【第三十九話】アリス、魔女に思いを馳せる
少し早いが、野営できるのに最適な場所があったため、今日はそこにテントを張って寝ることになった。
アリスはラッセとともにたき火用の枝を集めて、簡易竈を作って火を熾した。
「ずいぶんと手慣れてるな」
「一時期、テント暮らしだったから」
「えっ? アリスさん、貴族だよな?」
「トリアンを開拓してるとき、家がまだ出来てなかったから、テントで暮らしてたのよ」
「普通、そういうのは別の人がやるのでは?」
ラッセに全然考えてなかったことを指摘されて、しかし、アリスは首をかしげた。
「なんでそんな面白いことを他の人にお願いしてやってもらわないといけないの?」
「……えっ?」
「え? 開拓するの、面白いわよね?」
「僕はやったことがないから分からないけど……面白い、のかなぁ?」
「だって、自分が思うとおりに町を作れるのよ? 楽しいわよ」
「変わってるなぁ」
アリスの言ったことは、ラッセには分かってもらえなかったようだ。
レオンとロヒカールメは近くの森に入って狩りをしてきてくれた。食料は持ってきているけれど、味気ないというか、正直な話、美味しくなかった。だから、狩りをして来てくれたのは、大変助かった。下処理も済ませてあったので、後は焼くだけ。
「ロヒカールメは生で食べる?」
「火を通した方が美味いから、そうしてほしい」
「ん、分かった」
生でそのまま食べられるのは見ていてあまり気持ちいいものではないので、そう言ってくれてホッとしたアリスだった。
久しぶりにレオン特製のスープが飲めて、アリスはかなり満足していた。
ラッセとロヒカールメもスープが気に入ったようだ。
「まさかロヒカールメもスープを飲むとは」
「あれはスープというのか。なかなか美味だった」
「レオン特製のスープはすごく美味しいんだから!」
とはいえ、やはりどこがどう違うのか、アリスは分かっていなかった。
「わたしが同じように作っても、味が違うのよねぇ」
「ふむ」
「やっぱり水が違うのかしら」
「水?」
「うん。レオンがスープを作るとき、魔法で水を呼ぶんだけど」
「甘露じゃの。エルフが飲んでいるという、不老長寿の水じゃ」
「へー……って、レオン?」
まさかと思ってレオンを見ると、視線をそらされた。
「アリスが病気にならないようにと思ってだな……」
レオンの視線は、ウロウロとしていた。
「はぁ。過保護すぎるわ」
「過保護ではない! オレは心配なんだ」
そう言われてしまえば、アリスはなにも言い返せない。
アリスだって同じようにレオンが心配なのだから。
「おまえたちは似た者同士じゃの」
「相手を大切に思うのは、当たり前でしょ」
「まぁ、そうなのじゃが。アリスよ、お主のレオンに対する加護もまた、過剰じゃのぉ」
「ぅっ……」
「加護?」
レオンに気がつかれないように掛けていた加護をロヒカールメに見破られてしまった。
アリスは焦って否定しようとしたのだが、ラッセが追い打ちをかけてきた。
「おかしいと思ったんだよなぁ」
「な、なにがっ?」
「レオンさんの周り、なんかもやもやしてるから」
ラッセはなかなかよい目をしているようだった。そういえば、火の精霊女王のリエッキの姿も見えているようだったということを思い出した。
「アリス?」
「や、いや! 別に変なものじゃなくて!」
「オレを実験台にしてないか?」
「してません!」
そんな中途半端なものをレオンに掛けるわけがない。
加護といっても、好意を持った異性が近寄ってきたら、静電気がバチッとするとか、そんな些細なものだ。
エルフであるレオンは、元から幸運値が高い。後はそれを底上げするくらいのものだ。あまり重たい加護を掛けると、さすがにレオンに気がつかれてしまう。
「白状してもらおうか?」
ニッコリとアリスが好きな笑みを浮かべて、レオンが近寄ってきた。アリスは顔を赤くしながら慌てたが、レオンに勝てるわけもなく。
アリスはレオンに掛けていた小さな加護のことを話した。
「なるほどな。それで近寄ってこなくなっていたのか」
レオンは不思議に思っていたのだ。
トリアンの案内をするとき、必ずといってよいほど若い女性がレオンに引っ付こうとしてくる。しかし、なにかに阻まれるかのようにある程度の距離で離れていくのだ。
