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第六章:崩壊の序曲

 ハロルド・ローレンツは手にした一報に目を疑った。ラズモンド伯爵の屋敷が摘発され、闇オークションが暴かれたというのだ。それだけではない。彼がギャンブルの末に借金を重ね、カトリーナを売った事実が広がれば、ただでは済まない。

「そんな馬鹿な……!」

 彼は震える手で酒瓶を掴み、乱暴に中身を煽る。しかし、喉を通るはずの液体は、手の震えでこぼれ落ち、彼の服を濡らすばかりだった。

「くそっ……すべて順調だったはずなのに……」

 彼は、ふと昔を思い出した。

 兄であるエドワードは、先代の父の跡を継ぎ、家名を守るために堅実に財を築き上げ、領地を発展させた。そんな兄に自分は嫉妬していた。兄は全てを持っていた。名誉も、家も、美しい妻も、なにもかも。

 一方、自分はどうだった?男爵位はもらえたものの、口やかましい妻を娶り、裕福とは言えない生活だった。ギャンブルや酒にすがるしかなかった自分。それが、腹立たしかった。

「なぜでいつも、兄と言うだけで称賛されるんだ!」

 だからこそ、兄が突然の事故で亡くなった時は、ざまぁみろと思った。そしてその妻も病であっけなく死んだと聞いたとき、運命が自分に微笑んだのだと思ったのだ。

 葬儀が終わるや否や、妻のエレーヌと娘のリリアナを連れてローレンツ伯爵家へと乗り込んだ。そして、まだ幼いカトリーナの面倒を見ると周囲を納得させ、伯爵位を継いだ。

 ──そう、すべてが自分のものになったのだ。

 だが、思ったほど上手くはいかなかった。

 カトリーナの存在が邪魔だった。それは妻達も同じだったようで、徹底的にカトリーナを虐げた。鬱憤を晴らすかのように、冷遇し、使用人のように扱い、時には暴力すれすれの厳しい“教育”を施した。

 それでも、金の問題は解決しなかった。

 兄が築き上げた財産を食いつぶすのは、思った以上に早かった。

 エレーヌは贅沢をやめようとせず、新しいドレスや宝飾品を次々と買い、社交界での地位を誇示し続けた。リリアナもまた、裕福な貴族の子女として、湯水のように金を使った。

 そして、自身は──相変わらずギャンブルに夢中だった。

 そんなとき、ラズモンド伯爵との出会いがあった。

「ほう、ローレンツ家の当主様は羽振りのいいことだ」

「ただの興味ですよ。少し遊んでみたくなっただけだ」

 最初は軽い気持ちだった。しかし、一度の勝利に酔いしれ、二度目の勝負で負けを取り戻そうとし、気づけば借金は雪だるま式に膨れ上がっていた。

 そのとき、ラズモンド伯爵が言った。

「一つ、提案がある」

「……何でしょう?」

「お前の家には、まだ価値のある“商品”が残っているのではないか?」

 その言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。

 カトリーナ。

「あの娘を私に差し出せば、借金は帳消しにしてやろう」

 ハロルドは迷った。

 いや、正確には、迷うふりをしただけだった。

 カトリーナなどどうなってもいい。むしろ、いなくなれば都合がいい。兄が遺した厄介者を処分できる上に、借金も消えるのなら、願ったり叶ったりだ。

「……分かった」

 それがすべての始まりだった。

 カトリーナはいなくなった。これで全てが上手くいくはずだった。

 ──それなのに、なぜ。

「なぜ、ラズモンド伯爵が捕まるんだ……!?」

 予想外だった。

 ラズモンド伯爵が逮捕されたことで、彼と関わりのあった貴族たちの名が捜査対象として浮上していた。ハロルドは震えた。

 もし、このことが公になれば、自分もただでは済まされないかもしれない。

「まさか、本当に先代の娘を売ったのか?」

 そう疑われるだけで十分だった。

「くそっ……俺の人生は、こんなはずじゃなかった……!」

 酒を煽る手が止まらない。焦りと恐怖に押し潰されそうだった。

 ──それでも、まだ終わりではない。

「どこかに、まだ逆転の策が……!」

 しかし、その願いは、いずれ打ち砕かれることになる。

 ローレンツ家の崩壊は、もはや避けられない運命だった。


 エレーヌとリリアナは名門貴族のパーティーに招かれていた。会場に足を踏み入れると、何か違和感を覚えた。

 ──静寂。

 いつもなら彼女たちを迎える微笑みや挨拶があるが、今日はなかった。代わりに、冷たい視線とひそひそとした囁きが周囲から聞こえてくる。

「ええ、あの一家、闇オークションに関わっていたらしいわよ」 「リリアナ嬢もよく男たちと遊んでいたけれど、まさかそんな金で贅沢していたとはね」 「エレーヌ夫人も、夫の借金を知っていたのでは?」「夫人もねぇ、噂ではいろいろとお楽しみのようよ」

