Ep.2 君が『友』と呼んでくれるよう…… (1)
国王陛下(レオン様のお父上)のお話です。
王とは孤独なもの。
誰が言った台詞だったか。良く聞くフレーズではあるが。
私が王太子であった頃に、帝王学の講師からも聞かされた言葉だ。
『国』という大きすぎる船の舵取りをし、他者の意見に耳を貸しはすれど傾倒しすぎる事はせず、己の頭で判断を下し、もしその船が座礁してしまったなら責任を一身に背負わねばならない。
『孤独なもの』とはつまり、『孤独であれ』という事なのだろう。
王に添う者に操られぬよう。船の乗っ取りを許さぬよう。
とはいえ、王とて人間だ。
真に孤独であったのなら、恐らく心が死んでしまう。
友の一人くらい、居ても良いのでは?
そう疑問を発した私に、講師は頷いた。
勿論、ご友人は居ても良いでしょう。別に、一人と言わず、何人でも。
ですが、そういった周囲の者の意見に流されるようであるならば、それらご友人は『友』と呼ぶに値しない。
流されるようであるなら、殿下ご自身にも問題はあるのでしょうし、己の都合の良い流れに押し流そうとする相手にも問題はあります。
そして廷臣は、殿下にも相手にも、『国を担う資格なし』と判断するでしょう。
まあ、それはそうか。
納得は出来るのだが、息苦しい。
けれど仕方ない。
私は王の嫡子として生まれ、次代の王とならねばならないのだから。
そう己に言い聞かせ生きてきた。
* * *
息子が九つの頃、彼が自身で婚約者を定めた。
はっきりと言っておくが、この選定に私と妻は全く関与していない。
天地神明に誓って言える。本当に、毛の一筋程も関与していない。
何だか出来の良すぎる我が息子は、己一人で判断を下し、まだ九つというのに自身の言葉で議会を納得させ、承認を易々ともぎ取って来た。
頼もしい……。頼もしいのだが、少々彼の将来が不安でもある。
息子の婚約者の承認は、現王たる私と妻の印も要るのだが、上がってきた書類にある相手の令嬢の名に二つ返事とばかりに即座に承認のサインを入れた。私の横で妻が「後で覆らせぬよう、もっと慎重にお書きください!」と言っていた。
ご令嬢の名は、エリザベス・マクナガン。
我が国に五つある公爵家の一つで、国内の主要貴族からは軽視されがちな公爵家である。
私のサインを入れた書類を、妻に渡す。
妻はこれ以上ないくらい真剣な表情で、ペンを持つ右手が震えぬよう左手でしっかり右手を掴み、慎重にサインを入れている。
妻の気持ちが痛いくらい分かり、思わず笑ってしまった。
ここでサインに多少の不備(という程でもない、インクの僅かな掠れなど)でもあろうものなら、何かあった際に絶対に、マクナガン公爵家はそれを盾に婚約の解消を迫ってくる。
させてなるものか! と、他のどの書類にサインを入れるより、慎重になってしまうのだ。
マクナガン公爵家という家は、他の貴族から侮られる傾向にある。
だがそれを、当のマクナガン公爵家の人間が誰一人気にも留めない。
むしろ「侮らせておけばいいのさ」と笑うのだ。
あれ程、敵に回したら厄介な家もないというのに。
サインした書類を文官が回収していき、それを見送った妻が笑った。
「この話を、エルとファルはどのような顔で聞くのでしょうね?」
「いつも通りの、何を考えているのか読めない笑顔なのではないかな?」
答えると、妻は笑いながら「そうかもしれません」と頷いた。
息子の婚約者となったエリザベス・マクナガンという少女は、やはり『マクナガン公爵家の娘』であった……。
非常に聡明で、発想が柔軟で、とびぬけて容姿が美しい。
マクナガン公爵家というのは、代々見目麗しい者を輩出するのだ。
……まあ、『一切の社交の免除』という特権を与えられた家なので、絶世の美女も輝く美貌の青年も、他の貴族たちに知られる事なく埋もれてしまうのだが。
幼い彼女は、両親どちらの面影も宿した、とても可愛らしい少女だった。
現王妃として、次代の王妃を教育する立場の妻が、必要以上に張り切ってしまい大変だった。
ファルに似たあの子を可愛がるのは結構だけれど、可愛がり過ぎて逃げられないようにね?
