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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

お家に帰ろう

作者: 留年太郎

世界は、終わった。

俺の人生も、終わった。

俺は追ってくる連中から必死で逃げながら、そんな事を考えていた。

街のあちこちからは火の手が上がり、悲鳴や血飛沫に溢れている地獄のただ中。

今も現在進行系で多くの命が失われているというのに、ここには助けてくれる警察も消防隊もいない。

部活終わりの放課後。

いつも通り家に帰ろうとしていた俺を襲ったのは、腹を空かせて生き血を求めるゾンビの群れだった。

口から血を滴らせおぼつかない足取りでこちらに集ってくる姿はホラー映画で見た化け物そのもの。

筋肉痛で足がまともに動かない状態ではいつまでも逃げ回れるわけもなく、俺は壁を背にして囲まれてしまった。

目の前には絶望的なほど分厚いゾンビの壁。背後には絶望的なほど高いコンクリートの壁。

「うああああ!」

迫り来るゾンビの群れに向けて、持っていた棒きれを無我夢中で突き出す。

腐りかけだったからだろうか。

棒きれの先端は先頭のゾンビの顔面に突き刺さると、そのまま顔を貫通して後頭部から飛び出た。

人間なら当然致命傷のダメージだったはずだが、ゾンビは止まることはなかった。

顔に刺さった凶器を自ら抉り込むようにして俺との距離を詰めてきた。

「ひいいいい!」

俺はたまらず棒きれから手を離し、相手の顔を掴んで噛まれるのを阻止した。

ゾンビはそれでも本能に従うまま、噛みつこうと歯を鳴らす。

たった一人を止めるために両手が塞がってやっとだというのに、後ろにはその何十倍もの数の敵。

頭の中が絶望で埋め尽くされ死を覚悟した時だった。

鈍い音を立てて突如目の前のゾンビが吹っ飛ばされた。

何が起こったのか目を凝らすと、そこに立っていたのは血まみれのバールを片手に持つ見知らぬ女の人だった。

バスケのユニフォームに身を包んでおり、俺と同じ部活動の直後もしくは最中に巻き込まれた女子生徒のようだった。

ゾンビは彼女の存在に気づくと、俺から標的を変えて襲いかかった。

圧倒的不利・・・・・・と思ったが、彼女は連中に捕まることなどなかった。

流れるように髪の毛をなびかせると、強烈な一撃でゾンビ達をなぎ倒していく。

「走れ!こっちだ!」

彼女は草でも払うように道を作ると俺に呼びかけてきた。

そこで初めて俺は自分が助けられたのだと知った。

最後の望みをかけて動かない足腰を無理やり立たせると、棒きれを拾って走り出した。

殴り飛ばされたゾンビはしばらく藻掻いてから起き上がると、俺達を追いかけてきた。




あれからしばらく逃げ回ってゾンビの大群を撒いた俺達は、人のいない住宅で一休みすることにした。

入る時に思い切り窓を割って侵入してしまったが、非常事態なので見逃してほしい。

「大丈夫か?」

俺が疲労困憊で立てずにいると、命の恩人は水の入ったコップを持ってきた。

呼吸困難で死にかけている俺とは違い、息切れ一つ起こしていない。

「ほら水だ。煮沸はしてある」

胡座をかくと、コップをこちらに渡してきた。

俺は遠慮したものの、自分の分はあると言うので受け取った。

「あ、ありがとうございます。あの・・・・・何で助けてくれたんですか・・・・・・?」

「たまたま化け物共に追い詰められている君が視界に入ったんだ。助ける理由なんか、それで十分だろう?」

