第三十二話 示された力
俺の目の前で四つん這いの状態で佇む魔獣シロ・クマは紛うことなき熊であった。でも、白熊というよりかは、ヒグマやツキノワグマといった感じだ。毛の色は黒っぽく前足には、引っ掻かれたら一溜まりもなさそうな爪が伸びている。さらにそんなシロ・クマの額には、氷のように透き通った鋭く尖った角が生えていた。
・・・ああ、やっぱり魔獣なんだなぁと思いつつ、俺は何かを思い出しそうになっていた。そう、あれに似ている気がする。元の世界、山とかでよく見かけた熊出没注意のステッカーに。
それにしても、でかい。顔の大きさが俺の身長と同じぐらいの大きさじゃないだろうか。こんな奴がジャンプしてこの場所に降り立つとか、どれだけ身軽なんだろうか。・・・うぅ。さっきずっとシロ・クマは俺のことを凝視している。真っ赤な瞳には、ギラリと殺意の光が宿っている。俺は思わず動けずにいた。
さすがにこの至近距離で面と向かうとかすげえ怖い。こいつ、俺のことを餌だと思っているんだろうなぁ。
魔獣は魔力を求める生き物だ。恐らく、この討伐メンバーの中だと俺が一番魔力が多い。だから、一気に俺のところまで飛んできたのだと思う。とにかく、身体は金縛りにあったように動かなかったが頭は働いていたので、何があってもすぐに魔法障壁を、と考えていた。するとシロ・クマの後ろの方からアレックスの叫び声が聞こえてきる。
「うおおおぉぉぉ!俺の息子に手出しはさせんぞ!!」
アレックスの叫び声の後に剣が風を切る音が聞こえてくる。すると、シロ・クマの顔が歪み俺から目線を外すとすぐさま後ろにぐるっと振り返って、アレックスを前足で引っ掻こうとする。どうやら、アレックスがシロ・クマの背後に斬りかかったようだ。シロ・クマの目線が外れたことで俺は身動きが取れるようになった。
「父様!」
「ルートは離れていろ!前衛は俺、アル、ソフィアだ。エリオットは隙を伺いつつ魔法攻撃を。我が隊の者は、俺たち前衛がシロ・クマの注意を引いているときに、死角から攻撃せよ。中級冒険者は少し離れて怪我人が出た場合の支援だ。ひどい怪我人が出たらルートに回復させろ!では、皆良いな?いくぞ!!」
「「「「おう!!!」」」」
アレックスの号令を聞いた討伐メンバーは、それぞれの負った役目を果たすための行動をし始める。俺も、言われたとおりに距離を取るために走った。走りながら何があっても良いように自分自身に補助魔法を掛けておく。
とりあえず、今の俺に出来ることは戦況を見守ることだ。とにかく、怪我人が出たらすぐに回復出来るようにしておかなければ。
戦いはアレックスが言った通り、アレックス、アル、ソフィアが代わる代わるに斬りかかり、シロ・クマの注意を気を引きつつ、フリットたち警備兵がシロ・クマの死角になる位置から槍で攻撃を加える。たまに、シロ・クマの注意が警備兵に向いてしまったときは、エリオットが魔法攻撃を放って牽制をしていた。
そんな戦いの様子を見て、さすがは戦い慣れていると俺は感嘆の息を吐く。それに躊躇することなくシロ・クマに攻撃出来るなんて・・・。皆、かなり肝が据わっている。だって、時折、シロ・クマは二本足で立ち上がることがあるが、その大きさは二階建てか三階建ての家ぐらいある。自分の何倍も大きい魔獣を相手に、怯むことなく立ち向かえる皆は本当に凄い。
だが、安心して戦いを見ていられた時間は長くなかった。皆の動きが悪くなるのが早い。原因は、間違いなく吹雪である。シロ・クマが攻撃を受ける度に吹雪が強くなっていた。視界はどんどん悪くなるし、吹き付ける風と雪で容赦なく体温が奪われている。
それに反して、シロ・クマの動きは、最初よりも上がっている様に見えた。しかも、攻撃は確実にシロ・クマに当たっているが、ダメージが通っている様に見えない。戦況はどんどんとこちらが不利になっていく。
いくら戦い慣れているとは言え、こんな酷い吹雪の中の戦闘に慣れている訳ではないだろう。俺は大声で、「父様!領域を張ります!!」と叫んだ。だが、すぐには回答が返って来なかった。あれ、もしかして聞こえてない?と思った俺は、もう少し近づいてと動き出そうとしたときに、アレックスからは、「すまん。頼めるか!」と許可が出る。
・・・魔力の心配をしてどうするか迷ったのかな?昨日みたいに長時間張りっぱなしというわけではないから大丈夫なはず、多分。
