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Ep.1 公爵令息エドアルド・アリストと、その周囲の人々。(3)



 兄と殿下の婚約が正式に発表され、兄に来ていた縁談の話がぴたっとやんだ。

 おかげで、兄が目に見えて上機嫌である。


 ただ、兄への縁談がなくなった代わりに、私に縁談の申し込みが増えてしまった。

 ……私など、『公爵の弟』というだけの存在なのだが……。

 今後も兄の副官として、領地の管理をするだけの、地位も何も特にないものなのだが……。


 『アリスト公爵家』との繋がりを求めている家を弾き、あまり良くない噂のあるご令嬢も弾き、腹に一物ありそうな家々も弾き……とやっていったら、残ったご令嬢は実にたった二人だった。


 二人くらいなら会ってみても良いかな……と、それぞれと会話をする時間を作ってみた。


 が、見事にハズレだった。


 一人目のご令嬢は、清楚・可憐な見目の肉食獣のような女性だった。

 庭園を散策していたら、木陰へ連れ込まれ、押し倒されそうになった。……怖かった。


 二人目のご令嬢は、何をどう勘違いしたのか、私と兄の『禁断の愛』とやらを応援する、と息巻いていた。

 誤解を解こうとしても「大丈夫です! 分かっております!」と勝手に解釈し、全く話にならなかった……。


 余りに看過できない誤解であったので、兄にもその話をした。……初夏であったのだが、雪が降るかと思うくらい空気が冷え切った。

 兄は見る者を凍り付かせるような冷え冷えとした笑みで、「それらは全て丁寧に潰してやらねばならんな」と言っていた。

 ……頼もしいのだが、それ以上に怖いです、兄上……。あと、風邪ひくかと思いました。寒くて……。


 しかし何故、そんな話になっているのか……。

 私は、もし自分が女性に生まれていたとしても、絶対に兄だけは選びたくないのだが……。本当に、絶対にご免なのだが……。


 一応選別をしたにも関わらずそんな女性を立て続けに二人引いてしまったので、僅かばかりだがあった縁談への前向きな気持ちは、すっかり消滅してしまった。




 そんな、『私なら絶対に選ばない』兄を選んだリナリア殿下は、時折我が家にやって来る。

 母から邸の説明を受けたり、兄とお茶をしたり、食事を共にしたりしていかれる。


 殿下が我が家に降嫁されるまで、あと一年と少し程度。


 兄と殿下の交際は順調なようだ。

 交際……というのだろうか。

 とても似合いの二人である事には間違いない。むしろ、似合い過ぎていて怖い。兄が二人になったようで、本当に怖い。



 ある日、やはり殿下が我が家を訪れていた。

 その日は母が留守で、殿下は兄とお茶をしているようだった。


 が、殿下の護衛の騎士は我が家の厨房で茶を飲んでいるし、兄の侍従もそこで菓子をつまんでいる。


 いやいやいや! 君たちは働こうか!?

 ていうか、今、兄上と殿下、二人っきり!? 婚約者とはいえ、それは拙いでしょ!


 けれど、騎士も侍従も「あそこに居るのは、怖いので……」と私から目を逸らして言うばかりだ。


 あの兄と殿下に限って、間違いなどはないだろうが。

 それでも一応、確認に行ってみるしかあるまい。


 兄と殿下は、サロンに居るという事だった。

 サロンには確かにドアなどがなく、開けた空間だ。『密室に二人きり』などではないので、多少の安心感などはあるだろう。


 だが、兄も一応『若い成年男子』だ(多分……)。もしかしたら、万が一、億が一、何か起こるかもしれない。


 この国は、特に婚前交渉を禁じたりはしていない。

 二百年ほど以前までは、『女性の処女性』というものを神聖視する傾向はあったようだ。それらは宗教に密接に関わった部分があり、主に教会が主導していた倫理観によるものだ。

