【第二十八話】アリス、決意を決める
湖を魔法で鑑定したとき、毒などないと出たが、確かに毒のないスライムだった。
これからは鑑定する際、対象物がなにかもきちんと調べようと心に決めたアリスだった。
再度、調べてみると、ここには水に擬態したスライムが大量にいた。
アリスは八つ当たり気味にスライムすべてを焼き払ってやった。
まったくもって、迷惑な魔物だったと、アリスは思わず遠い目になった。
アリスが嬉々としてスライムを焼き払っている横で、レオンはその様子を呆れたように見ていた。
なにも湖のスライムをすべて焼き払わなくてもと思ったが、もしも旅人が入ってきて、アリスのように引きずり込まれたらと思うと、止めなくてもいいかと眺めていた。
それにしても、とレオンは思う。
なにも水の魔物に火の魔法を使わなくてもいいのではないか、と。
アリスは基本、どの属性の魔法も使える。これは結構、レアケースだ。中でも、火の魔法が得意なのは知っている。しかし、この場合は、風の魔法で切り刻んだ方がいいのではないだろうか。
「アリス」
レオンの声にアリスは視線だけ向けてきた。
どうやら、スライムを焼き払うのに忙しいようだ。
「切り刻んだ方がよくないか」
というレオンの提案に、アリスは首を振った。
『炎よ』
詠唱なくてもいけるのではないかとレオンは思ったが、あえて黙っておく。
レオンは、アリスの詠唱するときの声が好きなのだ。それが聞けなくなるのは、淋しい。
「刻んだら中身が飛び出てくるじゃない」
「あぁ、なるほど」
アリスに言われて、先ほど、切ったときに中身がドロドロと出てきたのを思い出した。
だからといって、燃やすのもどうなのだろうか。
とはいえ、もうほとんど終わっているといっていい状態。
燃やしたとき、高熱だからなのか、それとも水に近い成分なのか、特に嫌な臭いはしていない。その代わり、湖の周りは湯気のようなものが立ち込め、蒸し暑くなってきた。
《風よ》
レオンは視界が悪くなったため、風を呼んで湯気を払った。
視界が晴れてみると、湖の水はほとんどなくなっていた。あの水だと思っていたのは、スライムだったということに気がつき、ゾッとした。
どれだけ固まっていたのだろうか、と。
これほどのスライムがいること自体、珍しいのではないだろうか。
「アリス、このスライムの量は異常じゃないか」
スライムすべてを焼き払い終わったのか、アリスは黒髪をパサリと払って、それからレオンを見た。
「確かに、異常繁殖してるわね。……ってあれ? スライムって、分裂して増えるのよね?」
「そうなのか?」
レオンの返事に、アリスは困った表情を浮かべた。
「あれ、違うの?」
「スライムの生態については、未知の部分が多かったはずだ」
それに、とレオンが続けた。
「分裂するってなんだ?」
「えっ?」
レオンの質問に、アリスは固まった。
アリスには、前世の記憶がある。だからその記憶を使って、たまに楽をしようと考えることがある。
後は、前世ではあったから、この世界にもあったほうがアリスが助かるというものもあり、『アリスが考え出した』という体裁で提案してみたものがいくつかある。
朝ごはんによく食べるサンドイッチは主たるもので、後はバーベキューがしたかったから、炭も作った。
ちなみにこの炭だが、現在ではトリアンで生産していて、特産になっている。
その他にも色々と『提案』してみたものがある。
スライムが分裂して増えるというのは、もちろん、前世の記憶だ。
あまり不自然にならないように『提案』するのだが、今回は少しマズったかもしれない。
しかし、分裂という単語はあるのだから、スライムの増え方がそうなのかはともかく、分裂して増える種があるのは間違いない。
「えーっと、分裂というのは……」
なんと説明すればいいのか分からず、アリスは口ごもった。
「分裂はね、分かれて一つがふたつになるの!」
「なんだ、それは」