妻は好きな相手を構い倒す傾向にある。
飼っていた猫は、妻に構い倒され、ストレスでハゲをこしらえてしまった。猫は現在、侍女長が飼っている。妻とは月に一度の面会が許されている。
妻もその際の後悔を心に刻み、構い倒したい気持ちをぐっと堪えているようだ。
ぐぐっと堪えすぎて逆に少々厳しくなっているようだが、エリザベス嬢はどうやら厳しくされる分には全く苦痛を感じない性質らしく、助かった。
どうも私の妻は『加減』というものが下手なようだ……。
もう少し、君の大好きなファルを見習ってみたらどうかな?
本当は、レオンが彼女と対面する際、私も同席したかった。
したかったのだが、当のレオンに渋られた。
「陛下が臨席されたら、彼女が萎縮してしまうでしょう。それは私の望むところではありません」
……うん。
私の息子、しっかりしてるなぁ……。
「しかも相手はまだ五歳の少女です。陛下に対し粗相があってもおかしくありません。……それは、こちらの打診を受けてくれた公爵家に対して申し訳ない」
うん。
本当に……、しっかりしてると言うか、し過ぎてると言うか……。
まあ、レオンの心配も尤もだ。
普通、五歳児といえば、物の道理が分かり始めるかどうか……くらいの年齢だ。
そこに私が出て行って、幼子が知らずに働いた無礼を第三者が見咎め……などとなったなら、それは本当にあちらに申し訳がない。
でもね、レオン。
君は知らないだろうけれどね、君の相手は『マクナガンの娘』だ。
恐らくだが、『普通の五歳の女児』ではなかろうよ。
あの家は社交を一切行わないから、君だけでなく他の貴族たちも殆ど知らないだろうけれどね。
* * *
我がベルクレイン王家と、マクナガン公爵家の縁は、とても古い。
何せ、マクナガン公爵家は、ベルクレイン王家の初代王の兄が興した家だ。
我がベルクレイン王家は、先代王家の親戚筋に当たる。
前王朝の最後の王が私利私欲に走り、民を顧みず、隣国との戦端を開こうとした。
それに憤った一部の貴族の主導により、クーデターが決行されたのだ。
その旗頭となったのが、ベルクレイン王家の初代王だ。
貴族や兵たちの血は流れたが、無辜の民はほぼ無傷であったそうだ。そして、無血開城に成功し、玉座を血で濡らす事はなかった。
史実に残っていないが、実はそれらを計画立案し、最前線で実行したのが初代マクナガン公爵だ。
実質、彼がいなければ、私はこの座に就いていない。
初代マクナガン公爵についての逸話は、史実に殆ど残っていない。
理由は、初代公自身が「俺の話とか、いらなくね?」と、自身の功を全て弟や他の騎士の功として記録させたからだ。
因みに、上記の公爵の言葉などは、弟である初代王の手記というか雑記?に書かれていたものだ。
その手記は公文書館の奥の隠し部屋にしまわれている。
鍵は国王しか持っていない部屋だ。
いずれレオンにも見せてやろう。
そもそも、クーデターの際、貴族たちはマクナガン公爵の方を担ごうとしていたらしい。そして初代王も、それが妥当と考えていたようだ。
だが、当の公爵が「ウゼェ」と一蹴したそうだ。
……いや、「ウゼェ」はないよね!? 国の命運かかってるのに、「ウゼェ」は!
