【第二十三話】アリスの婚約者
このタイミングで伝えるのは、得策なのかどうなのか。
だけど、レオンは伝える気、満々だし、むしろ、第一王子の来襲に乗じた方が伝えやすい気もする。
最悪な場合、第一王子がトリアンに乗り込んでくることもあり得るのだ。
周りのお付きの人たちはあんなわがまま王子に振り回されて大変ね、とアリスなどは思う。
そして、それに巻き込まれるのはアリスも同様なので、ごめんこうむりたい。
要するに、アリスに決まった婚約者がいないことも馬鹿王子の暴走に拍車をかけているのであって、とはいえ、下手な婚約者だと第一王子に潰される訳で、レオンならその点、問題ない。
とアリスはそこまで考えて、レオンに伝えた。
「アリス、おまえ本当に六歳なのか?」
「ウン、ロクサイダヨ」
アリスは動揺して片言になったけれど、レオンは突っ込まなかった。それより気になっていることがあったようだ。
「そういえば、あの馬鹿が来ていたとき、マテウスとマリアはどこにいたんだ?」
あの馬鹿とは、第一王子のことだろう。レオンの口の悪さを指摘するべきか否かを考えていると、レオンの視線を感じた。
「アリス?」
「あ、はい」
「オレの質問、聞いていたか?」
「えぇ、もちろん」
どうやらレオンの機嫌はあまりよくないようだ。
アリスは少し考えてから口を開いた。
「たぶんだけど、出掛けていたのかと」
「どこにだ」
「わたしの物を買いに」
トリアンに行けと冷たく言っていたが、そのための準備はきっと使用人にさせるのではなく、あの二人がするのだろう。無駄に過保護だと思う。
そんな二人にレオンと結婚の盟約をしたなんて告げれば、卒倒しそうだ。
「なにを買いに行ったんだ」
「さぁ? 服はあるから、トリアンの家で必要な物だとか、家が出来るまでの仮の家の手配だとかじゃないかしら」
呑気にテント生活だなんて考えていた頃が懐かしいなんて思いながらレオンを見ると、ムッとした表情をしていた。
「そんなことをするくらいならば、家が出来るまでこの屋敷にいさせればいいだろう」
「そういうわけにもいかないのよ。ほら、さっきみたいなのが来たりするから」
「他にもいるのか?」
「んー、親戚関係はちょっとうるさい人がいたりするし……」
「要するに、厄介払いか」
「伯爵さまになったから、お父さまも色々大変みたいなのよ」
アリスは別にトリアンに行くことを苦に思ってもいないし、しばらくはテント生活でも構わないと思っている。
それよりも、屋敷にいれば馬鹿王子がいつ来るか分からない。
でも、トリアンならば王都から近いとはいえ、来ないだろう。というか、来るな。
「セヴェリに言ったらまた、結界を張ってくれるかしら」
「中から出られないのも困るが、外から入れないのはもっと困るだろう」
「まぁ、そうね。でも、人を選別して出入りできたりって便利な結界は無理かしら」
「どうだろうな」
もしもそんな結界があるのなら、アリスはずっと、トリアンに引きこもっていたい。
結界を理由に、面倒なヤツに会わないで済むのなら、そこはアリスにとっての楽園だ。
「とにかく、当初の計画どおり、トリアンの周りには居住できる建物を建てて、そこに人が住めるようにしようと思うの」
「壁に人が住むって、どこからその発想が出てきたんだ」
「だって、極力、畑の面積を確保したかったのよ。そうしたら、壁に人が住めばいいんじゃないかって思ったのよ」
前世の記憶にある、マンモス団地やマンションを想定しているために、アリスはなにも不思議はないのだが、こちらの世界にはそういった建物はない。
後は城壁を見て、もっと奥行きを増やせば住めるような気がしたのだ。
「なにをどう育てれば、六歳なのにこんなのが育つのだか」
とレオンは不思議がっているけれど、アリスは前世の記憶があるとはとてもではないが言えない。
あはは、と笑って誤魔化した。
「それでね」
とアリスは、ノートを広げてレオンに見せた。
「こんな感じなのよ」
五階建てくらいのマンションを輪の状態にするため、繋げていく。
トリアンにはどこからでも入れるわけではなく、関所のような場所を設け、そこから出入りするような形にした。出入口は八カ所だ。
