【第四十九話】レオン、種明かしをする
疲れているだろうから城で休んでいけばよいというドグラスの言葉を丁重にお断りして、アリスはトリアンに戻った。
正直なところ、いつまでも城にいたくなかったというのが理由だ。
それに、城にいたら気が休まらない。無理をしてでもトリアンに戻りたかった。
トリアンの自室に戻り、楽な格好に着替えたアリスはベッドに腰を掛けていた。
あの緑の粉をかけられた後から記憶がないが、なんだか違和感が生じていた。身体の中が熱いというか、もやもやする。
帰りの馬車の中ではレオンはずっとアリスの手を握っていたのもなんだかおかしかった。
悩んでいると、ドアがノックされ、レオンが入ってきた。
「アリス、身体の調子は?」
「うー……ん、なんか変なのよね」
「変、とは?」
「身体の中が熱いのよ」
アリスの言葉に、レオンは室内に入り、椅子に腰掛けた。
アリスはレオンの向かい側、ベッドに腰掛けた。
「アリス、話しておかないといけないことがある」
そう言ったレオンの表情は真剣な表情で、アリスは首を傾げた。
あの緑の粉になにか問題があったのだろうか。
それとも、他の話?
アリスはなんの話か分からず不安に思ったが、レオンはおもむろに口を開いた。
「まず、最初に謝らなければならないことがある」
「えっ?」
「アリスに許可を取らず、その……」
「?」
「ロヒカールメの血を、アリスに飲ませた」
「……え、なんで?」
あの緑の粉は毒だったとは聞いている。
毒であれば解毒の魔法で済むはずなのに、なんでロヒカールメの血を? とアリスが思うのは当然であろう。
首を傾げるアリスに、レオンは言葉を続ける。
「解毒の魔法が効かなかったんだ」
「効かなかった?」
「魔女の作った毒薬だったらしく、大量に吸い込めば死に、少量であれば永遠の眠りに就くものだったようだ」
その話は聞いていたけれど、改めて考えると、怖いものだった。
解毒の魔法が効かないということは、解毒薬も効かない可能性が高いということだ。あの緑の粉は、どちらにしても死んでしまうとものだったのだから。
「だから、その……」
「ロヒカールメの血じゃないと駄目だったんでしょ?」
「まぁ、その、そういうことだ」
もしも逆の立場だったら。
アリスもきっと、同じことをしていただろう。
不安そうな表情のレオンに感謝の気持ちを伝えたくて、アリスは立ち上がって椅子に座っているレオンの前に立った。
レオンの視線がこちらを向いているのが分かったので、アリスは視線を合わせた。
そして、レオンにギュッと抱きついた。
「うん、ありがと」
アリスは嬉しくてレオンに抱きついたのだが、レオンはアリスの行動に戸惑ったが、すぐにアリスの腰に腕を回した。
久しぶりの抱擁に、アリスは嬉しくなって、レオンの頭にほおを寄せた。
しゃらりと音がして、金色の鎖がこぼれ落ちてきた。
それはレオンから贈られた虹蛇の鱗がついたネックレスだった。
鱗を見ると……。
「えっ?」
虹色をしていたはずの鱗が、灰色になっていた。
「レオン、これ」
アリスは胸元を指して、レオンに鱗を見せた。レオンの表情が険しくなっていく。
「これは……。アリスのことを護ってくれたんだな」
「護ってくれた?」
「そうだ。あの緑の粉を少ししか吸わなかったのはきっと、虹蛇の鱗が護ってくれたからだな」
「そっか。虹蛇にお礼をしなきゃ。でも、なにがいいのかな?」
「そうだな。アリスの魔力でいいと思うぞ、お礼」
「そんなことでいいの?」
「あぁ、充分だと思うぞ」
それならとレオンとともに虹蛇のところへ向かうことになった。
* * * * *
アリスとレオンは虹蛇のところへと来ていた。虹蛇は変わらず地面に埋まっている。
