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顔を洗いケイトに身だしなみを整えてもらった。今は鏡台の前に座り髪を整えてもらっている。
鏡に映るのは十歳の私だ。髪は母親と同じ淡い水色で瞳は皇族の証である黄金色だ。
母親は産後の肥立ちが悪く、私を生んで数ヶ月後に流行り病にかかり儚くなった。だから私には本当の母親の記憶はない。しかし肖像画で見た母親はとても美しい女性であった。父や母が言うに私は母親にとてもよく似ているそうだ。
ここで言う父とは皇帝陛下で母は皇后陛下のことである。そして私の生みの母親は第二皇妃だった。母親が早くに亡くなした私を皇后陛下が本当の娘のように育ててくれたのだ。だから私にとっての母とは皇后陛下だと思っている。
「本当にアンゼリーヌ様も大きくなりましたね。アンゼリーヌ様の立派なお姿を見ることができてケイトは嬉しゅうございます」
確かあの日もケイトは私の成長を喜んでくれていた。この夢は本当によくできた夢である。
「さぁ出来ましたよ。それでは皇帝陛下の元に参りましょう」
「ええ、分かったわ」
父の元に向かうために部屋を出ると扉の前に立っている男の子が一人。
(そう、だったわ。いつもこうして私のことを待っていてくれたわね)
「おはよう、クリス」
「おはようございます、アンゼリーヌ様」
黒の髪に赤い瞳、死ぬ間際に聞こえた幻聴よりも幾分か高い声。
――クリス
私が幼い頃お忍びで訪れていた皇都の路地裏で出会った男の子。私の従者であり大切な友達だ。
赤紅い瞳を持つ者は魔力という貴重な力を身体に宿しており国で保護している。保護された者は保護施設で魔力の使い方を学ぶのだがクリスは保護施設に入るのを拒否した。これは後から知ったことだがこの国では平民や下位貴族の間では黒い髪は不吉と言われており忌避されているそうだ。おそらくそのせいでクリスは赤い瞳を持ちながらも保護されてこなかったのだろう。どうしたものかと父に相談すると、教育をきちんと受けるのであれば私の従者にするのはどうかと提案された。私はクリスが黒髪だろうが全然気にならなかったのでその提案を受け入れ、数年後クリスは正式に私の従者となる。
出会いから二年後、私が七歳、クリスが十歳の時である。
それからは私が国を出る十八歳までいつも側にいてくれた。国を出る際に連れていくことができずに寂しく思ったが、今は連れていけなくてよかったと心から思う。あんな思いをするのは私だけで十分だ。
「お誕生日おめでとうございます」
「どうもありがとう」
私はクリスを見る。燃えるような赤い瞳はいつ見ても綺麗だなと見入ってしまう。ただクリスはいつも顔を背けてしまうのだが。
「…っ」
「もうクリスったら」
「うふふ、相変わらずお二人は仲良しですね」
「!ケイトから見てもそう思う?」
「ええ」
「嬉しいわ。クリスは私の大切な友達だもの。ね、クリス」
「…はい」
クリスは照れているのか背けたままの横顔がほんのりと赤い。本来の私だったら恥ずかしくてこんなこと口にはできないがこれは夢だ。
「それじゃあ行きましょう」
私はクリスとケイトを連れて謁見の間へと向かったのだった。
◇◇◇
謁見の間の前に着いた。私は扉の前に立つ騎士に声をかける。
「皇帝陛下に取り次ぎを」
「かしこまりました。…アンゼリーヌ第二皇女様がお見えになりました!」
『通せ』
「はっ!…第二皇女様どうぞお入りください。侍女と従者の方はこちらでお待ちください」
「では行ってくるわ」
「私たちはこちらでお待ちしておりますね」
「待ってます」
「二人ともありがとう」
そして私は謁見の間の扉をくぐり父の待つ玉座へと歩みを進める。
「アンゼリーヌよく来たな」
玉座の前へたどり着くと父が笑顔で私を出迎えてくれた。
「アンゼリーヌ、十歳の誕生日おめでとう」
そして父の隣には母である皇后陛下がいた。
