【第二十二話】第一王子の来襲
マテウスからトリアンから出ることを禁止されたアリスだが、特に困らないし、むしろ都合がよいのではないかとさえ思っていたりする。
というのも……。
「アリスはいるか?」
「殿下、アリスお嬢さまはいらっしゃいません」
「なに、今日もか! 俺が来ると手紙で先触れを出していただろう!」
アリスの部屋まで聞こえるその声に、アリスは深いため息を吐いた。
やって来たのは、エーギル・ベーヴェルシュタム。この国の第一王子だ。
丸々と太った、父であり王であるドグラスとは真逆の存在だ。
アリスは、こんな男が次期国王になるのかと思うと、この国から逃げ出したくなる。
そればかりか──。
「アリス、いるのだろう! 我がわざわざ出向いて、求婚しに来たというのに、なぜ出てこない!」
出るわけがない。
アリスはエーギルのことが大嫌いなのだから。
アリスの金髪を掴んで、引っ張るような乱暴な男になど、会いたくない。
しかも、なにが求婚だ。
たとえこの身が危なかろうが、マテウスとマリアの立場が悪くなろうが、アリスは断固として断る。
それに、エーギルにはすでに婚約者がいる。それを無視してまで、受けたいとは思わないし、受けるものでもない。
アリスはベッドの中に潜り込み、耳を塞いだ。
声も聞きたくない。
存在も感じたくない。
早く消えて欲しい。
まだ玄関で叫んでいるのが布団越しにも聞こえてくる。
ほんと、迷惑……とアリスが耐えていると、ドアをノックする音がした。
ノックの仕方でレオンだと分かったけれど、今はなんだか会いたくなくて、布団を被ったままでいた。
「アリス?」
ドア向こうから声が聞こえるけれど、動けなかった。
玄関はいつの間にか静かになっていて、でも、もしかしたらレオンがエーギルを連れてきていたら……と嫌な方向にしか思考が動かない。
「このとおり、返事がないということは、いないということで」
「中を見せろ」
予想どおり、ドアの向こうにはエーギルもいるようだ。
下手に出なくて良かったと思ったが、とんでもないことを言っているのが聞こえてきて、アリスは息をのんだ。
「女性の部屋に無断で入るのは、感心しませんね」
「あれは我のものなのだ、だから大丈夫だ」
エーギルの傲慢な言葉に、殺気を感じた。
思わずアリスはビクリとさらに気配を殺した。
「てめぇ、いい加減にしろよ」
レオンの怒気を帯びた声と膨らむ魔力。
これはマズいのではと思ったときはすでに遅く、ドゴッという音が聞こえてきた。
確認したくても、布団から出るのも怖い。
しばらくして廊下から殿下、というお付きの人たちと思われる声が聞こえてきた。
「なんだ、あの男はっ!」
「殿下、相手がマズいです」
「この国で我以上に偉い者などいないと言ったのは嘘なのか!」
「殿下、とにかく相手はエルフですから……!」
「エルフは我より偉いのかっ?」
「あんたみたいな馬鹿よりは偉いと思うぜ」
というレオンの声に、アリスは頭痛を覚えた。
そうだった、すっかり忘れていたけれど、レオンは世間知らずだった。
「それに、アリスはおまえのものじゃない」
「おまえ、なにをっ!」
「アリスはアリスだ。モノじゃない。意思のある、一人の人間だ」
「そんなもの、関係ない! あれは我の」
《風よ》
というエーギルの言葉の途中でまたもやレオンは室内なのに構わず、魔法を放ったようだ。
バキバキという音が聞こえてきた。
屋敷が壊れるのも困るけれど、いくら大嫌いなエーギルでも、怪我をされると困る。
だけど、出て行きたくない。
どうすれば収拾がつくのか悩んでいたら、城からエーギルを迎えに来た者がいたようだ。
エーギルはなにやら喚いていたが、あれだけ騒げるということは、怪我などしてないのだろう。さすがにレオンも手加減したのだと思われる。
アリスの部屋の外はしばらくバタついていたが、気がつくと静かになっていた。
「アリス、入るぞ」
レオンの声がして、鍵が開く音がした。
部屋の中から鍵を掛けていたのに、レオン相手には無駄だったらしい。
ドアが開き、それから締まる音がして、鍵も掛けられたようだ。
レオンが近づいてくる気配に、アリスは布団から顔を出した。
ちなみに、アリスが布団の中に入っていると、布団まで黒くなっていたのはさすが魔女の呪いとしか言えなかった。
「……──で?」
布団から顔を出したアリスを見たレオンは、冷たい目をしていた。
で? と聞かれても、先ほどのやり取りがすべてだとしか言えないアリスは、中途半端な状態で固まっていた。
まるで不貞を暴かれているかのような状態に、アリスの思考は停止していた。
「アリスはあんな男がいいのか?」
いやいや、ちょっと待ってと言いたいのだが、ブリザード並みの冷たさをまとって静かな怒りをたたえている相手になにを言えばいいのか分からないアリスは、目を見開いて違うと首を振ることしか出来なかった。
それよりも、アリスが居留守を使ったのはどうしてかと察して欲しい。
そして、屋敷の使用人の態度にも気がついて欲しい。
いや、さすがにレオンも気がついているのだろう。そうでなければ、鍵を開けて中に入ってきて、さらに悲惨なことになっていただろう。
そうならなかったのは、レオンもアリスがエーギルのことを嫌いだと分かってくれているからだと、思いたい。
「アリスはオレとあの男とどっちがいいんだ」
まさか聞かれるとは思っていなかったため、アリスは瞬いた。
どうしてそんなことを聞いてくるのだろうか。
こんなの、選択肢にもならない。一択だ。
「レオンに決まってるじゃない!」
「それなら、どうして出てきてそのことをあいつに告げない?」
「会いたくないほど嫌いだからよ!」
「いつまでも逃げているから、しつこく来るのだろう?」
正論であるけれど、あの手の人間は聞く耳を持たない。
今回、比較的大人しく引いたのも、レオンがエルフであることが大きい。
「……じゃあ、レオンに聞くけれど、あいつが人の話を聞くように見えた?」
「……見えなかった」
「しかもあいつには婚約者がいるのよ? それなのに言い寄って来るのよ」
「なんだと?」
「自分が一番偉くて、なにをしても許されると思ってるのよ。わたしはあんなヤツ、嫌よ。レオンが一番だもの」
アリスのその言葉に、レオンはようやくホッとしたようで、表情が柔らかくなった。
「……もっと強く魔法を打ってやればよかった」
「駄目よ、レオン。そんなことしたら、レオンの立場が悪くなるだけだから!」
アリスは布団から抜け出して、レオンに抱きついた。
「レオン、ごめんなさい。そして、ありがとう」
「なんで謝る?」
「だって、レオンを不安にさせてしまったみたいだから」
「周りの様子ですぐに状況は把握できたが、まあ、確かに、かなり不安だったな」
やはり分かってくれていた。そのことにアリスは嬉しくなる。
「レオン」
「なんだ」
「やっぱりレオンが一番ね。大好き!」
ギュッとレオンに抱きついたアリスを、レオンは抱き上げた。
「それなら、アリスの両親にきちんと伝えておかないとな」
「あ……」
そういえばレオンとは結婚の約束はしたけれど、まだ、二人には伝えていなかった。
「レオン、魔女の呪いを受けたわたしと結婚してくれるの?」
「もちろん。というかだ、その呪いはなんとしても解くぞ」
そう言ってくれたレオンは、とても頼もしかった。