 二百年ほど前に政教分離の流れが興り、その際にそれまで教会が掲げていた訓戒の大部分が破棄された。


 とはいえ、現在も敬虔な信徒は少なくない。

 訓戒にしても、別に間違った思想を植え付ける類のものではない。

 要は、傾倒するもしないも自由、という事だ。


 戒律を守る者もあれば、そもそも宗教自体を信仰しない者もある。

 そしてそれらは、互いに互いの思想を強制できるものではない。


 そういう地盤があるので、婚姻後の初夜に妻が処女でない事を知る、という事態も珍しくはない。


 珍しくはないのだが、やはり外聞はよろしくない。特に、見栄と体裁がとても大切な貴族であれば、尚の事だ。


 夫婦の閨の事情など、本人たち以外に知りようがなさそうなものなのだが、何故かその手の噂は良く広まる。

 そして、その手の下世話な噂を好む者は、呆れる程に多い。


 兄も殿下も、自らその類の噂の的になりにいくような、愚かな人物ではない事は承知だが。


 サロン近くまで行くと、殿下のお声が聞こえてきた。

 ……というか、何を大声を出していらっしゃるのか……。

 まさか、喧嘩でも!?


 少し歩調を速めてサロンへと足を踏み入れる。

「ですから!」

 殿下の大きなお声に、思わず足を止めてしまった。


 小さなテーブルを挟み、向かい合う殿下と兄。

 殿下は椅子から立ち上がられ、テーブルをバン!と両手で叩きつけている。

 ……え? 何、コレ……?


「『前例がない』からと却下していたのでは、永劫に『前例』など出来ないではありませんか! 前例がないからこそ、わたくしがそれをやろうと言うのです!」

「それを、誰が納得します? 前例がない、危険性も定かでない、民の同意を得られるかも分からない。ないない尽くしでは、納得する者もない」

「賛同できる者だけで運営いたします。そこに利があり、価値があると知れれば、自ずと理解者も増えます」

「それは『理想論』と言うのでは? もしくは、机上の空論ですか」

「机上の空論、大いに結構ではありませんか。それを、机の上から現場に落とし込むのが、わたくしの仕事です!」


 立ち上がり、机に両手をつき、兄を前のめりに睨みつける殿下。

 それを、殿下に向かい斜に座り、ゆったりと足を組み、手に持った書類に目を落とし受け流す兄。


 ええぇ……。何だ、コレ……。


 入り口で呆然としていると、兄が私に気付いて軽く笑った。

「どうした? そんな所に突っ立って」

 兄の言葉に、殿下もこちらをご覧になられ、ハッとしたような表情をされた後で僅かに頬を染めた。


「お、お声をかけてくださいませ……。お恥ずかしいところを、お見せいたしまして……」

 恥じらう口調で言い、殿下はそそくさと椅子に座り直されるが……。


 うん。恥じらう理由が良く分からないよね!

 ていうか、私の感想としては、ただただ『怖い』しかないんだけれどね!


「リナリア様がおいでになられていると聞きまして、一応、ご挨拶をと……」

 あー……、笑顔、引き攣ってないといいなぁ。

 ちゃんと笑えているかなぁ……。


 リナリア殿下は微笑んで「わざわざ、ありがとうございます」と仰っているが……。


 先ほどまでと、別人みたいですね!


