表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私は幸せというものが怖い

作者: とうにゅー

 私は「幸せ」がこわい。

 一時の幸せなら、どうってことない。ちゃんと幸せを噛みしめることができる。けれど、長期的な幸せは怖くて仕方がない、自ら壊してしまうことだってある。

 不幸のあとには必ず幸せが来る、その逆もしかり。

 それに私の人生、小学生の時からずっと不幸の中にいた。いじめやモラハラや良くない家庭環境、不登校が重なった時期もあった。

 病んでいる状態がデフォルトになって、病んでいる状態が心地良いとなったとき、流石にこれはやばいと思った。病んでいないと変に感じる。その事自体が異常なのに。

 

 幸せを受け入れるコップに注いだ幸せという水が溢れたとき、私は不幸を望む。

 受け入れきれない分の幸せが怖くなるから。足が地についてないような感じがして、心が落ち着かなくなる。コップの水をこぼしてしまえば、その分空きはできる。そしたら私は、素直に幸せを感じることができる。

 幸せ→耐えきれないほどの幸せ→不幸→幸せ。

 一度幸せをなくしてしまわないと私は生きていけない。

 今までめったに、コップから幸せが溢れることなんてなかったけど、ここ一年でそれがあった。

 だから、私は今、その幸せを壊そうとしている。

 でも、壊したくない。でも、幸せが受け止めきれないから壊したい。こぼしたい。

 

 私は、幸せが受け止めきれないから、以外の理由で人間関係を壊したくなるときが多々ある。病んでるとき、人間関係をリセットしたくなる。

 でも、そんな私に手を差し伸べてくれる人がいる。そんな人の手を振り払ってしまえば、もう二度と手を差し伸べてくれないだろうし、手を差し伸べてくれる人の手を振り払う必要なんて本来はない。

 そんな素敵な人達と縁を切る必要なんてない。


 どんな大きな幸せでも受け入れることのできる心が欲しかった。受け止めることならできる、けれど、受け入れることはできない。

 私に大きな幸せを持つ資格なんてない、ちょっと不幸な方がお似合いなんだと思う。慣れているし。

 今、交際している相手がいるが、その相手に無意味な喧嘩をふっかけることがある。なぜそんなことをするのか。

 幸せすぎるから、その幸せを減らすため。

 もちろん、相手には申し訳ないと思っている。


 私は、幸せというものが怖い。

 だからといって、ずっと不幸に浸かっているのも嫌。 

 どちらかを選べと言われたら、幸せを選びたい。でも、程々の幸せが良い。幸せすぎるのは私には似合わない。受け入れきれない。

 私は、幸せが怖い。

 でも、他人の幸福を見て羨ましくなる。

 

 幸せが怖いけど、幸せにはなりたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