【第四十八話】ロヒカールメの血
※血の描写があります。苦手な人はご注意ください。
アリスの身体が、倒れようとしたとき。
レオンはアリスに向かって駆けていた。
そして、赤い絨毯の上に倒れる寸前でアリスの身体を抱きかかえることができた。
「アリスっ!」
アリスに掛けられた緑の粉をレオンも見ていた。
あの粉はたぶん、毒だ。
比較的手に入れやすい、毒の粉。森の中に行けば生えている毒草を乾燥させたものであろう。
《解毒》
レオンはすぐに解毒の呪文を唱えたが、毒は消えなかった。
「何故だっ!」
「ふふふ、魔女さまに盾突くからよ」
魔女が作った毒となれば、そう簡単に解毒できないということか。
「トリアンに戻る!」
「待て。今、下手にアリスを動かすのではない」
ドグラスの声にレオンは唇を噛みしめた。
「イザベラ、アリスになにをした」
「ふふふ……、あははは! 死ねばいいのよ!」
イザベラと呼ばれた女はそれだけ言うと、そのまま事切れたようだった。
「……何者だ、その女は」
レオンの低い声に、ドグラスは苦悩の声を上げた。
「エーギルの婚約者だ」
「…………」
どうしてここにエーギルの婚約者が出てくるのか分からなかったが、どちらにしても、エーギルとイザベラが共謀して、アリスを殺そうとしたということはハッキリした。
「解毒剤は?」
レオンの声に騎士たちはイザベラの身体を探したが、見つからないようだ。
首を振られて、レオンは舌打ちした。
「とにかく、どこかに部屋を用意して欲しい」
「隣に救護室がある。そこを使えばよい」
レオンはアリスを抱えると、救護室を案内してもらい、ベッドにアリスを寝かせた。
浄化魔法でアリスに掛かった毒を取り払い、それから口元に手を当てた。
辛うじて息をしている状況のようでホッとしたが、どちらにしろ、毒をどうにかしなければならない。
アリスは手で粉を払っていた。とはいえ、少し吸い込んでしまったのだろう。
レオンは昔、聞いたことがあった。
魔女の作る毒薬の中に、少量だけであれば死なず、その代わり、永遠の眠りに就くものがあると。
もしかしたらあの緑の粉がそれだったのかもしれない。
イザベラはきっと、あの粉をそれなりに吸い込んでしまい、背中の傷と合わせて、死んだのだろう。
アリスは少量、吸い込み、眠りに就いてしまった、と。
「アリス……」
レオンの悲痛の声に、アリスがピクリと動いた。
「アリスっ?」
「…………」
もう一度、呼びかけてみたが、今度は反応がなかった。
これはどうしたものかと悩んでいると、窓がコツコツと叩かれた。
レオンが視線を向けると、そこには……。
「ロヒカールメ?」
「開けて、中に入れてくれ!」
小さなままのドラゴンが、そこにいた。
レオンはロヒカールメが言うままに窓を開け、中へ迎え入れた。
「アリスの魔力が途切れたから慌ててきたのじゃが、なにがあった?」
「魔女が作った毒を少量、吸い込んだみたいだ」
「緑の粉のか?」
「そうだ」
「眠りと死の緑、じゃな」
まんまな名前に、レオンはギロリとロヒカールメを見た。
「それで、どうすれば解毒できる?」
「なぁに、簡単なことじゃよ。ワシの血を飲ませればよい」
簡単なことだと言うが、そもそも、ドラゴンの血なんて簡単に手に入るモノではない。しかも……。
「飲ませれば、どうなる?」
「不老不死……とまでは言わぬが、かなり寿命が延びるな」
アリスと寿命について話したあの日。
レオンは人間とエルフの差に悩んだ。
エルフの寿命は長いが、人間は短い。
どう考えても先にアリスが死ぬのは明白で、レオンはそれが許せなかった。
しかし、ドラゴンの血を飲めば、寿命が延びるという。だけどそのドラゴンの血は容易に手に入らない。しかし、そのドラゴンは目の前にいる。そして、そのドラゴンはアリスに血を飲まないかとすすめたという。
アリスは断ったようだが、レオンとしては、伴侶が先に死ぬのが分かっていて、だけどそれを回避する術が目の前にあって、避けるというのは我慢がならなかった。