「何をお話されてたんですか?」

 お話……というか、『言い争い』にしか聞こえませんでしたけどね。

「リーナが推し進めようとしている、医療に特化した学術院とそれに併設する治療院についての話だな」

 言いつつ、兄はまた手元の書類に目を落とした。


 あー……。予想はついていたけど、思っていた以上に色気の『い』の字もない会話だったー……。


 リナリア殿下は「ふー……」と息を吐かれると、恐らくすっかり冷めているであろうお茶を一口飲まれた。

 こうしてお茶を飲む姿なんかは、『可憐な姫君』そのものなんだけどなぁ……。所作なんかは文句のつけ様もなく優雅だし、洗練されておられるし……。


 殿下はカップをテーブルに戻されると、私を見て苦笑するように笑われた。

「まだ草案の段階でしかありませんが……。兄に提出できるものかどうかを、今こうしてロバート様に見ていただいておりました。……まだまだですわね?」

 兄を見て苦笑する殿下に、兄も書類に目を落としたままで小さく笑った。

「でしょうね。これを提出されても、私なら差し戻します」

「お兄様でしたら、言うに及ばず……ですか」

「誤字の採点くらいは、して下さるかもしれませんね」

「……逆に、腹が立ちますわね……」

 ぽそっと呟いた殿下に、兄が楽し気に笑う。


 やっぱり……、お似合いすぎて、怖い……。


 お茶が冷めてしまっているので、侍女を呼び、二人のお茶を取り換えてもらう事にした。

 その際、兄が何か用を思い出したらしく席を立った。


「リナリア様、失礼かもしれませんが、質問をよろしいでしょうか?」

「わたくしでお答え出来るようなものであれば、なんなりと」

 微笑んでくださったリナリア殿下に、ずっと気になっていた事を訊ねてみる事にした。


「リナリア様は……、兄を、『怖い』とお思いになられたりはしませんので……?」

 兄は外面は良いのだが、中身は徹底した合理主義の人間だ。

 個人の感情などよりも、『やるべき事』『言うべき事』を優先させる。

 それらの行動は、大抵の人からは『人間味がない』と見られる。

 兄と親しくなればなるほど、兄を『怖い』と感じる者が増えるのだ。


 私の質問に、殿下はにっこりと微笑まれた。

「いいえ、わたくしはそうは思いません」

 殿下は取り換えてもらったお茶を一口飲み、小さく息を吐かれた。

「エドアルド様はロバート様を『人間味がない』と仰いましたが、……わたくしは、それ以上に『人であるかすら疑わしい』方を存じています」


 あの兄よりも、人間らしくない人が居るのか!?


 私の疑問に、殿下は微笑んで頷かれた。

「はい。誰でもない、わたくしの兄です。……今でこそ、とても人間らしくおなりですけれど……、幼い頃は、本当に恐ろしく思ったものです」


 ああ……、王太子殿下か……。

 何となく、分かる気がするな。確かに殿下は、何時見ても非の打ちどころが一切なく、余りに完璧でいらっしゃるものだから、『本当にこの方は同じ人間なのだろうか』とすら思えるかもしれないな。


「昔の兄と比べましたら、ロバート様は恐ろしくも何ともありませんわ。……わたくし、兄と衝突などした事がありませんもの。兄に向って、先ほどのように声を荒げた事など、これまで一度もありませんわ」

「それは……、王太子殿下が恐ろしいから、ですか?」

「いいえ、違います」

 リナリア殿下は微笑まれたまま、僅かに視線を伏せた。


「言うだけ無駄だから、です。こちらが幾ら感情的になっても、兄は絶対に一かけら程も心を揺らす事がありません。壁に向かって怒鳴るのと何ら変わらないのです。……それは、わたくしが疲れるだけでしょう?」

 絶対に、一かけら程も、とは……。

 そんな事があるのだろうか。


「兄を動かしたいとするならば、それは笑顔でも涙でも怒声でもなく、『破綻なく理路整然と組み立てた論理で、且つそれが妥当であると判断できる』ものでなければなりません。……とても面倒で、そして温かみも感じられないと思われませんか?」