だが、初代王の手記には「兄らしい、としか言いようがない……」と、半ば諦め交じりの愚痴が書かれている。
我がベルクレイン家は、当時は侯爵であったらしい。
その『ベルクレイン侯爵』という位も、兄である彼は早々に放棄していたらしい。
初代王の手記によれば、「ガラじゃねえ」だそうだ。あと「クソめんどい」だそうだが……。初代公爵、驚くほど柄が悪いのは何なんだろうか……。
そんな奔放に過ぎる人柄なのだが、不思議と人を惹きつける力を持った人物だったようだ。
彼の周囲には、いつも沢山の人が居た――と、初代王は書き残している。
少数の精鋭による義勇軍と、王侯貴族率いる正規の国軍。
普通に考えたら、戦いになどならない。
だが、軍部にも当時の王や諸侯たちに反目する者は少なくなかった。
それらは簡単に寝返った。
残った者も、不利を悟ると逃げ出す程度の忠誠と士気しか持ち合わせぬ者が多かった。
そして極一部、王や諸侯たち同様に甘い汁を啜って生きてきた者たちだけが、徹底して抗戦した。
だがそれらは、義勇軍の前にあっさりと破られた。
初代公爵は常にその先陣に在り、戦いに慣れぬ義勇軍を指揮し、戦えそうな者は己の手足とし、弟の為に道を拓いたという。
「汚れ仕事は俺がやる。お前は絶対に、その手を汚すな」
初代王はそう言われ、護身用の頼りない細身の剣一振りだけを握らされたそうだ。
「血塗れの王サマになんざ、なるんじゃねえ。お前の手が汚れたら、全員、お前を恐怖の対象に見ちまう。恐怖なんぞで民衆を支配するんじゃねえ」
いいな? と、初めて見るくらいに真剣な目で言われたそうだ。
頷くしかなかった、と、初代王は記している。
頷いた初代王に公爵は「よーし、良い子だ。兄ちゃんとの約束だぞ?」とからかうように笑ったそうだ。
そして初代王は、最後までその手を血で汚すことなく、美しく保たれたままの玉座に就いた。
初代公爵は徹底して汚れ仕事を自分で引き受け、初代王には一切の手出しを許さなかったという。
結果、初代公爵こそが、生き残った貴族たちから『恐怖』『畏怖』の対象とされてしまった。
そして対照的に、初代王は『慈悲の王』と言われた。
納得いかない、と、手記に乱雑な文字で書き殴られていた。
初代王は、兄を心から尊敬し、愛していた。
本来であれば、彼こそが『王』たるに相応しい人物であると信じていた。
この玉座に座るのは、自分ではないと。
けれど、初代公爵は楽しそうに笑ったという。
「こーんな固え座り心地も悪そうな椅子、窮屈でしょうがねぇだろ」と。
そして「俺が王城に居たんじゃあ、お前の後ろに俺を見る連中が出てきちまう。折角、キレイな王様が立ったんだ。血塗れの兄貴は、どっかに引っ込んで大人しく隠居するわ」と、自ら隠棲を決めた。
それを、初代王は必死で引き留めたそうだ。
きっと、兄の意志で出て行かせてしまっては、彼は二度とこの国に帰って来ない。
そういう思いから。
必死で引き留める弟に向け、公爵は楽し気に笑いながら言ったそうだ。
「必死過ぎてマジウケる」
公爵……。もうちょっと、弟の気持ちを汲んでやってもいいんじゃないかな……。
何て言うか、時々ちょっと鬼畜って言うか……。酷いって言うか……。
流石にこの台詞には、初代王もブチ切れたらしい。
「必死で悪いですか!? 何もしてない私だけが王に祭り上げられて! 一番の功労者である兄上は犯罪者であるかのように言われて! そんな理不尽の中に私一人を残して行こうとする薄情者を、必死で引き留めちゃ悪いですか!?」
初代王の手記には、『言っている内に、余りに自分が情けなくて泣けてきた』と書かれていた。
そして案の定、涙を浮かべた弟を、公爵は笑うのだった。
「泣いてやんの。ウケる」
初代王……、このお兄さん、何でこうなったの……?
『奔放な人柄』にも、限度ってものがあると思うんだけど……。
泣きながら公爵を睨みつけている初代王に、公爵はややすると息を吐いて呆れたような笑顔を浮かべたそうだ。
「そんじゃ……、何かテキトーな肩書と、テキトーな領地でも貰っとくか」
兄の気が変わらない内に、兄が勝手に出て行ってしまわない内に……と、初代王は大急ぎで兄の為に爵位と領地を用意した。
政変による王朝の変更だ。
それまでの爵位など、何の役にも立たない。
新たな爵位を授けるのに、何の不都合もない。
「では、このマクナガンとその一帯を、兄上の領地としましょう」
そもそも『マクナガン』とは、現在のマクナガン公爵領の領都の中心部あたりを指す地名だった。現在、その領都が発展し過ぎ、大きくなり過ぎ、当時『マクナガン』と呼ばれた地がどの辺りであったかが定かでないのだが。
「今日から兄上は、『マクナガン公爵』と名乗られると良いでしょう」