アリスは虹蛇の頭が埋まっている辺りに立ち、地面に手を付けた。
手のひらに魔力を集めて、地面の中にいる虹蛇に向かって魔力を放出すると、アリスの身体がキラキラと金色に輝く。
魔力をどれくらい譲渡すればよいのか分からなかったが、それほどせずに手のひらに抵抗感が出てきたので止めた。
「これでいいのかな?」
「あぁ、いいと思うぜ」
レオンの返事にアリスは立ち上がり、手に着いた土を払った。
「なんだか今日は妙に長く感じるわ」
「そうだな」
一段落したところで、アリスはふと、謁見の間で見たことを思い出した。
「そういえば」
「なんだ?」
「わたしに緑の粉を掛けてきた人……」
アリスはかなり言いよどんでいたが、レオンははっきりと口にした。
「死んだ」
「えっ?」
「あの女はエーギルの婚約者でイザベラ」
「あの人が……」
いきなり現れたかと思ったら、剣で切りつけられ、挙げ句に毒を掛けられた。
初対面のはずだが、本気で殺しに来ていた。
「どうして……」
「そのどうしてはどこにかかるのか分からないが、アリスを殺そうとしたのは、きっとあの馬鹿がアリスに執着していたからだろう」
レオンの推測に、アリスは首を振った。
アリスは、エーギルのことが大嫌いだ。何度も断ったのにしつこく言い寄ってきたのはエーギルだ。
アリスが死ねば、イザベラはエーギルを独り占めできるとでも思ったのだろうか。
「婚約者がいながら、アリスに言い寄っていたエーギルは屑だ」
事実ではあるけれど、あれでも一応は王族なのだ。不敬にもほどがある。しかし、アリスはレオンを止めなかった。
「王族は一夫一婦制ではないんだろう?」
「えぇ、そうね。……というより、貴族もそうよ」
「そうなのか?」
「うん。お父さまが変わってるのよ」
そこでレオンは初めて気がついたことがあったようだ。
「ちょっと待て。アリス、おまえに兄はいるのか?」
「え? なんで今さら、そんなことを聞いてくるの?」
「今までまったく気にしてなかったんだが、アールグレーン家は貴族なんだよな?」
「えぇ」
「あの二人にはアリスしか子どもがいないんだよな?」
「そうよ」
「だれがアールグレーン家を継ぐんだ?」
そう言われて、アリスは首を傾げた。
「まさか……」
「すっかり忘れていたけれど、そうよね、アールグレーン家は貴族で、だれかが家を継がなくてはならないのよね」
「ちょっと待て。いくらなんでも悠長過ぎるだろう!」
「問題ないわよ」
「はっ?」
「レオンが継げばいいのよ」
「なにを言ってるのか分からないんだが」
「そうそう、そうだったわ。アールグレーン家の直系はわたし一人だから、婿を取ってその人を当主にすればいいって話になってたんだ」
「そんな話、知らないぞ」
「うん、レオンに話してなかったわ」
レオンは大きく首を振って、アリスを見た。
「別に女当主でも問題ないだろう? それに、オレはエルフだから無理だぞ」
「えー」
「というかだ。もう実質、トリアンはアリスが治めているようなものだし、今さらだろうが」
マテウスは魔術師長として働いているし、レオンが言うようにトリアンはアリスが管理しているようなものだ。
「周囲にアリスを跡取りとしているとはっきり言っていれば、あの馬鹿も言い寄ってこなかったんじゃないのか?」
「そんな常識が通用すると思う?」
「……しないな」
どのみち、とレオンは口にした後、アリスを見た。
「エーギルは王位を失い、婚約者も喪ったわけだ」
「……そうね」
「あんな馬鹿が国を治められるわけがないのだから、結果的には良かったんだ」
とレオンは言うが、アリスはなんだかすっきりしない気分だった。