第十五話 お礼とお菓子と紫の布
シトシトと降り続く冷たさの残る雨、湿度でじっとりと肌にまとわりつくヒラついたスカート。
しかしあたしの足取りは羽根のように軽かった。可能なら、今すぐに走り出してしまいたい程度には。
午後は待ちに待ったノア様とのお茶会……!
先日の遠征の結果も悪くなかったし、ご褒美は確定だな。
にやける口元を隠すこともせず、訓練所の近くにある執務棟の廊下を静々と歩く。
すれ違う兵士たちの表情は柔らかく、中には声をかけてくる奴もいた。そこには始めてきた時のようないぶかしむような視線は1ミリも存在していない。
ま、あたしも2ヶ月で認められたってことだな。
内心で軽くガッツポーズを決めてから、ゴテゴテと装飾された扉の前でぴたりと足を止める。
コンコンコン、と小気味いい音が、白い漆喰の廊下に響いた。
「……誰だ」
中から聞こえてくる抑揚のない低い声。
「あたしだよ。今大丈夫か?」
「問題ない。入れ」
すぐに返されたその声と同時に、あたしはゆっくりと扉を開く。
中には椅子に座ったヘンリーと傍に立つ見慣れた副官の男がいた。副官の男はこちらに向けて武官とは思えない美しい仕草で腰を折る。それに合わせて黒い髪が揺れ、耳元に垂れた白い宝石がきらりと光った。
「ご機嫌よう、ジュリアンナ公爵令嬢」
「ご機嫌麗しゅう、副官殿」
いつもの粗暴さを隠して令嬢らしく礼をする。
相手が礼儀正しく挨拶してるのにちゃんと返さねぇのはマナー違反だ。そこはちゃんとしとかねぇとな。
そのままくるりと体の向きを変えヘンリーの方を見た。
「わりぃな、取り込み中だったか?」
ヘンリーはあたしの声の変化に僅かに肩を揺らしてから、手元の資料を机に置いた。
「問題ない。何かあったのか?」
「いや、大した事じゃねぇよ。一昨日の遠征では世話になったから、その礼だ」
ヘンリーの方へ歩み寄り、執務机の上にことりと木箱を置く。光沢感がある布に包まれたそれに、ヘンリーは瞳を揺らした。
「うちの家が重宝してる菓子店の詰め合わせだ。口に合うかはわからねぇが、個人的には気に入ってる」
こっちのメシはどれも美味いが、特にこの菓子は絶品だ。
「部下の戦闘補助も俺の仕事だ。気を使う必要はない」
「別に気ぃ使ってるつもりはねぇよ。助けられたのは事実だし、中級を倒せたのは先生が教えてくれたからだ」
あたしは肌触りのいい布に、すっと指を這わせる。
「それに、先生があたしを認めてくれるのも嬉しいしな」
女はか弱いぐらいが丁度いいとか、守ってやるとか、そう言う言葉は聞き飽きた。あたしを認めてくれるのはノア様だけかと思ってたが……案外、そうでもないのかも知れない。
――まあ、それでもノア様は別格だけどな。
「とりあえず、これはあたしなりの感謝の気持ちだ。無理にとはいわねぇが、受け取ってくれると嬉しい」
ヘンリーは視線を落とし、菓子箱に手を伸ばす。
「では、いただこう」
ヘンリーは手に取った菓子箱をまじまじと眺める。窓の外から入る薄暗い光に照らされて、紫色の布がキラキラと光った。
「綺麗な布ですね。まるでヘンリー様の瞳のようです」
柔らかな副官の声にヘンリーはぴくりと肩を揺らした。
……言われてみれば確かに似てるかも知れねぇけど、わざわざそれここで言うか?
「別に他意はねぇよ。案外ロマンチックな感性してんだな、お前」
ガシガシと頭を掻いてあたしはふっと顔を逸らす。
瞳の色に似て綺麗だとか口説く時にしか使わねぇよそんな言葉。
「失礼いたしました。微笑ましかったので、つい」
副官は綺麗な顔を綻ばせくすくすと笑う。その貼り付けたような笑みに、あたしは眉をひそめた。
こいつゲーム本編で見たことねぇけど妙にキャラ濃いな……。話してると調子が狂ってしょうがねぇ。
「とりあえず用事はそれだけだ。またな、ヘンリー」
なんだか居心地が悪くて、あたしはくるりと背を向ける。
「ジュリアンナ様、よろしければヘンリー様と一緒に移動してはいかがですか?」
「……は?」
背中にかけられた想定外の言葉。あたしは体をねじって副官の方へ視線をやる。
「この後はノア殿下へ遠征の報告予定だと伺っています。お茶会も兼ねたものであると」
あたしは石像のようにぴしりとその場に固まる。
……聞いてねぇんだけど。
その言葉すら、固まった喉からは出てこなかった。
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