そう告げた初代王に、公爵は「公爵とか……、マジかよ。ねーわ」とブツブツ言っていたそうだ。
「そんじゃあ俺からも、一つ条件な。社交とか、絶対しねぇから! あと、出仕とか死んでもやらねーから!」
「……二つなのでは……?」
「細けぇ。うるせぇ」
それが、二人が『兄弟』として会話をした最後だった、と書かれている。
領地に引っ込んだ公爵は、決して領地から一歩も出ようとしなかったそうだ。
それは恐らく、彼が表舞台に立つ事を恐れる人々を、無駄に刺激しないようにとの思いからだったのだろう。
公爵が領地へと行く際、クーデターで彼に従った者たちが、かなりの数ついて行ったそうだ。
そういう人々を中心とし、マクナガン領は発展を遂げる事となる。
その発展っぷりを見る限り、彼が王でも問題はなかったのでは?と思ってしまうのだが。
初代王の手記に、クーデター成功前夜の公爵の言葉がある。
「王様は、『完璧で何でも一人で出来る』人間である必要なんざねぇよ。頼りなかろうが、情けなかろうが、そんでいいんだよ。……困ってる時に、誰かが自然と手ェ貸してくれる。そういうヤツが王様んなった方が、多分、ヘーワでいい国んなる。俺は、そう思ってる」
このまま王となる事への不安を漏らした弟へ向けた、公爵の言葉だ。
この言葉を支えに、初代王は、穏やかで公正で無私無欲の王であり続けた。
初代王の手記は公文書館の奥に秘匿され、初代マクナガン公爵の功績などは全て他者の功績にすり替えられ……。
そして、時は流れ、真実を知る者は僅か一握りだ。
マクナガン公爵家にも、正しく伝わっているかが定かでない。
……尤も、どう伝わっていようが、あの公爵家の人々は気にもしないだろうが。
私は、この手記の存在を、王太子であった時分に知らされた。
まだ十代で、妻を取る前だ。幾つだったかな……。十五……とか、それくらいの頃だったかな?
父から、「面白い読み物を貸してやろう」と、えらく軽いノリで渡されたのだ。
その頃の私は、己が次代の王として立つのに、本当に相応しいのだろうかと悩んでいた。
初代王と同じ悩みだ。
特段目立った才がある訳でもなく、強烈なカリスマ性などがある訳でもなく……。
国に五つある公爵家は、全てが王家の分家であるので、彼らも二桁順位にはなるが王位継承権は一応ある。
その中から、相応しそうな人に継いでもらうという手もあるのでは……などとも思っていた。
父が手記を貸してくれたのは、そういう私を見かねての事だったのだろう。
そして私は、初代王と同じく、初代マクナガン公爵の言葉に救われたのだ。
初代王はいいな。
すぐ隣に、自身を理解し、受け入れ、寄り添ってくれる人が居てくれて。
そんな風に思った。
当然、あんな手記を読んでしまえば、『マクナガン公爵家』という存在が気になってしまうもので。
父からは「あの家に、下手な手出しはするなよ? マクナガンの連中は、今も変わらず厄介だぞ?」と言われた。
『厄介』とは?
少々不穏にも感じたが、それを言う父の口調も表情も、私をからかうようなものであった。
これは単純に、『マクナガン公爵家に手出しは無用』と釘を刺されただけだな。
分かっていますよ、父上。初代の王と公爵が交わした約束を、違えたりはしませんよ。
それに、興味を持ってみたところで、かの公爵家とは笑ってしまう程に接点がないのが事実だ。
王家であるのだから、それを盾に召喚する事は可能だ。
けれど、可能であっても、それは『してはならない』事だ。
手記のおかげで、すっかり初代王の思いに同調してしまっているので、『マクナガン公爵家に対し無理を言う』などということは出来そうにない。
教育の一環で、当然の知識として、国内の全貴族家の概要を教えられる。
下位の貴族に関してはさらっと、上位の貴族に関してはみっちりと。最上位である公爵家に関しては、かなり詳細に。
その講義において、『マクナガン公爵家』に割かれた時間は、他の四つの公爵家に比べ短い。
社交をせず、出仕もせず、派閥も率いず、属する事もせず。
かの家を慕う幾らかの家とだけ交流を持ち、それ以外はほぼ領地で過ごす。
そんな家なので、講師も特にこれといって話すべき事が見当たらなかったのだろう。
しかも公爵家の興りの真実は秘匿されている。
初代公爵の行った事を考えると、『隠滅』と言った方が正確だろう。
政権交代のクーデターにおいて、マクナガン公爵が果たした役割など、歴史に何も残っていない。
ただ、初代王の兄であった、という事実が残るのみだ。
それでいいのだろうか。
本来であれば、今ある国の礎を築いた立役者として、英雄と呼ばれてもおかしくない人物であるのに。
……まあ、あの手記を見る限り、公爵は『英雄』など呼ばれるのは心底嫌うだろう。
それこそ「ねーわ」と一蹴するだろう。
だが、現在のマクナガン公爵家の人々は?
