【第三十話】アリス、レオンとけんかをする
夜が明けてからの出発になった。
アリスは渡されたカバンの中身を確認するために、部屋に戻った。
中を覗いて、なんとなくなにが入っているのかは分かったが、できたらすべて把握しておきたかったのだ。
それに、足りない物があれば、追加しておきたかったのもある。これには着替えなどは含まれていない。
「携帯食が……1週間分でしょ? これは二人分か。朝昼晩といるから、結構な量ね。このカバンにこんなに入ってたんだ」
ブツブツと独り言を呟きながら、アリスは中身を確認していく。
「剣に……魔法の杖に……あれ、服が入ってる」
食料の下を漁れば、旅用の装備品が出てきた。
こういう物は一番上に置いておく物ではないだろうかと思ったが、思っておくだけにした。
剣と魔法の杖はレオンとアリスの物だろう。服も取り出してみると、二人のもののようだった。
「レオンに持っていこう」
剣と服を持つと、隣のレオンの部屋へと向かった。
ドアをノックすると、すぐに扉が開いた。
「まだ寝てなかったのね」
「それはオレのセリフだ」
「カバンの中身を改めてたら、これが入ってたの」
「剣と服?」
「うん」
レオンは剣を抜いて確認していた。
「今、オレが使ってるのよりかなりいい剣だ。ありがたく使わせてもらう」
「服は?」
旅用なのに、白に緑の縁取りのあるデザインで、汚れたらどうするのよと思っていたが、レオンは服を見て、
「防汚効果がついていて、結構、防御力もあるみたいだな」
「そうなんだ」
言われて、アリスも鑑定してみた。
レオンが言うとおりだったので、王はいい物を持たせてくれたのだろう。
「アリスは?」
「わたしは、魔法の杖とローブだったわ」
杖は握りやすい形をしていたし、上についていた宝石はかなり大きくてルビーのように見えた。ローブは、こちらは白に紫色の縁取りがされていた。
「瞳の色を縁取りにしたのかしら」
「そうだとしたら、特注品で前から作ってたという可能性が高いな」
「…………」
うぬぼれではなく、アリスは王にかなり好意を持たれているのは知っていた。そして、あの馬鹿王子とくっつけようとしていることも。
しかし、黒髪になって以来、表舞台に姿を現さなくしたし、病弱ということになっている。
それなのに、なにをどうすれば討伐してこいと言ってこんなものを渡してくるのか。引きこもっている理由がバレているのだろうか。
マテウス辺りから無理やり聞き出した可能性も否めない。
「とりあえず、ありがたく使わせてもらおう」
「そうね」
レオンに渡す物も渡したし、そろそろ片付けて寝ようとアリスは部屋に戻ろうとしたのだが。
「アリス」
「ん、なに?」
「討伐から帰ってきたら、結婚しようか」
「っ!」
なに、その死亡フラグ! と口から出そうになったが、アリスは慌てて飲み込んだ。
それよりも、今まで一言も出てこなかった結婚という言葉に、アリスはかなり動揺した。
「オレは別にすぐにしてもいいんだぜ」
「え、あの、レオン?」
「なんだ」
「なんで急に」
「ケジメ、かな」
「ケジメ……」
ケジメで結婚するのかと思ったが、レオンはほおを赤らめて口にした。
「アリスとずっといて、このままずっと同じ日が続くと思ってたんだ」
「うん」
「でも、今日は違った。魔女を討伐して来いって、もしかしたらオレたちが死ぬかもしれないと思ったら、伝えておかないとって思って……」
レオン、そういうのを死亡フラグって言うんだよとアリスはまた思ったけど、アリスは死ぬ気がなかったし、レオンも一緒に生きて帰ると決めていた。
だから、アリスは首を振った。
「アリス?」
「帰ったらなんて、そんな悠長に待っていられないわ」
「アリス……」
「十二年、待ったのよ。十八になったら、すぐに結婚するって思ってたのに」
「一緒に暮らしてるのに?」
「それと結婚って違うと思うの!」
アリスの主張にしかし、レオンは首をかしげた。
「なにが違うんだ? 同じ屋根の下で寝起きして、同じ物を食べて……」
そう言われてみれば、アリスも否定する材料を持たない。
そういう生活が結婚しているときとどう違うのか。
いや、違う。
「違うわ!」
「どこがだ?」
「結婚って、結婚しますって誓って……」
