Ep.2 君が『友』と呼んでくれるよう…… (4)
「この公爵家の興りなどは、君は知っているだろうか」
「君の知る話と齟齬があるかもしれないが……」
私は私の知る『マクナガン公爵家』の興りをざっと話してみた。
殆どが、初代王の手記によるものだ。
それはつまり、『王家側』から見た事実だ。
公爵家側から見た物語が、どのように伝えられているのかは分からない。
私の話を一通り聞き、エルードは一度頷いた。
「誰が伝えたものかは分からんが、概ね私の知る話と同様だな」
「……ベルクレインの、初代王だそうだ」
「ああ、成程。弟君か」
僅かに揶揄するような音が混じるという事は、彼もまた、初代王のあの『お兄さん大好き』を知っているのだろう。
「君は、その話を何処で? 公爵家に代々伝わっていたりするのだろうか……?」
「我が家に代々伝わっているのは、精々が裏庭の落とし穴の位置情報くらいだな」
……何を代々伝えているのだ。
いや、落とし穴は確かに危険だろうから、伝えておくのは正しいのかもしれないが……。
そうじゃないな。まず、何故裏庭に落とし穴があるのか。何を落とす為の穴なのか。
「この家の興りなんかは、公爵家の初代執事となった者の『回顧録』という名の手記に書かれていたものだな。……初代公爵の手記というものも存在はするが……」
初代公爵の手記!
あの型破りな公爵は、一体何を書き残したのだろうか。
「買い物メモだとか、『今月中にやる事リスト』だとか、飼い犬の名前候補一覧だとか、そんな事しか書かれていないからな」
……初代公!! ある意味、予想を裏切らないけれど!
「そして何故か、歴代公爵はそれに倣って、無意味なメモ書きを後生大事に保管して後世に遺したがる傾向にある」
……マクナガン公爵家とは、一体……。
「『マクナガン公爵家史』という本の八割が、無意味な落書きで構成されているような家だ」
何と返していいか、さっぱり分からない……。
「当主がその有様だからか、歴代の執事たちは非常にきっちりと出来事なんかを記録していてくれてね。初代の執事を務めていた男性は、その来歴からは想像もつかない流麗な文字と正確性でもって『回顧録』を認めてくれた」
「執事の来歴、とは……?」
執事とは、その家の使用人たちの頂点だ。使用人全てを束ね、それぞれに仕事を割り振り、時には当主の代行すらこなす。
誰しもが出来るような職務ではない。
様々な能力を要求され、一定以上の学も必要となる。
「この家の初代の執事は、ベルクレイン侯爵家の庭師の次男だそうだ」
「侯爵家、の」
エルードの話では、こうだ。
例のクーデター決行の際、侯爵家は家人全員に暇を出したらしい。
失敗すれば逆賊だ。当然、命の保証などない。成功したとしても、どこでどのような火の粉が飛んでくるか予想もつかない。
そんなものに巻き込むわけにはいかない、と。
侍女や侍従、執事などの学があり礼法も修めた者たちには、それなりの働き口を斡旋し、幾許かの退職金も持たせたそうだ。
それ以外の文字の読み書きすら覚束ない下働きの者には、望むのであれば新たな働き口を斡旋し、それも難しい者には自分たちと共にいくかどうするかを選択させたらしい。
戦禍に身を投じようとする主に付き従う事を選んだのは、実に二十名を超えたそうだ。
のちにマクナガン公爵家の執事となる人物は、その二十余名の一人であったという。
学などなく、礼法なども全く知らず、文字の読み書きも簡単な計算もままならない。そういう人物であったそうだ。
何も持たない少年であった彼は、侯爵家を出ても明日をも知れぬ身であった。
故に、まだ生きていける可能性のある「主についていく」という選択をしただけだった。
忠誠心だとか腐敗した政治に対する義憤だとかではない。己が保身の為だけだ。
けれど彼は、革命軍一行と行動を共にし、少しずつ変わっていく。
先頭に立ち自分たちを率いる者たちの背を見、周囲の似たような境遇の人々の話を聞き、己が『何も持たぬ者』という立場に甘えていた事を知る。
「……『持たぬ者』という立場に、甘える……」
学もなく、礼法も知らず、身分すら無きに等しく。父の下で修業中の身である故、職も持たず。
ないない尽くしの彼は、『甘える』という言葉からは程遠く感じるのだが。
