第二十話 縮んだ距離と離れた心
部屋の隅に準備された無骨で大きなトランク。事前に渡された計画書に一通り目を通し、息を吐く。
久々に帰ってきたジュリアンナの部屋。そこは相変わらず少女趣味全開で居心地が悪い。
そろそろ、くる頃だろうな。
あたしは椅子から重い腰をあげ扉の方へと歩み出す。
案の定扉の外から聞こえて来る貴族の家とは思えないけたたましい足音。
あたしはため息をついてガチャリと扉を開ける。
「ねえさっ……!」
それと同時に扉の前で急ブレーキをかけ、扉を叩くために腕を上げたガブリエルと目が合う。
「叫ぶなうるせぇ」
目を丸くしたガブリエルは、そのままがしりとあたしの肩を掴んだ。
なんか距離近くなってねぇか……?
前に会った時よりも遥かに近いその距離に、あたしは思わず体をのけ反らせる。
「姉さん、ヘンリーの家に泊まるって正気なのか?」
「仕方ねぇだろ。あたし以外にいねぇんだよ」
「仕方ないわけないだろ。他の男と一つ屋根の下でなんて暮らせるかって姉さんは言ってたよな? 何で俺はダメでヘンリーならいいんだよ」
ガブリエルの指が僅かにあたしの肩に食い込む。今までののとは全く違う強く責め立てるその態度。見たこともない光のない目。
こいつ、少し話さない間に何があったんだ……?
「今回はノア様の許可がある。公的な仕事だ、プライベートとはちげぇ」
可能な限り鋭い目つきで威圧するが、ガブリエルはそれをものともせずさらに顔を近づけてくる。
「仕事ならいいのか? なら俺が仕事として姉さんに同行するなら、同じ屋敷で生活しても文句はないってことだな……?」
吐息がかかるほどの距離で放たれる、普段よりも低いその声。
いや話飛びすぎだろ。ていうか顔近ぇよ、少し前に黒のボトムスで赤面していたあの思春期全開男はどこ行ったんだ。
軋む肩の骨に顔を歪めながら、あたしは静かに舌をうつ。
「んな単純なわけねぇだろ。近衛兵の話も出たが間に合わねぇって断られたぞ」
ガブリエルが動けるならこんな事にはなってねぇ。あの狸ジジイの言うことがどれだけ信頼に値するかはわからねぇが、完全に嘘ってことはねぇだろう。
ガブリエルは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。細められたまぶたの奥で、緑色の瞳が揺れる。
「それでも俺は……姉さんが、別の男と暮らすなんて耐えられない」
ガブリエルは唸るように、祈るように言葉を紡ぐ。
「なぁ、何で俺だけ避けるんだ? 俺を置いてヘンリーの手を取って、遠征の後の馬車で口もきかず、話そうと思って宿舎に行っても追い返される。そんなのおかしいだろ……?」
すがるようなガブリエルのその声に、あたしは大きく息を吐いた。
「お前は、あたしを信じられねぇんだろ?」
「っ……」
唇を噛み瞳を伏せるガブリエルの表情に、僅かに心が痛む。
「心配してくれるのは、嫌じゃねぇ。だがそれに縛られて動けなくなるなんてごめんだ」
肩に食い込む手が緩み、迷うようにガブリエルの唇が動いた。
ガブリエルの落ち込み方がひでぇって聞いたが……結局、そう簡単には変わらねぇか。
「別に、全員に理解されるとは思ってねぇ。そもそも最初からお前はあたしに戦わせたくねぇって言ってたし。……でもなんで、わかって欲しいなんて思っちまうんだろうな」
そんなの、わがままだってわかってる。あたしらしくねぇと。でも言わずにはいられなくて。
ガブリエルはしばらく葛藤するように瞳を揺らしてから、細く、息を吐いた。
「……わかった。俺は姉さんを……姉さんの力を、信じる」
「ガブリエル……?」
予想外の言葉にあたしは視線を上げる。
苦しそうに歪むガブリエルの顔が、視界いっぱいに広がっま。
「姉さんが強いことはわかってた。でも俺は……姉さんを、失いたくなかったんだ。戦場は危険だ。何があるかわからない。……それでも姉さんは戦い続けるんだろう?」
あたしはガブリエルの濡れた瞳をひたと見据え、芯のある声で告げる。
「あたしは戦う。あたしらしくいるために」
「そう、だよな。……なら俺は弟として、姉さんが危険な目に合わないように助けるだけだ。姉さんの隣にいられるなら、俺はそれでいい」
ガブリエルはそっとあたしの頬に触れる。
「姉さんを失う事に比べたら、他の問題なんて些細な事だ」
何処か艶やかなその手つきに、ぞくりと鳥肌が立つ。
認めてもらえたことは嬉しい。嬉しいが……これは、まずいかもしれねぇ。
あたしは遠ざけるようにガブリエルの体をぐっと押す。
「わかったんならそれでいい。……明日は早えんだ、そろそろ寝る」
ガブリエルは素直にあたしから離れると、残念そうに眉を下げた。
「あぁ、おやすみ、姉さん。……いい夢を」
その言葉と同時にあたしはばたりと扉を閉める。
そのままベットに腰掛け、両手で顔を覆う。
明日から遠征準備だ、スケジュールはこれでもかと詰めてある。今はそっちに集中しねぇと。
頭では、そう思っているのに。
『いい夢を』
そう言ったガブリエルの背筋が凍るような甘い執着の宿った笑みが、まぶたに焼きついて離れなかった。




