私の場合<いきなりD……>
さて、くだんのPDCAなのだが、話を変えて、自分がやった社会調査を自分で考えるとこんな感じだったと思う。
D→P→A→偏執的にDDD…→たまにC→偏執的にDDD…
「いきなりDってなんだ?考えもしないでやったのか?」と言われそうだが、その通り。
ほぼいきなりやったのである。
それで、400ページの博士論文の出版にもっていった。
私としては不思議とは思わない。
だから逆に、それからずいぶん経ってから、「PDCAサイクル」と聞いたときに「なにそれ?」と思ったのである。
以下、私が現に行った社会調査を紹介し、それに沿って。
ひとつのPDCAのあり方を見てみようと思う。
2003,4年ごろ、博士論文のうち、理論的な部分は書き終えていたので、この理論的考察の根拠となるような経験的事例を私は探していた。
論文の説得力が増すような、具体的な調査対象があるとよい。
初めに考えていたのは、科学技術社会学について取材をして質的調査をしようということと、科学技術と民主政という問題に関連する取材対象がないかな、という事だった。
すると、ある研究者が京都市内のNGO(民法でいうところの「その他団体」)で、国土問題研究会(国土研)というところがあることが分かった。
ここが主に環境問題に関して科学的に住民を支援――必要な調査・助言・訴訟支援・研究者紹介など――を行っていると、ホームページに書いてある。
ちなみにこのホームページは1996年に作られたものでデザインが異様に古臭い。
情報だけ更新してあとは何もしていないので今どき珍しい感じになっている。
さて、とりあえず、P(計画)を立てようと思ったが、ここで出している機関誌『国土問題』は国土問題研究会の事務所でしか売っていないという。
仕方がないので、事務所にいきなり電話をかけ、事情を話すと、
ちかぢか、国土研主催のシンポジウムが京都駅近くであるからそれに来てはどうか、とのこと。
早速行ってみると、河川工学を専門とする方とすぐに仲良くなることができた。
のちに知ったのだが、この方が和歌山大学教授の宇民正だった。
水害訴訟で初の最高裁判示が出た大東水害訴訟の鑑定人の一人である。
ほかの方も非常に親切だったので、調査対象との良好な関係が築けそうだと感じた私はすぐに入会の上、会に参加して活動しながら調査していくことをその場で決めたのである。
すなわち、いきなりD(実行)というわけだ。