「果たして本当に、彼には『何もない』のだろうか。少なくとも、『健康な身体』や『思考する頭』はあるように思えるが」
それは確かに、そうかもしれない。
「けれど、『思考する』にも、土台となる教養は必要ではないのか?」
遠方の賢者の言葉に、『学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し』という言葉があるそうだが、全くもってその通りだ。
誤った思想に憑りつかれ易いのも、思考の土台となる教養に偏りや不足がある場合が多い。
「それは君の言う通りなんだが、そう難しい話ではなくてね。単純に『現状に不満を抱いている』けれど、それを変えるにはどうしたら良いのか……というただその程度の思考だよ。『腐敗した政治を正すには』だとか、『国の行く末をより良くするには』だとか、そういった難しい話ではなくね」
エルードは小さく笑うと、少しだけ楽しそうな声で言った。
「もっと簡単に言えば、『今日より明日を良くするには、どうしたらいいか』くらいの事だね」
確かに、それを『国家レベルで』考えるならば、思考の土台は必要だ。しかもその土台は、基礎的な教養だけでは足りない。
けれど、『個人レベルで』考えるならば、今日失敗した事を反省するだとか、今日やらなかった事を明日こそはと決意するだとか、その程度の思考で充分だ。
そしてそこに必要なのは、『教養』などではない。
「彼は、己の足元だけをじっと見て、『どうせ何も変わらない』『自分には関係ない』と、ただそこに立ち竦むだけだった自分自身に気付いた」
足元だけを見て、立ち竦む……。
ああ、きっとそれは、今の私も同じではなかろうか。
「革命に参加していた義勇軍には、彼同様の『持たざる者』が多く居た。けれど彼以外の『持たざる者』たちは皆、それぞれ己自身で考え、現状を憂え、自ら選択して武器を取った者たちだ。学がないとはいえ、彼は自分の名前くらいは書けたそうだ。けれど、義勇軍にはそれすら出来ない者も多く居たそうだ」
今でこそ、国民の識字率はかなり高くなっている。
けれどそれは、今のベルクレイン王朝が建って以来の施策によるものだ。
それ以前はむしろ、『民など愚かな方が良い』と言わんばかりの体制であった。……まあ、上が愚かであるならば、下に賢しくなられても困ることしかないだろうからな。
「己の名前すら書けず、読めず。五個と七個を合わせると何個になるか、と問うと指を折って数え始めるような者たちが。それでも己自身の為に、己の大切なものの為に、必死で考え足掻こうとしている。そしてその『懸命さ』に、率いる貴族や将校が応えようとしている。……自分はここで、何をしているのだろう」
使命を胸に命を賭す事すら厭わぬ者たちの中にあっては、確かに保身のみを考えそこに居る彼は異端だろう。下手したら、排斥する動きがあってもおかしくない。
「何も持たなかった彼は、それでも自分が恵まれていた立場にあった事を、そこで初めて知った。ベルクレイン侯爵家は、決して使用人を蔑ろにするような家ではなかったそうだ。父の仕事を見様見真似で手伝うだけの彼にも、三食はきちんと与えられていたし、清潔な寝床もあった。主から鞭で打たれるような事もなければ、執事に不当な叱責を受ける事もなかった」
それは当然の事ではあるのだが、残念ながら、下働きの者をそういった扱いをする貴族は未だに居る。
使用人たちが声を上げてくれたなら、行政としても出来る事は多少はあるのだが、基本的にそういった事柄は『それぞれの家内の事情』として表に出てこない。
そして今よりも『人の命』や『人の持つ権利』が軽かった時代だ。そういった話は掃いて捨てる程に溢れていただろう。
「彼は『何も持っていない』のではない。『持っているという事実に気付いていない』だけだった。それまでの彼の世界は、『ベルクレイン侯爵家』という狭い場所で完結していた。そしてその狭い楽園を守ってくれていたのは、彼の主や上役たちだった。……それに、初めて気付いた」
『持っているという事実に気付いていない』
それはもしかしなくても、私もそうなのかもしれない。
私が『持っている』と自覚しているもの以外に、もしかしたら、もっと他に何か……。
