第五十一話 禁忌の魔法
眉間にしわを作ったエルレインは、怖い顔で俺を睨む。エルレインの急な態度の変化に、俺は目を瞬きながら声を掛けた。
「あのエルレイン先生?」
「ああ、いえ。ごめんなさいね。ちょっと取り乱しました」
俺のおびえた様子にエルレインは、きつく目を閉じてから首を左右に振って気持ちを落ちつける。その後、倒した椅子を元に戻して、座り直すと「ふぅ」と一息ついてから、再度、話を切り出してきた。
「今のはどういう意味か、もう少し詳しく説明をお願い出来ますか?」
・・・一体、何だったんだろう。もしかして、悪いことを聞いてしまったのだろうか?でも、話を続けるように言われているから、止める訳にもいかないな。
「・・・分かりました。俺の父様のことを、先生はご存知でしょうか?」
「もちろんです。元王国騎士団長のアレックス様ですね」
「そうです。では、元騎士団長の父様が騎士団を辞めた原因をご存知ですか?」
「ええ、知ってます。何でも任務中に負った怪我が原因で、利き腕が思うように動かせなくなったのですよね?その頃、私は学生でしたが、騎士団長が辞めるという話は結構な騒ぎになっていたわ」
エルレインの答えに俺は大きく一つ頷いて、それから本題に入った。
「詳しくは言えませんが、ある闇属性の魔獣・・・あ、いや、魔物かな?まあ、いいか。その闇属性の魔物と係わってから、父様の腕に黒いもやのようなものが見えるようになったのです」
闇属性の魔物、厳密に言えばブラックドラゴンのクリューのことである。きっかけは、クリューと一番初めに出会った時だ。卵から孵る前のクリューに根こそぎ魔力を奪われてから、俺はアレックスの右腕に黒いもやのようなものが少し見えるようになっていた。初めは「疲れ目かな?」と思っていたのだが、実際はそうじゃなかった。
日を追うごとに黒いもやが明確に見えてきて、最終的には、黒いもやがアレックスの腕にまとわりついて離れない様子が見て取れた。その様子に、もしかしてこれが利き腕が動かせなくなった原因じゃないかと思うようになった。
ある時、そのことをアレックスに言ったら「大人をからかうもんじゃない」と怒られてしまった。当の本人には全く見えていないため、信じてもらいようがなかったのだ。そこで、せめてどういう感じなのか腕に触らしてもらうことにした。
腕にまとわりつく黒いもやに触れたことで、闇のマナが干渉していることが分かった。だが、分かっただけで魔力を通してみて、闇のマナに働きかけても何も起きなかった。結局、黒いもやを取り払うことは出来なかったのである。
最後に「もしかして、父様の怪我って闇属性の攻撃魔法を受けたものですか?」と質問したら、「なぜ、分かったんだ!?」とびっくりされた。その後、「まるで見ていたようだな」と苦笑しながら、俺の頭を目一杯撫でてきた。何かを誤魔化されたような気がしたが、それ以上は何も語らないといった表情を浮かべていたのが印象的だった。
「そういうことで、父様の利き腕が動かない原因は闇属性にあるんじゃないか、と思ったのです」
「そう。そういうことですか」
エルレインは、俺の説明を聞いて一言つぶやいた後、さっき魔法少女の話をしていた時のように、手を口元に当てながらブツブツと喋り始める。「まさか」とか「いえ、しかし」とか「でも」といった内容が漏れ聞こえてくる。
しばらくブツブツ言った後、何かに思い至ったのか、「確かめなくては」と言って立ち上がると机の上に身を乗り出した。エルレインは机の上に、乱雑に置かれた物の中から何かをゴソゴソと探し始める。どうやら、目的の物はエルレインが座っていた位置から一番遠い位置にあったらしく、エルレインはほとんど机の上に乗っているような状態になってしまった。
・・・ちょっ、先生。その格好、スカートがちょっと短いんだから見えちゃうって!
どうも、この先生はテンパったり、考え込んだりすると一種のトランス状態になるようだ。後先のことを考えないで行動をする色々な意味で危ない人だなと思った俺は、心の中でため息を吐く。
「あった、これです。それじゃあ、ちょっとこの本の中身を見てくれるかしら?」
「それは分かりましたから、とりあえず先生、着替えて下さい」
俺は、「魔石に魔力を貯め終えました」と言ってステッキをエルレインに返す。エルレインは、それと引き換えのように、本を俺に手渡してきた。エルレインは、受け取ったステッキの魔石をまじまじと見て確認すると「うん。ちゃんと、貯まっていますね」と頷いた後、自分の服装を一瞥して「着替えなきゃ駄目?」と聞いてくる。
・・・何でちょっと不満そうなんですか!
