第十六話 戦闘報告と新たな火種
鼻腔をくすぐる白百合の香り。静かな庭園の一角であたしはそっとティーカップに口をつける。
口の中に流れ込んでくる液体は、心なしかいつもよりも苦く感じられた。
「なぁ、ノア様。お茶会が討伐の報告も含めてるなんて、聞いてねぇんだが……。時間、わけてやってもよかったんじゃねぇか?」
正面に座るノア様は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「確かに、そうかもしれませんが……」
「貴女は私を超えるのでしょう? それならば、ノアと二人でお茶を飲む時間よりも、鍛錬を優先するべきではありませんか?」
あたしの左隣にいるエイダは厳しい目つきでコチラを見ている。その声には明らかに棘があった。
「はっ、この前ノア様にちょっかいかけたから嫉妬してんのか? あたしと二人きりになるのを邪魔するとは、案外聖騎士様も乙女なんだな」
「どういう意味ですか、ジュリ」
「さあ? どう思う?」
鼻で笑って紅茶を飲み干す。妙に喉が渇いて仕方なかった。
ベルを鳴らして紅茶のおかわりを頼んでから、あたしはふう、と息を吐く。
「まあいい。お前に勝つためにはまだ力が足りねぇのは事実だからな。とりあえずさっさと報告終わらせようぜ」
あたしは右隣のヘンリーに視線を向ける。
ヘンリーはかすかに頷くと、手元の資料に目を向けた。
「討伐されたモンスターは初級53体、中級5体、上級1体になります。上級は報告通り、Aランクモンスターです」
抑揚のない声で、ヘンリーは読み上げ続ける。
「上級は予定通り私が討伐しました。中級に関してガブリエルが3体、私が1体、ーーージュリアンナが、1体」
「ジュリが……!?」
ノア様は僅かに目を見開きこちらを見た。
「もっと見つめてくれていいんだぜ? それだけで傷の痛みも消え失せる」
青色の瞳をじっと見つめ返す。
揺れる瞳が可愛く見えてしょうがねぇ。今すぐ全部あたしのものにできりゃあいいのに。
「まさか、ここまでとは……」
左から聞こえてくる不安定に揺れたエイダの声に、あたしはすっと目を細める。
……悪くねぇ反応だ。
「このままなら、お前を超えるのも時間の問題だ。さっきは鍛錬しろなんてご丁寧にアドバイスしてくれたが、本当にいいのか?」
くすくすと笑い視線だけでエイダを見る。
エイダは眉をひそめながら、ごとりと音を立て乱暴にティーカップを置いた。
「問題ありません。私はそれ以上に強くなるだけです」
「強くなるのもいいが、それだけじゃあノア様の隣にはたてねぇぜ?」
目の前にサーブされた紅茶を一口煽り、そっとソーサーに置く。
「ノア様の妻になるって事は、次期王妃になるって事だ。強えだけじゃ務まらねぇよ」
「……」
エイダは唇を噛んでおしだまった。多分、心当たりがあるんだろうな。ゲームでも素直すぎて他の貴族と対立してたし。
「……とりあえず、報告の続きだな」
あたしが視線で促すと、ヘンリーはかすかに肩を揺らしてから再び書類に視線を落とす。
「死者はいません。負傷者は全員治療が完了しています。ガブリエルの的確な指示とサポート、またジュリアンナが壊滅寸前の兵士を救助したことが理由かと存じます」
「初陣、しかも訓練2ヶ月目でそこまで……」
淡々と告げられるヘンリーの報告。それと対照的に、ノア様の声は揺れていた。
「頑張っただろ。ご褒美はちゃんと考えてくれたか?」
首を傾げ口の端を吊り上げる。ノア様は蛇に睨まれたカエルのようにびくりと体を強張らせ、赤くなったまま動かなくなった。
いい顔だ。このまま食ってやりたくなる。
「特にねぇならノア様の公務同行させてくれよ。なんの仕事かは任せる」
「私の仕事への同行……? それで、良いのですか?」
ノア様は虚をつかれたようにパチパチと瞬きをした。その仕草すら愛おしい。
「あぁ。王妃になるなら仕事への理解は必須だろ? ……それとももっと刺激的な方が良かったか?」
挑発するようなあたしの声音に、ノア様はかぁっと顔を赤くする。
初々しくて可愛いな。
「ジュリ……! 何を言っているのですか……!」
「別に変な事は言ってねぇだろ? 実力を見てもらうために手合わせって言っても良かったんだ。そう考えたら大分平和的じゃねぇか?」
喉の奥で笑ったあたしをみて、面食らった様子で固まるエイダ。
「それとも、他に意味があると思ったのか?」
エイダはほんのりと頬を染めながら、こちらをきっと睨みつけてくる。
揃いも揃って単純でおもしれぇな。もうちょっとからかってやるか。
「……ジュリ、その辺りにしておけ。報告が進まない」
呆れたようなヘンリーの声に、あたしは肩を竦める。
「しょうがねぇな」
あたしは無意識のうちに前のめりになっていた上体を起こし、深く椅子に腰掛けた。
そのまま続く定型通りの退屈な報告。
流れていくヘンリーの声をBGMにして、あたしは現状に思いを馳せた。
準備は着実に整っている。あと、4ヶ月。
必ず手に入れて見せる。
ノア様だけをひたと見据えて、あたしは内心でひとりごちた。