「彼が『持っていたもの』は、信頼できる主と上役、そして彼らから与えられた質素ながらも健全な生活。それらは彼にとって、余りに『当たり前』にそこにあるものだった」
当たり前に、そこに。
「君にも何か、思い当たるような節でもあったかな?」
揶揄うように小さく笑うエルードに、思わず苦笑が漏れる。
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「はっきりしないな。……まあ、いい」
笑うと、エルードは小さく息をついた。
「自分で思っていた以上に『様々な何か』を持っていた彼は、必死で考えた。自分がこの集団において、何が出来るのか。自分以上に持たざる者たちへ、何か与えられるものはないのか」
「何かを与えよう、と、考えるのか……」
少々驚いた。
私にとって市井の民とは、遍く『与えられる側』であり、何かを供与する側は私たち為政者でしかない。
「君の見ているものと、規模が違うのさ」
私の呟きの意図を正確に悟ったらしいエルードが、僅かに楽し気に言った。
「おそらく、君が民衆に対して与えようというものは、広く民の生活を豊かにする為の施策だとかそういった『公共の益となるもの』だろう」
「それはそうだろうな」
それが為政者の務めだ。
「彼が『与えよう』と思ったものは、もっと小さな、言ってしまえば些細なものだ」
小さな……。
「たとえば、腹を空かせた子供に、自分のパンを半分わけてやったり。数字の読み方を知らない子に、それを教えてやったり。暇を持て余している子らに、道具の要らない遊びを教えてやったり」
「確かにそれなら、学などさして必要はないな」
手隙の者が下の者の面倒を見る、という程度の話だ。
小さな事かもしれないが、集団生活においては絶対的に必要な事柄だろう。
「彼はそうして、己に出来る範囲の事を日々真面目に一生懸命に取り組んだ。それを見た周囲の『彼より持てる者』が、今度は彼の面倒を見てくれるようになった。たとえば、読み書きを教えてくれたりだとか、簡単な護身の武術を教えてくれたりだとか……」
「ああ……、良い循環だな」
「そう。とても良い循環で、とても『当たり前』の事だ」
エルードの言う通り、それは『当たり前』の事なのだろうが、それを『当たり前』と断じるのは理想論に近い。
水は高い方から低い方へしか流れないのだが、高い場所の者がその流れを堰き止めてしまったならば、それはそこから下へは一切流れない。
そして残念なことに、流れを何としても堰き止めようとする者は多い。
持てる者が持たざる者に何かを与え、与えられた者がそれを基に何かを得、それらを更に持たざる者へと与え……。
とても美しい循環なのだが、言うほど容易い事ではない。
それを行っていけたならば、確実に全員の利になるのだが、目先をしか見ぬ者にはその『利』が見え辛い。
「己が与えられたものを、下の者へと分け与え、下の者が更に下の者へと。……その流れの大本を辿っていくと、自分の主たちがそこに居た」
「それは……まあ、そうだろうな」
その集団における最上位の存在は、ベルクレイン侯爵家なのだろうから。
「そう。当然の話だ。だが……彼は、その『当然』にこれまで気付くことすらなかった」
ああ、そうか……。
「……私と、同じだ」
思わず、呟きが漏れてしまった。
私と同じ。
様々な事柄を『知って』いても、『理解』していなく。故に、世界は狭く、視野も狭い。
一つ一つの『当たり前』が目の前に転がっていても、狭すぎる視野ではそれが見えない。理解の足りぬ頭では、それをそうと気付けもしない。
己の手に『素晴らしい何か』を持っていたとしても、狭い世界において、その実感が得られない。
『彼』が、数多の雑多な人々と接することにより、それらに気付けたというならば、私もそうなのだろうか。
『世界を広げる』事で、新たに見えてくる何かが、私にもあるのだろうか。
エルードは私の呟きには何も言わず、ただ小さく笑っただけだった。
「やがて、彼ら一行は、本懐を達する事となる。それはつまり、これまで生活を共にしてきた者たちの別れだ」
雑多な寄せ集めのような集団だ。
上は後に王となる侯爵から、下は彼のような名も知られぬ市井の民まで。