理由を説明したところで、彼女は何かに気づいたように目を細める。

「因みに噛まれては──」

「ないですないです!噛まれてないので、殴るとかはやめて下さい!」

俺をゾンビ予備軍と警戒したのか、胡座を解いてバールを手にした彼女。

「そうか!ならいいんだ」

魔女裁判でも始まるかと肝が冷えたが、あっさり信じてくれた。

「そういえば名前聞いてなかったな」

それどころか、こちらをゾンビと疑ったことなど忘れたように自己紹介を求めてきた。

「柊玲士です。」

「そうか!レイジか!短い間かもしれないがよろしくな!」

屈託のない笑顔でそんな恐ろしいことを言われ、この人に抱いた信頼感のようなものが揺らいだ気がした。

「私は・・・・・・名乗る名前なんてないな」

「えっ・・・・・・そうですか。」

こちらの名前は知りたがるのに自分は名乗らないのか。不思議な人だ。

「俺達、これからどうすればいいんですかね・・・・・・?」

仲間ができたにしても、暗く沈んだ気分は中々晴れない。

友達も家族も連絡が取れず、安否がわからないのだ。

刻一刻とゾンビ達が縄張りを広げる中ダラダラしていては、生存の可能性は下がる一方。

ここだっていつまで安全かはわからない。

「私はこれから家に帰ろうと思うんだが、一緒に来るか?」

「えっ!?」

思わぬ提案を受け、思わず顔を上げる。

「嫌か?」

「嫌とかじゃないですけど・・・・・・シェルターとか、学校の体育館とか、他にも安全そうな場所ってあったりするんじゃ・・・・・・」

「町内放送もスマホの通知も何も無いし、こういう災害対策に必要な人員は全員死んだんじゃないのか?」

そんな恐ろしいことをさらっと。

でも一理ある。

災害状況が始まってもう数時間は経つこの町だが、生存者の救助らしい動きは全く見られない。

助ける側の人間が壊滅的被害を受けたか、もしくは町ごと俺達は見捨てられたか。

どちらも考えたくもない話だ。

とはいえ、一時的な避難場所としてこの人の家を選ぶのは少し抵抗感がある。

「女の人の家ってだって・・・・・・好きな人?・・・・・・とかを招くものなんじゃないんですか?」

「何を言うかと思えば非常時だぞ!こんな時に何考えてるんだバカ!」

「ごめんなさい・・・・・・」

露骨に引かれたような顔をされてしまい、俺は反論をやめた。

「そう簡単にゾンビなんか来れないし、いくらか食料もあるからしばらくは持つだろう。それで3日くらい待って救助が来てくれれば御の字。見捨てられたと判断したなら自力で町を脱出するしかあるまい」

彼女は壁に立てかけていたバールを手にすると、休息は十分と言わんばかりに窓を開けた。

「ほら行くぞ、レイジ!」

チンタラしていると置いていかれる。

そう直感した俺は慌てて彼女の後を追った。




彼女はバールで敵を薙ぎ払いながら、俺は棒きれで突きながら走った。

その間、彼女はゾンビを迎撃する度に口角を上げ、踊るように地獄を駆け抜けた。

2人とも髪の色が変わってしまうほどに返り血を浴びた頃、彼女は巨大なマンションの前で足を止めた。

「泣き言ばっかで賑やかなヤツだな、レイジ!」

彼女は楽しそうに笑って背中を叩いてきた。

彼女と違って俺はゾンビにキス距離まで近づかれる度バカみたいな悲鳴を上げていたのだから、そう言われても仕方がないかもしれない。

「確かにうるさくしたのは申し訳ないですけど・・・・・・あなたは楽しいんですか?」

「さっきまではクソだったが、君と合流してからは愉快で仕方ないな!やっぱり助けて正解だった!」

自分より下の人間を見て満足するタイプなのだろうか?

