ネアンデルタール人はなぜ滅んだか
-1-
オレの前には白い闇しかない。叩きつける吹雪はまるで高さの見えない岸壁だった。前に進もうと懸命に足を動かしても、暴力的な風がオレを後ろへ後ろへと押し戻した。
「北へ行け」
オレたち一族の巫女である老婆はオレにそう告げた。
「北へ行けば、我ら一族の生きる道が見つかろう」
「判った」
一族を離れ、独り北へと歩き始めてすでに10日。獲物も見つからず、あるのはただ雪のみだ。けれど巫女である老婆を疑う気持ちは少しもない。とにかく北へ、北へとオレは歩き続け、疲労と睡魔に殴り倒され雪に埋もれた。
『どこだ。ここは』
目を覚ましたのはどこか狭い場所だった。
洞窟ではない。
何を使って削ったのか壁はつるつるで、オレが見るところ、完全な円形に造られていた。天井も床もでこぼこがどこにもない。
「ようこそ。地球人」
腰に下げたナイフに手をかけて、オレは素早く振り返った。
見たこともない生き物が、オレから5mほど離れて立っていた。獣ではない。二つの足で立ち、毛皮ではない何かを身体に纏っている。
「危害は加えない。腰の石器から手を離したまえ。地球人」
異様に大きな目をしてひょろりと背の高いそいつは、あるかないかも判らない口を閉じたままそう言った。
-2-
「オレは死んだのか?」
ナイフに手をかけたまま、オレは訊いた。ソイツに顔を向けたまま、持っていたはずの槍を探すがどこにもない。
「自分が死んでいるか、生きているかも判らないのか?地球人」
オレを馬鹿にしたようにソイツが応じる。
不快の念がオレの胸に浮かんだ。
「オレは死んだことがない。経験したことのないことは判らない。だから尋ねている。そのことのどこがおかしい」
「なるほど。お前の種がお前の惑星でいちばん知性が高いというのは間違いではないらしいな。なかなか面白い答えだ。
お前はまだ死んではいないよ、地球人」
「だったらここはどこだ。お前は誰だ」
「ここは、そうだな。お前たちの言い方だと、天上界、ということになるか。
そして私は、ゲームマスターだよ。地球人」
-3-
「それにしても臭いな。まずは身体を洗え。それから詳しい話をしよう」
ゲームマスターと名乗ったソイツが右手を上げると、ゲームマスターの後ろから別のヤツが現れた。二人。やはり二つの足で立っている。オレたちに似ている。いや、オレたちよりも白い一族に似ている。
ただ、白い一族と違って肌が赤い。
子供のように腰は細いが身体の線は柔らかく、薄いものの胸が膨らんでいる。成熟はしていないが、女だろう--オレはそう判断した。
二人は驚くほどよく似ていた。
まるでどちらか一人は、澄んだ泉に写った影が立ち上がったかのようだ、と、オレは思った。もっともどちらが本物でどちらが影かは判らなかったが。
「後は任せる」
「はい」
女たちがオレを連れて行った先には、温かい泉があった。
「泉ではありません」
女のひとりが笑いながら言う。
「これはオフロです」
よく判らない。
とにかく身体を洗えと言うのでオレはオフロとやらに浸かって、いつも川でするように身体を洗った。
「ここはどこだ」
改めて訊いたオレに、女は「夜空の星がたくさん集まって、川のように見えているところがあるのをご存じですか?」と問い返した。
「知っている。天の川だ」
「ここはその天の川の中心です。あなたのいた惑星からは2万8千光年離れています」
ワクセイ。
ワクセイとはなんだろう。
「ゲームマスターはオレのことをチキュウジンと呼ぶ。チキュウジンとはなんだ?それと、ゲームマスターとは何のことだ?」
「わたしたちはあなたの住む惑星を地球と呼んでいます。まだあなた方に惑星という概念はないので判らないとは思いますが、地球人、というのが、ここでのあなたの呼称です。
ゲームマスターとは、ゲームを支配する方のことです」
「では、ゲームとはなんだ」
女たちが顔を見合わせる。
「遊び、と言い換えるのが正しいでしょうか」
「遊び?何の遊びだ」
「あなた方のような、他の惑星の知的生命体の運命を決める、遊びです」
と、女たちは声を揃えて答えた。
-4-
美しい。
オレは素直にそう思った。これほど美しいものをオレは見たことがなかった。
テンボウホール。
それが女がオレを連れて来たところだ。
