【第三十四話】魔女の最期
レオンのおかげで、森の火事はおさまった。
しばらく様子を見て、また燃えたりしないかを確認してから火元と思われるところまで向かうことにした。
馬を連れていこうとしたのだが、馬はなにかを感じ取ったのか、森の入口から中へ入ろうとしなかったため、置いていくことにした。
だれかに盗まれるかもしれないという不安はあったが、レオンが馬二頭に話して聞かせていたため、大丈夫ということにした。そうしないとアリスたちはここで足止めを食らってなにも出来ない。
レオンが先に立ち、アリスが後に続くという形で森に入る。
火元に近づくにつれ、火に焼けた木々の匂いが濃くなってきた。
雨で鎮火したとはいえ、まだブスブスと燻っている感じだったので、アリスは上から水の魔法で広範囲に水を撒いておいた。再燃されても困る。
レオンは行き先を知っているのか、どんどんと奥へと向かっていくので、アリスは置いて行かれないように進むのが精一杯になってきた。
「ちょ、ちょっと待って、レオン」
レオンはいつも、背後にいるアリスを心配してことあるごとに振り返ってくれるのだが、今回は焦っているのか、アリスのことを置いていこうとしている。
「急げ、アリス。間に合わない」
なにが? と聞きたかったが、レオンはそれだけ言うと、歩き始めてしまった。
アリスには分からないけれど、レオンはなにかを感じているのかもしれない。
止めても無駄だし、なにか分からないけれど、急がなければ間に合わないらしいので、アリスは歯を食いしばってレオンの後を追いかけることにした。
息が切れてきて、かなり苦しい。汗もダクダクと流れてきて、気持ちが悪い。
それでもアリスはレオンの背中を追って、足を動かした。
進んでいくと、だんだんと炭化した木々が増えてくる。この辺りは火元に近かったため、木や草が燃え尽きてしまったのだろう。もしかしたら貴重な薬草などがあったかもしれないと思うと、悔しくなってきた。
アリスはレオンを見失わないように、レオンの背中を見つめて進んだ。
足元が悪い中、必死にレオンに着いていくと、小屋らしきところにたどり着いた。
といってもそこも例外なく燃えていて、崩れ落ちてはいたけれど、建物があった跡だけは残っていた。アリスたちの目の前には、板が立っているだけの状態だった。そこは小屋の外壁だったと思われる物。
そしてここにたどり着いて、ようやくレオンの足が止まった。
「アリス」
さすがのレオンも息切れしているらしく、少し苦しそうにアリスの名を呼んだ。
「な、に?」
アリスは肩で息をしながら返事をした。
「泣くなよ」
「えっ?」
それだけ告げると、レオンは板をぐるりと回り、裏側に入った。
アリスもそれに続いた。
板を抜けると、そこは燃えていなかったようで、無事だった。
かつて室内だったと思われる場所は、思ったよりも狭く、そして床にはびっしりと魔法陣が描かれていた。
その中心にベッドが置かれていて、だれかが横たわっていた。
白い髪が見えて、アリスはドキリとした。
「来てやったぞ」
レオンの声に、ベッドの上の布団がもぞりと動いた。しかし、起き上がることは出来ないようで、それだけだった。
「ここにはおまえだけか」
「……そうだ」
しわがれた、かろうじて聞こえる声。しかし、聞き覚えのあるそれに、アリスは身体をこわばらせた。
「この火事は、おまえがやったのか」
「違う」
「だろうな」
アリスはレオンに聞きたいことがあったが、口を開いてはいけないような気がして、黙っていた。
「魔女よ、情けないな」
予想どおりの人物に、アリスはますます身体をこわばらせた。
ベッドに寝ている人物が魔女ならば、聞きたいことがある。だけど、レオンがいるため、聞くに聞けない。
レオンの言葉に、魔女からなにも反応がなかった。