目的が遂げられたなら、それぞれがそれぞれの居場所へと戻らねばならない。
「散開と言われても、彼には特に行くべき場所などなかった。そもそもが侯爵家の庭師の見習いでしかない。そんな人間を雇う家は、そう多くない」
「確かに、そうだな」
そも貴族の家であれば、お抱えの庭師くらい既に居るだろうし。
「流石に学も身分もない者を、城で雇う訳にもいかない」
それもそうだ。
現在でも、城に勤務する者たちというのは、厳しい選抜とチェックを潜り抜けてきた者ばかりだ。
皆、身分はきちんとしているし、一定以上の学と礼法があるのは大前提だ。
「行き場のない彼らを拾ったのが、『公爵』などという肩書を押し付けられた、初代マクナガン公爵だった」
「押し付けられた……」
その通りかもしれないが、もう少し、言い方はなんとかならないだろうか。
「初代公は、常にそう言っていたそうだ。『弟に押し付けられた』とね」
うん、いや、まあ、本当にそうだけれども……。
「そう言って、笑っていたそうだよ。『仕方のないヤツだ』と」
それを言うエルードの口調は柔らかく、きっとその『仕方ない』という言葉には、愛情が多分に含まれていたのだろうなと推察できた。
ベルクレイン侯爵家というのは、彼ら二人きりの家だ。
先代の侯爵夫妻は、王家によって捕らえられ、獄中で病死している。
若き侯爵とその兄。その二人だけで、国の変革などという大業の先頭に立っていたのだ。
互いに愛も情も、なければ成し遂げられなかった事だろう。
「仕方がないから、弟が泣いて帰ってきた時に、大笑いしながら迎えてやれる『家』であろう。……そう、言ったそうだ」
「家……」
「王城は、『家』と呼ぶには冷たく重すぎる、と。……君にとっての城は、『家』と呼べる場所であるかな?」
問いかけられ、思わず言葉に詰まってしまった。
物語などに出てくる『家』というものは、とても温かなものの象徴として描かれる事が多い。そして、大多数の人々にとって、実際にそういうものなのだろう。
私にとって『家』と呼べそうな場所は、確かにあそこ以外にない。
実際、両親やきょうだいは城に居る。
ただ、あの場所を『家』と呼ぶか……と問われると、答えがない。
「暮らす場所、家族が居る場所をそう呼ぶのであれば、私にとっての『家』は、王城で間違いないのだろうな」
ただ、先ほどエルードの言葉にあった通りで、あそこは家と呼ぶには冷たいだろうし、重い。
責務を果たさぬ者を住まわせる場所はないし、その責はそのまま国の行く末だ。それを知り、その為に働く者にのみ、居住の許される場所だ。
安寧たる温かみとは、程遠い。
「国などという、一人の肩に背負いきれぬ程の荷を背負わせた。それは、彼なら出来ると確信しての事ではあったけれど、公爵にも幾許かの後ろめたさと申し訳なさはあったらしい」
「あったのか……」
素直に驚いた。
その私に、エルードが楽し気に笑った。
「あったらしいな。執事となった庭師の息子の回顧録には、公爵は常に弟君を気にかけていた、と書かれているくらいだ」
エルードは楽し気な口調のまま、私を見て悪戯っぽく笑った。
「さて、少々話は変わるが……。君は、ベルクレイン王家の初代王が、何歳で崩御されたかは知っているかい?」
それは、大抵の者が歴史で習うのではなかろうか。
「……四十三歳、ではないかな」
当時としても、まだ死ぬには早い年齢だ。
そして、それを基にして、現在の王の在位期間というものが定められている。
王が四十三歳を迎える年、若しくは、王が退位し次に立太子される者が七歳の歳、そのどちらか遅い方を取って譲位は行われる。
恐らく私が王となるのは、私に息子か娘が生まれ、その子が七歳となった年となるだろう。
『王が四十三歳』というのは、初代王の享年に合わせての事だ。
過労により亡くなったとされている。
それに因んで、激務である『国王』という責務から王を解放する為、このような決まりが出来たのだ。
それともう一つ、玉座にしがみつこうとする愚王を強制的に排する為、でもある。
更に、王室典範の改定は、議会の全会一致の承認をもってしてでしか行われないようになっている。
「君の言う通り、初代王は四十三という若さで世を去ったとされている」
……うん?