「まあとにかく、着いたぞ!ここの14階だ!」

彼女は目の前のマンションを見上げた。

「なるほど・・・・・・確かに家が高いところなら安全ですね!」

高い場所はゾンビが登って来づらい上にSOSのサインも救助隊に対して目立ちやすい。

彼女が暗証番号を入力するとマンション入口の自動ドアが開いたことから、電気はまだ通っているようだ。

俺達はエレベーターに乗って彼女の家の位置する14階を目指した。

エレベーターまでの道中、悲鳴や血痕など異常事態と思える痕跡は何もなかった。

ここは恐らくこの町における数少ない不可侵領域なのだろう。

つまりもう、外敵に襲われる心配もなく俺達はただ普通に彼女の家に辿り着くことができるわけだ。

助かった。

そう思った時だった。

突如視界が真っ暗になり、エレベーターの上昇が急停止する。

「ん?」

「え?え?」

明らかに異様な機械音が鳴った後に再び灯った照明は、それまでのお洒落なものではなく、見るからに危険を表す赤色のものだった。

どうやらエレベーターが停電して非常灯がついたようだ。

そこで俺達は二人して犯した過ちに気付く。

「あー・・・・・・マズったな、これ。災害時にエレベーターは御法度だったな」

それまで正常に行われていた電力供給が運の悪いタイミングで止まり、俺達はエレベーターの中に閉じ込められてしまった。

しばらくじっとしていると暇なのか、彼女は話しかけてきた。

「君が持ってるもの・・・・・・なんだそれは」

そう言って目を向けてきたのは、俺が手にしている棒きれだった。

「これですか?これ・・・・・・バドミントンのラケットだったんですけど、ひたすらゾンビを殴ってたら折れちゃったので・・・・・・」

外側は返り血で汚れ、中に脂やら肉片やらが詰まって無惨な姿となっているのは、かつて愛用していたバドミントンのラケットだったもの。

つい数時間前までは俺のラリーに付き合ってくれた心の友だったのだが、ゾンビ相手に死物狂いで抵抗しているうちにシャフトが途中から折れてしまった。

今となっては先端が槍のように尖った棒きれとなってしまっている。

彼女はポケットを弄るとカッターナイフを渡してきた。

「これ、やるよ」

受け取ってから試しに刃を出してみると、既に何者かの血が付着していた。

「一度奴らに噛まれたら、潜伏期間に個人差こそあれど最終的には例外なくゾンビ化するんだ。どんな人間だろうとな」

あまり刃物には詳しくないが、結構な切れ味があるのではないだろうか。

俺は確かめようとして人差し指で刃に触れた。

「おい!何やってる!?自殺願望でもあるのか!?」

「あっ・・・・・・そっか。」

この刃の血は、恐らく彼女がゾンビを斬りつけた時に付着したもの。

つまり、このカッターナイフで斬りつけられた者は傷口からゾンビの元凶となる菌だかウイルスだかが体内に侵入してしまう。

気づかずに危うくゾンビになるところだった。

「危なっかしいな。全く。・・・・・・そんな棒きれじゃ心許ないだろう。もし逃げられない状況でゾンビが襲ってきたら、そいつで自分の身を守れ。いいか?躊躇なんかしたらダメだぞ。奴ら生命力はすごいが、喉を裂けば大体死ぬ」

「っ・・・・・・はい・・・・・・」

ゾンビの対処法を説明する時の彼女の気迫に、俺はイエスマンになる以外の選択肢はなかった。

「あなたは・・・・・・いいんですか?」

俺に渡したカッターナイフを除けば、持っているものと言えばバールくらいのものだ。

これでゾンビを確実に無力化するのは難しいんじゃないのか。

実際に彼女が倒したゾンビも、すぐ起き上がって俺達を追いかけてきた。

「私は・・・・・・大丈夫だ。君よりずっと強いからな!」

そう言われてしまえば、反論の余地はない。俺は素直にカッターナイフを貰い受けることにした。

エレベーターに閉じ込められてからどれほど経っただろう。

何度か警察に通報したり、非常電話で連絡を試したりしたが、どれも通じることはなかった。

命の恩人と二人きりでずっと静かな時間が続いていると、やがて悔恨の念に苛まれる。

「あの・・・・・・本当にすみません。俺がチンタラしてなかったら、もっと早くエレベーターに辿り着けたのに・・・・・・」

そうすれば、ギリギリ停電する前に14階にたどり着くことだってできたかもしれない。

「君が気にすることじゃないだろ。そもそもこの災害時で、私達はエレベーターじゃなく階段を使うべきだった」

「階段、あるんですね」

「一応、な。普段使わないから存在を忘れていた」

立っているのも疲れたので、俺は壁を背にして体育座りした。

「俺達・・・・・・助かるんでしょうか」

「私は無理だと思ってるぞ。2 人共ここでミイラになる」

「嫌ですそんなの!」

無慈悲な回答をしたと思ったら、彼女は俺の反応を見て笑った。

「冗談だ。とは言っても状況が絶望的なのは変わらないな。社会が再起不能になってしまえば新たに生み出される水も食料もない。今はまだ大丈夫だろうが、電気やガスがなければ冬の寒さを凌ぐことも難しいしな」

「だとしても、このままここで閉じ込められて死ぬのは嫌です。」

こんな暗くて狭い場所。

きっと死体が腐乱した後も、白骨化した後ですら、誰も見つけてくれはしない。

「まあ、生き延びられたらいいな」

彼女はそう言い残して黙り込む。

腕を組んだまま壁にもたれかかり、何かを待つように目を閉じた。

俺は彼女の横顔を見ていてあることに気づいた。

俺が目を引かれたのは、耳たぶの辺りで小さく光るもの。

「ピアス・・・・・・付けてるんですね。うちの学校、確か禁止だったはずです」

この場でルールを説く気はないが、学校帰りに襲われたことを考えると日中も付けていたということだろうか?

