閑話 女神の使い
「フリットさん!やっと見つけた」
「ミーアさん。見つかったんですか!?」
冒険者ギルドの受付嬢であるミーアが息を切らせながら、今、俺が居る光の女神を祀る礼拝堂に駆け込んできた。俺が緊急で頼んでいた治癒魔法が使える魔法使いが見つかったのかもしれない。
土の季節初旬にあったクリムギアの騒動後、俺は当時付き合っていたエミリと結婚をした。結婚をしてからすぐに分かったことなのだが、既にエミリは身籠っていた。結婚だけでなく子供が出来ていたことにその時は、二倍喜んだ。
このまま、順調にいくと思っていた。たが、水の季節の二月目に入ってから状況が一変する。例年に見ないほど、毎日の様に外は吹雪。さらに太陽は厚い雲に覆われて、気温が上がらない寒い日が続いた。そのせいで、エミリは体調を崩しがちになっていた。
ある日、隊長のアレックス様から吹雪の原因になっている魔獣の話を聞いた。そして、かなりの危険が伴うが討伐に志願するものはいないか、という話もあり俺は志願した。エミリとお腹の子のために、早くこの吹雪を終わらせなければと思ったからだ。それに、クリムギアの騒動があってから、俺は自分の家族を守るためにアレックス様の厳しい鍛練を受けていた。今こそ鍛練の成果を見せるとき、と俺は意気込んだ。
討伐は、危険と言われていたが怪我人を出すこともなく、しかも呆気なく終わった。信じられない話だが、たった一人の少年によって実に呆気なく。
彼の目の前に魔獣が降り立った時、彼は微動だにせず、魔獣を睨みつけていた。その様子に、子供に負けていられるかと奮起したものだ。だが、アレックス様を筆頭に戦ってみたものの、本当に勝てるのかと思った。
そんな魔獣を軽く討伐してしまった。彼との係わりがほとんどなかった同僚や中級冒険者は、不気味なものを見る目で彼を見ていた。その視線を少し不快に思いながらも、俺もまた、短期間でどんどんと強くなる彼のことが少し恐ろしいと思った。
魔獣討伐後は、それまでの天気が嘘のように晴れた。さすがに季節が季節だけにまだまだ寒い日が続いていたが、それでも、吹雪いていたときと比べると暖かくなった。エミリも体調を崩すことが減り、俺は安堵していた。
だが、事態は急変した。水の季節の三月目の終わりが近付き、風の季節の気配がする頃合いになった今日、エミリが産気付いた。でも、まだ、子供が産まれてくるには二月は早い。だが、産気付いてしまった。とりあえず、ご近所の出産経験者と産婆を呼んでエミリの対応をお願いした。
エミリの容体の見た産婆の話によると状況が良くないそうだ。「このままだと母子共に危険だ」と言われて、俺は気が遠くなる。だが、産婆がボソッと呟いた「治癒魔法が使える人がいたらねぇ」と言う言葉を聞いた瞬間、俺は駆け出していた。
・・・冒険者ギルドに行けば誰か居るかもしれない!!
とにかく走って冒険者ギルドにたどり着いた俺は、カウンターにいたミーアに治癒魔法を使える魔法使いを緊急要請した。しかし、治癒魔法が使える者はこぞって遺跡調査に出払ってしまったとのことで、すぐに来てもらえる人が居なかった。それでも、事情が事情なのでミーアが戻ってこれる者が居ないか確認してくれることになった。
その後、ただ何もせずに待っていられなくなった俺は、エミリと結婚の誓いを交わし合った礼拝堂に来た。礼拝堂はそれほど大きくなく、こじんまりとしているが光の女神フィーリアスティを象った像が置かれている。光の女神は、生命を司ると神様だ。だから、俺はその像を前にしてただひたすらに祈りを捧げていた。
「ミーアさん!見つかったのですか!?」
「ええ、ちょうど、彼が冒険者ギルドに顔を出したの」
「・・・ルート君」
ミーアの後ろから出てきた者を見て思わず上擦った声を出してしまった。そんな俺の様子を見て、少し気まずそうに「フリットさん」と声を掛けてくれる。
「話は、ミーアさんから聞きました。あの、俺で問題なければすぐにでも向かいます」
申し訳なさそうな顔をしながら話す彼の言葉を聞いて俺は目を丸くする。
・・・君はなぜ、わざわざそんな確認を?いや、違う。俺のじゃないか。
治癒魔法が使える魔法使いを欲していて、それを彼が引き受けてくれるのは願ったり叶ったりだ。彼にはそれだけの実力があるのだから。だが、そんな彼がわざわざ、依頼主である俺の確認を取ろうとしている。彼は、魔獣シロ・クマ討伐以来、俺が忌避していること分かっているのに違いない。まだ十歳にも満たない少年に気を遣わせてしまっていることに俺は自分が恥ずかしくなる。