「断らなくて助かっていたからなにも言わない」
「でしょう?」
「それはアリス、見知らぬ女性に嫉妬したということか?」
「当たり前じゃないの! レオンに引っ付いていいのは、わたしだけよ!」
レオンは諦めたかのようにアリスを見た。
その表情を見たロヒカールメは、アリスの肩に止まると、口を開いた。
「エルフと人間がと思っていたのじゃが、レオンよ、なにか弱みでも握られておるのか?」
「失礼ね! そんなことするわけないじゃない!」
「しかし、どう見てもレオンの表情は呆れているではないか」
「いやいや、照れてるのよ」
そのどちらでもないとレオンは突っ込みたかったが、突っ込んだら負けだと思って、我慢した。
こうして和気あいあいと夜が更けた。
特に問題なく、朝を迎えた。
トリアンに帰る途中もなにごともなく、行きのことを考えると、アリスは拍子抜けしていた。
やはりあれは、魔女が……というより、オッリがアリスたちを妨害していたとしか思えない。
そのオッリも、そして魔女も死んでしまった。
少し感傷に浸りながら馬に乗っていると、ロヒカールメが心配して声を掛けてきた。
「どうしたのじゃ、昨日と違って元気がないが」
「うん。魔女とオッリは死んじゃったのよねって思ったら……」
「あぁ、そうじゃのぉ」
ロヒカールメにとっては、元飼い主になるのだろうか。
二人のことについて、どう思っているのだろうか。
「そういえば、お主とは一度、会っておるのじゃよな」
「え、覚えてた?」
「覚えていたというか、思い出したのじゃよ。髪の色が違っておるから、すぐに気がつかなかった」
十二年前。
言われてみれば、ロヒカールメが来たのは、アリスが魔女の呪いを受けた後だ。髪が黒くなっていた。
「珍しい魔力の色をしているなと思ったのじゃよ」
「そうなんだ」
ところで、とアリスはロヒカールメに聞きたかったことを質問することにした。
「魔女とオッリはどんな人だったの?」
「どんな人、か」
ロヒカールメは少し考えてから、口を開いた。
「魔女とはほとんど面識がない。が、かなりのかんしゃく持ちだったようじゃのぉ」
「へー」
「オッリはかなり苦労をしていたようじゃ」
想像どおりの二人だとアリスは思った。
「じゃが、オッリも決して性格がよいとは言えんかった」
「魔女の世話係をしてたくらいだから、そうでしょうね」
「じゃが、我の世話もきちんとしてくれておったぞ」
「でも……」
「最後は我がなかなか飛ぼうとしなかったから、足を切りつけてきおったのじゃ」
「そんなこと、しなくても」
「あやつなりの優しさじゃよ」
「…………」
「もう少し遅ければ、我も煙に巻かれて死んでおったじゃろうて」
そう言ったロヒカールメは少し淋しそうだった。
「あやつ、我の背に乗って逃げれば、助かったのにのぉ」
「もしかして」
「なんじゃ?」
「わざわざロヒカールメを助けに来てくれたの?」
「いや、偶然じゃ。ちょうど我の世話に来ていたのじゃ」
「鎖に繋がれてた?」
「いいや」
「お世話ってなにしてもらってたの?」
「食べ物は我が取りに行っていたから……。はて? 巣の掃除も我がしておったし、世話というよりは様子見かのぉ?」
そちらの方がしっくりきた。
「じゃあ、トリアンでもどこか住む場所を確保すればいいかしら?」
「魔の森が近いと言っていたの?」
「うん」
「我はそこでいいぞ」
「え? 魔の森よ? いいの?」
「ところでアリスよ、魔の森には入ったことがあるか?」
「あるわよ」
「どの辺りが魔の森と言われているのか、分かるか?」
改めて聞かれても、アリスにはあそこがどうして魔の森と言われているのか、分からなかった。だから、首を振った。
「お主からすれば、あそこは普通の森と変わりないじゃろう」
「あー、でも、湖と思ったら、大量のスライムだったわ」
「だが、問題なく出てこられた」
「レオンがいたからよ」
「なるほどのぉ」
普通の人たちならば、あのスライムは魔の森に相応しいほどいたと言えるだろう。しかし、アリスには問題なかった。
「もしかして、魔物が多いから、魔の森?」
「そうじゃ」
「そういうことかぁ。じゃあ、ロヒカールメは問題ないわね」
「うむ、そうじゃ」
そして気がつくと、トリアンは目の前に迫っていた。