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39・彷徨う修道女

「……なんなの。どうして王妃を呼んでるの?」

 

 数瞬おりた沈黙ののちに私は言った。イザベラは膝をついたまま震えている。


「イザベラという名前はふたつとないものではありませんので、王妃陛下を呼んでいるのかどうかはわかりません」


 騎士団長シャルルは言ったが、自分でも自分の言っていることをあまり信じていないようでもあった。珍しくはないがありふれてもいない名前だ。彼女の焦げ茶の髪と青い瞳の組み合わせのように。そして彼女がいる、いまこの時に丁度偶然なんて? 耳を塞いで涙を流している女性が、使者エッチェルの侍女でない事も察している筈だが、彼女からは目をそらしている。


「エルミナードの修道女? どうしてこんなところで騒ぎを起こしているの? 修道院から勝手に抜け出す事すら難しいものでしょう?」


 出自がどうであれ、一旦修道院に入れば、世俗のしがらみからは解き放たれる代わりに、ただ神に仕えて日々を過ごし、皆が平等に扱われ、たとえどんなに高貴な出自であっても勝手な行いは許されない……それが、私が修道女に対して持っていたイメージだったが、実際はそうでもないのだろうか?


「普通ならアリアンナさまの仰る通りだと思いますが、その辺の事情はまだ我々には……。ただ、女性は正気をうしなっている様子ですので、修道院の方でも持て余す存在なのかも知れません」

「だったら尚更勝手に出歩かないようにするものではないかしら。もちろん、それが正しいかどうかは別だけれど」


 正気をうしなった女性がさ迷い歩いて王妃の名を叫ぶとはどういう事情だろう。もしかして、なにかジュリアンの残酷な所業のせいで理性を手放してしまったのだろうか? でもそれなら、イザベラより王への呪詛を吐く筈では?

 そんな風に考えを巡らせたのはほんの僅かな時間に過ぎない。イザベラは、シャルルの言葉を黙って聞いていたが、いきなり顔を上げ、


「わたくし、彼女に会いたいわ」


 と言い出したのだ。


「何をいうの。あなたがここにいる事は秘密でしょう。なのに一体なんで……」


 私の当然の疑問をイザベラは遮る。


「だってわたくしを呼んでいたじゃない」

「そんなの、あなたのことかもわからないし、行く必要なんかないでしょ。それとも丁度いい口実だから話を打ち切って出ていくつもりなの?」

「そういう訳じゃないわ。ただ、もしわたくしの思い違いでなければ、いまわたくしは会わないと……、でも、理解してもらえる訳ないし、その為の説明をする事もできないわ」

「あの女性が誰なのか、知っているのね?」

「会った事はないけど、知っている気がするわ」


 もう支離滅裂だと私は思ったが、イザベラは立ち上がって勝手に部屋を出ていく。彼女を力づくで止められる者はここにはいない。私は苛立ちながら彼女のあとを追い、ユーグさまと騎士団長も続いた。

 

「……ザベラ。いるんでしょう。わた、わたくしは!!」

「そんなひとはいないから。おとなしく帰って休んだほうがいい。騎士が送っていくから、何も心配しなくていいから」


 宿の中庭に出ると、夜闇のなか、三名ほどの騎士たちが灯す松明が視界をあかるくしている。偶然だけど、昨日の宿で明け方に私がリカルドらしき人影を見た中庭と作りが似ていた。

 リカルドが、女性を穏やかに諭している声が聞こえた。


「リカルド様がいらしてから、人数は減らしています。危険な存在でもありませんから」

 

 と騎士団長がユーグさまに囁きかけた。


「賢明な判断だね」


 とユーグさまは応えた。具体的ななにかを知っている訳ではなくとも、秘密を感じればそれを守る方に動く。それが主に忠実な騎士というものだ、と誰かの言を思い出す。


 この時、月明かりが雲を離れて松明よりいっそう明るく辺りを映し出した。

 リカルドの傍、地面に膝立ちで声高に話している女性の姿が見える。中年で痩せぎすだが、はっとするような印象を与える。その女性は、非常に美しいひとだったのだ。


「……! どうして来たんだ?!」


 私たちに気付き、リカルドは動揺した様子で声をあげる。銀の月光が複雑な陰影を生んで表情を隠し、彼が誰に向かって言ったのか、わからなかった。

 イザベラが近づいて、


「呼ぶ声がしたから」


 とだけ言った。


「何も関係ない! きみたちには関係ない! このひとは心を病んでいるんだ。亡くした幼い娘の名を叫んでいただけだ。気の毒ではあるが出来る事は何もない。関わる必要はない。誰か騎士に修道院にきちんと送り返してもらおう。いいだろう、ユーグ?」