・・・何やっているんだ俺は。
俺は、両手で思いっきり自分の両頬を叩いた。静かな礼拝堂にバンッと音が鳴り響く。そして、俺は右手を伸ばしながら彼に近付いた。
「すまない、ルート君。頼めるか?」
「分かりました!」
「ただいま戻りました。彼が治癒魔法が使えます」
「おや、君は確か・・・。そうそう、アレックス様のところの。じゃあ、すぐにでも頼めるかい?」
「はい。妊婦の方の状況を教えてもらっても良いですか?それと、過去に治癒魔法を使用しての出産に立ち会ったことがあるんですよね?良かったら指示をお願いします」
俺は、自分の家にルートを連れて帰り、産婆に紹介した。産婆がルートを連れてエミリの居る部屋に入ろうとしたので、俺も中に入ろうとしたところで、「男は邪魔になるだけだから邪魔だ!」と産婆に言われて締め出されてしまった。
俺は「そんな」と思いながら、エミリの居る部屋のドア越しに俺は腰を落ち着ける。中からは、産婆やルート、それにご近所の出産経験者の声が飛び交っていた。俺が今出来ることは、もう祈ることしかない。
「光の女神様。どうか、どうかエミリを助けてください」
やがて、部屋の中から喧騒が聞こえなくなるとドアが開く。ドアを背にしていた俺はドアが開いてそのまま中に倒れ込むように入る。
「はぁ。何してんだいあんた?」
「・・・終わった・・・んですか?エミリは、子供は?」
「奥さんは心配しなさんな。彼の魔法のお掛けで無事だ」
産婆の言葉を聞いてガバッと起き上がった俺はすぐにエミリが寝かされているベッドに近付いて彼女の手を握る。
「良かった。本当に良かった」
「フリット。・・・ごめんなさい。本当にごめんなさい」
俺が手を取ってエミリの無事を喜んでいると、エミリは目から大きな粒の涙を流しながら俺にひたすら謝った。俺はそれで、子供がどうなったのかを覚る。
「フリットさんや。子供も実は無事に産まれたんだ。けどね。やっぱり早すぎたんだよ・・・」
「え?」
エミリの様子から亡くなったと思っていたら生きていると言われて目を瞬いた。俺は、赤ちゃん用に準備をしていた小さなベッドに目を向ける。そのベッドの前にはルートが立っていた。彼と目が合うと「こちらに」と言われたような気がして俺はベッドに近付いた。
「・・・女の子か。・・・クッ、でも」
俺が知っている赤ちゃんとは違って小さかった。職場の先輩の赤ちゃんを見せてもらったことがあるがその子よりも明らかに一回りは小さい。そして、俺は「なるほど」と納得していた。エミリの体調不良が続いた時に、もしかしら、早産になる場合があると聞いていた。そして、早産の場合、産まれてきた子供が無事に育つことはないとも。早産の子は、非常に虚弱で、すぐに病気に掛かってしまうらしい。
俺は小さな我が子を見た後、それでもどうにかできないかと辺りを見渡す。だが、誰も彼もが子供は諦めるしかないと言った表情をしていた。ああ、やっぱり、子供は諦めるしかないのか・・・。
どうしようもない絶望的な状況に、自然にボロボロと涙が流れる。すると誰かが俺の袖を引っ張った。
「・・・ルート君?」
袖を引っ張った主を見遣ると、ルートであった。そういえば、元々この子の一番近くにいたからすぐそばに居るんだった。
「フリットさん。諦めるんですか?」
「え、ルート君。何を?」
「もう一回、聞きます。諦めるんですか?」
ルートは真剣な眼をして俺に問いかけてくる。その眼は、他の大人たちには見られない、諦めていないといった眼であった。その眼を見ていた俺はいつの間にか涙が引いていた。
「ルート君。君は何を言って」
「・・・分かりました。聞き方を変えましょう。この子は見捨てるんですか?」
ルートの言葉に胸がドキリとした。そして、言われたくないことをはっきりと言われて、俺はカッとなって言い返す。
「誰がこの子を見捨てるものか!俺とエミリの大切な子供だぞ!?」
「じゃあ、助けるんですね?」
「当り前だ!見捨てるつもりなんてさらさらない!!」
「分かりました。それじゃあ、俺はそれに応えるまでです。但し、覚悟はしていてください」