「ふたつに分かれたのがまた分かれて、今度は四つになるの。四つが分かれて八つになり……こうやって増えていくのよ」
「なんだそのおぞましいのは」
「この湖にいたスライムは、最初、一匹だったと思うの。森の豊かな栄養素を含んだ水を飲んで、そのせいで分裂を繰り返してこんなに増えたんじゃないかしら」
「ふーむ。それ、学会に発表してみてはどうだろうか」
「えっ、それをするにはスライムを飼って試さなきゃならなくない? わたし、スライムなんて育てたくないわよ」
「別に実験をしなくとも、そういう考えがあると示せば、だれかが実験をしてくれるだろう」
うーんとアリスは唸り、それから首を振った。
「今のわたしでは論文は書けても、発表はやめておいた方がいいと思うわ」
「……髪の毛か」
「うん」
アリスにしてみれば、別に黒髪でもいいと思っているのだが、この国の人たちにとっては、忌み嫌う色だ。
学会に論文を出すのは別にいいのだが、壇上に立って発表しなければならないらしい。人前に出ることを禁じられている身としては、さすがにそれは厳しい。
「あいかわらず、マテウスとマリアは頭が固いんだな」
「仕方がないわよ。この国では忌み嫌われている色だし、なによりもわたしの髪の毛は呪いがたっぷり乗っているものだし」
この呪いを解くことを半ば諦めているアリスは、そう口にしてため息を吐いた。
「アリスは黒髪をどう思っているんだ」
「別になんとも」
「気持ちが悪いとか、嫌だとかは?」
「ないわね」
「アリスは変わってるな」
「そんなことないわよ。レオンこそ、黒髪をどう思ってるの?」
「アリスに似合ってて、綺麗だと思っている」
アリスはレオンの言葉に、真っ赤になった。
レオンはこうして、アリスのことを褒める。
それがキザったらしくなくて、さらっと褒めるものだから、アリスは真っ赤になった。
「でもたまに、金髪のアリスを思い出すよ」
「レオンもわたしの髪の毛は金髪の方がいいと思ってる?」
アリスの質問に、レオンは少し困ったようにほおを撫でた。それから慎重に言葉を選んでいるかのような答えが返ってきた。
「黒髪も好きだけど、やっぱり本来の金髪の方がいいかな。オレとおそろいだし」
おそろい、という単語にアリスは思わず反応した。
「おそろい……?」
「あぁ、そうだろう? 同じ金色だ」
レオンの髪の毛は、伸ばしっぱなしなのでかなり長くて、腰の辺りまである。アリスの髪の長さに負けないくらいである。普段は後ろで一つに結んでいる。金色に輝いていて、綺麗だとアリスは思う。
対するアリスの髪の毛は、黒くて長くて重たい。短くしたくて切っても、切った分だけ伸びる。
そろそろ本気で呪いを解かなくてはならないと思った。
「この呪い、どうすれば解けるのかしら」
アリスの呟きに、レオンは少し考えてから答えた。
「もう一度、魔女に会った方がいいかもな」
「魔女にっ?」
アリスの中では、魔女にいい感情は抱いていない。むしろ、悪感情しかない。
その魔女に会えとはどういうことだろうか。
「この十二年、魔女の噂をまったく聞かないが、死んだとは聞かない。ということは、こちらの隙をうかがっているとみていいだろう」
「人知れず死んでるってことは……」
「ないだろう」
そう都合良くはいかないようだ。
「そこでアリス、一つ提案なんだが」
「うん」
「魔女を探す旅に出ないか」
「旅にっ?」
思いも寄らない提案に、アリスは目を見開いた。
「最初、オレ一人で出ようと思ったんだが、アリスを置いていった場合、数え切れないほどの不利益が生じることに気がついて、止めたんだ」
アリスにしてみれば、そうしてくれて正解だと思ったので頷いた。
「置いて行かれたら、追いかけたわ」
「……だろうな」
「当たり前じゃない!」
「というわけで、考えて──」
「考えるまでもないわ! 魔女を探しに行く!」
いつまでも黒髪のままでいられない。早いところ、決着をつけなくてはならないだろう。
考えるまでもなく、アリスは探しに行くことを選択した。