 ……思います。

 我が兄ロバートも似たところはあるが、そこまで徹底はしていない。

 目の前で妹が泣き叫べば、(煩いし面倒なので)泣き止ませようと妥協案くらいは出すだろう。

 が、王太子殿下はそれすらしないという事だ。


 それも怖いなぁ……。


 席を立っていた兄が戻って来たので、私はその場を辞す事にした。

 サロンを出た辺りでまた、リナリア殿下が少々苛ついたようなお声を出されているのが聞こえた。


 ……うん。護衛騎士も侍従も、そりゃ逃げもするよね……。責めてゴメンね。




  *  *  *




 兄の婚約以降、兄から本格的に領地の管理を任されるようになった。


 我がアリスト公爵家の領地は、南北に細長く、且つ広い。広いといっても、最も広大な領地を持つマクナガン公爵家に比べたら、四分の一ほどでしかないが。


 特に経営に問題点などはないのだが、どうも今一つぱっとしない。

 特色というか、特産物などがないのだ。

 民が困窮するような事はないが、取り立てて裕福という訳でもない。


 我が家と似たり寄ったりの面積の領地を持つ他の貴族家よりは、税収は上がっている方だ。

 だが、我が家の約四倍の広さの領地を持つマクナガン公爵家は、我が家の十倍以上の税収を誇っている。


 領地を発展させる、何か良い策はないものかな……。

 いっそ、マクナガン公爵に教えを請おうかな……。いや、他家にそうそう経営の秘訣など漏らさないか……。


 う~ん……と悩んでいたら、兄が「言うだけタダなのだから、殿下に話をしてみよう」と言い出した。


 我が家はマクナガン公爵家とは縁がないので、公爵に直接話をする機会などない。

 それ以前に、かの公爵家は社交を一切行わない事で有名で、顔を合わす機会すらないのが実情だ。


 確かに、王太子殿下からそれとなく公爵に話していただけたら、とても助かるし有難い。

 ……まあ、公爵から色よい返事が貰えるかは、また別の話ではあるが。


 兄から「殿下が公爵に話をしてくださるそうだ。後はまあ、あちらが受けて下さるよう、神にでも祈っておくんだな」と言われた数日後、マクナガン公爵から書状が届いた。


 書状には『我が領の経営法で参考になるかは保証できないが、教えられるような事があるならば幾らでも知恵は貸そう』、『都合の良い時に、何時でも訪問してくれて構わない』と書かれていた。


 何と有難い。

 私はすぐさま、訪問したい旨と、不躾な申し出を受けて下さった感謝を書状に綴り、それを使用人に預けたのだった。


 不安要素と言えば、『マクナガン公爵』という方がどういう人物なのか、全くもってこれっぽっちも分からないという点なのだが……。

 兄曰く「エリザベス様を見ている限り、悪い人物ではあり得ないだろうな」との事だった。




 訪問当日、期待より不安が大きい気持ちで、マクナガン公爵家の門を潜った。


 応接室らしき部屋へ通され、公爵の登場を待つ。

 ……というか、どうしてテーブルの上に籠に盛られたパンがあるんだろう……。焼きたてらしく、ものすごく良い香りはするけれど……。

 何だか、見た事のない形のパンが多いな……。


「やあ、お待たせしたね」

 言いつつドアを開けた公爵に、座っていた椅子から立ち上がり礼をした。

「いえ、不躾な訪問をお許しくださり、感謝いたしております」

「ははは。なぁに、気にする事はない。客人など滅多にないものだから、パン職人が張り切ってパンを焼いてしまったよ。……ああ、座ってくれ」


 『客人など滅多にない』から『パンを焼いた』?

 どうしよう……。文脈が繋がらない……。


 ドアがノックされ、執事らしきテールコートの老齢の男性が現れた。

 男性は書類が山ほど載ったワゴンを押している。


「お持ちいたしました」

「有難う。ところでトーマス」

「はい」

 ワゴンを公爵の脇につけ、綺麗にぴしっと立った男性に、公爵はテーブルのパン籠を見て言った。


「どれが何のパンか、お前には分かるだろうか」

「……申し訳ありません。恐らくネイサン本人にも分からないのでは、と……」

「そうか。……まあ、食べてみて当たりならラッキー、という事かな」

 ははは、と朗らかに笑う公爵に、男性も「左様でございますね」と笑っている。


 ……もしかしなくても、この家、ちょっと変わった家なのかな……?


 今度は侍女が、お茶道具を載せたワゴンを押して来た。

 その侍女の後について、一人の少女が部屋へ入って来た。


 もしかしてあの少女は……。


「エドアルド君、娘のエリザベスだ」

 やっぱりー! いや、公爵! そんなサラッと紹介しないでください!! 貴方のご息女は、王太子殿下のご婚約者で、準王族なのですよ!


