第十二話 見せつけられた現実
右手にある大きな窓からうっすらと陽の光が差し込んでいる。目を細めながら、あたしは立ちはだかる強敵をひたと見据えた。
「かかってこいよ、デカブツ」
熊はあたしの言葉に応えるように咆哮をあげ、こちらへ向かって突進してくる。
何でこの図体でこんなスピード出んだよ……!
間一髪で上空に飛び、そのまま熊の頸に踵を叩きつけた。
「グゥッ!」
熊は短く唸り声を上げる。だが足がめり込む感覚はなく、手応えは感じられない。
ただの打撃じゃ倒せそうにねぇな。
踵落としを決めた脚にグッと力を入れ、熊の体をそのまま踏み台にして誰もいない窓側に着地する。
その勢いで、ズズズズと床に跡が残った。
「っ……!」
顔を上げた瞬間視界に広がる鋭い爪。
どこまでも冷たく光るそれにぞわりと肌が泡立つ。
風を切る音を耳のすぐそばで感じながら、間一髪で右によける。
ここじゃ誰かを巻き込む。もっと広いところにでねぇと。
あたしは横を通過する熊の腕をむんずと掴んで、勢いを活かしたまま窓の外に向かって投げ飛ばした。
パリィイィンッ!
勢いよく弾け飛ぶ窓ガラスと、耳をつんざく破壊音。
あたしは頬を掠る熱い感触を振り切り、落ちたクマを追って空中へと身を投げた。
ふわりと体が浮く感覚がしたあと、すぐに足元が痺れるような衝撃がやってきて。
「っ……!」
想像より強い衝撃に思わず眉をひそめる。
いてぇ、けど、んなこと言ってる場合じゃねぇ!
あたしは衝撃を振り払うように足に力を込め、仰向けのクマを睨みつけた。
こいつを倒すには外からじゃ無理だ。内側から崩すなら、タイミングは今しかねぇ
そのままクマに向かって全走力で駆け出す。やつは頭をブルブルとふってから、ぴたりとこちらへ視線を定めた。
「グルァアアアアア!」
体がビリビリと震えるほどの咆哮。それを全身で受け止め、あたしは距離を詰め続ける。
こちらを迎え撃つように体勢を立て直して四つん這いになるクマ。そいつは口を大きく開けながら、大地を揺るがしこちらへと迫ってくる。
その迫力に一瞬足がすくむが――それを振り切る様に、あたしはグッと足を踏み出した。
ここで避けたら勝てねぇ。ダメージ受けてでも仕留めてやる!
あたしの胴をめがけて迫り来る鋭い牙。それを腕が届きそうなほど近くまで引きつけてーーー迫り来るクマの眼窩を狙い、左手で渾身の突きを放った。
クマはびくりと体を震わせる。攻撃に怯み、微かに鈍るクマの動き。
クマが口を閉じる前に、あたしは左腕を支点にして素早く地面を蹴り上げる。
脇腹に固いものがあたる感覚がした。焼いた鉄でも当てられたかのような痛みが走る。
「っうらぁあああ!!」
それを誤魔化すように雄叫びを上げ、親指でクマの眼窩をぐちゃりとかきまぜた。そのまま指を窪みに引っ掛ける。
柔らかなゼリーのような手触りと、固い骨の感触に胃が痙攣する。
まだだ。これじゃ倒せねぇ。
ゆさゆさと痛みで頭を揺らす熊。
振り落とされないようもう片方の手でクマの頭を抱え込み体をその場に固定する。そして肘を引きつけるようにぐっと腕に力をこめ、喉元をかるように素早く膝を叩き込んだ。
足に伝わってくる、グシャリと何かが潰れる感覚。
喉を潰されたクマは叫び声ひとつあげることなく、どさりと地面に崩れ落ちた。
やっ……たのか……?
視線の先のクマは倒れ伏したまま、ぴくりとも動かない。
……死んだ、か。
その事実を認識した瞬間、あたしはその場に膝をつく。
息が、苦しい。気持ち悪りぃ。
必死に胸を動かして空気を吸う。その度に鉄の匂いが肺を満たした。
これが、戦場。
どくりどくりと心臓が脈打つたび、ふくらはぎを生ぬるい液体が伝う。熱と痛みが、辛うじてあたしの意識を繋いでいた。
あいつら、こんな世界で生きてたんだな。
……そりゃあ、ジュリアンナなんか選べねぇよ
弱いままじゃ、守られてるだけじゃ。この世界はーーーノア様は救えねぇ。弱い奴にあいつの隣にたつ資格はねぇ。
ズキズキと痛む足と鳴り止まぬ戦闘音が、現実をあたしに認識させ続ける。
それに応えるように疲労で震える膝をぐっと手で押して、半ば強引に立ち上がった。
あたしは、ここで立ち止まるわけにはいかねぇんだ。
足をひきづるようにして、村の中央へと歩んでいく。
まだ、戦闘は終わってねぇ。音が、匂いが、気配が。あたしに戦えと囁いた。
ガサガサガサッ
その瞬間、右側の草むらから聞こえる不気味な音。首だけをゆっくりと動かした先。そこに鎮座していたのはーーー
「グルァアアアア!」
先程倒したはずの、あのクマだった。
あたしは急いでクマの亡骸を確認する。間違いない、あのクマは死んでいる。
マジか、2体目かよ……!
舌打ちの音が、張り詰めた空気を揺らす。
どう考えても今のあたしで勝てる相手じゃない。
だが――あたしはやらなきゃいけない。強さを証明するとエイダに啖呵を切った以上、ここで引くわけにはいかねぇんだ。
軋む手足を奮い立たせ、キッとクマを睨みつける。
「かかってこいよ、デカブツ」
力なく響くその声。そこに、先ほどまでの勢いはもはや存在しなかった。
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