「もちろんだ」


 こんなに真剣な様子にリカルドを初めて見たと思った。けれどイザベラは、何も聞こえていないかのようにリカルドと女性に近づいた。


「お……あなたが彼女に近づいてはいけません」


 とリカルドは制止したが、イザベラはかまわない。女性に歩み寄り、その顔を凝視する。女性のほうは叫ぶのをやめてイザベラを見つめている。


「やっぱりそうなのね。まさかと思ったけど……ああ、神よ、アリアンナに会いに来て、このひとに会えるなんて」


 呟いて、イザベラの頬には涙が伝った。


 月光のもと、表情のみえないリカルドが立っている。状況は違うけれど、この中庭の風景から、昨夜見た気がしたリカルドを思い出した。

リカルドは宿を抜け出して、修道院に伯母を訪ねていたとユーグさまは仰った。今ここにいる美しい修道女の事をリカルドはあきらかに知っているようで、つまりこの修道女はリカルドの伯母、即ちローレン侯爵の姉ではないのだろうか……。

 そのことに思い至った私は改めてイザベラの顔を見る。修道女に、会った事はないけれど知っている気がする、と言った。


『だって……わたくしはあの人の本当の娘ではないから』

『わからない、なんて事はないわ。生まれて来る……王の子に、卑しい血を持たせる事はないわ』


 ふと、先ほどのイザベラの言葉が脳裏に蘇る。

 イザベラは、自分は宰相夫妻の実の娘ではないといい、更に、自分の生まれは卑しくない、と言った。

 イザベラとこの女性は、似ている気がする。人目をひく美しさを持った女性に比べ、イザベラは記憶に残るほどの美女という訳ではないのだけど、でも、顔かたちに一致する部分がある気がする。リカルドの伯母かもしれない修道女。だとしたら、ローレン侯爵の姉で、先々王の孫。なぜ、心を病んで修道院に入っているのかわからないけれど……ああでも、すべて推測に過ぎない。なにも確かな事はない。


(イザベラは、エドアルド・ローレンの姉の娘かも……つまり、先々王の孫の私生児?)


 ローレン侯爵に正式な甥や姪がいるという話は聞いた事がない。でも、病弱で結婚していない姉が、社交界にも出ないままにひっそりとどこかの田舎で療養しているらしい、という噂は聞いた事がある。そのひとに娘がいるとしたら、それは私生児だろう。

 そしてその私生児がイザベラであれば、イザベラは血縁上、リカルドの従妹。そう考えれば、先ほどからの二人のやや不自然に思えたやりとりの全てに納得がいく。

 ローレン侯爵の庶子のリカルド。ローレン侯爵令嬢の私生児のイザベラ。もしもその想像が当たっているとしたら、似た境遇に苦しみをおぼえるいとこ同士、秘密裏に連絡をとりあった事があったとしても不思議はない。

イザベラの父親が誰なのかはわからないけれど、修道院に入った姉の赤ん坊を不憫に思ったローレン侯爵が、密かにその子を宰相家に養女に出したとしたら……。


 ああ、でももちろんこんな推測が真実かどうかなんて今すぐ確かめようもない。辻褄があうと思ったいくつかのことくらい、偶然で片付くことかもしれない。


「それ以上近づくべきじゃない。この女性は正気ではないので、あなたに危害を加えるかもしれません」


 とリカルドはイザベラに警告を放った。けれどもイザベラは全くひるまない。


「危害ですって? 騎士が何人もいるのに、その女性に何ができましょう。その手を放してあげてください、リカルド・ローレン」


 イザベラがそう言ったので私は初めて、リカルドが女性の手首をきつく掴んでいるのに気付いた。


「離すわけにはいきません。おわかりでしょう……何をしようというのです。あなたにとって、一番大切なものはなんですか? お腹の……」

「イザベラ!! ああイザベラ、あなたなのね!!」


 リカルドの言葉を遮り、急に女性が甲高い声をあげた。いままで、どこをみているのか定まらないようにみえた視線が、近づくイザベラを捉えた。


「ああ! ずっと会いたかったのよ。なのにわたくしはずっと閉じ込められて。エドアルドとリカルドが」

「ユーグ!!」


 リカルドは更に大声で女性の言葉をかき消そうとする。


「おねがいだ。この人は僕に任せてイザ……彼女を部屋に、いや、エッチェルに連れ帰ってもらってくれ。いますぐに。あとで、言える事は言うから」

「いやよ! わたくしはもっとこのかたとお話ししたいわ。ねえユーグさま、お願いです、どこか部屋で、彼女と二人で話せるようにとリ計らっていただけませんか?」

「しかし……」


 ユーグさまもすべての事情を知っている訳でもないらしく、異なるふたつの要望のどちらを叶えるべきか、咄嗟の判断を迷っている様子だった。もちろん本来ならば、盟友のリカルドの頼みを優先するべきだ。イザベラは敵なのだ。それでも……女性とイザベラの様子に尋常でないものを感じてしまい、ユーグさまは躊躇った。