 慌ててソファから立ち上がる私に、エリザベス様が小さく笑われた。

「どうぞそのままで。マクナガン公爵が娘、エリザベスでございます」

 『そのままで』と言われても、そうはいきませんよ!


「お初にお目にかかります、エドアルド・アリストと申します。お会い出来て光栄でございます」

「そう畏まられずとも結構ですよ。今日は私は、あくまで『マクナガン家の娘』でしかありませんので」

 そう仰って、座るよう促してくださった。


 いやー……、そうは言われても、ねえ?

 『無礼講』を勘違いして、無礼を働いて席を追われる……とか、良くあるじゃないですか……。

 でもって、エリザベス様の後に続いて入って来られた方、王城の護衛騎士ですよね? うっかり何かやらかしたら、私、あの方に拘束されますよね?


 エリザベス様は公爵のお隣に座られると、テーブルの上のパン籠をご覧になられ、怪訝そうに瞳を細められた。

「……お父様。茶菓がおかしい気がするのですが……」

「実は先日、パン窯を新調したのだ……」

 どこか遠くを眺めながら言う公爵に、エリザベス様も遠くを見て「ああ……」と納得したように呟かれた。


「パン職人、ウッキウキですね……」

「ウッキウキだな……」

 言い合い、二人揃って溜息をつかれる。


 公爵が思い出したように私を見て、とても良い笑顔でパン籠を手で示した。

「良ければ食べてやってくれ。恐らく、二つに一つくらいは美味いものがあるだろう」

 このパン、そんなギャンブル性が高いんですか!? 二つに一つ美味いものがあるという事は、もう一つは不味いんですよね!?


 とりあえず、パンは何だか怖いのでスルーさせていただこう……。


「エリザベス様は、本日はどうしてこちらに?」

 彼女の生家で間違いはないのだが、確か彼女は今、王城で暮らしていた筈だ。

 何故城で暮らしているのかまでは分からないが、国王並びに王妃両陛下がそれを良しとされているのだから、相当な理由があるのだろう。


 エリザベス様はパン籠から一つパンを取り上げ、両手で持ったパンに視線を落とした。

「本日は、エドアルド様が父に領地の経営に関して相談にいらっしゃると、レオン様からお聞きしまして。……お父様、これ、戻しても構いませんか……?」

「取ったものは食べなさい。どうしても、と言うのであれば、アンナが新しく設置した罠のテスターになって来なさい」

「……いただきます」


 エリザベス様は正面に置かれた皿に一旦パンを置くと、私を見て微笑んだ。

「以前より、アリスト公爵領は『勿体ない』と思っていたものですから……」

「……勿体ない?」

 何がだ?


 首を傾げた私に、エリザベス様が「ふふ」と小さく笑う。

「少なくとも今の倍は収益を上げられそうな土地であるのに、何故このまま放置しているのだろう……と」

「そうなんだよなぁ」

 公爵もうんうんと頷くと、私を見て笑った。


「前公爵――君の御父上だが、彼とは全く接点もないのでね。私たちが差し出口を挟んでも、彼は一顧だにしなかっただろう。でも常々『勿体ないなぁ』と思っていてね」

「他家のやり方に横槍を入れる……というのは、余り良いやり方でもありませんし……。ですので、エドアルド様のお申し出は、私たちからしても有難いものなのです」

 笑顔で言うお二人に、私は思わず軽く首を傾げてしまった。


「有難い……と仰られましても、……マクナガン公爵家には、特に利も益もない話ですよ、ね……?」

 それとも、受講料などを請求されるのだろうか。


「うん、まあ、我が家には全く何の利もないねぇ」

「家としては利はありません。完全に『個人の興味』の問題です。限られた資源を、最大限に活かし切って、最高の利益を上げる。……考えるだけで、楽しいではありませんか!」