俺は、辺り一体を大きく取り囲むようにドーム状の領域を張る。だが、なかなか火のマナが応えてくれなかった。恐らく、シロ・クマの魔力が影響しているせいと思われる。俺は、惜しまず魔力を放出し、場に満ちるシロ・クマの魔力を俺の魔力に塗り替える。時間と魔力は使ったがシロ・クマを取り囲むように大きなドーム状の領域が出来た。
「よし、これで」
「気を付けろルート!!」
「ルゥ!」
領域を張ることに集中し、何とか張ることに成功した俺は、少し気が緩んでいた。アレックスたちの叫び声でハッとしたときには、突進してきたシロ・クマの額の角が俺の目の前まで迫っていた。どうやら、場に火のマナを満たしたことでシロ・クマの怒りを買ったらしい。
「しまっ・・・」
俺は、思わず目を閉じてしまった。だが、ガキッと鈍い音がしただけで何も起こらない。あれ?と恐る恐る目を開けるとシロ・クマの角は、黒く透き通った魔法障壁で防がれていた。そして、俺とシロ・クマの間にはクリューが割って入っていた。
「クリュー・・・」
「キュッ!キュッ!」
羽ばたきながらこちらを振り替えって鳴いたクリューの鳴き声は、まるで「しっかりしろ!」と言われている気がした。
「ああ、すまないクリュー。油断した。ありがとな。戦いが終わったら目一杯可愛いがってやるからな」
俺の言葉を聞いたクリューは、軽く頷く仕草をした後、魔法障壁を消して俺の後ろに飛んできた。そして、その場にへたり込むようにして丸まって眠る。ドラゴンとは言えまだまだ幼い。どうやら、無理をさせてしまったらしい。俺はへたり込んだクリューの頭を撫でようと思い後ろを向く。
背を向けた状態になった俺に、シロ・クマは前足で引っ掻こうと攻撃をしてくる。ちょっとは、空気を呼んで待っていて欲しいものだが、無理な話か。俺は、見えないながらも魔法障壁を張るとガッと鈍い音が鳴る。・・・思ったよりも大した攻撃じゃないな。
シロ・クマの引っ掻き攻撃を尻目に「本当にすまないな」と俺はしゃがんで、クリューの頭を撫でる。俺は今、ちょっと怒っている。自分自身の甘さに。もし、クリューが防いでくれていなかったら、俺だけなくローブの中にいたクリューも一緒にシロ・クマの角に串刺しになっていたかもしれない。そもそもクリューが居なかったら俺はそのまま、串刺しになっていた。
なぜ、今回の討伐にクリューが引っ付いて離れなかったのか。もしかして、こういうことが起こることを予期していたのだろうか。油断すると思われていたのか、それとも虫の知らせというやつか。何にしても、情けない。そんな自分に腹が立っていた。・・・手の内を隠そうとして手加減していたのが悪かった。出来るだけの力があるだ。本気で殺ろう。
「さてと」
俺は、クリューを撫で終えるとクリューの周りを囲むように魔法障壁をしっかりと張った。これで、近くで戦っても巻き込むことはないだろう。そして、俺は立ち上がってシロ・クマの方に向き直る。シロ・クマはずっと俺が張った魔法障壁に前足で攻撃を加えていた。
「ガンガン、ガンガンさっきからうるさい!!」
シロ・クマに向かって吼えた俺は、「まずは、その俊敏な動きを封じる!」と思い、無防備なシロ・クマの頭上から魔法で雷を落とす。稲光の閃光が空から地面に向けて走ると辺りに轟音が鳴り響く。そして、雷がシロ・クマに当たって地面にたどり着くと軽い地響きが起きた。
「グゴオオオオォォォォ」
頭上から雷を受けたシロ・クマは、全身をビクッと震わせた後、鳴きながらそのまま前に倒れ込んだ。一見するとブスブスと煙が少し出て、うつ伏せに倒れているシロ・クマの姿は倒したように見えた。しかし、シロ・クマはすぐに起き上がって四つん這いになる。だが、痺れさせることには成功したようで身体をビク、ビク、と痙攣を起こしていた。
突進や引っ掻き攻撃が出来なくなったためだろうか、シロ・クマは俺の方を向きながら、今度は口をガバッと開ける。その仕草を見た瞬間、すぐにシロ・クマが何をしようとしているのか分かった。ブレス攻撃に違いないと。こちらは、すでにその攻撃を嫌というほどに経験済みなのだ。
シロ・クマの口に魔力が収束すると口から冷気のブレス攻撃が来る。土属性の魔法障壁を張っていた俺は、魔法障壁を上位の属性に張り直す準備をしていたがその必要はなかった。メルギアのような攻撃が来るかと思っていたがどうやらそこまでの実力はないらしい。・・・なるほど、ドラゴンが格上過ぎる。