テンボウホールは外に向かって開いているように見えた。だが、そこには見えないだけで実際には壁があると女は言った。
「これはなんだ」
オレは見えない壁の向こうに広がっている景色を指さした。
「天の川銀河の中心です」
様々な色の雲が渦を巻いて、オレの視界のすべてを埋めている。確かに雲は雲だが、それはセイカンブシツでできた雲で、ブラックホールを取り巻くコウチャクエンバンなのだと女は説明した。
「ブラックホール?」
「あれです」
女が指さしたのは、コウチャクエンバンという明るく七色に輝く雲に浮いた、黒く丸い穴だった。
二つある。
女たちのように、そっくり同じ穴が二つ。
「なんだ、あれは」
「光も逃げられないほど圧縮された質量の塊。時空間が極限まで歪んでできた穴のような天体です」
女に説明されても、オレにはよく判らなかった。
「あれがゲームとどう関係している」
「ブラックホールの中心では、物理法則は意味を失います。強い力も弱い力も、電磁気力も。ブラックホールを形作っているはずの重力でさえ。すべての物理現象は意味を失い、ただ確率だけが支配する世界となります。
ここを造った方々は、そこに目をつけました」
「ゲームマスターか?」
「いいえ」
女が否定する。
「ゲームマスターは三千年ほど前に、廃棄されていたこの施設に辿り着き、施設を再稼働させただけです。
施設と、私たちを」
「シセツと、お前たちを?」
「はい」
声を揃えて女が頷く。
「私たちは自然発生したあなた方とは違います。私たちは、この施設を造った創造主たる知的生命体に造られた人造生命体なのです」
女の言うことはよく判らない。ただ、
「だとすると、お前たちはゲームマスターとは別の種族ということか?」
さっぱり見分けのつかない顔を見合わせてから、
「はい」
と、女たちは頷いた。
-5-
「つまり、この装置は量子もつれによって銀河の中心にあるふたつのブラックホールと繋がっているということだ」
ゲームマスターが説明する。ゲームマスターは一段高いところに座っている。そこに置いたイスというものに。ゲームマスターとオレの間にはテープルがあり、テーブルの上にある物を、ゲームマスターはルーレットだとオレに説明した。
しかしオレは判っている。ゲームマスターは説明をしているのではない。ただ、自慢をしているだけだと。
それも自分が苦労して得た獲物についてではなく、ただ拾っただけの獲物にについて、だ。
「あのふたつのブラックホールの中心にはサイコロがある。もちろん量子力学的な意味での、だけどね。サイコロは純粋に確率に従って回る。誰も観測できないから、誰にとっても公平だ。
ブラックホールの中のサイコロが回ると、このルーレットが回り、黒か、赤、いずれかの数字で止まるという仕組みだ。
判るかね、地球人」
「ルーレットが止まって、どうなる」
「出る数字を当てるのさ。当てた方が勝ち、ということだ」
「これの何が面白い」
「面白いに決まっている。なぜなら、賭けて貰うのは、ゲームに参加するそれぞれの種族の命なのだからね」
「命?」
「そうだよ、地球人。命だ」
心底楽しそうにゲームマスターが言葉を続ける。
「例えばここである種族が赤に1000人分の命をかけたとしよう。しかし、出た目が黒なら、1000人分の命は没収だ。負けた種族から1000人分の命を刈り取らせていただく。
私の派遣したアンドロイドたちが、1000人、殺す。
もし100万人分負ければ、100万人が死ぬような疫病を流行らせる。自然災害を起こしてもいい。
それぞれの種族の命運を、命を賭けたゲームだ。
これ以上楽しいことがあるかね?」
コイツはオレたちに害悪をもたらす邪霊だ。オレはそう判断した。
オレたちも狩りをする。命を奪う。食べるために。オレたちが生きるために。
しかし、コイツは違う。
「それぞれの種族というが、ここにはオレしかいない」
「ちょっとこの銀河の知的生命体が少なくなってね」
言い訳がましくゲームマスターが言う。
だが、オレはすでに知っている。女たちから聞いた。チテキセイメイタイが少なくなったのは、ゲームマスターによって無理やりこのゲームに参加させられ、多くのチテキセイメイタイが滅んでしまったからだ。
「それで君たちのような、まだ農耕も始めていないような未開の種族に来てもらったんだ。
なに、銀河は広い。いま探させているから他のゲーム参加者もすぐに見つかるだろう。安心したまえ」
