【第三十八話】アリス、ドラゴンと戯れる
トリアンにドラゴンのロヒカールメが来てくれることになり、アリスはご機嫌だった。
「うふふ、ドラゴン、ドラゴンっ!」
ロヒカールメは大きさを自在に変えることが出来るらしく、今はアリスの肩に乗れるほどの大きさになっていた。それがますます、アリスのテンションを上げる原因になっていた。
「ご機嫌だな」
「うふふ」
レオンが呆れるほどの浮かれっぷりだったが、ふとアリスは気がついた。
「ロヒカールメって、なにを食べるの?」
その質問に、ロヒカールメはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
レオンとロヒカールメは顔を見合わせた後、ロヒカールメが口を開いた。
「人間だ」
「はっ?」
「若い人間の女が特に好物だ」
悪い笑みを浮かべるロヒカールメに、アリスは肩に乗っていたロヒカールメを掴むと、ポイッと投げた。
ロヒカールメはアリスに投げられて、地面をコロコロと転がった。
「おいっ、アリス! なにをするのじゃっ!」
「わっ、わたしは食べ物じゃないわっ!」
プルプルと震えるアリスを見て、ロヒカールメは地面の上に転がったまま、笑い始めた。
「なにがおかしいのよ!」
「いや、からかっただけじゃ」
「……ほんと?」
ロヒカールメは身体を起こすと、アリスと同じ目線になるように飛んだ。
「我は確かに肉食じゃが、人間は食べたことがない」
「…………」
「人間を食べるのは、色々と危険じゃ」
ロヒカールメの真面目な表情に、ようやくアリスは警戒を解いた。
とはいえ、まだ引っかかっている部分がある。
「肉食っていうけど、なんの肉を食べるの?」
「森にいる獣を取って食べておる」
あぁ、あとは、とロヒカールメは付け加える。
「魔力でもいいのじゃぞ」
「魔力?」
「特におぬしの金色の魔力は、美味しいのぉ」
「肉と魔力、どっちがいいの?」
「どちらも好きじゃのぉ」
とりあえず、ロヒカールメには森で捕ってきた獣の肉を与えればいいかとアリスは算段を付けた。
「それにしても」
とレオンは飛んでいるロヒカールメの首根っこを掴むと、にらみつけた。
「アリスをからかうとは、いい度胸をしているな」
「いや、まぁ……」
今にも殺しそうなレオンの視線に、アリスは慌てて止めた。
「レオン、そんなに怒らなくてもいいから! せっかくドラゴンを飼えるのに、殺さないで!」
「我を殺すだとっ! それは勘弁してくれ!」
状況を把握したロヒカールメは慌ててレオンに懇願した。
「止めてくれ! 我はドラゴンの中でも弱い部類に入るのじゃ!」
「ほぅ? いいことを聞いたな」
墓穴を掘ったロヒカールメを見て、アリスは笑った。
「自分で弱いって言って、それって殺してくれと言ってるようなものじゃない」
「ううう……」
ロヒカールメはしょんぼりと視線を地面に落とした。
「好きにするがよい!」
「アリスさん、レオンさん! 止めてください!」
今までずっと黙っていたラッセが、急に割って入ってきた。
「このドラゴンを殺すのなら、僕にくださいっ!」
「いやいや、殺さないから!」
「本当ですかっ?」
なんで急に敬語なのかとアリスは思ったが、頷きを返した。それでラッセはホッとしたようだ。
「よかったー!」
いつもどおりの言葉遣いに戻ったラッセに、アリスは苦笑した。
「そんなに心配だった?」
「うん。レオンさんの殺気は本物だった」
ラッセの言葉に、アリスの顔は引きつった。
レオンは、アリスが絡むと過剰に反応してしまうのは前から知っていたが、改めてそう言われると、恥ずかしいというか、なんと反応すればいいのか悩むところだ。
「いいか、馬鹿ドラゴン。アリスはオレの大切な伴侶だ。今度、食うとか言ったら、おまえをステーキにしてやるからな」
「はっ、はいいいいー! 分かりましたっ!」
