【第四十六話】アリス、王宮に向かう
朝が来てしまった。
アリスは目を覚ましたベッドの上で、最初にそう思った。
今日は、十二年ぶりに王都へ行く日だ。それだけならまだしも、王宮に行って、王に報告をしなくてはならない。
そして、あの王がこんなにも強行させるということは、なにかよからぬことも起きるかもしれないということで……。
──気が進まない。
それがアリスの感想だった。
だけど、いつまでもベッドの上にいるわけにもいかず、のろのろと起き上がった。
お風呂は昨日のうちに入っている。朝も入ってもよかったが、迎えがいつ来るのか分からないため、早めに準備を済ませておきたかったので止めておくことにした。
朝ご飯を食べるために着替えて、階下へと向かおうとしたら、まだ眠そうな顔をしたレオンと一緒になった。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもなら、こんなにはっきりと返事が返ってこないのに、今日は思っているよりしゃっきりしているようだった。
「レオンがこんな時間にしっかり起きてるなんて、珍しいわね」
思わずアリスがそう言うと、レオンはムッと顔をしかめた。
「たまにはそういう日もある」
それに、とレオンは言葉を続けた。
「なんか嫌な予感がするんだよな」
「そうなの?」
嫌な予感と言われても、アリスとしては、今日、城に行くことがすでに嫌なことなので、なんとも言えない。
それに、第一王子とも顔を合わせなくてはならないかと思うと、気が重い。
「あぁ、そうだ」
レオンは胸ポケットからなにかを取り出すと、アリスに差し出した。
金色に光る細い鎖の先に、虹色の薄くて丸い板状のものが取り付けられていた。
「これ、はい」
「…………?」
目の前に出されても、アリスにはこれがネックレスということしか分からなかった。
「昨日、虹蛇の鱗をもらいに行っただろう?」
「あぁ、これって虹蛇の鱗だったんだ! すごい、綺麗!」
「エルフの祝福を込めているから、今日、城に行くときに付けておいて」
「うん、ありがとう!」
さっそくアリスは、レオンに渡されたネックレスをつけた。
「どう、似合う?」
「あぁ、すごくいいな」
長さもちょうどよくて、アリスの胸元で虹蛇の鱗がキラリと光る。
レオンはたまにこうしてアリスにプレゼントを贈ってくれる。それらは全部、取ってあった。
「とにかく、嫌なことはさっさと終わらせましょ」
「そうだな。なにもなければいいんだが」
それにしても、とアリスは思う。
レオンってフラグ立てまくりじゃないかな、と。
魔女退治のときも妙なフラグを立ててくれたし……でもそれは、アリスがへし折ったからなのか、無事に戻ってこれた。
今回も問題なくいくだろうとアリスは楽観視していた。
朝食を食べた後、アリスは自室に戻って城に行くための準備をした。
まずは昨日、届けられた箱を一つずつ開けた。中には、下着から小物まで入っていた。ドレスは届いた時点で箱から出してハンガーに下げてある。
レオンが用意してくれていたドレスは、やはり美しかった。
濃い紫色の生地だけど、光の加減で黒にも見える。スカートに沿うように金色の鎖が流れていて、動くときっと、鎖が光って綺麗だろうなと思う。
まずは下着を身につけて、それからドレスに袖を通した。背中側にボタンがあるが、精霊たちがくすくす笑いながら止めてくれた。
『ありがとう』
お礼を告げて、ほんの少しの魔力を与えると、次はアリスの髪の毛をもてあそびはじめた。
椅子に座って、好きにさせていると、アリスの柔らかな髪の毛をクルクルと巻き始めた。
魔女の呪いが解けて金色に戻ったが、ストレートのままだった。それが昔のように波打つ髪へと変わっていく。
髪の毛はあまりにも長いので櫛で梳かしてそのまま垂らして行こうと思っていたが、これなら見栄えがしてよいかもしれない。
精霊たちが髪の毛をいじっている間に、アリスは化粧をすることにした。