「初めて、初めて会えたのよ! どんなに会いたかったか。もう、何がどうなったっていいわ。お願い、もっと話をさせて!」

「ユーグ、頼む、これは本当に危険なことなんだ」

「イザベラ! わたくしの娘!」


 叫び声が重なる。イザベラと女性は見つめ合い、突き放して見ていたつもりの私さえ、なんだかその様子には胸を打たれた。ほんとうに、離れ離れになっていた母娘なのかも、と思わせるだけの緊迫感が二人の間に窺えたのだ。

 たぶん、シャルルや他の騎士もなんとなく、この二人にただならぬものを感じたと思う。引き離さないであげてはどうか――事情はわからぬので口は出せない、けれどそう思う、という空気があった。


「ユーグ」

「リカルド。次の機会があるかもわからないだろう。もう少しだけ、時間をあげてもいいんじゃないか」

「駄目だ!!」


 ユーグさまの答えに、リカルドは苛立たし気に首を振る。


「ここにいるべきではない人間がふたりもここにいて、初めから出会うはずもなかった。こんな事は今すぐに終わらせなければ、恐ろしい破滅につながりかねない」


 恐ろしい破滅……とは、なんだろう。誰にとっての、どんなこと? 私たちは元々、破滅が待っている場所に一筋の希望を探してやって来た。とりわけリカルドは、別にどうなってもかまわない、という態度だったのに、いったい何をそんなに恐れているのだろう。


「なあアリアンナ、ユーグに言ってくれよ。いますぐ彼女をここから立ち去らせるようにと……」


 リカルドは急いた口調で言う。こんなぞんざいな物言いをリカルドにされたのは初めてだったけれど、それだけ彼が焦っているのだとわかる。


「ユーグさま。リカルドの言うとおりにすべきなのでは?」


 と思わず私は言ってしまった。


「どうして邪魔をするの、リカルド! おまえは、父親にそっくりだわ!」


 急に、修道女が叫び出した。


「わたくしは娘と話がしたいの。おお、イザベラ、もっと顔を見せて。わたくしは長い間、閉じ込められていました。おまえたちも、自身には何も咎はないのに、引き離されて」

「わたくしは何も知らなかったの。会えてよかった……」

「イザベラ、あなたはわたくしの娘。そしてわたくしの、罪。でも、あなたには罪はないわ。わたくしはただ、おそろしくて」

「待って、わたくしはあなたの事は聞いていたけど、父親の事は知りません。ねえリカルド、おねがい、少しだけふたりにしてください。ここで色々喋ってしまうより、いいでしょう?」


 イザベラの嘆願に、リカルドは苛立たし気に自分の髪をかき回して天を仰いだ。

 たしかにイザベラはまったく冷静さを欠いていた。ついさっきまで、イザベラが宰相の実の娘ではないなんて、疑った事もなかった。それは、彼女にとって、そして宰相にとっても、絶対に守らねばならない秘密の筈。私の信用を得ようと、私とユーグさまに対してその秘密を打ち明けはしたけれど(リカルドは知っていたのだろうから)、それ以外に漏れる事はどうしたって避けなければならないことだろう。なのに、母親を名乗る、些か常軌を逸した女性の出現で、きっと後から悔やむ事になるとしても、いまこの瞬間に母親ともっと話したい、という気持ちに、すっかり支配されているようだった。


「リカルド、あなたはイザベラのお願いをきいてあげるべきでしょう。だってあなたは」

「わかった! わかりました!」


 修道女の言葉に、リカルドは自暴自棄気味に叫んだ。


「たしかに。たしかに、これ以上ここでありもしない妄想を垂れ流し続ける以上の最悪はない。ユーグ、申し訳ないが、ほんの少しの時間、さっきの部屋でこの女性と彼女に話をさせてあげてくれ。エッチェルがそろそろ何か言ってくるだろうから、短時間でも引き留めて。――僕がこの女性を部屋に連れていくから、彼女は少し後に来て欲しい。頼む」


 『ありもしない妄想』、その言葉は、リカルドが、いまここでやり取りを見聞きしている私とユーグさま、ユーグさま配下の騎士たちに対して、「どうかそういう事にしてほしい」と頼んでいることの表れだった。


「わかった、そうしよう」


 とユーグさま。私もつられて頷いた。続いて騎士団長のシャルルが、


「承りました。素性も知れぬどなたかの夢物語を、いちいち他言する者はここにはおりません」


 と請け負った。シャルルとリカルドは、元々仲がよいのだった。

 私たちの答えに、リカルドはほっとしているように見えた。

 そして、女性に手を貸して、建物に向かって歩き出した。リカルドが女性の背中に手を回して建物の陰に消えるのを私は見ていた。あまりにも予想外の事が立て続けに起こって頭の中の整理がつかなかった。傍らのイザベラは不安げに立ち尽くしていた。

 これが、なんの終わりでなんの始まりなのか、この時の私には理解できよう筈もなかった


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