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あの世の幻想とこの世の現実

作者: 高田圭一

 私は前世を彷徨っていた。私のすぐ上の姉が降り積もった雪に足を取られて、泣きじゃくっていた。

 「助けて!」と悲愴な顔で助けを求めつ続けていた。

 私は助けに行こうと必死で動こうとするが私もまた三十センチ以上の雪に埋まった足が動かなかった。

「おっちゃん、母ちゃん、祖母ちゃん,速く来て、お姉ちゃんが!」呼べど答えず三人とも、うんともすんとも返事がない。

 私はどうしてもお姉ちゃんを助けなければならないと、雪を掻き分けてお姉ちゃんの所まで辿り着いた。

 ここで、場面は消えた。次はお祖母ちゃんが私をおんぶして、幅の大きな川をわたっていた。

「モウジャンタッタモウジャンタッタバアシャンバケタ」理解不能な言葉を祖母は繰り返しながら川を渡っていた。

 川には飛び石という川の水面から二十センチ以上の石が敷かれていた。

 川のみずは灰色に見えた。お祖母ちゃんのリズミカルな歌に誘われるかのように、私はお祖母ちゃんの背中で眠っていた。

 川の流れがチョロチョロと私の耳をくすぐり、そのおだやかな音が私の眠りに拍車をかけた。

 木々も灰色と黒であった。白と灰色と黒、色の付いたものといえば、唯一、金色のお星様だけであった。

 父は私が三人の姉の下に、初めての男の子として生まれたので、目の中に入れても痛くないように可愛がった。

 父は長い顔で、テニス、剣道を続けていたのでライザップに通ったような筋肉マンであった。

 ある寒い日に、雪の降りすさぶ中、父と神社にお参りした。

 また別の日には、田舎の炭鉱の町で、女が「お父さん、寄っていらっしゃい」黄色い声を上げて来た。

 いつも優しい父が怖い顔に変身して私の腕を摑んで強引に女から遠ざけるように道の反対側に引っ張った。

 大人になって考えたが、遊郭の女だったような気がする。


 軍艦島の見える島


 ケイ島で私は小学校一年になった。前記のあの世のような幻想の世界から、この世の世界へと彷徨い歩いて来たような思いがした。

 それでもまだミステリアスな事が起こってきた。

 軍艦島を望む海岸近くに鉄もう状の高い金網が聳えていた。

 金網の中には金髪の十代の少年たちが日本軍に苦しめられていた。

 「ハリアップ、ウオーク、ワーク」鞭で容赦なく叩かれていた。

 そのアメリカ人の中に私に似て骨皮筋衛門の少年に私の眼は引きつけられた。

 担任の西岡先生に、骨皮筋衛門と英語話したいので英語を教えて欲しいと頼み込んだ。

 先生は、「じゃぁ名前をまず聞きなさい」ニコニコ顔でささたいた。

「えっ、なんて言えばいいんですか?」私は待ちどうしそうに、もどかしそうに先生の言葉を待った。

「ウヲッユウアネームと聞けばいいのよ」私はその言葉を覚えられるだろうかと考え込んでいた。

「あのね、長崎の女性は「あなたはね、と言う時、おうちわね、と言うでしょう、だっからさ、オウチワネ、と覚えて、ネをネーと伸ばすのよ、本当はネームと言うんだけどネーと伸ばせば通じるとおもうよ」