 くすくすとあざけるような笑いも聞こえてきた。二人は胸の奥が凍りつくような感覚に襲われる。

 それでもリリアナは、いつも彼女甘い言葉を囁いてくる男性達を探した。しかし、今日は視線こそ向けられているが、それは好意的なものではなく、嘲笑や軽蔑が混じったものだった。

 彼女は何事かと辺りを見回したが、親しくしていたはずの男性たちは目を逸らし、誰一人として近づいてこようとしない。むしろ、距離を取るようにしているようにさえ見えた。

「どういうこと?」

 不安に駆られたリリアナは、いつも取り巻いていた男性の一人に歩み寄った。

「ランディ様!」

 しかし、彼は苦笑しながら後ずさりし、口を開いた。

「すまないが、君と話すのは控えたいんだ。」

「……何を言ってるの?」

「いや、悪いけど、これ以上は巻き込まれたくないんでね。」

 彼はそれだけ言い残し、その場を去ってしまった。

 リリアナは唖然としながらも、まわりを見渡した。そこで友人だと思っていた女性と目が合った。しかし、その女性はリリアナの顔を見るなり、含み笑いをしながら一緒にいた仲間たちとわざとらしくひそひそ話を始めた。

「ねえ、聞いた?」「ええ、あの噂、やっぱり本当だったのね。」「まあ、そういう育ちってことよね。」

 クスクスと笑い声が広がる。

「……何の話?」

 リリアナが強く問い詰めると、彼女は少し笑みを浮かべて言った。

「知らないの?おかわいそうに。……あまりにひどい話だから、ここでは言わないほうがいいかもしれないわね。」

「な、何を言ってるのよ!?」

「ま、少しは自分で考えてみたらいかが?心当たりはあるのではなくて?」

 そう言うと、女性たちは肩をすくめてリリアナを残し、去っていった。

 リリアナは強く拳を握りしめたが、何も言い返せなかった。周囲の貴族たちの視線が痛い。まるで物珍しい見世物を見るような目つきだった。

 彼女は気づいた。──この場所には、彼女の味方はいないのだ、と。

 一方、エレーヌもまた、同じような冷遇を受けていた。かつては優雅に談笑していた貴婦人たちは、彼女を避けるようにし、誰一人としてまともに相手をしようとはしなかった。

「皆さん……どうしたのです?」

 冷静を装って声をかけると、女たちは冷たく一瞥をくれるだけで、そっと距離を取る。

「エレーヌ夫人、お気の毒ですが、もう私たちとは関わらないでいただけます?」

「まあ……あなたと話をするほど、私たちは落ちぶれていませんもの。」

「え……?そんな、私たち、友人でしょう?ねぇ、お願い、話を──」

「あなたの家のスキャンダルが広まる前に、私たちも距離を置く必要がありますの。悪しからず」

 突き放されるように言われたエレーヌは、何か言おうと口を開くが、声が出なかった。

「まあ、あなたも楽しんでいたのでしょう?リリアナ嬢も、ね。だから、今更知らないふりをしないでちょうだい。」

 他の貴婦人たちもクスクスと笑う。その笑い声が、エレーヌの心に鋭く突き刺さった。

「そんな……」

 エレーヌは震えながら、その場に立ち尽くした。

「……帰りましょう、お母様」

 リリアナは顔を真っ赤にして母に近づき震えながら言った。屈辱だった。今までの栄華が、まるで砂の城のように崩れ去っていく感覚。エレーヌは黙って頷き、二人はそそくさと会場を後にした。

 こうして、ローレンス伯爵家の悪評は、社交界に広く知られることとなったのだった。


 パーティから戻った妻のエレーヌの悲鳴が響いた。

「こんなことって……私たちが巻き込まれるなんて……!」

 エレーヌの周囲には彼女が大切にしていた高価なドレスや宝飾品が散乱していた。彼女は長年、華やかな社交界の中心にいることを誇りに思い、贅沢三昧な生活を楽しんできた。しかし、友人たちが彼女を避けるようになっていることが我慢ならなかった。

「ハロルド、どうにかしてちょうだい!このままじゃ私たちは終わりよ!」

 エレーヌの声は震えていた。さらに彼女は密会を繰り返していた男性がいたが、彼からも別れを突きつけられていた。かなり本気だったエレーナは大きなショックを受けていた。

 一方、リリアナもまた焦燥に駆られていた。彼女は母以上に派手な生活を好み、貴族たちとの遊びにふけっていた。しかし、彼女に寄ってくる男たちの態度が変わった。彼女が貴族の令嬢としての価値を失いかけていることを、彼らはすでに察していたのだ。

「まさか、私がこんな目に……!私は高位貴族の妻になるはずだったのに!」

 リリアナも青ざめながらも、なんとか現状を打破しようと考えた。しかし、借金を重ねた父が助けられるわけもなく、彼女が寄りかかれるはずの人々も次々と彼女から離れていく。

 気づけばすべてが崩れ去ろうとしていた。

「どうして……どうしてこんなことに……」

 破滅の足音が、すぐそこまで迫っていた。

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