可愛いものが好きなのは分かったから、とりあえず何か事故が起きる前に着替えて欲しいと思った俺は、無言で大きく首を縦に振る。エルレインは、仕方がないといった表情を浮かべながらステッキを起動させた。
研究室に入った時に見た、姿見の前にエルレインが立っていた時と同じように、エルレインの身体が闇に包まれた後、カッと光を放って元のローブ姿に戻った。服装のことはともかく、凄い技術には違いないことに、俺は感嘆の息を吐いた。
「本当にすごいですね。えっと、でっ、本を読むでしたか?ずいぶんと立派な本ですね。でも、表紙に何て書いてあるか読めないんですけど、もしかして古代文字でしょうか?」
ちょっと古めかしく、埃っぽい匂いのする本。立派な皮の表紙にこの本のタイトルと思しきものが書かれていた。だが、残念なことに見たことのない文字で書かれていて、今の俺には読めなかった。ただ、一番初めの遺跡探索で、遺跡の最奥で発見した資料の文字と似ているような気がしたので、古代文字かとエルレインに尋ねてみた。
「文字は読めなくても構わないので、その本を開いて、中を見て下さい」
読めなくてもいいので本を見ろと指示されて、一体何の意味があるのかと俺は首を傾げて不満を訴える。だが、エルレインの早く早くと急かすような目の訴えに負けて、俺は太もも上に本を置いて、無作為にガバッと本を開いた。
「え?」
本を開くと、開いたページから黒いもやが煙のように立ち上がる。そして、黒いもやが手のような形となって俺に絡み付いてきた。その後、俺はその黒い手に本の中に引きずり込まれるような感覚に襲われる。
突然の出来事に思わず本をバンッと閉じた後、投げ捨てるように本を手放した。そして、少しでも本と距離を取りたいと本能的に思ったようで、椅子をガタッと倒しながら俺は後ろに大きくジャンプしていた。だが、それほど大きくない部屋のため、俺は勢いよく背中と後頭部を壁にぶつけてしまう。狭い研究室にゴッという鈍い音が響き渡るとともに、俺はその場に崩れるように倒れ込んだ。
「はぐぅ・・・。っつぅ・・・。まさか、これが俺の記憶を消去するための先生の罠だったとは・・・。ガクッ」
「だいじょう、ぶそうですね。それより、一体、何を見たのかしら?」
・・・茶化した俺が悪いのだが、本気で痛かったのでもっと真剣に心配して欲しいです先生。
俺のことを心配するよりも何を見たのかを気にするエルレインを俺は立ち上がりながら涙目で睨む。だが、すでにエルレインの意識は、俺に怪我がないかと心配するよりも、何を見たのかという意識でいっぱいであった。期待を込めるように向けられたキラキラとしたエルレインの眼差しに俺は毒気を抜かれてしまう。
俺は一つ大きなため息を吐いてから、頭を治癒魔法で癒しつつ、倒した椅子を元に戻して座り直す。ふと、足元に放り投げた本があることに気付いて俺は本を睨む。どうやら、本を閉じていればあの黒い手は出てこないようである。俺は恐る恐る本を拾い上げてエルレインに突き返した。
「先生!何ですかこの本は!いきなり襲われてびっくりしたじゃないですか!!」
「襲われたとは、どういう意味ですか?そこのところを詳しく良いかしら!」
「むぅ。やけに嬉しそうですね。別に良いですけど・・・。本を開けたら黒いもやが出てきました。それが、手の形になって俺に襲ってきたんです。そしたら、本の中に引きずりこまれるような感覚がして」
「そう・・・」
エルレインは俺の話を聞くと、本を愛でるように撫で始める。さっきまでの興奮した雰囲気から打って変わって、今はちょっと寂しそうな表情を浮かべている。ころころと表情がよく変わるなぁと思いながら俺は、その様子に首を傾げる。・・・本当に一体、何だと言うのだろうか。
しばらくするとエルレインは、意を決したかのような顔付きに変わり俺を見つめてくる。
「先ほどのアレックス様の黒いもやの話ですがルート、君が考えているように闇属性のによるものだと思います」
「それは、その本の黒いもやと父様の黒いもやが、同じものだということですか?」
「ええ、そうです。効果は別物でしょうが、間違いないと思います。闇属性の特性を活かし、相手の生命活動をおびやかす禁忌の魔法があります。それを私たちは呪いと呼んでいます」
「呪いですか?」
「そうです。そして、この本は呪われているのです。この本を読むと知らず知らずの内に、魔力を根こそぎこの本に奪われて死に至ります」