 ね、お父様、と公爵を見て笑うエリザベス様に、公爵も笑いつつ頷く。

「楽しいねえ。……現在、我が家の領地はエルリック――私の息子に管理を任せていてね。あれがまた、無駄に能力だけは高いものだから、私はやる事がなくてねぇ……」

 言いつつ、公爵もパンに手を伸ばす。


「……しまった。ハズレの気配がするな……」

「どうしても、と仰るのでしたら、先ほどマイクがカトラリーを磨いてましたので……」

「いただこう」

 公爵はきりっとした表情で言うと、手に持ったパンを二つに割った。

 その隣では、エリザベス様も皿に置いていたパンを手に取り、二つに割っている。


「何故……、何故パンの中に、分厚いステーキを仕込もうと思ったのか……!」

「あー……。魚の切り身を丸々入れるのは、絶対に違うと思うなぁ……。しかも生臭いな、これ……」

 お二人はぶつぶつ言いながらも、それぞれ手に持ったパンを渋々食べている。

 食べている間も「食べ辛い」「美味しくない」などと文句を言い続けているが。


 余程美味しくないのか、お二人はさっさとパンを食べてしまうと、今度はお茶をがばがばと飲んでいる。

 ……何だろう、この状況……。


 エリザベス様は空になったカップをテーブルに戻した。そこに侍女がすかさずおかわりを注ぐ。

「アリスト公爵領の西に、ちょっとした森がありますよね? そこは特に手付かずのようですが、何か理由がおありなのでしょうか?」

「特に理由などはありませんが……。使い道もないので放置している、というのが理由と言えば理由でしょうか」

 いきなり領地に関しての質問をされ、少々戸惑いつつも答えを返した。


 私の返答に、公爵が二杯目のお茶を飲み干して小さく笑った。

「そこから違うんだよ、エドアルド君。使い道は『ない』のではなく、『探して見つける』んだ。若しくは『新しく作る』んだよ」

「少々、アリスト公爵領に関して調べさせていただきました。森林の植生としては、建材に不向きな柔い樹木が多いようですね」

「さて、じゃあまずは、それらをどうするか考えてみようか!」


 ついさっきまでパンを食べていたのに、いきなり講義が始まった!

 私は慌てて、侍従に持たせていた鞄から、資料と筆記具を取り出すのだった。



 マクナガン公爵とエリザベス様は、とても楽しそうに我が家の領地の改革案を次々と出して下さった。

 公爵は「全部、ただの参考程度に聞いておいて、それをどうするかは君たちアリスト公爵家で考えなさい」と仰っていた。


 帰る際には、マクナガン公爵領の事業の資料まで持たせてくださった。

 細かな事業の内容から始まり、企画書、実行計画書、予算概要、運用開始からの日報……などなどの、普通他家には絶対に漏らさないような書類の数々だった。


 公爵に「写しを取ってくれても構わないけれど、それは原本だからいずれ返却は頼むよ」と言われ、更に驚いた。

 ていうか、原本をほいほいと他家の人間に貸し出さないでくださいよ! 怖いから!


