第二話 異世界転生と、崩れ落ちるシスコン義弟と
パタリと静かに扉を閉める。目の前に広がるヒラヒラとした汚れやすそうな白のレースカーテンと、甘ったるい少女趣味を絵に描いたような家具の数々。
これは、あたしが転生して最初に見た場所だ。
「はぁ……」
息を吐き、華奢な猫足の椅子にどさりと腰掛ける。
トラックに轢かれそうなダチを庇って異世界に飛ばされる。そんなテンプレが本当に存在するとは。
あたしはあの時ダチ2人と待ち合わせをしていた。寝坊助な幼馴染は時間になっても中々待ち合わせ場所に来なくて。
いくらなんでも遅すぎる。そう思ったあたしは大学の門まで迎えに行ったんだ。そこで見えたのは、急いで走るあのバカと、迫り来るトラック。
あたしは咄嗟にあいつを突き飛ばし、次の瞬間ーーー
キツく閉じた瞼を、ゆっくりと開ける。
意外と、死ぬ時って呆気ねぇな。
正直全く実感が湧かない。
……なんでこんなことになったんだか
「っ……!」
いつもの癖で頭を掻こうした瞬間、ズキリと痛みが腕に走る。
やっぱ、夢じゃねぇよな。
めくれた袖から見える包帯の跡。それを見るたび昨日のことを思い出す。
気がついたあたしの目の前に広がる、真っ白な絨毯。鼻につく、鉄の錆びたような匂い。そして手首についたブレスレッドを濡らす、赤いーー
思い出すだけで、ブルリと体が震える。
顔だけを鏡の方へ向ける。昔髪を染めた時みたいな金に近い茶髪、薄緑のカラコンみたいな目。
私は高橋ジュリ、普通の女子大生だった。……昨日までは。
見慣れないその姿に、鏡の中の女は怪訝そうに眉をひそめた。
こいつが今のあたし。乙女ゲーム『ディスティニーチェインシリーズ』2作目の悪役令嬢、ジュリアンナ・カーターだ。
悪役令嬢と言っても悪いことは何もしてない。ただただ気が弱くて、ぽっと出の泥棒猫にいつの間にか婚約者を取られていた哀れな女。
あたしと同じ"ジュリ"と呼ばれる弱い女。あたしはこいつが、心底嫌いだった。
ノア様がエイダに取られた時もただ呆然と見てるだけ。図書館に閉じこもって、泣きながら一日ぼーっと窓の外を眺めてるようなつまんねぇ人間。
ーーーあたしはお前とは違う。お前と同じへまはしねぇ。
心の中でそう呟いてゆっくりと歩き出す。いつもより若干視線が低い。その違和感にはまだ馴れなかった。
突然別人になったことに困惑していないと言えば嘘になる。だがそれ以上にこのチャンスを、ノア様と結ばれる奇跡を逃したくねぇと思った。
開かれたクローゼットから取り出された少女趣味全開のトランクに、比較的動きやすそうな服を次々に放り込んでいく。
この世界のヒロインは、女神に選ばれた聖騎士。辺境警備隊として発生し続ける魔物を倒し、攻略キャラと絆を深める。つまり、力こそ正義ってことだ。わかりやすくていい。
ノア様の隣に立つためには力がいる。この世界のヒロインである聖騎士のような、共に国を守り、導いていく力が。
細い腕を動かしてから、静かにため息をつく。
なのにジュリアンナは戦闘なんててんで出来ないただのお嬢様。実績も実力もねぇ今のままじゃ、選ばれる未来なんてありえねぇ。
まずは力をつけねぇと。
たとえどんな過酷な訓練でもノア様のためなら耐えられる。あいつのいない人生以上の地獄など、私には存在しないのだから。
確かヒロインであるエイダは、王宮内の女兵用宿舎で寝泊まりしてたはずだ。訓練するならそこに泊まった方が効率がいい。
どさりどさりとトランクの外へ積み上がる服。その音の中にまじる、木製の扉を強く叩く音。
「姉さん!! 姉さん、中にいるんだよな!?」
チッ、面倒な奴がきたな。
トランクを脇に寄せ、コキコキと首を鳴らしてから扉を開ける。
「何だよ、ガブリエル」
扉の外に立つガブリエルは石像のようにピシリと固まっていた。唇だけがワナワナと震えている。
何しに来たんだこいつ?