「ああ、これな。弟が用意してくれた誕生日プレゼントなんだ」

思わぬ言葉が飛び出してきて、俺は驚きを隠せなかった。

「今日、誕生日だったんですか!?」

「ああ。それがとんだパーティになるとはな」

今日、大勢の人が亡くなった。

この人にとっては、それが良い意味で特別な日になるはずだったというのに。

「似合ってます、すごく」

形も大きさも控えめで、代わりに燃えるような赤色の宝石が目立つ代物。

「うちは両親を小さい頃亡くしてな。私の家族は、その弟だけだったんだ。」

彼女は、おもむろに身内の話を始めた。

「このピアスはな、私が高校卒業の記念に買おうと思ってた物なんだ。どうしても欲しくてな。待ち遠しくて、学校にはバレないようにピアスの穴だけ開けてたんだ。だが生徒指導の教師は騙せても、弟には気づかれてしまってな。好きに使えばいいものを、あいつは私があげた小遣いを貯めて買いやがったんだ。」

少し口角を上げて、楽しそうに微笑む。

「これがまた、バカ正直なヤツなんだ!隠し事が下手すぎて、一週間前からサプライズの用意をしているのがバレバレだったんだ!誕生日カードやら、プレゼントを渡す計画やら入念に準備していて、私にバレてちゃ意味がないっていうのにな!」

話に聞くからにいい子なのだろう。

彼女は言葉に毒を持ちつつも、弟さんのことを誇らしげに語った。

「無事だったらいいですね。弟さん」

「死んだよ」

そうぽつりと呟く彼女。

笑みが消え失せながらもどこか穏やかな雰囲気を纏う表情からは、感情を読み取ることができなかった。

「・・・・・・すみません。今のは失言でした」

それはそうだ。

生きている望みがあるなら、大事な家族を探しに行くに決まっている。

それがこうして俺なんかを助け、避難しようとしているのだ。

そこまで考えが及ばなかった自分が不甲斐ない。

今この場にいるのが俺ではなく弟さんだったらよかったのに。

「あー!飽きた!出るぞ!」

彼女は声を張り上げると、勢いよく背伸びをした。

「えっ・・・・・・何ですか!?いきなり」

飽きた。出る。

その言葉から察するに、完全に動かなくなったエレベーターから自力で脱出しようというのか。

一体どうやって?