何やら不穏な言い回しだな。
実際、城の書庫の記録には、どれもそう書かれている。全て、正式な公文書だ。医師の診断書も残っていた筈だ。
「実際、過労や精神的な疲労なんかで、体に不調はきたしていたようだがね。それは何も、命を落とすほどのものではなかった」
「…………うん?」
何を言っているのだ?
「今より大分、大らかな時代だったのさ」
楽し気に笑うと、エルードは悪戯っぽく片目を閉じてみせた。
「公文書とあっても、全幅の信頼なぞを置くべきでないな」
「……は?」
何を言っているのだ?
「四十三歳で身体を壊した初代王は、病床で言ったそうだ。『私はこれで死んでしまった事にできないだろうか』とね」
「……はぁあ!?」
おかしな声が出てしまった。
その私に、エルードがこれ以上ないというように、いかにも楽し気に笑った。
「初代王はそれまで一人、王として粛々と務めを果たしてきた。その彼が、実に十数年ぶりに兄を頼ったそうだ。『国王オスカー・ベルクレインは、ここで死んだ事に出来ないだろうか』とね」
……もう、言葉も出ない……。
何だ、そのめちゃくちゃな話は……。
そしてそんな頼み方をしてしまったら、恐らく初代公は……。
きっと酷く間抜けな顔をしているであろう私に、エルードはやはり楽し気に笑った。
「王の死を捏造。そんな楽し気な話、乗らない訳がない。初代公は、それはもうノリノリで協力したそうだよ!」
だろうな!
「城の各部署に手をまわし、必要とあればありとあらゆる手を使い、『ベルクレイン王家初代国王オスカー・ベルクレイン』は四十三歳で世を去った……という事になった」
……いや、『という事になった』じゃないだろう……。
「まあ、今の時代、それは難しい話だろうがな。死を捏造……は難しいが、君を『数か月生死不明』くらいになら出来るかな」
「……いや、しなくて大丈夫だ」
恐ろしい事を、さらっと言わないでくれ……。
何だ、このマクナガン公爵家という家は……。どうして他家から侮られているのだ……。こんな恐ろしい家、私は他に知らないぞ……。
「王となった弟の『帰る家』であろうとした場所だ。国王一人、守り切れず、隠しきれずにどうする」
どうもこうもないと思うが……。
「初代公は、いつどのように弟に頼られても良いように、まず財を貯めた。いつでも国庫として拠出できるように、領を運営する資金の他にね。有事の際、共に戦えるよう、兵も集め鍛え上げた。どのような局面にあっても良いよう、様々な能力に特化した者も集めた。そして、領民たちにこう言った」
エルードは一つ息をつくと、とても静かな声で言った。
「もしも今の暮らしに満足しているのだとしたら、その感謝は全て、自分をここに留め置いた国王へと捧げてくれ、と」
国王へと……。
「そしてもし、王や国が頼ってきたならば、快く迎え入れてやってくれ。もしも自分を『家族』と思ってくれるならば、王に対しても、同じように接してやってくれ」
「『家族』……」
領民が、領主に?