国政に一切の手出しも口出しもしないが故、他家から侮られ軽視される今のマクナガン公爵家は?
やはり、初代公爵同様に「ねーわ」と言うのだろうか?
社交をしない家なので、私は『マクナガン公爵家』という家の人々の顔すら見た事がない。
……考えたら、すごい話だよな。
王となる者が、自国の公爵家の構成員を見た事がないのだから。恐らく、普通有り得ない。
我が国では、貴族の令嬢・令息は十六歳になる歳に、王城主催の大舞踏会で社交デビューする。
国内全ての貴族家に招待状が送られ、国内から初々しいデビュタントたちが集まり、ぎこちないダンスを披露するのだ。
私が公爵家に興味を持った時、次期公爵である青年は十六歳だった。
が、当然の如く、大舞踏会にすら姿を現さなかった。
一応、欠席しても許される場だ。
だが、欠席する者はほぼ居ない。
爵位の順に呼ばれ入場するので、公爵家の欠席は開始すぐに分かる。
……本っ当に、華々しい場に興味のない家なのだな……。
私は内務の人間に頼み、大舞踏会の出欠の返事を見せてもらった。
全員に一律の紋切り型の招待状を送るが、返事は各家それぞれの特色が出る。
この『出欠の返事』も、十六になる少年少女が自分で書くのが通例だ。全てが彼らにとって『初めて』の場となるのだ。
たかが出欠の返事だが、それを送る場所は王城だ。もしかしたら、王や王妃もそれを見る事があるかもしれない。
家格が同程度の家の茶会、などとは訳が違う。
大抵の家が、用紙にも気を遣い、文言には礼を尽くし、とても丁寧に書いたであろう文字で返信してくる。
が、マクナガン公爵家は違った。
恐らくその辺にあったであろう便箋に、『当家の意向として、今後も一切の社交を行う気はない故、デビューなどというものの必要を感じない。なので、当日も欠席とさせていただきたい。』と、文字だけはとても綺麗に綴られていた。
遜りもしないか。
一歩間違えば無礼ですらある文面に、思わず笑ってしまった。
記入者の署名は『エルード・マクナガン』。間違いなく、次期マクナガン公爵の名だ。
ともすれば不遜な文面であるのに、文字だけは美しい。そのアンバランスさが何やら可笑しい。
そして簡潔な欠席の文言に、私は初代マクナガン公爵が「誰が出るか、バァーカ」と言っているように感じたのだった。
うん。確かにこのエルード・マクナガンという人物は、『マクナガン公爵家』の人間だな。
いずれ、会ってみたいなと思った。
まあ無理だろうけれど。
* * *
私が十六になる歳、少々体を壊してしまった。
初めはちょっとした倦怠感があるだけだったのだが、やがてそれに頭痛が加わり、眩暈が加わり、最終的には身体を起こす事も難しくなった。
微熱も長く続き、私は暫くベッドの住人となったのだ。
診察した侍医の見解は、肉体と精神双方の過労だろう、との事だった。
暫く執務などをせず、落ち着くまで静養するしかない、と。
一月後に、デビューの大舞踏会を控えた四月だった。
確かに、忙しかったという自覚はある。
大舞踏会に合わせ、城の各部署ではその調整の仕事が大量に湧いて来る。毎年の事なのだが、これ以上は無理だろうというくらいに効率化を図っても、やらねばならぬ仕事量は膨大になるのだ。
それに加え、通常の執務。
更には私自身が参加者である事もあり、自身の準備などもあった。
そしてそこに、年々増す『次期王への期待』というプレッシャー。
疲労にストレスが重なっての、これだ。
ああ……、情けないなぁ。
中々起き上がれるようにならない私を、両親が静養に出してくれる事になった。
暫く城を離れ、心身ともに休めてきなさい、と。
ただし、年の暮れまでに体調が戻らぬようであれば、廃太子も已む無し、とのおまけつきだった。
王家がいくつか所有する別邸のリストを渡され、好きな場所を選べと言われた。
好きな場所と言われてもな……、とリストを眺めていたが、ある一つに目が留まった。
金獅子宮と名付けられた離宮で、場所はマクナガン領。領都に近い場所ながら、王家の離宮がある為に周辺には民家や商店の類は全くない。
それは、初代王が彼の兄の為に建てた宮殿だ。
当然のように公爵からは「マジで要らん」と断られたそうだが。
……ていうか、初代王……。お兄さん大好きなの分かるけど、いい加減、自分のお兄さんの趣味嗜好を理解しようよ……。
手記を読んだだけの私でも、絶対に受け取らないだろうなって分かるよ……?
