お山のはなし
今から、ずっと昔のことであります。それは、わたしが子供の頃のことであります。もう随分、昔のことですので、すっかり、思い出が消えてしまった部分もありますが、大事なところは、まだ、憶えております。それは、いつだかの、大きな戦ごとの、ずっと前のことでした。どなたの御治世であったかは、もう、忘れてしまったものの内に入ってしまいます。それでも、大切なこと、たとえば、おともだちの名前や、顔や、声なんかは、まだはっきりと憶えております。
わたしが、子供の頃を過ごしたお山は、秋近くなると、真っ赤に燃え上がり、そのお姿を綺麗に装われました。お山は女であるのだと、みんなが思っておりました。いわば、わたしらの、おっかさんのようなものだと思っておったのです。本当のおっかさんではないけれど、ずっと、わたしらの暮らしを、見守るおっかさんです。後から、というのはつまり、大人になってからということですが、町へ出て、図書館で、官製の地図をみたところ、オモヤマという名前がつけてあったので、それに驚いた思い出がございます。オモヤマというのは、御母様の山と書いて、御母山でございます。
オモヤマが、赤く、そのお姿を綺麗に彩られますと、村では、子供は山に入ってはいけない決まりがございました。なんでも、自分の子供がおらないオモヤマのおんな神様は、子供をさらってしまうというのです。わたしらは、まだ小さな子供で、それもずっと昔のことでありますから、ひどくその決まりに、怯えておりましたところ、三つ四つという年頃の、まだ決まりを知らない、元気な男の子が、あやまってオモヤマにはいったまま、出てこないということがありました。その子のおっかさんは、もう子供は戻ってこないものだと、一晩、もう一晩と、限りなく泣き続け、やがてげっそりした様子で、村をふらふらと歩き回るばかりでありました。
これでは、あまりにもおっかさんが、不憫だというので、村の人々はいくらかで山探しをすることになりました。男の子がいなくなって、もう三日が経っていましたので、大人はみな、男の子はすっかりオモヤマの子になったのであろうとしていました。オモヤマの子になったのなら、もうめしを食わずとも生きていられるし、働かずともよい。なんといっても、神様のお子であるわけですから、それは幸せでないはずがないのです。ただでさえ、貧しい村では、まともに毎日のごはんをいただくことはできませんでしたから。それでも、自分のお子をとられてしまったおっかさんは、そう幸せではございません。オモヤマを恨むことはありませんが、それでも、苦しくとも、自分のお子は自分の側で育ててやりたいものです。かくいうわたしや、そのほかの子供らも、その、いなくなった子とはおともだちでありましたから、やはり、寂しい気持ちがありました。その子とは、もう会えないのかもしれないと思うと、お鼻が、つん、と痛んだのを、憶えております。
大人は、不思議なことに、わたしら子供にも、山探しを手伝うよう言いました。いくらかの子供は、自分もまた、オモヤマのお子になってしまうのではないかと、ひどく怖がりましたが、明るいうちにはいって、お天道様が傾けばすぐ出るので、オモヤマのお子にはならないで済むと言われました。それに、おともだちが、オモヤマで、もし寂しい思いをしていたとして、それなのに、山を怖がって山探しに出ないのは、薄情者であるといわれました。わたしらは、やはり怖がりましたが、薄情者とされるのもまた、嫌でありましたので、大人らについて、お子を探すことになりました。
山探しの日のその朝に、わたしらは、自分たちそれぞれのおっかさんから、お弁当をもたされて、子供たちだけで、山探しに出ました。大人たちは、後からやってくると、そう言いました。
オモヤマの、山道のその入り口は、綺麗な赤と黄が混ぜ合わさった、美しいものでした。わたしはそれを見て、もしかすると、オモヤマとは美しいもので、恐れるようなものではないのかもしれないと思いました。中に入ると、時折、ちらちらと、お化粧をすませた葉っぱが、あたまの上から落っこちてきました。見上げると、お天道様の光が、森の外から投げかけられていて、お山のその真っ赤な着飾りの内側が、驚くほど綺麗に光っていました。外から見るよりも、中から見たほうが、より、オモヤマが美しくあるので、オマヤマは、下手のお化粧をしたのだと、みんなに言うと、みんなは笑いました。