そもそも何故このタイミングなのか。

外部から助けが来たというわけでもないのに。

「できればこの手は使いたくなかったんだがな・・・・・・!」

彼女はエレベーターの壁によじ登ると、天井のハッチに手をかけた。

その行動で次に何をする気なのかすぐに想像がついた。

俺も一度は頭をよぎった考えだったが・・・・・・

「それって外側から鍵がかかってるんじゃ──」

こういうのは内側から脱出できないように設計されているはずだ。

エレベーターの設計など知らない素人が勝手に脱出を試みて予期せぬトラブルを招くことを防ぐために。

だが彼女がバールで殴りつけると、ハッチはいとも簡単に壊れて吹き飛んだ。

「開けられるんですか・・・・・・それ」

「私もそう思ってたが意外と行けるもんだな」

いや、普通は無理だろう。

この人の腕力が常人離れしているだけだ。

「まあいいか。ここから出るぞレイジ!死ぬのは嫌だろう?」

彼女はハッチから外に出ると、俺に手を差し伸べてきた。

今起きている災害は、エレベーターの設計者が想定しているような地震や火災などとは違う。

このまま待っても助けを期待できないなら、自力で脱出するしかない。

俺は彼女の手を掴んでエレベーターから外に出た。

初めて降り立つエレベーターの天井裏。

辺りは真っ暗だった。

「スマホ、充電あるか?」

「大丈夫です」

待ち受け画面を開くと、右上のバッテリ残量は90%代を示している。

「ライトを付けて胸ポケットに入れるんだ。少しは視界が利く」

「本当ですね」

薄っすらとだが、周囲が見える。

スマホを落とさないように注意しないとな。

俺達は胸ポケットから発せられる微かな光を頼りに、点検用に使われる梯子を登った。

俺達の乗るエレベーターが停止したのは12階辺り。

フロア2個分と考えれば、人力で登るのもそんなに大変ではない。

ただ、移動に不正規なルートを使っているとなんだか強盗でも働いているような背徳感が湧いてくる。

でも、それとは裏腹に初めての体験に少しワクワクしてしまっている自分もいた。

そんな時だった。

俺の目の前を小さなものが横切った。

水滴のような大きさの何かが、上から下へと落ちるように。

視界に入った落下物が燃えるような赤色の輝きを放っていることに気づいた瞬間、俺は反射的に手を伸ばしていた。

あまりに小さくて素早かったから、両手を使って包み込むように。

ふわりと体が宙を舞っている感覚に襲われた時、初めて自分が梯子から両手を離してしまったことに気づいた。

「えっあっ!!」

俺は14階を目前にして、そのまま下へと落下することになった。

暗闇の中で、上から名前を呼ばれるのが聞こえた。

「レイジ!おいレイジ!大丈夫か!?しっかりしろ!」

視界が安定してくると、俺はエレベーターの天井裏に手をついて起き上がった。

背中が痛い。

落ちる寸前に受け身を取ったとはいえ、下は凸凹の激しい鉄の塊だ。

体中痣だらけになるのは避けられなさそうだ。

とはいえ、手も足も問題なく動く。

そこまで高くない場所からの落下ゆえ、幸い軽症で済んだようだ。

彼女は梯子を降りてくると、俺のスマホを拾って駆け寄ってきた。

「良かった!命に別状はなさそうだな!」

「すみません、心配かけてしまって。でも大丈夫です。ちゃんとキャッチしましたから」

俺は右手に握っていたピアスを彼女に渡した。

彼女は目を見開くと自らの耳たぶに手を当て、そこにあるはずのものがなくなっていることを確かめる。

俺の行動の意味を理解すると、形相を変えて怒鳴り散らした。

「何やってるんだ!?バカか君は!!」

「すみません・・・・・・!」

ここに来て初めて見せた激昂。

俺は何も言い返せずただ謝った。

「・・・・・・いや。落としたのは私が悪かったが・・・・・・当たりどころが悪かったら死んでたんだぞ。」

彼女もそれ以降に掛けるべき言葉を見失ったのか、顔を背けて口をつぐむ。

「・・・・・・もう落とさないで下さい。これは失くしちゃだめです、絶対」

たった一人の家族が生前に一生懸命選んでくれた形見だ。

これを失くしたとあっては、あまりにも弟さんが報われなさすぎる。

