【第二十七話】アリス、スライムに飲み込まれる
ようやく日が昇り始める頃、アリスは寝ぼけ眼のレオンを荷台に乗せて、ここのところ日課になっている魔の森の探索へと向かっていた。
朝早く動くのは、人目を気にしてというのもあるが、できるだけ長い時間を探索に宛てたいからだ。
レオンは相変わらず、朝に弱い。それでもアリスに付き合うのは、アリスを一人で森に入れたらなにをしでかすか分からないためだ。
起きてすぐには動けないため、アリスが引く荷台に寝転がって、目を覚ますのも日課になっていた。
森に着く頃にはさすがに目が覚めて、入口で朝ご飯を食べる。
アリスも起きてすぐにはご飯を食べるのは辛いので、ちょうどいいくらいだ。
荷台に座って、レオンと並んで食べる。
そんな何気ないことでも、アリスは嬉しい。
「レオン」
「なんだ」
「荷台の上って揺れない?」
「揺れるしガタガタしてるけど、目を覚ますにはちょうどいい」
「そうなんだ」
アリスはこの十二年で成長したけれど、すでに三十歳のレオンは、十二年前と変わらない姿をしている。エルフは長命で、成人後は見た目がそれほど変わらないらしい。
初めて会ったときは六歳だったアリスとは兄妹のようだったけれど、今は並んでいても、そうは見えない。
昔は見上げなければ顔が見えなかったけれど、今はそれほど見上げなくても顔が見える。
変わらない麗しさに、アリスは思わずウットリと見蕩れてしまう。何年経っても見飽きない。
レオンと視線が合い、アリスはにっこり微笑んだ。すると、レオンはほおを赤らめ、視線を逸らした。
最近のレオンの態度はこんな感じだ。どうやら照れているらしい。
「レオン、そろそろ行こうか」
「そうだな」
どこか安堵したような声に、アリスはレオンの腕に抱きついてみた。
昔は手をよく繋いでくれたのに、最近はそれがなくなり、アリスは淋しく思っていた。だから腕に抱きついてみたのだが……。
「アリス、歩きにくいよ」
先ほど以上に赤くなったレオンを見て、アリスは首をかしげた。
こんなこと、昔からよくしていた。歩きにくいなんて言われたことはない。
「レオン、嫌?」
アリスは悲しくなって、眉を下げれば、レオンは慌てたように口を開いた。
「嫌じゃない。だけど、ここは魔の森。なにが起こるか分からないだろ」
そう言われてしまえば、アリスも大人しく腕をほどくしかなかなく、レオンの温もりが遠ざかるのが淋しかった。
それからレオンが荷台を引き、後ろからアリスがついていくという形で、二人は黙々と魔の森を進んだ。
途中、薬草を採ったり、ご飯になりそうな獣を狩ったりしながら、奥へと進む。
今日は森の中にある湖まで到達することができた。
湖に着き、魔法でこの水に毒などないか調べた後、アリスは湖を覗き込んだ。
透明で、キラキラしていて、底がよく見える湖だった。
と、その時。
湖がさざめいたと思ったら、水が生き物のようにうねった。
「アリスっ!」
少し離れた場所にいたレオンの声に、アリスは顔を向けた。
「逃げろっ!」
そう言われた時にはすでに遅く、透明な水はアリスを包み込み、飲み込んだ。
「アリスを返せっ!」
レオンの声に、しかし、水はあざ笑うかのように湖の中へと戻っていった。
「くそっ!」
レオンは水の中に入るために魔法を唱え、飛び込んだ。
が、水はレオンを拒否するように弾いた。
地面に投げ出されたレオンは、受け身を取り、起き上がった。
もう一度、飛び込んでみたがやはり同じように弾かれた。
湖のそばに行き、アリスがしていたのと同じように水面を覗き込む。
水は驚くほど透明で、底が見えた。美しい湖だとは思うが、あまりにも不自然だ。
森の中にある湖がここまで透明度を保っているのはなにかがおかしい。
それに、水は無害だと鑑定されたが、魚一匹、見当たらない。しかも先ほどの水の動き。
ここには水の魔物が棲んでいるのではないか。
そこまで考察して、レオンは剣を抜いた。
鋒を水面に向け、切りつける。
普通の水であれば、剣で切れるということはないはずなのだが……。
「なんだこれは」
透明な水だと思われたそれは、レオンの剣に切り裂かれ、中身がドロリと出てきた。ヌルリとした感触のそれは、やはり透明だった。
もしかしてこれは、湖と見せかけた巨大な魔物なのだろうか。
レオンは鋒を刺しては切り裂き、ということを繰り返していくと、アリスが出てきた。