「そういえば、ドラゴンの肉って美味しいって聞いたことがあるんだけど」
「ひぃっ、勘弁してくださいっ! 食べても美味しくないですからっ!」
ロヒカールメは美味しくないと言い張るが、アリスの知識では、ドラゴンの肉は美味しいという認識でいる。もちろん、食べたことはないが、前世の創作物ではそうなっていたから、きっと美味しいのだろう。
「アリスがドラゴンのステーキが食べたいというなら、今すぐそこのドラゴンを解体するが?」
「いやいや、せっかくドラゴンが飼えるんだから、食べるのはちょっと……」
それに、意思の疎通が出来る生き物を食べることにかなり抵抗があった。
「そうか。なら諦めよう」
アッサリと諦めたレオンに、ロヒカールメはホッと息を吐いた。
「さて、いつまでもここにいても仕方がないな。トリアンに戻ろう」
「そうね。……っても、今日中にトリアンにはつかないんじゃないかしら」
「まぁ、無理をすれば着きそうだが、急ぐ用事もない。野宿になるが、いいか?」
「わたしは異論はないわ」
「僕も大丈夫」
「我が夜の番をするとしよう」
そうと決まれば、野宿が出来る場所まで移動をしようということになった。
ロヒカールメをアリスの肩に乗せて、馬に乗った。馬は少し怯えていたが、アリスが言い聞かせると、走り出した。
レオンはラッセを後ろに乗せて、アリスの前を走っていた。
「アリスよ」
「うん?」
「あのエルフの伴侶とは、本当なのか」
「伴侶というか、まだ婚約者よ」
「婚約者とは、伴侶と違うのか?」
「婚約者ってのは、伴侶になる約束をしている人のことを指すのよ」
「ほぅ。人間とエルフがか」
それからロヒカールメは、かなり遠慮がちに口を開いた。
「人間とエルフの寿命の差を考えたことはあるか」
「…………あるわよ」
アリスがあえて目を背けていたことを、ロヒカールメは突きつけてきた。
アリスはなんとも言えない苦い気持ちになった。
「言われなくても、分かってる」
「おまえの周りの者は、なんと言っている?」
「なにも」
「反対は」
「父は最初、反対していたけど、母がいいって言ったから、それからは特になにか言われたことはないわ」
アリスはラッセ越しに見えるレオンの背中を見て、ため息を吐いた。
「どう考えても、わたしの方が先に死ぬわ。レオンを残して死ぬことは怖いけど、今はそんなこと、言っていられないわ」
エルフの寿命が何歳か分からないけれど、確実に人間より長生きだ。レオンとアリスの年の差が十二歳あっても、アリスの方が先に死ぬのは確実だろう。
「もしもだが」
ロヒカールメがアリスの耳元に囁く。
「エルフと同じ寿命を手に入れることが出来るのなら、おぬしはどうする?」
そう囁かれても、アリスは首を振った。
「レオンと共に生きたい。先に死ぬのは嫌と思う。だけど──」
アリスは少し考えてから、続けた。
「それでも、寿命を延ばしたいかと問われたら、否と答えるわ」
「なぜだ? 我の血を飲めば、簡単に寿命が延びるのだぞ?」
「あはっ、すぐにネタばらしした」
「笑いごとではなくてだな」
「たぶん、そうだろうなって思ったけど、せっかくだけど、要らないわ」
一度は死んだ身であるアリスは、死ぬことはそれほど怖いと思っていない。死んでもこうして続きがあるのだから。
「ロヒカールメ、ありがと」
「…………」
アリスにお礼を言われて、ロヒカールメは複雑な気分だった。
ロヒカールメが言うように、ドラゴンの血は、寿命を延ばすことが出来る。それは、誰もが欲しがるものだと、ロヒカールメは認識していた。
ロヒカールメはアリスに助けられた。だからお礼に血を分け与えようと思ったのだが、要らないと言われた。これでは、お礼が出来ない。
「我はアリスに助けられた。だから、なにかお礼をしたいのだ」
「トリアンに来てくれるのがお礼だと思ってて」
アリスにそう言われて、ロヒカールメはむぅっと唸り声を上げることしかできなかった。