公爵が受け取ってくれなかったので、その宮殿は王家所有のままなのだ。
リストに載っている、という事は、ここを選んでも問題ないという事なのだろう。
少々迷った末、私は静養先にマクナガン公爵領を選択した。
父には「お前はそこを選ぶだろうと思っていたよ」と笑われた。
すぐにそれらは手配され、私はその後、金獅子宮に居を移した。
そこはマクナガン公爵領でありながら、王家の直轄地として飛び地になっており、宮殿と騎士の駐留の為の宿舎があるだけの土地だった。
小さな林の中を切り開いて宮殿は建てられており、宮殿の庭には小川が流れている。
その自然の川の流れを遮る事無く、数多くの噴水が設えられている。
宮殿自体は豪奢な物ではなく、小ぢんまりとした建物なのだが、林の木々や小川と調和するよう設計された美しいものだった。
白亜の建物で、豪奢な威容などでもないこの建物だが、名前は『金獅子』だ。外観のどこにも、金色の装飾すらも見当たらないというのに。
その名の由来は、初代マクナガン公爵だ。
初代王から見た兄は、あらゆる獣を従える百獣の王のようだったそうだ。
公爵の周囲では、品行方正な貴族の子息も、荒くれ者の自警団の男性も、忠と義に篤い騎士も、皆が同じ顔で笑っていた。
その中心に居た公爵を、初代王は『獣を統べる王のようだ』と思って見ていたらしい。
公爵は豪奢な金の髪を持ち、端正で精悍な顔立ちの、見る人に鮮烈な印象を残す美丈夫だったという。
その外見の印象もあり、「兄に贈るのなら、この名しかないと思った」のだそうだ。
……本当に、初代王、お兄さん好き過ぎるでしょ……。
で、案の定公爵からは「痛ぇ名前……」と呆れられたようだ。
その宮殿の主寝室を使わせてもらう事にした。
建物内には余計な装飾が少なく、壁や床、ファブリックなどの色合いもとても落ち着いたものだった。
きっとこれは、公爵がそういうものを好んでいたのだろう。
主寝室の大きな窓からは、宮殿を取り囲む林の木々と、緩やかに蛇行して流れる小川、噴水を配した美しい庭園が良く見える。
きっとこの部屋からの眺めが、この宮殿で一番美しい景観なのだろうな……。
あの、お兄さん大好き過ぎる初代王の事だからな……。
居住を移したはいいが、やはり長時間身体を起こしている事がままならない私は、ベッドに横になったまま本を読む暮らしをしていた。
一日の大半を眠って過ごし、少量の食事を摂り、寝ていない間は本を読む。
それだけの暮らしだ。
来客もなく、しなければならない仕事もない。
とても楽で良いのだが、心のどこかに焦燥はあった。
己は何をしてるのだろうか、と。
そんな時は、それを忘れる為に書に没頭した。
王都を出発する前に、父から「暇な時にでも、読んでみるといい」と、数冊の本を持たされた。
例の『公文書館の奥の部屋』に収めてある物なので、決して私以外の手に触れさせるな、との注意と共に。
私は起き上がる事の出来ぬベッドの中、それらの本を読んでいた。
本……ではなく、正確には手記だった。
ベルクレイン王家の初代から、先代――私の祖父に至るまでの、全ての王たちの。
日記帳のように白紙を綴っただけの本に、それぞれの歴代王が思い思いの言葉で記したもの。
当然、タイトルなどはない。
最初のページには、初代王の文字で、こう書かれていた。
私の後を継ぐ者たちへ。
王となる資質に迷う者たちへ。
私が助けられた言葉を、行動を、君たちに教えよう。
それが、僅かばかりでも、君たちの重荷を軽くしてくれるよう――
その手記集は、歴代王から、これから王になる者への、激励の言葉を集めたものだった。
初代王が書き記し、余ったページにこれを見つけた二代目の王が続きを書き、余ったページに三代目が書き……と、伝統のように続いてきたものらしい。
今読むには、うってつけ過ぎる書だ。
私はそれを、鳥の囀りを聞きながら、のんびりと読んでいく事にしたのだった。