくて。
なのに、何故かそれが心地よかった。