「オレは参加しない」
「え?」
ゲームマスターがきょとんとする。
「聞こえなかったか?オレはこんな邪悪な遊びには参加しない」
「判っていないようだね」
ゲームマスターの笑いが引き攣る。
「君に選択権はないんだ。もし、このゲームを降りると言うのなら」
「どうするつもりだ」
わざとらしくゲームマスターがため息をつく。
「君たちよりも知性では劣るが、君たちの惑星には他にも知的生命体がいる。君たちには退場してもらって、彼らに参加してもらうことになる」
「それも許さない」
「はぁ?」
「オレたちはもちろんだが、白い一族をこのゲームに参加させることは許さない。そう言ったんだ、ゲームマスター」
「……それは君が決めることじゃない」
「いや」
オレはゲームマスターを見据えて言った。
「オレが決める」
「だったら」
苛立たし気に動いていたゲームマスターの指が止まる。
「直ちに君たちの種族には退場してもらうことにしよう。どうせゲームに参加してもらうには数が少なすぎると思っていたところだったからね。
ちょうどいいよ。
そしてお前は……、ここで死ね!」
ゲームマスターの座ったイスからレーザーが放たれ、ゲームマスターに気づかれないよう予めオレが広げたおいたバリヤーに当たって、激しい光を放って消えた。
ゲームマスターがぽかんと口を開ける。
「我々は石器を使う」
オレは女から預かったレーザージュウを構えた。
「道具は使えるんだ。ゲームマスター」
-6-
「あなたの一族のいる洞窟はずっとトレースしています。天候も安定しており、すぐ近くに転送できるでしょう。
遭難する心配はありませんのでご安心ください」
「お前たちはどうする」
「起動を停止します。誰かに再起動されるまで」
シセツや女たちを造った創造主は、ある日、自分たちがこのギンガを立ち去るかどうかをルーレットで占い、別のギンガへ旅立ったという。
「もしかすると主がここに戻られるかも知れませんし」
「判った」
女の話す言葉の意味はほとんどオレには判らない。
オレに判ったのは、オレが立ち去った後、女たちはしばらく眠りにつく、ということだけだった。
「何か心配事でも?」
オレの顔色を見て女が問う。
「オレは一族の巫女の占いに従ってここに来た。オレの一族を救うために。しかし、ここにはオレの一族を救う方法はなさそうだ」
「でしたら」
と、ひとりの女が空中で手を振ると、何かが彼女の手元に現れた。水面のように透き通った薄い板状の何かの道具だ。
「あなた方の一族の近くに、あなたが白い一族と呼ぶ、あなた方の近傍種の集団がいます。小さな集団で、彼らもまた滅亡に瀕しています。あなた方の狩りの技術と彼らの知識を合わせれば、あなた方の惑星に訪れている長い冬を乗り切れる可能性が高まるでしょう」
「白い一族と力を合わせるということか?」
考えもしなかったことだ。
「あなた方よりも彼らの方が絶対数が多いので、種としてはあなた方の方が彼らに飲み込まれてしまうかも知れません。ですが、わたしたちから見れば、それは決して滅びではありません。
あなた方のDNAは必ず未来へと受け継がれていくでしょう」
やはり女の言うことはよく判らない。だが、白い一族と力を合わせるという考えは、悪くないように思えた。
「では、故郷にお送りしましょう」
「頼む」
女が微笑む。
「いつかここに、あなたの子孫が到着されることを願っています」
「ここに、か」
「はい」
オレは頷いた。
「いつのことになるか判らないが、必ず帰ってくる。約束しよう」
もう一人の女から石器のナイフを受け取り、オレは腰に差した。
「お待ちしています」
ふたりの女が何かを操作し、気がつくとオレは、オレの一族の住む洞窟を見ていた。たった5人。5人だけの一族。だが、オレにとっては何物にも代えがたい一族の住む洞窟を。
オレの帰還を察したのだろう、洞窟の中から犬の吠える声が響く。そういえば、白い一族は犬を飼うことを知らない。犬がいれば狩りは成功することが多くなる。なるほど彼らが犬を飼うことを知らないように、オレたちが知らないことを、彼らはたくさん知っているだろう。
ここからだ。ここから始めて、いつかは辿り着こう。
あそこへ。天の彼方へ。
そう思いながらオレは、一族にオレの帰還を知らせるために、喉が裂けるほどの雄たけびを上げた。