けれど、そうだ。
先日の祭りで見た、様々な場面。
領民たちのエルードに対する態度は、まさに『家族』のそれのように気易かった。見かけたら声を掛け合い、軽口をたたき、説教をする者まで居た。
あれは、あの係り方は、初代から繋がれてきたものだったのか……。
「マクナガン公爵領は、豊かな土地だろう?」
「あ、ああ……」
急に変わった話題に、少々戸惑いつつも頷く。
その私に、エルードはとても優しく微笑んだ。
「今でも、君たちに頼られたならいつでも力を貸せるように、準備は怠っていないんだよ」
それはつまり。
国有数の財も、この地の傑出した産業も、他を寄せ付けない品質の農作物も。
私たち王家の、そして私たちが治める国の為、と……?
「君たちベルクレイン王家の人間というのは、過去も現在も、まあ呆れる程に生真面目で」
「……呆れられる謂れはないが」
ふざけているより良いだろうに。
「そこらの貴族なんぞよりも出来がいいだけに、他者を頼るという事も知らぬ頑固者が多くて」
余計なお世話だ。
そもそも何だ。褒められているのか、貶されているのか、どっちだ?
「常に周囲が求める『理想の指導者』であろうと頑張りすぎてしまう」
悪い事ではない筈なのだが、何故か少々耳に痛い。
「『ここ』で気を張る必要はないんだよ、カール」
突然、そんな風に優しく言われると、どう反応していいのかが分からない。
ああ、もしかして。
『家族』というものを知らぬ孤児が、心優しい夫婦に引き取られた時なんかに、こういう気持ちになるのではないだろうか。
くすぐったいような、泣き出したいような、気恥ずかしいような。
突然与えられた居場所に、ただ戸惑うような。
けれど、嫌な気持ちではなく。ただただ温かく、そこに自分が居ていいのか、逆に不安になってしまうような……。
「マクナガン公爵領とは、君たちにとっての『家』でありたいと願う場所だ。外で辛い事があったなら、逃げてきたらいい。困ったことがあったなら、頼ってくれて構わない。私たちは、君たちにとって『家族』でありたいと願う者だ」
「『家族』、か……」
「まあ、君がどう思うかは、私には分からんがね。私からしたら、手のかかる弟のように見えるね」
「はは……。私と君は、同い年の筈だがな」
何故か零れそうになる涙を堪えるのに、必死だった。
何故泣きたくなるのか、そんな理由すら、今の私には分からない。
本当に、これでは幼子と大差ない。エルードに『弟』と言われるのも納得だ。
「今の話は、『王家に手を貸しても良い』と判断したなら、話して良い事になっている」
「手を、貸してくれるのか?」
言った私に、エルードは小さく笑った。
「構わんよ。何をして欲しいのかな? 王太子殿下」
「カール、と」
呼び名を訂正した私に、エルードが楽し気に笑った。
「何と欲のない王子様だろうな、カール!」
エルードの楽し気な笑い声に、私はまた何だか泣きたくなったのだが、そんな思いでいた事はエルードには黙っていようと思った。
エルードの事だ。どうせ、揶揄うように、ひどく楽し気に笑うのだろうから。
そしてこの公爵家が社交を一切行わないのは、代々の公爵と王家との距離が近すぎたせいもあるという事を聞かされた。
……納得しかない。
余談だが、父と現公爵は、『幼馴染』と言える間柄なのだそうだ。現在も、時折書簡のやり取りをしているらしい。事前に教えておいて欲しかったものだが、先ほどのエルードの話からして、それは不可能だ。
まず私が、彼らに認められねば話にならないのだから。
そして彼らを『家族』として接するのであれば、確かに、公爵家の人々は公の場に出ない方が都合がいい。
どんな事情にも『裏』はあるのだな、と。
そんな事をも同時に知った日だった。