――ガルトン・ド・ラスティア
金の髪に黄金の瞳を持つ美丈夫でここラスティア帝国の皇帝陛下だ。
――オルレシア・ド・ラスティア
黄緑の髪に青色の瞳の美しい女性。皇后陛下は美し過ぎて一見冷たく見えるかもしれないがとても愛情深い女性である。
「皇帝陛下と皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「ははっ、そんなに畏まらなくてよい。ここには私たちしかいないからな」
この謁見の間にいるのは父と母、それに宰相と私の四人だけだ。私はちらりと宰相に視線を向けると笑顔で頷いている。それならと私はお言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます」
「本当に立派になったな」
「ええ。アンゼリーヌがもう十歳だなんて時が経つのは早いわね」
二人は私の成長を心から喜んでくれている。しかしこの後に待っている選択で私は父と母よりも先に死んでしまう親不孝の娘になるのだ。そんなこと夢の中であろうと二度とあってはならない。
(だから私は違う道を選ぶわ)
他愛ない会話が一段落すると父の雰囲気が変わった。きっとあの話が始まるのだ。
「アンゼリーヌ」
「はいお父様」
「ここからは父としてではなくこの国の皇帝として話をする」
(きた!)
「かしこまりました」
「十歳を迎えた皇族は今後自分がどの道を進みたいかを選ぶことになる。アンゼリーヌもこの度十歳を迎えた。皇族として生まれた以上自由に生きることはできない。それは分かるな?」
「はい、もちろんです」
「皇族は国のために役に立たねばならない。だが役に立つ方法はいくつかある。それを誰かに決められるのではなく自分自身で選ぶことで責任の自覚と自立を促すのだ。私たちは自由に生きることはできない。それでも数少ない未来の選択くらい自分で選べる自由はあるべきだと私は考えている」
「はい」
「もちろん既に第一皇子と第一皇女にも選択肢を与え自分自身で選んだ。今回は第二皇女であるアンゼリーヌの番だ」
第一皇子と第一皇女は腹違いの兄妹だ。第一皇妃様が生んだ子である。第一皇子である兄は二つ年上で第一皇女である姉は私と同い年だ。私より一月早く生まれたので同い年でも姉なのである。
二人の選択は既に公表されている。私の選択は今日のパーティーで発表される予定だ。
「では選択肢を伝える。よく考えて答えを出すように」
「はい」
「一つ目は帝国内の有力貴族との婚姻、二つ目は他国への嫁入り、そして三つ目は私の後を継ぐことだ」
詳しい説明を聞くとあの時と全く同じだ。
一つ目の帝国の内の有力貴族との婚姻は将来臣籍降下し皇族としてではなく、一貴族として帝国を支えていくことになるということ。私のお相手候補は宰相のご子息と騎士団長のご子息だ。
二つ目の他国への嫁入りは今は停戦となっている敵国に和平のためにこの身を差し出すこと。停戦中ではあるが敵国であるため和平のためと言ってもどんな待遇が待っているかは分からない。
そして三つ目の父の後を継ぐというのは自分が皇帝となるということ。ただ他に後を継ぐことを望んでいる者がいればその者と後継者争いをすることになる。
ちなみに兄は臣籍降下を望んでいて既に侯爵家の令嬢と婚約している。また姉は皇帝の後を継ぐことを望んでいる。
私は国の役に立つことを望んでいたし争い事が苦手だ。だから臣籍降下するより国の役に立てて皇帝の座を姉と争わずに済む他国への嫁入りの道を選んだ。しかし結果は何の役にも立たずに死んでしまったが。
だから今回は違う道を選ぶ。
(どうせこれは夢だもの。いつ夢が終わって本当の眠りに就くかは分からないけど、それまでは違う道を進んでみてもいいわよね?)
「皇帝陛下」
「決まったか?」
「はい」
「よく考えて決めたのだな?」
「そうです」
「ではアンゼリーヌ。お前はどの道を選ぶのだ?」
「私は―――」