 だがそれら資料は、『新たな事業を立ち上げ、軌道に乗せるには』という道筋を考える為に、非常に役に立った。

 ……原本をいつまでも手元に置いておくのが怖かったので、早々に全て複写させてもらい、原本は丁重に公爵へお返ししたが。


 その後も、公爵には何かと相談に乗っていただいている。



 マクナガン公爵と交流させていただくにつけ、公爵と父との差に何とも言えない気持ちになってしまう。


 父は領地を顧みる事はせず、自身が浪費する金銭の由来も知ろうともせず、ただただ不相応な夢ばかりを見ていた。


 妹を王太子妃に……など、その最たるものだ。


 エリザベス様とお話させていただいて分かったが、彼女の勉強量は尋常ではない。まあ、十二歳でスタインフォード学院に入学された方だ。聡明であるのは分かっていた。

 だがそれは、『天賦の才』なのだと思っていたのだ。


 確かに、そういったものもあるのだろう。

 けれどエリザベス様は、それ以上に努力もしておられた。

 本人は「好きでやっている事ですので、それを『努力』と言って良いのか……」と苦笑してらしたが。


 そのエリザベス様を引きずりおろして、あの妹を王太子妃に……など、誰が考えても無理過ぎて笑えもしない。



 父は現在、ここ数年の不摂生が祟り、ベッドで寝たきりのような生活を送っている。

 今でもベッドの中から、兄や私への呪詛を吐き散らしているという話だ。救いようがない。


 妹からは先日、公爵家の籍から抜けたいと相談を受けた。

 驚いて話を聞いてみたら、妹の家を見回りに来てくれる騎士の一人と恋仲になったので、彼と二人で新しい生活を始めたいのだと言われた。


 母にもそれを伝えると、母は慌てて妹へ会いに領地へ飛んで行った。


 相手の男性に会った母の話によると、相手はとても誠実で生真面目な青年だったそうだ。彼の給料と妹の針子の内職手当で、二人なら何とか生活できる、という話だった。


 彼らの新生活の計画に関して兄に訊ねたら、笑いながら「フローレンスの事はお前に任す、と以前言わなかったか?」と言われてしまった。

 あのお言葉、今も有効だったんですか!?


 任されたので、私は妹の希望通りに彼女を公爵家の籍から外し、幾らかの金銭を持たせ、そして相手の青年との婚姻を承諾する書面を用意した。

 それを渡しに行ったら、妹と青年は互いに手を取り合い喜び、私に対して何度も頭を下げてきた。


 幸せそうに微笑み合う二人に、心から祝福の言葉を告げた。


 ……うん。祝福する気持ちは、嘘ではない。

 妹だって、後悔し、反省し、それを元に前進しているのだ。幸せになる権利は十分にある。

 それに、あれ程幸せそうに笑われたら、私だって嬉しく思う。


 嘘ではないけれど……、ヤバい。


 アリスト公爵家で、独り身で余っているのが、私だけになってしまった……。


 いや、でもまあ、私には爵位などもないし、ただの領地の管理人でしかない。兄の補佐でしかないのだから、終生独身であったとしても、問題はないか? ないよな? うん、ないな!


 妹が伴侶を得た事で、これまで妹の世話をしてくれていたグレイスを、公爵家の本邸へ戻す事にした。

 だが彼女も若い女性だ。しかも生家は子爵家だ。婚姻の話などもあるのではなかろうか。としたら、我が家で侍女を勤め続けるより、早めに退職させてやった方が良いのでは……。


 そう思い本人に訊ねると、グレイスははにかんだように笑った。

「貧乏子爵家に、縁談などほぼありません。わたくしに関しては、両親も『好きなように生きなさい』と言ってくれております。ですので、問題がないようでしたら、これからもこちらで雇っていただけると助かります」

 そう言ってもらえると、こちらも助かる。


 彼女はとても目端が利くので、何かと重宝する存在なのだ。

 妹と二人で市井で暮らしていた事もあり、領内の庶民の事情にも明るい。管理者として立つ私では見えない部分を、彼女が見て聞いて教えてくれる。


 私は彼女を、『侍女』ではなく、『事務官』としてもらい受ける事にした。




 兄とリナリア殿下の婚姻が成り、妹には娘が生まれ、私の身辺には特に何もない。妹がまだ言葉も話せない自身の娘に「おじ様がいらしてくださったわよー」と話しかける時、ほんの少しダメージを受ける程度の変化しかない。


 領地はマクナガン公爵やグレイスのおかげもあり、徐々にではあるが人や産業が増えてきている。

 それに伴い、私の仕事量も倍々に増えているのだが……。


 領地の仕事が多くなり、自然と私も領地の邸に詰める時間が長くなった。

 余り王都に居ないので、縁談の申し込みなども見る間に数を減らし、今ではもうほぼ無くなった。


 今日は、先日会談をした商会の会長から貰った菓子を、妹にあげようと彼女の家を訪ねている。


 王都で流行している高級な焼き菓子に喜んだ妹が、ご機嫌でお茶を淹れてくれた。妊娠・出産の際に体調を見てくれた女医に勧められたという、薬草茶だ。

 香ばしく、すっきりとした後味で、僅かな甘みがある。不思議な味のお茶だったので、医学に明るいリナリア様にこのお茶について訊ねたら、「身体を温める作用と、気持ちを落ち着ける作用のあるお茶ですね。女性にはとても良い物だと思いますよ」とのお答えだった。


