【第十七話】区画整備
屋敷とトリアンの往復がそろそろ面倒になってきたアリスは、野宿を検討することにした。
野宿といっても、馬車もあるし、テントを設営すればそこそこ暮らせるかもしれない。
お風呂に入れないのは問題だが、生活魔法である浄化があるからいいとしよう。
着替えも何着か持っていけばいいし、ご飯もどうにかなる。
「ねえ、レオン」
「なんだ」
「野宿」
「却下」
「まだ全部、言ってないのに!」
「魔物が出るかもしれないのに、野宿なんてさせられるか」
「えー、まだ出てないよ」
「駄目だ。面倒でも屋敷には帰ること」
というレオンの言葉によって、野宿は却下されてしまった。
「レオンって過保護よね」
アリスの言葉に、レオンは大きなため息を吐いた。
「過保護じゃない。子どもは家に帰るものだ」
「家出してきた人に言われたくない!」
「家出ではない。ひとり立ちしてきただけだ」
ああ言えばこう言うを地で行くレオンに、アリスはヤレヤレと首を振った。
結局、野宿は駄目になったので、仕方なく屋敷に毎日帰ることにした。
前世でも通勤が嫌で会社の近くに引っ越そうとしたが、家賃の問題で一人暮らしは実現しなかった。
そういえば、とアリスは思い出す。
前世では、兄と姉がいた。二人とも早々に結婚して、子どももいたような気がする。
そんな環境だったが、アリスは結局、彼氏いない歴イコール年齢だった。
いや、違う。
今、思い出した。
アリスが刺された日。
あの日は仕事の後、初めてのデートの予定だった。
相手は──。
「──ス、アリス?」
レオンの声に、アリスは瞬いた。
「どうした、急にぼんやりして」
「あー、うん」
「調子が悪い? 今日は止めておく?」
「ううん、大丈夫。ちょっと考えごとしてただけ」
「それならいいけど。顔色、あまりよくないよ」
心配されているのが分かり、アリスは微笑んだ。
それからおもむろにレオンに抱きついた。
「こうすれば回復するから」
アリスはレオンの腰にギュッと抱きついて、顔を上げた。
「レオンっていい匂いがする」
「そうか?」
「うん、森の匂い」
「なんかそれ、微妙じゃないか」
「わたし、森の匂い、好きだもん」
好きと言われても、言われたレオンは微妙な気分だ。
しかし、アリスの機嫌が直ったのでよいとした。
「おーい、まだ出掛けないのか?」
アリスとゆっくりしていると、そんな無粋な声が聞こえてきた。
アリスはレオンの顔を見て、それから名残惜しそうに身体を離した。
「行こうか」
「うん」
レオンが手を差し出すと、アリスは当たり前のように手を取った。
レオンはそれがすごく嬉しかった。
* * * * *
今日はマルコが来てくれて、トリアンの測量を行うことになった。
アリスの知る測量は、カメラみたいなのを覗いたり、白と赤の縞々の棒を持ったりというイメージしかない。
あれらを使ってどうやって測量するのか、まったく分からない。
この世界にもあれらと同じものがあるのだろうか。
疑問に思っていると、マルコは馬に乗ってやってきた。昨日会ったときと同じように、ローブ姿だ。
「おはようございます」
「おはよう」
てっきり馬車に荷物を積んで来ると思っていたため、アリスは馬に乗って現れたマルコに驚いた。
「道具は?」
と聞くと、マルコは首をかしげた。
「道具とは?」
「測量するのに道具がいるんじゃないの?」
アリスの言葉にマルコはチッチッチッと指を振った。
マテウスに紹介されたときもちょっと思ったけれど、なんだか軽い。
「おれをだれだと思っている?」
「測量士のマルコさん」
「うん、間違ってない」
「マルコさんは、魔法使いなんですよね?」
「魔術師だね」
「魔術師が測量士ってなんでですか?」
アリスの質問はよくされることなのか、マルコは目を細めて笑った。
「おれは地の精霊の使役者だ」
アリスも精霊を使役して、魔法を使う。
魔法を使うから魔法使いだとアリスは自分で思っているが、マルコは魔術師だと言った。
そういえば、マテウスも魔術師長だ。
魔法と魔術と違うものなのだろうか。
「魔法は精霊を介さないで使うものだ。場合によっては、強制的に使う物もある」
魔力を法則に則って行使する、ものらしい。