「中は全部が畑。中心がわたしたちが住む家」
「ずいぶんと奇抜だな」
「せっかくの更地だから、好きにしてみたの」
トリアンを円形に取り囲む建物には、トリアンの名産にする予定の花や薬草を育ててもらう人たち向けの居住空間。
商店や教育施設も考えている。
最初はアリスが精霊たちと一緒に育てていき、軌道に乗ったら人を増やしていきたい。
これが上手くいくかどうかは分からないけれど、どうにかなるとアリスは思っている。
それに、アリスの側には、レオンとセヴェリがいるのだから。
「そういえば、セヴェリの姿が見えないけど」
「あいつなら、トリアンにいる」
「え?」
「育てたい薬草があると言ってたな」
一人で勝手にして! とアリスは思ったが、セヴェリはもともとトリアンにいたのだから、怒るのは間違っているだろうと考え直した。
「じゃあ、明日から、わたしたちはトリアン暮らしが始まるのね」
そうと決まれば、アリスはアリスで準備が必要だ。
荷物は馬車で持って行けるからよいとして、着替えなど用意しなければならないだろう。
準備をしようとクローゼットに手をかけたところで、玄関先が賑やかになったのが分かった。出掛けていたマテウスとマリアが帰ってきたようだ。
迎えに出ようかと思ったけれど、髪の毛の色を思い出して、出るのは止めた。
「オレが二人を呼んでくる」
「あ、うん」
レオンはすぐにマテウスとマリアを連れてきた。
アリスは今、極力、黒髪を見せないためにスカーフを頭に巻いていた。ピンク色のスカーフが黒くなっているのはご愛嬌、といったところだが、巻いてないよりマシだろう。
そんなアリスを見て、マテウスは少し顔をしかめただけだったが、マリアは目をつり上げていた。
「アリス、今日、エーギル殿下がいらっしゃったんだって? 出なかったよな?」
「お帰りなさいませ、お父さま、お母さま。もちろん、出ませんでしたわ」
「レオンが対応したと聞いたが、廊下の穴は」
「あの馬鹿が馬鹿なことを言ったので、制裁しただけだ」
レオンの不機嫌な様子に、マテウスとマリアは察してくれたようだ。
「婚約者がいる身でアリスに求婚するのもふざけている。それに、見た目も不愉快だし、なによりも魔力が濁っていて腐臭がしていた」
相手は一国の王子で、しかも次期国王陛下になる予定の人物を捕まえて、歯に衣着せぬ言葉を次々に言うレオンに、マテウスとマリアはさすがに青くなった。
「レオン、そこまでにしておいて」
マズいと思ったアリスは止めたけれど、すでに遅かったかもしれない。
とはいえ、レオンはエルフだ。
エルフは基本、自分たちのことにしか関心がないけれど、怒らせると大変なことになる。レオンを見ているとよく分かる。
「それで、お父さま、お母さま。わざわざ来ていただいたのは、大切なお話があるからです」
マテウスとマリアはアリスがなにを言うのかまったく分からないようで、かなり警戒した表情を浮かべた。
「わたし、アリス・アールグレーンは、レオンと結婚の盟約をしました」
「結婚……だと?」
マテウスは目を見開いた。こめかみに血管が浮いているのが見えた。
「レオン! 最初にアリスに手を出すなと!」
「手は出してないぞ」
さらにマテウスがなにか言おうとしたが、それを遮って、アリスは口を開いた。
「お父さま、お母さま。わたしに婚約者がいないから、殿下は求婚なんて馬鹿なことを考えるんだと思うのです」
「まぁ、それは一理あるわね」
「でも、下手な人物を婚約者としても、殿下に潰されるだけだと思うのです。でも、レオンならば大丈夫ですし、それに、わたしからレオンに求婚しましたの」
アリスの言葉に、マテウスはヘナヘナと床に座り込んだ。
「あなた、しっかりして」
「アリスが、私のアリスがぁ……!」
「レオンならば、安心して任せられると思いますのよ、あなた」
「しかし」
「アリス、分かりましたわ」
マリアはあっさりと了承してくれた。
「色々と教えなくてはならないことがあるけれど、それはトリアンでゆっくりとじっくりと教えていきますわ」
おほほほ……とマリアは笑い、マテウスを抱えてアリスの部屋から出て行った。
「お母さま……怖い」
アリスの呟きに、レオンも静かに頷いた。