 そのお茶をすする私に、カップを両手で包むように持った妹が溜息をついた。


「お兄様は、いつまでグズグズなさっているおつもりなんですの?」

「……何のことかな?」

 いや、分かってるけども。


 姪っ子の顔を見にここへ来るたび、同じ事ばかり言われるのだ。

 いい加減、聞き飽きてきたところだ。


「ロバートお兄様もご婚姻なさいました。わたくしには娘まで出来ました。……お兄様は?」

「……人にはそれぞれ、『生き方』というものがあってだね……」

「お兄様がグズグズなさっている間も、彼女は歳を取るのですよ!? 女性を待たせるだなんて、なんって気の利かない……」

 ブツブツ言う妹に、思わず苦笑する。


 彼女が私を待っているかどうかなんて、分からないじゃないか。


 妹が言っているのは、グレイスの事だ。


 彼女を事務官としてもらい受けたので、当然だが、共に居る時間がとても増えた。

 目端が利いて、気も利く。常に穏やかで、口調も所作も柔らかい。けれど、きちんと芯は通っていて、曲がった事が嫌い。

 そういう部分が一つ一つ見える度、少しずつ、彼女に惹かれていく自分が分かった。


 妹にはどうやら、そんな私の思いなどお見通しだったようで、「お兄様はいつグレイスにお気持ちを告げられますの!?」とキラキラした目で訊ねられたのだ。


 告げるも何もなぁ……、というのが私の正直な感想だったが。


 それ以来、妹はこうして私をせっつくような事を言うようになった。


「ああぁ……、もうっ! お兄様、良く聞いてくださいませね!」

「う、うん……?」

 苛ついたように声を荒げた妹に、思わず気圧されてのけ反ってしまった。

 その私との距離を詰めるように、妹はこちらに身を乗り出してくる。


「グレイスは、お兄様がこちらへ様子を見にいらっしゃると連絡がある度、いつもより笑顔が増えますのよ! お兄様から以前いただいたハンカチも、一度も使う事無く、鍵のかかる宝石箱に大切にしまっています! それを時折取り出しては、それは愛しそうに眺めていましたのよ! ここまで言っても、まだグズグズなさいますか!?」


 妹の大声に、小さな揺りかごで眠っていた姪がぐずり始めた。


「ああ、もう! お兄様が大声を出させるから、フィアが起きてしまったではありませんか!」

 えぇ……。それは私のせいではないのでは……。


 けれど、うん。


 私は椅子から立ち上がると、置いておいた荷物を引っ掴んだ。

「ここまで焚きつけて、もし断られたなら、夕食くらい奢っておくれ」

「お祝いのケーキを焼いて、お待ちしてますわ」

 姪っ子を抱き上げ、楽し気に笑う妹に背を向け、急いで妹の家を後にした。



 花屋で彼女の好きそうな花を買い、邸へ向かう馬車の中で何度も台詞を練習し、そして肝心のプロポーズの台詞を盛大に噛んでしまい……。

 大事なところで決まり切らない私に、彼女は泣き笑いの表情で――。



 それからひと月後。

 私とグレイスは、妹の家へ『お祝いのケーキ』とやらを食べさせてもらいに行くのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] アリスト公爵家領地別邸にお勤めの皆さん、お酒に硫化砒素とかシアン化カリウムとかテトロドトキシンとか混ぜてみませんか?
[一言] > 兄から「殿下が公爵に話をしてくださるそうだ。後はまあ、あちらが受けて下さるよう、神にでも祈っておくんだな」と言われた数日後、マクナガン公爵から書状が届いた。 ・つまり殿下(マクナガン公…
[一言] ロバート閣下とリナリア王女がお気に入りだったので、アリスト家の様子が知れて良かったです。 縦ロール様ことフローレンス様の成長に感動(இдஇ; ) やはり幼い頃は親の影響を強く受けてしまいます…
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