「なぜ、アリスを狙う?」
レオンは魔女から返事がないことを気にせず、聞きたいことがあったようで言葉を続けた。
「分かっておろう。おまえを盗られるからだよ」
「オレはおまえの物じゃない」
「しかし、私が先に見つけた!」
起き上がることは出来ないが、それでも力強い声が返ってきた。
「順番の問題じゃない。おまえは勘違いをしている」
「違う、違うっ!」
ベッドの上の魔女から、黒いモヤのような物が湧き上がってきた。そしてそれは、アリスに向かって伸びてきた。
アリスは慌てて結界を張った。
黒いモヤはアリスの結界に阻まれて、霧散した。
「あの時、殺さなければ──っ!」
「どういうことだ?」
「私は、間違ってしまった」
魔女の独り言に、しかし、アリスは目を見開き、魔女を凝視した。
繰り返し見る、前世の最期。
黒いフードを被った人物に、刺される──夢。
いや、夢ではない。
あれは現実だった。
「私は、間違った。過去に遡り、やり直しを──」
「そんなこと、出来ないし、させない。したとしても、オレは手に入らないぜ」
「どうすれば……」
「おまえの濁った魔力など、要らない」
きっぱりと言い切ったレオンに、今度は魔女の魔力がレオンに向かった。しかし、レオンはあっさりとはじき返していた。
「私は、──私はっ!」
魔女はなにか言おうとしたが、激しく咳き込んで、言葉は宙へと消えた。
アリスはどうするべきか、悩んでいた。
相手は、あの魔女だ。しかし、苦しんでいる。手を差し伸べるべきなのか、否か。
「アリス」
ふらり、と魔女に近づこうとしたアリスに、レオンは首を振った。
「でも!」
「相手が宿敵でも、苦しんでいたら放っておけないというその姿勢、いいと思うぜ。だけど今は、そのときじゃない」
レオンはそう言うが、アリスは違うと思い、魔女に近寄った。
「アリス!」
レオンの非難の声に、しかし、アリスはぐっと唇を噛みしめた。そして、魔女に向かって手のひらを向けた。
『ヒーリング』
アリスの手のひらから金色の光があふれる。それはキラキラと輝き、魔女の身体を包み込んだ。
途端。
「ぐあぁぁぁぁっ!」
魔女が突然、苦しみだした。
まさかの事態に、アリスは混乱した。
「アリス、止めろ!」
レオンが来て、アリスの腕を降ろさせた。
金色の光は急速に消えて、魔女も苦しまなくなった。
「アリス、ダメだ。あれはもう、この世の存在ではなくなっている」
「……え?」
「生きる屍だ」
「…………」
アリスは床に描かれた魔法陣をジッと見た。よく見ると、状態維持の魔法陣。これによって魔女の命はかろうじてこの世に繋がっている状態のようだった。
「十二年前……」
しわがれた声が聞こえてきた。
「アリス、おまえの光の魔法で私は──死んだ!」
「っ!」
「オッリがここでこうしてくれたから、私はまだ、生きている!」
死んだのに生きている?
その矛盾した言葉に、しかし、アリスは首を振った。
「あなたはっ!」
「憎い」
魔女はベッドの上に横たわったまま、アリスに怨嗟の声を届ける。
アリスは目を見開き、違うと首を振り続けることしか出来なかった。
「殺したのに、なぜ、死なない? おまえが、憎い! 光と闇に祝福され、精霊たちに愛され──っ! 憎い憎い憎い!」
アリスの後ろにいたレオンが、アリスの身体をギュッと抱きしめてくれた。その温もりに、アリスはホッとする。
「そのオッリはどうした?」
「──死んだ」
「いつだ?」
「人間が森に火を放った」
「やはりか」
「それを消すために森に入って──オッリはドラゴンを逃がして、そして……」
しん……と静まりかえった。
「あぁ、オッリ。私を置いて死んでしまうとは……」
魔女の枯れ枝のような腕が布団の中から伸びて──そして、パタリと倒れた。
魔女の最期は、呆気なかった。