「ん?ちょっと待ってください。そんな危ない本と分かってて、何て本を読ませるんですか先生!」
呪いの本とは知らされずに読まされたことに悲鳴のような声を上げると「でも、ルートは気付いたでしょう?」とエルレインに言われてしまう。確かに気付いたけどもと不満に感じながら、あの本に引きずり込まれる感覚は、俺の魔力を本が吸い取ろうとした感覚なのかもしれないと思った。
「ルート。呪いがなぜ禁忌とされているか分かりますか?」
「え?えーと、そうですね。・・・今までの話の流れから推測すると、普通は気付くことが出来ないからでしょうか?・・・つまり、呪いは認知することが出来ない?」
俺の答えにエルレインは「そうです」と言って、一つ頷くと呪いが禁忌とされている理由を語ってくれた。その理由は、大きく分けて二つ。一つ目は、通常、呪いはその呪いを発動した者にしか見ることが出来ない。二つ目は、呪いは発動した者にしか解くことが出来ないである。
呪いを受けたことを自覚出来ない上に、呪いの種類によっては死ぬ可能性まである。そんな発動した者が完全に有利な魔法である呪いが、好き勝手に使用されていたら、この世は混沌としているに違いない。そんな危ない魔法は、禁忌と言われていて当然である。
エルレインが語った理由を聞いて納得していた俺だったが、ふと、あることに気が付いて頭を抱えることになる。
その条件だと、呪いを発動した本人を捕らえなければアレックスの腕の呪いを解くことが出来ないということになる。アレックスが呪いを受けたのは、もう何年も前の話だし、仮に呪いを掛けた張本人を探し出したとしても、呪いを解いてもらえるとは思えない。アレックスの呪いを解くことが、絶望的じゃないかと考えた俺は肩落として落胆する。
そんな俺の両肩にエルレインは、手を伸ばして優しく掴むと励ますように語りかけてくる。
「今説明したとおり、普通は呪いを発動した者しか解くことが出来ません。ですが、ルート。カスグゥエンの眼を持つ君になら呪いを解くことが出来るかもしれません」
「それは、どういう意味でしょう?それにカスグゥエンとは何ですか?」
「カスグゥエンとは、闇の大精霊の名前です。国によっては、神と崇められている場合もありますね」
「もしかして、光の女神フィーリアスティは、光の大精霊ということですか?」
「ええ、その通りです」
・・・そうなると、樹属性の精霊であるウィスピも一種の神様になるのだろうか?・・・いやぁ、それはないない。
「話の腰を折ってすみません。えっと、それで、その闇の大精霊の眼とは一体なんでしょう?」
「呪いを見ることが出来る眼をカスグゥエンの眼と呼びます。師匠から話を聞いていましたが、まさか実在するとは思っていませんでした」
カスグゥエンの眼を持つ者がいたという話は、何百年も昔の話らしい。エルレインの師匠は古い文献にその記述を見つけたそうだ。それを見つけた師匠は、興奮しながらエルレインに語ったのだと、エルレインは過去を懐かしむような遠い目で話してくれる。
「もしかして、先生の師匠は・・・」
「すでに亡くなっています。呪いによる衰弱死でした。私の師匠は、自身の呪いを解くため、呪いの研究をしていました。実は、この本には、呪い掛けるための術式について、詳しく書かれているそうなのです。ですがこの本の著者は、後世の者が悪用出来ないように、本自身に呪いを掛けたようなのです。この本をまともに読むことが出来ればと晩年、師匠はよく呟いてました」
呪いの本とはいえ、先生にとって思い出の品を放り投げてしまった。そのことを申し訳ないなと思いながら、俺はふと、エルレインの言葉におかしな点があることに気付いて首を傾げた。
「先生?呪いは発動者にしか解くことが出来ないのではなかったのですか?」
「そうです。それが本題なのです。呪いは、相手にどのような制限を掛けるのか、ということを術式して発動するそうです。そして、その呪いを構成している術式を見ることが出来るのは発動者のみ。それが、呪いを解けるのは、呪いの発動者だけと言われる所以です」
「なるほど。その呪いを俺は見れると?」
エルレインは大きく頷きながら俺の両肩に乗せていた手を下ろすと今度は俺の手をギュッと握ってきた。
「呪いを見ることが出来るルートになら、呪いを構成する術式を紐解くことが出来るかもしれません」
「つまり、紐解くことが出来たら、呪いを解くことが出来るということですね?」
俺はエルレインの言葉の中にある可能性に期待を込めて聞き返す。だが、エルレインは、「それは少し違います」と言って小さく首を横に振った。
