第四十一話
窓に弾ける雨音と、時折光る鋭い稲妻。夏のくせに冷たい空気に、足先の体温が奪われていく。
明日からノア様がこっちにやってくる。普段だったら嬉しくて仕方がないはずのその出来事。そのはずなのに、あたしの気持ちはどんよりと沈んだままだった。
部屋にいたら沈むから出かけてみたはいいが……話し相手もいねぇし、結局あんまかわんねぇな。
喫茶店の窓から、ぼーっと外を眺める。手元に置かれた紅茶だけが、じんわりとあたしを温めていた。
「ご機嫌よう、ジュリアンナ様。こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
「ご機嫌よう。……相変わらず、気配0だな」
もはやすっかり慣れたその登場の仕方に、あたしは動じることなくそう返す。
「よく言われます。……こちらに座らせていただいてもよろしいですか?」
「別に構わねえけど……」
カップに口をつけながら視線を逸らしてそう答える。ルーバンはいつも通りの笑みを崩さず、綺麗な所作で椅子に腰掛け注文を済ませる。
「何かありましたか? 最近、顔色が優れないようですが」
「お前普段は遠回しな言い方するのに、こういう時は思いっきり踏み込んでくるよな」
「はっきりと聞かねばわからないこともありますから」
飄々とした笑みに眉をひそめながら、あたしは軽く息をつく。
「まあ……色々、あったんだよ。こっちだと話し相手もいねぇしな」
「なるほど……郷愁の念を抱いている、と?」
「そんなとこだ」
ルーバンは口元に手を当て、すっと赤い目を細める。
「私で良ければ話し相手になりますよ。これでも口は硬い方です」
「信用ならねぇな……」
口が軽いとは思わない。だがこいつの手にかかったらなんでも面白おかしく冗談として話されそうで嫌だった。
「ふふ、そうですか? それは残念です。ジュリアンナ様がヘンリー様とガブリエル様の猛攻に耐えかねている件に関して、何かお力になれればと思ったのですが」
カップを持つ手が、ぴしりと固まる。
「お前……全部分かってんじゃねぇか……」
ギロリと睨みつけた視線の先で、ルーバンは困ったように肩をひそめた。
「お三方の様子を見ていれば、なんとなくは。前にジュリアンナ様が言われていた『ノア殿下の素晴らしいところ』と、お二方の様子が交差している気が致しまして」
何もかも見通しているかのようなその言い方に、あたしはふっと目を逸らす。
「……気のせいだろ」
確かにあの二人は……最近、変わったと思う。あたしの力を認めてくれて、受け入れてくれて、どことなく、可愛いところもあって。何より……こんなあたしを、その……好き、みてぇだし。
心の中で思っているだけなのに、何故か頬が熱い。それを誤魔化すように、あたしは頬杖をついて顔を逸らした。
「人とは変わるものです。ジュリアンナ様がノア殿下のために変わったように、お二方もジュリアンナ様のために変わっていく」
ルーバンは淡々と語りだす。あたしの疑念を、少しずつ整理していくように。
「ノア殿下がジュリアンナ様に惹かれていくように、ジュリアンナ様の気持ちが揺れていく。……それは不誠実などではありません。誰かのための努力が身を結んだ。ただ、それだけのことではないでしょうか?」
あたしはその言葉に目を見開く。
確かにそう言われればやっていることは変わらねぇだろう。ノア様が揺れることを不誠実だと思ったこともねぇ。だが……
「それでも……あたしは、そんな自分が許せないんだよ」
絞り出すような声が湿っぽい空気を震わせた。
そう、あたしが、あたしを許せない。ただそれだけだ。あいつらの気持ちも、変わっていくことも悪いことじゃない。でも何故か……あたしは、変わりたくないと思ってしまったんだ。
「それがジュリアンナ様の気持ちならば、私が言えることはありません。強いていうならば……そのような時は一度、原点に帰られるのが良いかと」
「原点?」
「ええ。つまり、ノア殿下のどこに惹かれているのか、本当にその気持ちに変わりはないのか、一度話してみるのがよろしいかと」
ルーバンは運ばれてきた紅茶を一口飲んで、口の端を僅かに緩める。
「思い出とは美しく見えるものです。今を見ることが、自分の気持ちを整理する近道になるかと」
「今を、みること……」
ルーバンの言葉を噛み締めるようにそう繰り返す。
確かに……最近、ノア様に会えてねぇな。あたしは目標にばっかり囚われて、あいつ自身を見れてねぇのかも。
「あなたなら進んでさえいれば、自ずと望みは叶うものです。……きっと故郷のご友人にも、いつか笑って話せる日が来ますよ」
ルーバンは紅茶を飲み干すと、伝票を持ってすっと席を立つ。
「では、私はこれで失礼致します。ご機嫌よう」
「あ……待てよ、ルーバン」
ルーバンはあたしの制止も聞かず、釣りすら受け取らずにさっと会計を済ませて店を出る。
あたし……ダチの話なんてしたか……?
いくばくかすっきりとした気持ちと、ルーバンの言葉へのもや。相反する二つの気持ちが、覚めた紅茶の水面のように、ゆらゆらとあたしの中で揺れていた。