「アリスに飲ませる」
「ワシはいいが、アリスの意見は?」
「オレが責任を取る」
「まぁ、ワシも主であるアリスに死なれると、困るからのぉ。魔の森は居心地が良いし、それに、アリスの魔力もいい」
「…………」
「ほれ、オッリが付けた傷跡から血を採り、アリスに飲ませるとよい」
「どれくらいだ?」
「コップに半分くらいかのぉ?」
「……そんなに飲ませなければならないのか?」
「ふむ、多いか?」
多すぎると思ったレオンは部屋の中を見回し、小さな皿を見つけた。
「これで充分だろう?」
「そんなもんでいいかのぉ。不安じゃのぉ」
「とにかく、解毒が先だ。寿命の話はまた今度だ」
「まあ、そうじゃの」
レオンは懐にしまっていた短剣を取り出すと、ロヒカールメの傷口に刃を立て、小皿の半分くらいの血を取った。
「オレはアリスと違って治癒の魔法は使えない」
「なぁに、これくらいならすぐに止まる」
ロヒカールメが言うとおり、血はすぐに止まった。
レオンは小皿の血を見て、顔をしかめた。
いくらこれに解毒の作用があるとは言え、眠っているアリスに飲ませるのは辛い。
しかし、飲んでもらわないと眠り続けるだけで……。
レオンはアリスの上半身をベッドから起こし、口元に皿の縁を付けた。
「…………」
眠っている人になにかを飲ませるのはこれほど大変なモノとは思っておらず、レオンは途方に暮れた。
「口移し、じゃのぉ」
「…………っ!」
「それ以外、なかろうて」
ロヒカールメの言うことはもっともであったが、意識がないとはいえアリスに口づけるのは、ためらわれる。
「おぬしの大切な伴侶、なのであろうが?」
「そうだが……」
「なにを迷っている。そなたが口移ししないのであれば、ワシが傷口を口に当てるぞ」
「……それはそれで嫌だな」
「で、あろう?」
とはいえ、やはり悩ましい。
「早くしないと血が固まるぞ」
ロヒカールメに急かされ、レオンは小皿の縁に口を付け、グッと血をあおった。
口の中に広がる、血の臭い。
これをアリスに飲ませるのかと思うとかなり躊躇したが、意を決してアリスの綺麗な唇に自分の唇を重ねた。
「っ!」
アリスの唇は予想以上に柔らかくて、気持ちが良かった。
このまま重ねたままでいたいと思ったが、レオンは理性を総動員して、アリスの口内にロヒカールメの血を流し込んだ。
ゆっくりと離れて、アリスを見る。
コクリ、とアリスがロヒカールメの血を飲み込んだのを見届けて、ホッとした。
レオンは魔法で水を呼び、口の中の血を洗い流した。
「それにしても」
ロヒカールメの声にレオンはハッとした。
「なぜに人間は口と口を合わせることを恥ずかしがるのかの?」
「ドラゴンにはないのか?」
「ドラゴンだと、尻尾と尻尾を絡めるのは恥ずかしいのぉ」
アリスにしろ、レオンにしろ、尻尾を持ち合わせていないので、それがどう恥ずかしいのかわからなかった。
「ん…………っ?」
「アリスっ?」
ベッドの上のアリスが身動ぎしたのに気がついたレオンは、枕元へ向かった。
「……わたし?」
「気分はどうだ、アリス?」
眉間にしわを寄せるアリスに、レオンは赤い顔のまま顔を覗き込んだ。
「レオン……?」
「あぁ」
「なんだか口の中が血なまぐさいんだけど」
「あー、それなら。ぐほっ」
ロヒカールメが話そうとしたところをレオンはどついて止めた。
「って、わたし! 倒れて……? その時、口の中でも切ったのかしら?」
「そ、そうじゃないかな……」
レオンはコップに魔法で水を呼び、アリスに手渡した。
「ありがとう」
アリスはベッドの上に半身を起こし、水を飲んだ。
「それにしても、さっきのあれは」
「眠りと死の緑という毒のようだ」
「毒……」
「第一王子の謀ったことだ。少量であれば、永遠の眠りに就き、量が多ければ死に至る毒だ」
「そんなものを……」
アリスは信じられなくて、首を振った。