【第十一話】アリス、結界の中へと入る
準備が済み、アリスたちはトリアンへと向かうことになった。
アリスとレオン、そして亜人たち五人の計七人。
最初、歩いていくつもりだったが、荷物が多くて結局、馬車となった。
とは言っても、七人乗りの馬車はなく、四人乗り二台でトリアン手前の結界まで行くことになった。
アリスとレオン、鬼人のフーゴの三人で乗ることとなった。
アリスの横にはレオンが座り、前にはフーゴが座った。向かい合わせのため、ずっと黙っているというのも辛い。
ふとフーゴを見ると、茶色の髪の隙間から角が見えた。
あの角は、硬いのだろうか、柔らかいのだろうか。
そう疑問に思うと、アリスはいてもたってもいられなくなった。
「フーゴ、その角、触ってもいい?」
アリスの突然の申し出に、フーゴは驚いた。
「角?」
「あ、触ったら駄目なら、諦めるけど……」
「鬼人の角に触るって意味が分かって言ってるのか?」
さすがに不躾だったかなとアリスは気になりながらも、首を振った。
「求愛を意味するって知ってて言ってるのか?」
「求愛っ?」
まさかの意味に、アリスは慌てて激しく首を振った。
「そっ、そんな意味があったなんて!」
「角は急所でもあるからな」
ちなみに、とフーゴが続けた。
「獣人たちの耳も似たようなものだから、気をつけろよ」
「触ったら求愛になるの?」
「あぁ」
それはマズい、とアリスは思う。
もうすでに、レオンに求愛した後だ。さらにとなると、それは大変にマズい。
「そこにいるエルフの耳も似たようなもんだろ」
アリスはレオンを見て、そして尖った耳を見た。
それからそっと手を伸ばし、レオンの耳を触ってみる。
「ん……っ」
レオンの耳は、思ったより硬くて、ほんのり温かかった。
かじったらどうなるのだろうかと思ったけれど、それは止めておいた。
「レオンの耳、気持ちがいい」
「ちょ、アリス? 止めて……っ!」
レオンはくすぐったいのか、身体を竦めてアリスの手から逃げようとしたが、簡単には逃げられなかった。
アリスとレオンがじゃれているのをフーゴは冷めた目で見ていたが、ガタンと馬車が止まった。どうやらトリアンの結界までたどり着いたようだ。
「いつまでもじゃれてない。着いたぞ」
「はぁい」
アリスは名残惜しいと思いながら、レオンの耳から手を離した。
レオンはホッとした。
馬車から降りると、アリスが思っていた以上の風景が広がっていた。
目の前には、キラキラと緑色に光るガラスのような結界。結界越しに見えるのは、不毛な大地どころか、緑豊かな平原だった。
「結界って見えるものなんだ」
初めて結界を見たアリスだが、目に見えるとは思っていなかった。
「これだけはっきり見えるのは珍しいな」
アリスの横に来たレオンの言葉に、アリスはレオンを見上げた。
「普通は見えないものなの?」
「ゆらゆらと蜃気楼みたいな感じだな」
「そうなんだ」
「これがトリアンを囲っているとなると、厄介だな」
アリスは結界に近寄って、触れてみた。結界は思ったより温かく、弾力に富んでいた。
「あはは、面白ーい」
「アリス、むやみやたらに触るな」
ぽよんと弾む感触が楽しくて触っていると、急にアリスの手がすり抜けた。
「っ?」
「アリス!」
レオンはとっさにアリスの手を掴んだ。
アリスとレオンはそのままするりと結界の中へと入り込んでしまった。
「嬢ちゃん!」
ドワーフのグスタフの声に、残りの四人が気がついて、結界の前まで駆け寄ってきた。
「どうやって入ったんだ?」
「結界を触ってたら入れた」
「俺たちも入れるのか?」
とグスタフたちは結界に触るが、一向に入れる様子はなかった。
「わたしとレオンで中を探索してくる」
「って、おい! 危ない獣がいたらどうするんだ!」