化粧も終わり、精霊たちが髪の毛を整えても、まだ時間が余った。アリスの日常は、陽が昇る前に起きているから、早すぎたのかもしれない。
部屋でボンヤリとしているのも退屈だったので、アリスはグスタフとハンネスにもらった扇子を手に取り、開いてみた。ドレスと同じ布でできているだけあり、まとまりがあった。パタパタと扇いでみると、涼しかった。
城に行くということに対して、やはり緊張しているのかなと思ったアリスだが、大きく息を吐いて、気持ちを落ち着けた。
そんなことをしていると、ドアがノックされた。
「アリス、城から迎えが着いたみたいだよ」
「はぁい」
手に持っていた扇子はそのまま手に持っていくことにして、椅子の背に置いていた白いレースの手袋を手に取り、部屋を見回して忘れ物がないか確認してから部屋を出た。
部屋を出ると、そこにはアリスのドレスと同じ生地で作ったタキシードを着ているレオンが立っていた。
金色の髪が映えて、麗しい姿にアリスは思わず息を止めた。
レオンも同じように息を止めたようで、お互い、固まっていた。
しばらくそうやっていたが、
「アリスさま、いらっしゃいますか?」
という声に、二人は同時に呪縛から解き放たれたかのようにハッとして、顔を見合わせた。
「わっ、わたしならここよ」
「馬車が到着いたしましたよ」
「すぐ行きます」
アリスは遅れて、顔が赤くなっていくのが分かった。
レオンの正装姿を初めて見たわけだけど、予想以上に格好よくて、アリスは恥ずかしくなった。
慌ててレオンの前から離れて階下に行こうとしたのだが、
「アリス」
レオンに名前を呼ばれて、立ち止まった。振り返ったら、赤い顔をしているのがバレるので、前を向いたままだ。
「すごく素敵だ」
「っ!」
まさかここで褒められるとは思わなかったので、アリスは固まった。
「このまま閉じ込めておきたい。他の誰にも綺麗なアリスを見せたくない」
どうしてレオンはこのタイミングでそんなことを言ってくるのか。
恥ずかしくて、さらに顔が赤くなったのが分かった。
「はー、ほんと、困ったな……」
レオンの声に、しかし、階下から足音がしてきたことでアリスは思い切って振り返った。
そこには、顔を赤くしたレオンがいて、アリスは目を見開き、固まった。またもや固まるアリスに、声がかかる。
「アリスさま、申し訳ございません。馬車を待たせておりますので、急いで……」
アリスたちの世話をしているエルマの声がそこで途切れた。
そして……。
「まぁまぁ! これは素敵なお二人ですこと! お互い、惚れ直していたところでしたのね!」
「なっ、エ、エルマっ?」
「馬車の中でお互いの姿をよくよく見る時間はありますから、さあ、今はお急ぎくださいな」
そう言われてしまえば、アリスとレオンはなにも言い返せず、エルマに言われるがままに馬車へと向かった。
* * * * *
馬車の中では、微妙な空気が漂っていた。原因はエルマの一言だ。
いつもどおり向かい合って座っていたが、二人は恥ずかしくて、顔を正面に向けることができないでいた。アリスは白のレースの手袋をゆっくりとはめた後、うつむいて扇子を開いたり閉じたりして城までの車中、時間を持て余していた。
レオンは、窓の外に視線を向けて、車窓を見ていた。
いつもなら他愛のない話をしているのだが、それさえできない。
そうこうしていると、ようやく城に着いたようだ。思わず二人は安堵の溜息をそっと、同時に吐いていた。
まさか同時になるとは思わず、顔を見合わせた後、お互いに真っ赤になり、顔を逸らした。
馬車のドアがノックされ、ゆっくりと開かれた。
赤い顔のままのレオンが先に降りて、そして車内に手が差し出された。アリスも赤い顔をしたまま、その手を取って馬車から降りた。
久しぶりの城は、変わっていないように見えた。
アリスはぐるりと見回した後、目の前に立つ女性に目を向けた。女性は、アリスとレオンに軽く頭を下げた。
「アリス・アールグレーンさま、陛下がお待ちです。ご案内をいたします」
そういうと、女性は歩き始めたので、二人はその後に続いた。