 私は日曜日の十二時を選んで、いつも行く海岸線ではなく、丘を越えて金網を目指した。

 私は「ウオッチャネ」を繰り返しながら歩き続けた。

 運よく金髪の骨皮筋衛門の寂しそうな横顔が金網のすぐ傍に見えた。

 その眼差しは軍艦島に向けられていた。私はにっこり笑って「ウオッチャネーム」口から無意識に出てしまった。

 彼もニッコリ笑い返して「ウイリアムパーキン」と黄色い明るい声が反射的にかえってきた。

 パーキンは軍艦島の方を左手の人差し指で差しながら、英語でなにか話しだした。

 残念ながら私には英語が分からなかった。なんとか、いくつかの単語を聞き取ろうとした。

「ウウン、イヤア」とか分かった振りをして首を縦に振った。

 質問されると答えられなくて困るので早く引き挙げた方がいいように思い出した。

「サンキュウ、シーユウアゲイン」これも西岡先生に教えてもらっていた。

「ノープロブレム、ミーツー・シーユーアゲイン」と彼はまだ話したさそうな素振りをみせた。

 私は三歩ぐらい歩いて振り返ってパーキンを見た。

 彼もずうっと私を見送っていたようだった。

 私は小躍りするように、飛びあがって右手を振った。

 私は百歩ぐらい歩いて.三十歩戻ってパーキンを見た。

 彼は海を見つめていた。多分アメリカにいるだろう母親の事を偲んでいたのだろうと推察した。

 西岡先生のところに私は歩を速めた。先生に彼の名前だけは聞けた事を報告した。

「よくやったね、上出来、上出来、それで名前はなんていったの?」

「ウイリアム、パーキンというそうです。

「ソレハパーキンじゃなくて、パーキンスと思うよ、アンソニーパーキンスというアメリカの映画俳優がいるのよ。あんたに似てるけどあんたは足が短いけど、アンソニイは背が高いのよ、多分ウイリアムもアンソニイみたいに背が高かったんじゃない?」

「そうなんです、僕が見上げていましたから」


  雅子

 父が小学校の校長をしていたので、私たち一家は長崎市外のえむ町に転勤で引っ越すことになった。

 昭和二十年の事だった。社宅は幅の大きい川が流れていた。

「空襲警報が出てるけん遠くに行かんで家の前の防空壕の上で遊ばんね」病弱で痩せた母が玄関迄ついてきて念を押した。

「はーいわかりました」念を押された事に反発するかのように、私は敬語を使った。

 私は防空壕の上にいたが、家の前の川に平たい石を拾って、アンダースローで投げて水面を三四回沈まないで行くように投げていた。

 空はどこまでも青く透き通っていた。灼熱の太陽が容赦なく私の全身に突き刺さるように照り付けていた。

 と!その時「ピカッドンドンドン」と一瞬青空がまっ白に変わり「ドロドロドロ」と、空中に轟音が響き渡った。

 キノコ状の灰色の雲のような不気味な光景が空を覆い尽くした。

 姉二人は軍事工場に時限爆弾が落ちていたので休みだった。

 しかし父の長男に頼まれて預かっていた一人娘の雅子は工場に行ってしまった。

 雅子はオカッパの髪でホッペが赤くて、私を海や、ビー玉などに連れまわした。わたしが泳げないと言うと青年団を雇って子船を出させた。

「沖に行け」怖い顔になって命令した。

「この弱虫ばほうり投げろ」青年団は投げるのは可哀そうという顔をしたが、雅子の迫力に押されて私をほうり投げた。

 私は塩辛い水よりも死ぬのではないかという恐怖心が必至で犬かきを繰りかえした。

 今孫に五十米一気に泳いで見せられるのも雅子のお陰である。

 父は自分の娘は助かって預かった兄の一人娘に万一のことがあってはならないと、一週間探し回った。

「雅子ネーチャーンどうして帰ってこないのよー!」海に向かって私はおお声で叫んだ

忘れ物したと言って戻ってきたとき、もう行かんで、と、私がいったのに、いや友達と約束してるけん行くとよ、と、言って出かけてしまった。

 天草通いの定期船が「ポーッ」と空しく応答しカモメが悲しそうな姿で天に向かって飛び立つのだった。      

「モウジャンタッタ」のフレーズは次の言葉だった。【「日本勝った、日本勝った、ロシア負けた」と言っていたことが分かった。早速歴史を調べてみると、千九百五年の日ロ戦争のことだった。

 あの世の幻想でなく祖母が私を寝付かせるため、歌っていた事が判明した。 完




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