「すまない。ありがとう」

彼女はピアスを付け直すと、笑った。

「こんな世も末に君みたいな奴に会えるとは思わなかったよ」

「すみません。自分でも驚いてます」

普段の俺なら、きっとこんなに体が動くことはなかった。

さっき梯子を登っていて感じたワクワク感といい、追い詰められて気が動転しているのかもしれない。

「登れそうか?レイジ」

「はい。大丈夫です」

彼女は俺を先に行かせると、後から梯子を登ってきた。

どうして俺が先なのか。

理由は何となく、想像がつく。

「また君が落ちたら、今度は私が止めるからな!」

少し怒りのこもったような声が下から響く。

あまり信頼はされてもらえないみたいだったが、彼女なりの優しさがなんだか嬉しくて笑ってしまった。




「やっと着いたな。」

エレベーターの外側の扉をバールでこじ開けてもらったお陰で、俺はようやく暗闇から解放されることとなった。

外から差し込む夕陽で照らされた廊下を歩くと、難なく目的の部屋へと辿り着いた。

表札には、『相原』と記してあった。

「相原さん・・・・・・でいいんですか?」

「ん、まあそうだな」

名字までわかったというのに、一向に名前を教えてくれる気はないようだ。

「お、お邪魔します・・・・・・」

人生で初めて上がる女の人の部屋は、彼女の破天荒な言動とは裏腹にきちんと整理整頓されていた。

散らかり放題の俺の部屋とは大違いで情けなくなってくる。

ここまで来れば、もうゾンビに襲われる心配はないと言ってもいい。

そう思うと気分が楽になった。

俺は相原さんの家に上がって、まず電気のスイッチを入れた。

ライフラインの有無を確かめるためだ。

「ダメか・・・・・・」

やはり停電の影響はエレベーターだけに留まらなかったらしく、部屋中全ての電気が絶たれていた。

ガスコンロの方も試してみたが、ガスも通ってはいない。

最後にダメ元で蛇口をひねると、こちらは水が出てきてくれた。

「良かった。水道はまだ通じてるみたいです!今のうちにバスタブに貯められるだけ貯め

てしまいましょう!」

俺は早速バスタブの排水口に栓をし、風呂場の蛇口を全開にした

学校で習った断水対策だ。

ここまで来るのに色々と汚れてしまったので風呂に入りたい気持ちは山々だが、まずは水を貯めてからでないと。

「あの、すみません相原さん!・・・・・・お風呂って、先に入りたいみたいな希望あったりしますか・・・・・・?」

俺はセクハラなどという怒号が飛んでくることも承知の上で一応要望を聞いておくことにした。

だが、いつまで待っても返事が返ってくることはなかった。

「相原さん?」

聞こえなかったのだろうか。

俺はもう一度同じ問いかけを繰り返すために風呂場を出た。

そうしてリビングで目にしたものは、信じがたい光景だった。

「え?・・・・・・あの・・・・・・何してるんですか・・・・・・?」

相原さんは、ベランダの手すりに立っていた。

こちらに背を向けたまま、腕を広げて胸いっぱいに空気を吸いこんでいる。

「相原さん・・・・・・?」

風にあたって涼んでいる。

はじめはそう思った。

ここが14階だということを踏まえたうえで、そういう危険なことも平気でできる人だということはこれまでの言動でわかっていたからだ。

でも相原さんは、ゆっくりこちらを向いて悲しそうに微笑んだ。

「隠していてすまなかった。周りのみんなも、ゾンビになってしまってな。助けられそうなのが君しかいなかったんだ」

一際大きな風が吹くと、着ていたユニフォームがめくれてお腹が顕になった。

小麦色の綺麗な肌には、赤黒い血の跡ともに生々しい噛み傷が刻まれていた。

「・・・・・・ッ!?何で・・・・・・」

俺が梯子から落ちて気絶している間にゾンビに襲われたのか?

いや。そんな様子はなかった。

なら一体いつ、どのタイミングで?

記憶を遡り、一つの結論に辿り着く。

違う。元からあったんだ。

俺と出会う前に、既にこの人は噛まれていた。

誰に噛まれた?

何で俺を助けた?

何で何も言ってくれなかった?

あなたはこれからどうするつもりなのか?