「あくまでも、呪いを解けるのは発動者のみです」
「え、それじゃあ・・・」
ぬか喜びじゃないかと思い俺は眉をひそめる。すると、エルレインは「話は最後まで聞きなさい」と言われてしまう。エルレインの勿体振った態度に、ちょっとムッとした俺は不満を表すように頬を膨らませた。
「ふふ、ごめんなさい。師匠がその命を懸けて研究してきた成果を、もしかしたら実らせることが出来るかもしれないと分かって、ちょっと興奮しているようです」
エルレインは、握っていた手を放すと俺の膨らませた頬をツンツンとつつく。「師匠の研究を私は受け継ぎましたが、私では到底、達成出来ないものでしたから」と悔しさを滲ませた苦い笑顔を浮かべる。俺は頬を膨らませていた空気をプシュと吐き出して、改めてエルレインに問い掛けた。
「先生、何をどうすれば良いのですか?」
「呪いを構成している術式を読み取り、それをルートが上書きするのです。つまり、呪いの発動者を自分に書き換えるという訳です。それが、師匠が残した呪いに対抗するための術です」
「呪いを乗っ取って、自分が呪いの発動者になった上で、解くいうことですね。でも、本当にそんなことが出来るのでしょうか?」
「それは、やってみなければ分かりません。でも、私は師匠がやってきたことを信じています」
俺にとってエルレインの師匠が信用に足る人物なのかどうか話を聞いただけでは分からない。だが、手を拳にしてグッと握りながら、眩しいぐらい真っ直ぐな目で語るエルレインのことは、人として信用出来ると素直に思えた。最近まで、殺伐とした人間関係を目の当たりにしていたので余計にそう思える。
・・・ところで、あれこれ教えてもらって今更だけど、禁忌の魔法だと言っていたのに良いのだろうか?
「呪いに関して教えて頂きましてありがとうございます先生。でも、色々と喋って良かったんですか?禁忌なんですよね?」
「ええ、そうです。その通りですが・・・」
エルレインは、再度、俺の手を取ってニコリと笑顔を見せる。その顔には「言わなくても、もう分かるでしょう?」と書いてあるような気がした。察した俺は、エルレインの笑顔に応えるように、俺もニッと笑顔を作って見せた。
「つまり、秘密を知ったからには生かして返すつもりはないということですね?」
俺の言葉に、ピクッと眉を動かすエルレイン。表情はニコリと笑顔のままではあるが、先ほどはなかった威圧感が凄い。エルレインは、俺の手をスッと放すと滑らかな動きで俺の両頬まで持ってくる。そして、力一杯、俺の両頬を引っ張った。
「んんん?そんなことを言うのはこの口ですか?この口ですね!?」
「ふぇんふぇ、いらいれふ、ふふぉくいらいれふ!」
場を和ませるちょっとした冗談のつもりだったのに、エルレインの力の入れ方は本気だ。頬が千切れちゃうと俺は必至でエルレインの腕にタップするが一向に止めてくれない。しばらくすると満足したのか、「全くあなた言う子は・・・」と言いながら手を放してくれる。
「ちょっとしたお茶目なのに・・・」
「今は、真面目な話をしているので必要ありません」
「はい、ごめんなさい」
俺が素直に謝ったことで、エルレインは軽く頷くと右手を俺の前に差し出してくる。
「ルート。闇属性の研究室に歓迎します。あなたは、この研究室の記念すべき一人目の生徒です」
「ありがとうございますエルレイン先生。一人目なのは、どうかと思いますが宜しくお願い致します」
俺はエルレインの右手を取って握手を交わす。一時は無理だと思った闇属性の研究室入りだが、無事に入ることが出来て本当に良かった。これで、学びたかった魔術具の製作を教えてもらえそうだ。それに、アレックスの腕を治すことが出来るかもしれない手掛かりを得ることが出来た。
「よし、頑張るぞー!」
「ええ、ルートには期待していますよ。色々と面白いことを知っていそうですしね」
研究室入りを果たしたその日は、呪いについてもう少し詳しく話を聞いた後、エルレインが試作した変身ステッキについて議論を交わした。その折、ふと、蒸し返すつもりではなかったのだが、疑問に思ったことをエルレインに聞く。
「ところで先生。実際のところ、どうやって俺の記憶を消そうとしたんですか?」
「もちろん、これでですが?」
雑多に物が置かれた机の上からエルレインが手に取ったのは、どこからどう見てもただのカナヅチだ。
・・・やっぱり、撲殺じゃないですかやだー。