一方、魔術というのは、魔力を術で操作するもの、となる。
術を使って、精霊を使役する。だから魔術師だとマルコは説明した。
なんとなく、分かったような、分からないようなモヤモヤした感じだったが、アリスは両方、使えているということが分かった。
基本は精霊を使役しているが、精霊を使わない魔法も使っている。
「まぁ、見ていれば分かるよ」
とマルコは言い、地面に手を置いた。
『地の精霊よ』
マルコの呼びかけに、しかし、地の精霊は応えない。
マルコは場所を変えて呼びかけるが、まったく手応えがなかった。
「おかしい」
マルコの呟きに、セヴェリがやってきた。
「セヴェリ、この土地に精霊はいないの?」
「全部、追い出した」
「追い出したって!」
「ぼくが寝るのにうるさかったからね」
それが信じられないアリスは、セヴェリを睨みつけた。
「セヴェリ、精霊を呼び戻して」
「なんで?」
「このまま、ここは草一本も生えてない不毛の地のままにしておくの?」
「なにか不都合でも?」
「あるわよ! ここにわたしたち、住めないじゃない! それに、お花畑も、薬草畑も作れない」
「ふむ、それは困るな」
セヴェリはそれだけ告げると、ふらりとまた、どこかに消えた。
自由すぎて、アリスは困った。
「マルコさん、ごめんなさい」
「ん?」
「せっかく来てもらったのに、ここには精霊がいないから……」
「あぁ、そのことね。うん、心配、ないんじゃないかな」
「え?」
なにが心配ないのだろうか。
そう不思議に思っていると、アリスの耳元にくすくすという笑い声が聞こえた。
最初、聞き間違いかと思ったけれど、それはあちこちから聞こえてきた。
「もしかして、精霊?」
「そうみたいだね」
「精霊の声が聞こえる」
「おれには聞こえないけど、気配だけは感じるよ」
マルコはそう言うと、嬉しそうに詠唱を始めた。
『地の精霊よ 集え』
マルコの声に呼応して、地の精霊がワラワラと集まってきた。
『この地の広さを 測ってほしい』
まさかのお願いに、アリスは目を丸くしてマルコを見た。
魔術師にして測量士という意味が今、分かった。
マルコは精霊を使役して、土地の広さや高低差を測るらしい。
トリアンは平らな場所なので、高低差を測る必要はなさそうだ。
だけど、広さは分からないから、それを測ってくれるようだ。
集まった精霊たちは笑いながらあちこちに散らばっていった。
「しばらくしたら、精霊たちが教えてくれるよ」
「えっ? 精霊たちの声、分かるの?」
「精霊たちは調査結果をこれに描いてくれるんだ」
マルコはそう言って、懐から紙を取り出して、広げた。
それは、魔力を帯びた紙。
アリスはその紙が珍しくて、見せてもらった。
魔力を保持しやすくするために、かなり厚手で、色は茶色だった。
これに精霊たちの魔力が反応して、土地を描いてくれる代物らしい。
そんなすごいものがと思っていたら、精霊が帰ってきたようだ。
アリスたちは今、トリアンの端にいた。近くを探索に行った精霊らしく、この辺りの地図が紙に浮かび上がってきた。
「へー、すごい」
簡単そうに見えるが、まずは精霊たちに通じなければならないし、通じられても、気まぐれな精霊たちが思いどおりに動いてくれるとも限らない。
それを難なくやってみせたマルコは、かなり腕のいい測量士なのだろう。
精霊たちは続々戻ってきて、トリアンの地図が出来ていく。
それほどかからず、トリアンの地図は完成した。
「うわぁ、すごい!」
「まだこれからだよ」
「え?」
「測量して、地図に起こしただけじゃあ意味がないだろう?」
マルコの言うとおり、アリスはすでにトリアンの地図をもっている。
それと並べても、遜色ない出来だ。
「おれのすごいところは、これからさ」
そう言って、マルコはアリスの持つ地図を覗き込んだ。
「それは、トリアンの土地計画図?」
「うん」
「屋敷部分をトリアンの中心部に据えて、周りには四角い畑を配置して、周りは人が住めるくらいの塀を作ろうと思ってるの」
マルコはアリスから地図を受け取ると、精霊たちが描いた地図に転写した。
「明日にはこの地図どおりに区画整備がされてるぜ」
マルコはそれだけ言うと、馬に乗って王都へと帰って行った。