次々に疑問が浮かび、俺は動けなくなった。

「しばらく何も起きなかったから私は大丈夫なのかなとも思ったんだがな・・・・・・。そろそろ限界みたいだ。さっきから、心拍がおかしくてな・・・・・・。」

不自然なほどに浮き出た首元の血管が、生き物のように激しくうねる。

「嘘だ・・・・・・。嘘ですよね?お腹の奴だって、メイクとかそういうオチなんですよね?」

俺は何かの間違いじゃないかと否定の言葉を並べて頭を回転させた。

だが考えれば考えるほど、彼女の不自然さに辻褄が合っていった。

ゾンビをなぎ倒したりエレベーターを破壊できた異常な身体能力は、ゾンビ化が進んで一時的に肉体が変異していたため。

エレベーター内でカッターナイフを渡してきたのは、自分がゾンビ化しても俺に殺してもらえるように。

何かを待つようにエレベーターからの脱出のタイミングを見計らっていたのは、自分がゾンビ化するギリギリまで助けが来るのを待っていたから。

そして、俺に一貫して名前を教えたがらなかったのは、死にゆく人間の名前なんて教える意味などないと思ったから。

相原さんは、目に涙をためて精一杯笑った。

「君と一緒に居られるのはここまでだ。この家は、弟と二人で暮らしてたから、大事に使ってくれると嬉しいな」

「嫌だ!やめてください!そんなの!俺はまだ、あなたの名前すら知らないのに!」

人生で最大の叫びが出た。

喉が枯れるとか、そんなことなど気にならなかった。

この人を、失いたくない。

「君はいい奴だから、生き残れよ」

俺は考えるよりも先に飛び出していた。

でも、間に合わなかった。

伸ばした手は彼女の足をかすりもせず、宙を掴んだ。

視界から相原さんの姿が消えた数秒後、耳鳴りがするほどの大きな音が響いた。

水の詰まった袋が弾けるような、耳を塞ぎたくなる音。

俺は、遥か下で起きたことを確かめることもできず、部屋に戻って窓を閉めた。

テーブルの上には、整えられた誕生日カードが置かれてあった。

丁寧な筆跡でそこに書かれていたのは「誕生日おめでとう!姉さん」の文字。

「あああああ・・・・・・」

今日。

いや、つい1時間前に出会ったばかりの赤の他人。

それなのに。

耳を塞いでも、目を閉じても、あの人の声も笑顔も頭から離れない。

あの人は、もうこの世にいない。

静まり返った部屋では、バスタブに水が溜まり続ける音だけが鳴っていた。




みんな死んだ。

死体になって、腐って、人を殺し始めた。

みんな、みんなだ。

先生も、先輩も、後輩も、友達も。

ある者は動く屍となっているのを目撃し、ある者とは連絡が通じなくなった。

そんな地獄のただ中、私が探しているのはただ一人。

「卓也!どこだ!返事をしろ卓也!」

あいつの考えていた計画では、私を学校まで迎えに来てプレゼントを渡してくれる。

そういう段取りだったはず。

なら、きっと学校の近くか校内にいるはず。

「卓也!卓・・・・・・」

襲ってくるゾンビ共から逃げ回って、校内の部屋という部屋を探し回った私は、図書室で足を止めた。

それまで嫌と言うほど見てきた同級生のゾンビ共とは違う、背丈の低いシルエット。

あのランドセルには、見覚えがある。

「卓也・・・・・・私だ!迎えに来たぞ!無事だったか!?」

この阿鼻叫喚の地獄の中、普通の人間が隠れもせずに突っ立っているはずがない。

私は頭の中で結果を予測しつつも心の中ではそうであって欲しくないと思い声をかけた。

私の存在に気づいた卓也は、大口を開けて飛びかかってきた。

私は足がすくんで動けず、床に押し倒された。

私に噛みつこうとするその顔はドス黒く腐乱し、元の綺麗な顔立ちなど影も形もなかった。

紛れもない。

私をあれほど襲ってきた、化け物の姿だ。

「あああああっ!!なんでっ!?なんでだ!?私だわからないのか卓也!!」

信じられないパワーだ。小学生の力じゃない。

ゾンビに初めて捕まり、その尋常じゃない身体能力を思い知らされる。

「やめろ!お願いだ!目を覚ませ!今日は私のためにここまで来てくれたんじゃなかったのか!?」

目の前の現実を否定したい。

そんな私の甘えが、致命傷となった。

「うああっ!?」

下腹部に激痛が走る。

脇腹の肉を抉り取られる感覚。

初めて感じる、目が眩むほどの激痛。

反射的に蹴り飛ばすと、かつて弟だったものは本棚に激突した。

すぐに立ち上がって再度襲いかかろうとしたが、激突した衝撃で本棚が倒れ、その下敷きになった。

一連の騒ぎが終結し、辺りは静まり返る。

私は唇を噛んだ。

どうして。

どうしてこんな事になったのだろう。

私はただ、当たり前の生活を望んでいただけなのに。

毎日深夜までバイトしても、学費や生活費に全て取られ贅沢なんかできない極貧生活。

そんな中でも、友人や唯一の家族とささやかに時を過ごせればそれで満足だった。

この世は、それすら許さないというのか。

私は、本棚をどかした。

その下にあったのは、原型を留めていないバラバラの腐肉。

少しでも"弟"をかき集めたくて、腐肉の山を掌いっぱいに握りしめた。

それでもゾンビの肉片はさらに脆くなって、指の間から溢れ落ちる。

これではもはや死んだ肉親の体を抱きしめることもできない。

唯一形を留めていたのは、卓也が愛おしそうに抱えていた小さな箱の包だけ。

私は当然、中身を知っている。

どれだけの時間泣いただろう。

私は涙を拭って、立ち上がった。

どれだけ泣こうが、現実は変わらない。

私は自分の手で、弟を殺した。

そして私も、もうじきゾンビになって死ぬ。

心の中を埋め尽くしたのは、怒りも悲しみも全て塗りつぶす真っ黒な絶望。

「お家に帰ろう。卓也」

私は血まみれのピアスを耳につけた。

つい最近見た悪夢を元ネタに 学園×ゾンビ を書いてみました。

続編は考えていません。

その代わり近々同じキャラを使った異世界転生を書いてみたいなと画策しております。

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