「大丈夫よ」
いつまでも結界の側にいても仕方がないと思ったアリスは、レオンとともに探索に向かった。
アリスはレオンと手を繋いで、草原を歩いていた。
草原はどこまでも続き、果てがない。
「トリアンって広いのね」
「いや、これは魔法で広く見せているのだと思うぞ」
レオンは腰に佩いていた剣を抜くと、適当に草を切った。それからアリスとともに歩く。
と、しばらく歩いていると、先ほど切った草のところに戻ってきた。
「ループの魔法か」
「結界の側まで」
「戻れないだろうな」
「うわぁ、最悪」
疲れ果て、倒れてもきっと、このループの魔法は途切れない。
となると、魔法を解呪しなければならない。
「解ける?」
「オレには無理かな」
「えーっ」
レオンが解呪できないのなら、アリスが頑張るしかない。
しかし、ループの魔法はどうやって解呪すればいいのか、さっぱり分からない。
アリスは足を止めて、しばらく考えてみた。
ループということは、輪になっているということで……。
「輪……」
輪になっているのならば、どこかで切ればいい。
切って、繋げばいいわけで……。
『キル ジール ルーツ』
アリスは詠唱しながら、宙を切る仕草をした。アリスの指先は淡く光り、空間を切り裂く。
『道を切り、正しき道に繋げ』
切り取られた空間は真っ直ぐに伸びて、壁にぶつかったと思ったら、新たな空間が開いた。
「レオン、走るわよ!」
「分かった」
「って、なんでっ?」
レオンはアリスを抱えると、走り出した。
「この方が早いだろう?」
「そうだけど!」
≪風よ≫
レオンの詠唱に呼応して、後ろから風が吹く。グンッと身体が押され、新たに開かれた空間に向けて身体が突っ込む。
一際強い風が吹いたかと思ったら、身体が宙に浮いた。
「きゃー!」
「大丈夫だ」
レオンはアリスの身体を抱え直すと、風に乗り、空間に飛び込んだ。
アリスはギュッと強く目を閉じた。
結構な速度で空間に飛び込んだのに、アリスの身体には衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けると、先ほどとは変わらぬ草原がやはり広がっていた。
「失敗した……?」
「いや、向こうに先ほどは見えなかった樹が見える」
と言われたけれど、アリスの目には見えなかった。
レオンはアリスを地面に下ろすと、手を繋いで歩き始めた。
しばらく歩いていると、レオンが言うように、樹が見えてきた。
それはピンク色の花を咲かせていて、まるで桜のようだった。
「綺麗」
「そうだな」
二人はしばらくの間、見とれていたが、強い風が急に吹き抜け、ピンクの花をすべて散らした。
「えっ」
まさかの出来事に、アリスは樹へと駆け寄った。
花をすっかり散らした樹の根元には、だれかがうずくまっていた。
「あの、大丈夫ですか」
アリスが声を掛けると、ゆらりとその人が動いた。
長い白い髪に──赤い瞳。整った顔。
アリスは思わず、息をのんだ。
「──だれ?」
小さな声だったけれど、アリスの耳に届いた。
「わたしは、アリス」
アリスの後ろにレオンが立ち、いつでも応戦できるように臨戦態勢を取った。
「ぼくは、セヴェリ」
「ここでなにをしているの?」
「なにって言われても……。ここで寝ていた」
「寝ていたって」
アリスは後ろにいるレオンを見上げた。
レオンは険しい表情をして、セヴェリを見ていた。
「ぼくを起こすの?」
起こすのと聞かれても、もう起きているのではないかとアリスは思った。
「ここはぼくの夢の世界。だけど、花がすべて散ってしまった」
セヴェリはそう言って、赤い瞳を樹へと向けた。
「ねぇ、ぼくを起こすの?」
再度の問いかけに、アリスはギュッと強くレオンの腕を掴んだ。