「用がないなら後にしろ」
ドスの効いた声でそう言い放ち、ドアノブを持つ手に力を込める。
「……ま、待ってくれ姉さん!!」
ガブリエルは必死の形相で扉を押さえつけながらそう叫んだ。
「どうしたんだよその言葉遣い! あいつか、ノアのやつか!?」
「ちげーよ。これはあたしの意思だ」
「そんな訳ないだろ!? あぁ、俺の姉さんが……こんな……」
こいつ本当に面倒臭いな……。
両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちるガブリエル。
「どんな姿でもあたしはあたしだ。お前に決められる筋合いはねぇよ」
舌打ちしたい気持ちを必死で堪える。
ゲームでも思っていた。こいつは口を開けば姉さん姉さん姉さんばかり。オウムかテメェは。
緑がかった黒い瞳に絶望を浮かべて、ガブリエルはこちらを見上げた。
「あと、あたしはしばらく家を出る。邪魔すんなよ」
「はぁ!? 家を出る? 何のために? まさか……」
真っ青になったガブリエルがあたしと扉の隙間をすり抜ける。
「おい、勝手にはいんじゃねぇよ!」
あたしの静止も聞かずガブリエルはズカズカと部屋に入りーーートランクを見て、ぴたりと動きを止めた。
さっきから動いたり止まったり忙しないなこいつ。
「婚約破棄したんだろ? それならもう何処にも行く必要ないよな? なのに、何で荷造りしてるんだ……?」
すがるようにこちらを見るガブリエル。
……だから嫌だったんだ。こいつに見つかるのだけは。
「破棄なんてしてねぇ。あたしはノア様に相応しい強い女になる。そのために辺境警備隊に入んだよ」
「ダメに決まってるだろ! 危なすぎる!」
ガブリエルはこれでもかと眉をひそめる。
「そもそもノアが弱いのがいけないんだ。姉さんが変わる必要なんてない……!」
あたしはガブリエルの言葉に、ぴくりとこめかみを動かす。しかしそれでもガブリエルは、堰を切ったように話し続けた。
「なのになんであいつにこだわるんだよ! あんな、あんな女に守ってもらうような腑抜けたやつにーーー!」
「黙れ」
喉の奥底から出てくる、冷たい声。
「ノア様は弱くねえ。お前の価値観で決めつけてんじゃねえよ」
あたしは鋭くガブリエルを睨みつける。
「出ていけ、ガブリエル」
堪えるような小さな声は、拳と同じようにふるふると震えていた。
ガブリエルは一瞬目を見開いた後、唇を噛んで顔を伏せる。
「……わかったよ」
不満げな声を残しガブリエルは渋々扉へ歩いていく。そして扉に手をかけ、やつはぼそりとつぶやいた。
「無理しないでくれよ。……俺だけは、姉さんの味方だからな」
部屋に残されたパタリという扉の閉まる音。それを境にうるさかった部屋に静寂が訪れる。
……何が俺は姉さんの味方、だよ。自分の都合押し付けやがって。
どすりとその場に腰を下ろす。
急に変わった姉に困惑すんのはわかる。心配してくれてんのも理解できる。だが……ガブリエルの言い分は、やっぱり受け入れられねぇ。
あたしは強くありたい。それが、あたしの誇りだから。
『誰かを守る強さは素晴らしいことです。そんな貴女を、私は支えていきたいのです』
ノア様の言葉があたしの脳裏によみがえる。
強くあることを肯定してくれたのは、ゲームの中で微笑むノア様だっけだった。
あたしの思いを、力を受け入れてくれてくれる器の大きい男。そんな男は何処を探してもノア様以外に存在しねぇ。
荷物をまとめながら、頭の中で計画を練る。
まずはエイダに宣戦布告する。何も言わないのはフェアじゃねぇ。奪うなら正々堂々真っ向勝負といこうじゃねぇか。
邪魔をするなら実力で黙らせる。それがあたしのやり方だ。
戦力として、精神的な支えとして。そして政治のパートナーとして。あたしはノア様の隣に立ち、ノア様を守る王妃となる。
それが例え、どんな茨の道であろうとも。
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