お山の中頃で、お弁当をあけて、めずらしく白いお米のあるおむすびを、一つ、いただきました。鱒のとれる川の水を、みんなで飲んでいたところ、もっとも年下の、一人の女の子が、「姉がおらない」と泣きだしました。わたしらは、そう言われて初めて、その女の子のお姉さんであった、十ほどのこれまた女の子が、みんなとはぐれているらしいことに気がつきました。あたりを見回し、その子の名前を大きな声でよんだりしても、やはり、お返事はありませんでした。不思議なことに、いつからその女の子がいなくなったのか、誰にもわかりませんでした。妹にも、わかりませんでした。その子はもう、ずっと泣いているほかありませんでした。わたしらは、はやく大人にこのことを言わなければと思いましたが、まだ大人は、追いついてこないようでした。
はじめに、お山の子になってしまった男の子も、山探しの半ばでいなくなった女の子も見つからないまま、わたしらは、オモヤマの、落ち葉の上を歩き続けました。すると、ふいに、森の中の、木々のあいだに、小さな子供の後ろ頭が見えたような気がしました。わたしがそれを言うと、みんなでそれを追いかけました。山道をはずれて、獣道にもならない、硬い下草の上を駆け出したのです。一番前にいたのがわたしでした。わたしだけが、ずっとその、子供の後ろ頭を見ていました。子供は、わたしと同じくらいの速さで、森の中を走っていきます。わたしが、おうい、と呼びかけても、気づかないようです。わたしの後ろからは、わたしについてきている子供たちが、草を踏みつぶしたり、落ち葉を蹴ったりする音が聞こえてありました。
少しずつではありましたが、わたしはその走る子供に追いついていました。わたしは村の中でも、かけっこでは、一番か二番に、速い子供でした。もうじき、手がかかるというくらい、近くまできたとき、その子はわたしのほうを伺うよう、首だけをくり、と回して、走りながらこちらを見ました。その子の顔は、石色をしていて、黒っぽいぶつぶつが、顔中に広がっていました。ふたつの目玉は、握りこぶしはほどに大きく、腐った果物のような、悪い黄色をしていました。口も、蛙のように大きく、その歯は、いがぐりでも噛み砕いてしまいそうなほど太っていて、そういう気味の悪い顔が、わたしを心底、馬鹿にしているような、恐ろしいお顔で、笑っておりました。わたしは、その気味悪い子の喉から、虫けらの声を、木々が擦りあわされてなるような、あのきりきりという声がしたのを聞いて、わあ、と叫びました。これは、鬼の子だった。わたしが足を止めて、その場にばさりと尻もちをつくと、どこからともなく、甲高い声で、やはりわたしをからかうような声がとても大きく響きました。わたしはぞっとして、立ち上がると、目の前には、おおきな崖がありました。やぶに隠れて見えなかったのでしょう。あのまま間違って、鬼の子を追いつづけていたら、わたしはそのまま飛び出してしまっていた。それにも、またぞっとして、みんなにこのことを話そうと振り向いたところ、わたしはようやく、自分がひとりぼっちになっていることに気がつきました。夢中で走っているうちに、ほかの子たちとはぐれてしまっていたのです。みんながどのあたりにいるのか、そしてわたしがお山のどこにいるのかは、もうさっぱりわかりませんでした。鬼に騙されて、おっこちそうになった崖のてっぺんからは、もうずいぶんと傾いていて、あと少しでいよいよ沈もうとしている夕陽が見えていました。これでは日がすぐに沈んでしまい、やがて夜になれば、わたしもオモヤマのお子にされてしまいます。
わたしは怖くなって、すぐさまお山を下りることにしましたが、もうすっかりお山に迷ってしまって、あちこちをあるき回るうちに、ついに森は暗がりが広がり、そこらじゅうの暗闇から、鬼の子の、黄色く光る目玉が、こちらを見て笑うのがわかるようになってきました。わたしはもう、元気をなくしてしまって、その場所でうずくまって、泣き出してしまいました。おなかがへっていますが、もう食べるものはありません。歩くのにも疲れてしまいました。地面をじっと見ていると、小さな手が土の上にあるのを見つけました。もう少し目を凝らしてみると、そこには、オモヤマのお子になったかもしれないといわれていた、初めの男の子が死んでいました。土とおんなじ色の肌が、皺だらけになっていて、目が半開きのままでした。生きていたころの、元気な子供らしさは、死ぬときに、すっかりなくしてしまったのだとわかりました。わたしはそれ見ると、今までの怖さがもうまったくなくなりました。しかし、その代わりというのでしょうか、こんどはとても悲しくなってしまいました。大人たちは、お山のお子になったと、口々にいいましたが、本当は死んでしまっていたのです。この子にはもう幸せもなにもなくなっていたのです。そう思うとと、今度は自分が生きているのか、死んでいるのかもさっぱり、見分けがつかなくなってしましました。ぼうっとしたかんじが、ずっと続いて、こんどは悲しい気持ちもどこかに消え入ってしまいました。
