第四十話
目がチカチカするほどの晴天、広がる雲ひとつない青空。
……全く、寝れなかった。
迫り来る魔物の体を拳で破壊しながら、ぼーっとする頭で戦い続ける。
何だったんだ昨日のあれは。考えれば考えるほどわかんねぇ。
魔物の顔面を膝で破壊しながら、昨日のヘンリーの顔を言葉を反芻する。
『お前に避けられるのは……辛い』
『俺なりに答えを探す』
あの真剣な声が、肩に置かれたあの熱が、いまだに抜けない。
ゴキリっ……。
華麗にムーンサルトをきめながら、あたしはふぅ、と息を吐く。
あいつ、あんなキャラじゃなかっただろ……。
裏拳で魔物を地面に叩きつけながら、あたしは目の前の狼男のようなモンスターの足を払い、眉間にこぶしを叩き込む。
ぐちゃり、と音を立てて、頭蓋骨の中身が弾け飛ぶ。
魔物に背を向け数歩歩き、肩を揺らして、大きく、息を吐く。
なんで……あいつの顔が、頭から離れねぇんだよ。
何もかも振り払うように、あたしはフルフルと頭を振った。
落ち着け、ここは戦場だ。余計なこと考えてる場合じゃねえ。
「危ない!!!」
呆けた頭を揺らしたのは、そんな誰かの声だった。
「は……?」
ゆらりと、目の前の影がゆらめく。ハッとして後ろを見ると――先ほどの狼男が爪を振り上げているのが見えた。
ゆらゆらとゆらめく頭部だったものが、ひどく不気味で。
やばい、間に合わないっ……!
あたしは目をつむり、咄嗟に腕を前に出して防御する。
ガシャンッッ!!
しかし衝撃はやってこない。その代わりに聞こえたのは、固いもの同士が弾ける音だった。それに遅れてやってくるドサリという振動。
恐る恐る、あたしは目を開ける。
「先生……?」
そこにいたのは返り血に顔を濡らし、こちらを振り返るヘンリーだった。
「怪我はないか?」
「あ、あぁ……」
ヘンリーはあたしの返事を聞くと、ふっと柔らかく微笑んだ。
その顔に、思わずどきりと心臓がなる。
いやそんなこと言ってる場合じゃねぇだろ! しっかりしろあたし……!
ぐっと唇を噛んでから、あたしは改めてヘンリーの方を向く。
「なら、いい」
ヘンリーは礼も聞かずにそれだけいい残し、くるりと踵を返した。
一瞬視界にちらつく、ヘンリーの腕。その腕からは、ぽたりと、血が垂れていた。
「っ……! おい待て!」
傷がついていない右腕を、あたしはガッと掴む。
「お前、怪我してんじゃねえか」
ヘンリーの左手の鎧はひしゃげ、わずかに肌が見えていた。
「これぐらい問題ない」
「んなわけねぇだろ! あたしを庇って、こんな……」
あたしが、ちゃんととどめをさしていれば。あそこで呆けていなければ。
そんなことばかりが、頭の中を駆け巡る。
「とりあえず治療だ。こっち来い」
ぐっとヘンリーの腕を引いて歩いていく。幸いここは本陣から近い。医療スペースもそこにある。
終始無言でついてくるヘンリー。その間あたしの頭の中は、焦りと罪悪感で満ちていて。先ほどまでの恥じらいなどそこには微塵も残っていなかった。
バサリと出入り口の布を横に寄せる。医療用のテントの中は忙しなく人が行き来しており、誰か捕まえられそうな雰囲気じゃない。
あたしは回らない頭で必死に考えながら、ヘンリーを簡易ベッドに寝かせる。
鎧の相手治療する場合ってどうすればいいんだ? とりあえず止血しねぇと、だよな。
救急キットを手に取り、仕切り用のカーテンをバッとしめる。
あたしは大きく息を吸い、ヘンリーの顔をひたとみつめた。
「脱げ。治療する」
ヘンリーはその言葉にびくりと肩を揺らす。顔を伏せ、僅かに思い巡らせるその姿。
「……わかった」
妙に色っぽい声にあたしは自然と息を呑む。
いや変なこと考えんな。これは治療だ、治療。流石に怪我させてんのに放置するわけにはいかねぇだろ。
「確か腕の部分だけ脱げるんだった……よな? 外せるか?」
「いや……悪いが、手を貸してくれ」
ヘンリーは顔をしかめて左肩をあたしの方へと差し出す。あたしは息を吐いて、後ろ側へと回り込む。
「確か肩甲骨んとこに紐があるんだったか?」
「あぁ、そこを外して……次に、上腕のところを」
指示に従って少しずつ革紐を外していく。時々ぴくりと動く腕と、鎧の内外の温度差が妙にくすぐったくて。
ガチャリと音を立てて、腕の部分を引き抜く。その中にある白い肌。そこには、くっきりと血が滲んでいた。
「っ……!」
その生々しい傷跡に、あたしは思わず眉をひそめる。
「悪い……あたしが、もっとちゃんとしてれば……」
救急箱からガーゼを取り出し、傷を手のひらでぐっと圧迫する。じわりと、生ぬるい液体がガーゼに滲んだ。
確か、これでいいはず……!
ヘンリーは僅かに顔をしかめるが、特に何も言ってこない。
しばらく無言の時間が続く。周りの喧騒だけが、妙にざわざわとうるさかった。
「……お前が怪我をするかもしれない。そう思ったら、いつの間にか体が動いていた。お前が気にすることはない」
沈黙を破ったのは、ヘンリーだった。どこか硬さが残るその声に、あたしはびくりと肩を揺らす。
「でも……」
「悪いと思うならば、今後無理はしないでくれ。あまり体調が良くないのだろう?」
「それは……まあ……」
お前の顔がよぎって寝れなかった、とは流石に言えなかった。完全に、あたしの問題だし。
ヘンリーは左腕を圧迫しているあたしの手に、そっと傷のない右腕を置く。
「俺は……お前を失いたくないと思った。お前が傷つくのが、怖くて仕方なかった」
その腕は、ひどく震えていて。
「俺は……ジュリが、欲しいのかもしれない」
予想外のその言葉に、あたしはバッと顔をあげる。あたしを見つめるヘンリーの顔は僅かに赤みを帯びていて。
その表情に、熱に、飲み込まれそうになってしまう。
「でも……あたしは、ノア様が……」
自分に言い聞かせるよう言ったそのセリフ。そのはずなのに、続きが喉に詰まって出てこない。
なんで……なんであたしは、はっきり言い切れねぇんだ……? 今まで何度も、言ってきたことじゃねえか。
そんなあたしの弱さを見透かすように、ヘンリーはすっと目を細めた。
「お前が言ったんだ。諦めるな、と。……今回のことでわかった。俺は……お前を、諦めたくない」
「先生……?」
手に伝わる熱が、圧が、一層、強くなっていく。
「それが、俺なりの答えだ」
真っ直ぐにあたしを見つめる紫の瞳。その瞳には、あたしだけが映っていて。
その美しさに、熱に浮かされて。
あたしはただ、息を呑むことしかできなかった。




