私は幸せというものが怖い
私は「幸せ」がこわい。
一時の幸せなら、どうってことない。ちゃんと幸せを噛みしめることができる。けれど、長期的な幸せは怖くて仕方がない、自ら壊してしまうことだってある。
不幸のあとには必ず幸せが来る、その逆もしかり。
それに私の人生、小学生の時からずっと不幸の中にいた。いじめやモラハラや良くない家庭環境、不登校が重なった時期もあった。
病んでいる状態がデフォルトになって、病んでいる状態が心地良いとなったとき、流石にこれはやばいと思った。病んでいないと変に感じる。その事自体が異常なのに。
幸せを受け入れるコップに注いだ幸せという水が溢れたとき、私は不幸を望む。
受け入れきれない分の幸せが怖くなるから。足が地についてないような感じがして、心が落ち着かなくなる。コップの水をこぼしてしまえば、その分空きはできる。そしたら私は、素直に幸せを感じることができる。
幸せ→耐えきれないほどの幸せ→不幸→幸せ。
一度幸せをなくしてしまわないと私は生きていけない。
今までめったに、コップから幸せが溢れることなんてなかったけど、ここ一年でそれがあった。
だから、私は今、その幸せを壊そうとしている。
でも、壊したくない。でも、幸せが受け止めきれないから壊したい。こぼしたい。
私は、幸せが受け止めきれないから、以外の理由で人間関係を壊したくなるときが多々ある。病んでるとき、人間関係をリセットしたくなる。
でも、そんな私に手を差し伸べてくれる人がいる。そんな人の手を振り払ってしまえば、もう二度と手を差し伸べてくれないだろうし、手を差し伸べてくれる人の手を振り払う必要なんて本来はない。
そんな素敵な人達と縁を切る必要なんてない。
どんな大きな幸せでも受け入れることのできる心が欲しかった。受け止めることならできる、けれど、受け入れることはできない。
私に大きな幸せを持つ資格なんてない、ちょっと不幸な方がお似合いなんだと思う。慣れているし。
今、交際している相手がいるが、その相手に無意味な喧嘩をふっかけることがある。なぜそんなことをするのか。
幸せすぎるから、その幸せを減らすため。
もちろん、相手には申し訳ないと思っている。
私は、幸せというものが怖い。
だからといって、ずっと不幸に浸かっているのも嫌。
どちらかを選べと言われたら、幸せを選びたい。でも、程々の幸せが良い。幸せすぎるのは私には似合わない。受け入れきれない。
私は、幸せが怖い。
でも、他人の幸福を見て羨ましくなる。
幸せが怖いけど、幸せにはなりたい。