そこで、俺は、ふとあること思った。もしかして、メルギアが俺を鍛えに来たのはこの戦いのためではないか?と。・・・今思えば、鍛練が終わった時に、「これだけ戦えたら問題ないだろう」みたいなことを言っていた。それに、ソフィアから教えてもらったメルギアの伝言には、「頑張れよ」っていうのもあった。
初めは、何のことかよく分からなくて、クリューのことで風の季節に困るということに対するものと解釈していたけど、今回の魔獣討伐のことを指しているような気がする。でも、それならそうと言って欲しいものである。・・・まあ、十分に便宜を図ってもらっているから文句は言えないのだけど。
改めてメルギアには感謝を伝えないとなぁと思いつつ、それでも深いため息が出た。
「・・・で、ブレス攻撃はそれだけか?もう良いな?」
シロ・クマは諦めずにずっとブレス攻撃をしていたが、メルギアのように一点集中させたビームのような攻撃ではなく、広範囲に及ぶ攻撃であったため、俺の魔法障壁を打ち破ることは出来なかった。メルギアだったら今の時間ぐらいあれば、軽く十枚はいけるのに、しかも上位を、と思いながら俺は自分の剣を腰から引き抜いて両手で持って構える。・・・いや、まあ、俺としたらポンポンと魔法障壁を破壊されるのは不名誉なことなんだけどね。
俺は、生者に有効な闇属性を剣に付与するとともに、自身に掛けた補助魔法を上位の魔法に掛け替える。そして、今度は俺が、シロ・クマのことをギラリと睨みつける。
「これで、終わりだ!」
俺は、自身が張った魔法障壁を敢えて消さずに素早く迂回して、シロ・クマに一気に近づいた。シロ・クマはブレス攻撃をしたままで、近づく俺に気が付く様子はなかった。俺は、そのままシロ・クマの首に目掛けて剣を振り抜く。
振り抜いた剣は、シロ・クマの頭を胴体から斬り落とした。ブレス攻撃が止むとともに、シロ・クマの頭が地面に落ちてゴロリと転がる。首元からは血が吹き出し俺は、全身、血まみれの状態となった。俺はなんかあっけないなぁと思いながら、そのままシロ・クマの傍に佇んでいるとアレックスの「まだだ!!」という大きな叫び声が聞こえた。
何が?と思っていると、なんと、首を落とされた身体がまだ動いていた。俺は目を丸くして驚いているとアレックスが「魔石を取るまでは、終わりじゃない!!」と教えてくれる。しかも、魔石を取らなければ、再生しようとするのだそうだ。それは、ますます驚きだ。一体、どういう身体の仕組みをしているんだろうか。全くもって不思議である。
何にしても、魔石を取らなければならないが、頭を失った身体は大した動きではなかった。俺は手早く四肢を分断して動けなくしてから、うつ伏せ状態にあるシロ・クマの胴体を仰向けにひっくり返す。この作業が今日一番、しんどかった。何せ、胴体だけでも俺の何倍以上もあるのだ。力を上位属性の補助魔法で上げてるとは言え、さすがに一苦労した。
胴体を仰向けにしたところで、心臓部分を剣で抉る。すると、ゴーレムの時はソフトボール大の大きさであったが、サッカーボール大の大きさの魔石が見える。さすがに精錬されている訳ではないので、形は綺麗な丸ではなかったが。
俺は、膝をついて魔石に手を伸ばし勢いよくシロ・クマの胴体から引き抜いて尻餅をつく。すると、胴体がドロリと溶けて消えて無くなった。当たり前だが、俺はシロ・クマの胴体に乗っていたので、急に足場が無くなってしまい、そのままお尻から地面に激突する。・・・痛くはあったが、防御力を上げておいて良かった。
とりあえず、これで討伐は出来た。俺は立ち上がって、安堵のため息吐いた後、アレックスに魔石を渡そうと顔を上げる。すると、討伐メンバーの表情はそれぞれ色が異なっていることに気が付いた。家族であるアレックスとソフィアは額に手を当てながら頭が痛いと言わんばかりの呆れた顔を、俺をよく知るエリオットとアルは驚きつつも感心している顔を、そして、俺をよく知らないメンバーは驚愕といった顔をしていた。その驚きの中には、不気味ものを見る目が混じっている気がした。
その何とも言えない空気が漂っていることに「ああ、さすがにやり過ぎた?」と俺は少し反省する。