「アリスっ!」
レオンはアリスの名を呼んだが、気絶しているのか、返事がない。ヌルヌルになったアリスを慌てて抱えると、身じろぎしたのでレオンは安心した。
もう一度、アリスの名を呼ぶが、夢でも見ているのか、ひどく苦しげな表情を浮かべていた。肩を何度か揺すってみたが、起きる様子がない。
そういえば、とレオンは思い出す。
アリスは昔、なにか怖い夢を見たのか、叫んで起きることが頻繁にあった。
大きくなるにつれ、叫んで起きるということはなくなったが、その夢を見なくなったわけではなさそうだ。たまにだが、朝、様子が違う日があるのをレオンは知っていた。
その夢がなんなのか、レオンは未だに聞けずにいる。
アリスがいつか話してくれると信じて待っているのだが、そろそろ限界かもしれない。
「アリス、起きろ」
ゆさゆさと揺さぶってみたが、眉間にしわを寄せて、アリスは深い眠りに就いている。
アリスが起きるのを待つしかないと分かったのだが、ただ待つだけなのは暇なので、アリスにまとわりつくように付いているヌルヌルとした粘液を浄化魔法で取り除いた。
透明なそれは粘着いて、気持ちが悪かった。
粘液が取れたからなのか、アリスの表情は少し穏やかになった。
レオンはジッと、眠っているアリスの顔を見た。
アリスと出会ったのは、アリスが六歳の時。
小さいのに口にする言葉や行動は大人顔負けで、何度、本当に六歳なのかと疑った。
見た目に違わぬ中身に惹かれたのもあるが、なによりも大きかったのは、アリスの纏う魔力だった。
年齢に比べて豊富な魔力量もさることながら、まるで包み込まれるような質の高い魔力。
髪の色と同じ金色の光を放つ魔力は、レオンが無意識に探していたものだった。
エルフは、外見よりも魔力の質や色、量で伴侶を決める。
レオンがいた里には、レオンが求める魔力を持つ者はいなかった。長は妥協するようにとレオンを諭したが、レオンは里の外に絶対にいると断言して、飛び出してきた。
そして、見つけた。
まさか十二歳も年下の、しかも人間の少女だとは思いもしなかったが。
そして、そんなアリスも十八歳になり、成人した。奇しくもレオンが里を飛び出した年齢と同じになった。
そのアリスだが、最近、レオンには眩しすぎて、真っ直ぐ見ることが出来ないでいる。
アリスがそのことについて不満と不安を感じているのは分かっている。
アリスのそばにいると、ドキドキする。
だけど、そばにいないと、不安になる。
まるで恋する乙女のようだとレオンは自分でも思うのだけど、レオンにしてみれば、アリスは眩しい存在だ。
レオンはアリスが眠っているのをいいことに、黒髪を梳いてみた。浄化魔法を掛けたのもあるが、さらさらしていて、気持ちがいい。ずっと触っていたくなる。
どさくさに紛れて、ほおにも触れてみる。アリスが幼い頃はよく撫でていたけれど、大きくなった今は、神聖すぎて触れない。
久しぶりに触れたほおは、すべすべで、さわり心地が良かった。
いつまでも触っていたかったが、アリスが身じろぎしたので、慌てて手を離した。
「ん……っ?」
眉間にシワが寄った後、アリスの目がゆっくりと開かれた。
気がついたことにホッとしたが、レオンはアリスを抱えていることに気がつき、固まった。
紫の瞳が、レオンを捕らえた。
「レオン……?」
「あっ、あぁ」
「わたし……あれ? どうしてわたし、寝てるの?」
アリスは記憶をたどり、思い出したようだ。何度か瞬きした後、ガバリと起き上がった。
アリスが離れていったことにホッとしたが、淋しくもあった。
「さっきのあの透明なのはなにっ?」
「たぶんだが、湖に擬態したスライムだろう」
「スライムって、あの、スライムっ?」
「あの、がどこに掛かるのか分からないが、スライムだ」
アリスは辺りを見回し、透明なゼリー状のものが地面に散乱しているのを目の当たりにして、ため息を吐いた。
「これ」
「オレがやった」
「さすがレオンね、助けてくれて、ありがとう!」
そう言って、アリスは昔と変わらぬ様子でレオンに抱きついてきた。レオンは慌てて抱きとめたが、幼い頃とは違い、大きくなったアリスはレオンをドキドキさせるには充分だった。
「助けるのは当たり前だろう」
照れ隠しにつっけんどんな態度を取れば、アリスは分かっているとばかりに楽しそうに笑っていた。