売り言葉に買い言葉で俺はルートを怒鳴りつけていた。だが、ルートは、聞きたい言葉を聞いたと言わんばかりに満足した顔をすると我が子の寝ている小さなベッドに手をかざし、目を閉じて何やら集中をし始めた。
「ルート君。君は本当に何を・・・・。え!?」
ルートが目を見開いた次の瞬間、赤子をベッドごと包み込むように光の繭のようなものが出来ていた。
「ルート君。これは一体」
「この子の周りに光の領域を作りました」
「領域って確か、魔獣シロ・クマのときに使っていたあの?」
「ええ、そうです。それの応用ですね。この領域の中であれば、常に治癒と浄化、それに補助魔法による体力の向上を受けることが出来るようにしました」
彼の言葉に俺は、目を見開いて驚く。周りの大人も唖然とした状況であったが、それを余所に彼は、道具袋に手を突っ込んでごそごそと何かを取り出し始めた。
「あのルート君?」
「フリットさん。これから、この領域を長く維持させるために魔力を注いでいきます。少なくともこの子が普通の赤ちゃんと変わらないぐらいに育つぐらいに」
そう言いながらルートは道具袋から大きなビンを取り出した。ビンには、実に苦々しい緑色をした液体が入っている。
「で、ですね。出来れば、これを使っていたことは内密にお願いできますか?エリオットさんからもらった魔力を回復させる薬を勝手に再現をしたものなんですが。一応、学園に入った者しか知らないものだって話だったので」
ルートは「まあ、完全に再現出来てわけじゃないですけどね」と言いながら気まずそうに頬を掻いていた。その様子が、いかにも悪戯をして怒られることを恐れる子供のようだと思い俺は思わず吹き出してしまう。
「ぶっふぅ。ククッ」
「ちょ、なんで笑うんですかフリットさん」
「ああ、いや。すまない、すまない。ちょっとな」
戦いの時やさっきの真剣な眼差しは、まるで大人のようだと思わせる一面もあるが、やっぱり子供じゃないか。
「むぅ。笑っているのは良いですが、本当に大変なのはこれからですからね?あくまで、これは一時しのぎのようなものです。実際は、この子が普通に暮らせるまで世話をするのはフリットさん、それにエミリさんです。普通の赤ちゃんを世話するだけでも大変だと思いますが、この子の場合はもっと大変になるでしょう」
「ああ、分かってるよ。ルート君のおかげでこの子を見捨てずに済むんだ。どれだけ大変でもやってやるさ。何たって俺はこの子の父親だからな!」
俺の言葉にルートは満足気な顔で頷いた。それにしても、彼はどうしてここまでしてくれるのだろうか。冒険者ギルドに出した依頼だから?それでも、ここまで親身にしてくれる必要はないと思う。
「なあ、ルート君。どうしてこんなにも親身に対応してくれるんだい?」
「え?フリットさんが出した冒険者ギルドへの依頼って母子を助けてくれってものでしたよね?」
「確かにそうは言ったけど。でも・・・」
「あ~・・・、う~ん。まあ、フリットさんなら問題ないかな?」
ルートが耳打ちする素振りを見せたので俺は、中腰になってルートに耳を近づける。
「実は、母様が妊娠しているんです。俺にも新しい弟か妹が出来るんですよ。だから、フリットさんとエミリさんのことが他人事だとは思えなくて。まあ、言ってしまえば、たまたまです」
それに、ルートは「もし、同じようなことが起きたら、俺は諦めたくないなって。だから、俺の我儘でもあります」とはにかみながら笑顔で言った。その顔は、年相応に家族が増えることを喜ぶ少年の笑顔であった。
話を終えるとルートは、自作したと言っていた回復薬としばらくにらめっこした後、意を決したようにそれを飲み干した。ルートは眉間にしわをくっきりと作って苦悶の表情を浮かべている。そして、再び光の領域に手をかざし始めた。恐らくだが、領域を長く維持するために魔力を注ぎ始めたのだろう。
後で、その薬を少し舐めさせてもらったが劇的にまずかった。子供の時分にこんな薬を出されたら、俺だったら絶対飲まないなぁと思った。そんなことまでして、子供を助けてもらえるなんて、ルートには本当に頭が下がる思いである。
そして、俺は思った。もしかして、彼は光の女神が使わしてくれた神の使いではないかと。後日、エミリにその話をすると「もしかしたら、そうかもね」とクスクス笑いながら幸せそうに子供の頭を撫でていた。
子供には、光の女神とその使いであるルートからあやかってフィーリルと名付けた。