鬼の子たちが、少しずつわたしに近づいてきていました。その足元には、わたしといっしょに山探しに出た子供たちの、もう生きてはいないらしい体が、たくさん転がっていました。やはりみんな、ここにやってきて、そして死ぬのだとわかりました。どうやら、わたしらよりも、もっとずっと古いころの子供も、たくさんここには居るようでした。よく見れば、わたしが腰を下ろしていた石も、それは古くなって石のようになったしゃれこうべでした。子供がみんなしてここで、死ぬようになっているのだということが分かると、なるほど、あの鬼の子たちは、自分のおともだちを探しておるのだとも分かりました。鬼が笑うのも、自ずからわかるものでした。
やがて、もうなにも見えないほどに真暗になると、そこらじゅうで、笑い声や泣き声や、ほかの不思議な音がたくさんするようになりました。わたしはそれを聞いているのが、嫌になって、耳をふさいでおりましたところ、目の前が、ぱあっと明るくなっているのに気がつきました。そしてそこに、いままでに見たこともないほど、お美しい、天女さまがいらしていたのです。天女さまは、輝く衣と、驚くほどに甘い、不思議な香りに身を包んでいらっしゃいました。そのお美しさとすばらしい香りは、いまになっても、再びそれに会うことはありません。天女さまは、優しくわたしの手をとってくださり、わたしに饅頭を一つ、おあたえになりました。わたしはそれをいただくと、すっかり元気がふきかえしました。もう傍には、鬼の子らはおりませんでした。天女さまはわたしと手をつないだまま、山を下りなさいました。連れていただけるままに歩くと、あっという間にわたしは、村のはずれにまでやってくることができました。天女さまにお礼をもうしあげると、天女さまは、これまたすばらしくお美しい声で、あなたはあのようにはならないように、とおっしゃられました。わたしは、死んで鬼になった子供らのことだとわかりました。はい、とお返事をすると、天女さまはなにも言わず、すぐさま消えていってしまいました。
わたしが、自分のおうちへ帰ると、おっとさんもおっかさんも、泣いて喜んでくれたのを覚えてております。お山から戻ってきた子供は、わたしだけだったのです。天女さまのお話しをすると、やはり喜んでもらえました。お山から帰ってからというもの、わたしはもう、今までの遊びや、おしゃべりの中身が、さっぱりつまらなくなっていました。他のこと……例えば、どれだけの野菜が、畑からとれるかとか、村にいる人が、どれほどの数を超えると、食べ物の量が足りなくなるのかとか、そういったことに、興味が出るようになりました。
やがて、わたしが大きくなったころ、近頃はさっぱり聞かなくなっていたはずの、オモヤマのお子の話が、村中で噂されるようになりました。わたしはそのとき、またもや久しぶりに、天女さまとお会いしたことを思い出すようになっていました。ある日、秋のお山にはいった子供が、またもや帰ってこなくなりました。噂どおり、その子は、オモヤマのお子につれられたのだ、とされました。そのときは、わたしももう、村の大人の集まりに混じるようになっていたのですが、その集まりの中、大人の一人が、子供らにも、山探しをさせるよう言いました。わたしは、昔、山探しのときに、大変な思いをしたことがあるので、子供には山探しはできないというと、それきり、その集まりには呼んでもらえなくなってしまいました。さらに、ことあるたびにわたしは、村の中で仲間外れを受けるようになりました。みんなよりも、余計たくさんの仕事を、やらされることが多くなりました。わたしにはその理由は、わかりませんでした。
そんなある日、たまたま町からきた方が、上背ばかり大きくなったわたしを見て感心し、わたしさえよければ、町の兵学校の、寄宿生に呼んでやってもいいと言いました。村の人々は、仕事が忙しくなる時期だから、わたしには行くなといいましたが、わたしは行くことにしました。
馬挽きの車に乗るのは、それが初めてのことでした。それは、天井もなければ、背もたれもない簡素なものでした。その馬車に乗せられて、町にゆくとき、道をふりかえると、村の人々がみんなしてわたしを見送っていました。でもそれらは、ひどく恨めしげな顔をしていて、それを見るとわたしは、二度と村には帰って来れられないような気分になりました。それと同じくして、村の人々が、いつか見たあの鬼の子らと同じような、恐ろしい目玉でこちらを睨みつけているのを、わたしは認めました。
もう、今となっては、村はどこにありません。貧しい村でしたから、それからしばらくして、みなどこかにちりぢりになってしまったと、人づてに聞いております。