「エルフの盟約をしたよな?」
「……そうだけどっ!」
とそこで、アリスはふと疑問に思った。
「あ、れ? エルフの盟約をしたっていうのなら、実はすでに結婚してたってことっ? でも、あれって約束だよね?」
「婚約者になった、って感じか?」
「あー、なるほど」
と、そこで納得したらダメだ! とアリスは自分を奮起させた。
「そうじゃなくて! じゃあ、わたしたちはまだ婚約者ってことでしょ?」
「そうだな」
「じゃあ、正式な夫婦じゃないってことじゃない」
そう口にして、アリスは淋しくなった。
レオンとは十二年、ずっといる。それでもまだ、他人なのだ。
「レオン……」
少し潤んだ瞳でレオンを見上げれば、明らかに動揺していた。
「わたし、今すぐレオンのお嫁さんになる!」
「なるって言われても、もう夜は遅いし、教会も閉まって」
「レオン、わたしを抱いてっ!」
レオンの言葉を遮って、アリスはレオンを部屋へと押し込めた。
久しぶりに入るレオンの部屋は、やはり森の匂いがした。
「アリス……ダメだよ」
「わたし、そんなに魅力がない?」
「いや、逆だ。明日から旅に出るのに、今、アリスを抱いたら、オレ、間違いなくダメになる」
「レオンの、馬鹿っ!」
アリスはレオンのほおを叩くと、泣きながら部屋を出た。
「アリス、待って!」
『アイスウォール』
アリスは渾身の魔力を込めて、氷の壁を作り上げた。
さすがのレオンもそれには驚き、足を止めた。
アリスはその隙に部屋へと入り、レオンでも開けられない鍵の魔法を掛けた。
「レオンの、馬鹿」
どれだけ勇気を出して言ったのか、レオンにはきっと、分からないだろう。
アリスだって、ワガママを言ったのを分かっている。
ただ、昔のようにギュッと抱きしめるだけでも良かったのに、それさえもしてくれなかった。
「馬鹿……」
アリスは泣きながら、片付けるのを忘れて、ベッドに倒れるようにして眠ってしまった。
* * * * *
ギラギラと光る太陽と青い空。
アリスにとっては懐かしい空の色に、夢を見ていることを知った。
あぁ、またあの夢か。
いや、夢ではなく、現実だった最期を何度も夢見て──。
アリスは知っていた。
空から視線を下げたその時、刺されることを。
でも、今日は違う。
空から視線を下げるとき、身体を後ろにずらしたのだ。
黒い影は、アリスが動いたことで焦ったようだ。
いつもは来る衝撃がなかった。
アリスは手を伸ばし、黒い影に手を伸ばして、フードを払った。
「っ!」
黒い影の被っていたフードが外れて、黒くて長い髪が風になびいた。
「え……っ?」
この黒髪、だれか知っている。
でも、あり得ない。
だって、魔女は────。
「死ねっ!」
ドンッという鈍い衝撃がアリスを襲った。
「きゃぁぁぁぁっ!」
アリスは自分の悲鳴に飛び起きた。心臓がバクバクいっている。
全身を嫌な汗が伝い落ちる。
「アリスっ!」
ドンドンッと強く叩く音に、アリスはそういえば魔法で鍵を掛けていたのを思い出した。しかし、今は動揺していて、解呪できない。
そうしている間に、ドアの向こうからレオンの詠唱が聞こえたと同時に、ドアが壊された。
まさかそこまでするとは思っていなかったアリスは、目を見開いた。
「アリス!」
肩で息をしながら駆け込んできたレオンに、アリスは安堵の涙を流した。
それを見たレオンは、焦ってアリスに駆け寄ると、ベッドに乗り上げてきて、ギュッと抱きしめてきた。久しぶりのレオンの体温に、アリスはホッとした。
「アリス、どうした、なにがあった?」
「……怖い、夢を見て……。魔女が……魔女が夢に出てきて……刺されて……」
あれは、夢だった。だけど、夢じゃない。
まさか前世のアリスを刺したのが、魔女だったなんて。
ううん、あり得ない、とアリスは思う。
あれは、日本で、地球で、この世界とは違うところで……。
いくら魔女が強いからといって、異世界にきて、アリスを殺すなんてことが、あり得るわけないはずだ。
「汗をかいてるな。濡れた布で身体を拭いて、着替えて寝るか?」
「……うん」
いつかと同じレオンの態度に、アリスの心が解れていく。
「昔みたいに一緒に寝ようか」
「……うん」
今は一人になりたくなかったアリスは、素直にうなづくことができた。