第二百八話 温泉
「すごい。想像以上に本格的で立派な温泉だ」
俺は天然の露天風呂を目の前にして、感嘆の息を吐いた。コトのよく分からない試練を終えて、無事に妖狐との同盟を結ぶことが出来た俺たちは、その日の内にラフォルズに戻る予定にしていた。だが、コトの屋敷に招かれて、休憩をしている時に何やら懐かしい臭いがすることに俺は気が付いた。
もしやと思った俺がコトに尋ねると、コトから湯の湧き出る泉があると聞かされる。つまりは温泉だ。実はエルグステア国内にもその存在があることは知っていた。でも、当然それは俺が許されていた行動範囲の範囲外の場所であり、俺は人伝に話を聞いたのとがある程度で、いつかは入りたいと思っていたのだ。魔法でいくらでもお風呂に入ることは出来るが、沸かしたお湯に入るのと、天然の温泉は全くの別物だろう。
そんな温泉がある聞かされた俺はもちろん心が揺れ動く。温泉に入りたい、でも、仲間集めも急がなければならない。そんな板挟みにいた俺に気を使ってくれたのがゾーだ。ゾーは「妖狐の方々と今後の話をしておかなければなりませんから」と言って、妖狐たちとの今後の予定のすり合わせを買って出てくれたのだ。ゾーは本当に良い人である。
そんな訳で、急いでラフォルズに帰るつもりだったが、ワガクで一泊してから帰ることになった。ゾーが打ち合わせに向かうのを見送って、俺は一足先に温泉に入ってゆっくりと寛ぐことにする。そのはずだったのだが・・・。
「フフン。そうじゃろう、そうじゃろう。妾自慢の温泉じゃからな」
「コト様、何で私も。私は後でも・・・」
「何を水臭いことを言っておるのじゃ。妾とリズの仲であろう?」
・・・何でコト様とリーズベルさんもここに居るんですか?
俺が温泉を褒めていると後ろからコトがやってきて、腰に手を当てて胸を張った。当たり前だが風呂場なので一糸纏わぬ姿である。そんな自慢気なコトとは対照的なのがリーズベルだ。リーズベルは顔を真っ赤にしながらコトの尻尾に隠れている。女性としての反応を考えたら、リーズベルの反応が一般的な様に思うが、魔族の常識としてどちらの反応が正しいのか俺は知らない。
「コト様、一応確認なのですが、ここでは男女分け隔てなくお風呂に入るのが一般的なのですか?」
「無論、男女分かれて入るのが一般的じゃな。恋仲、夫婦であれば別じゃろうが」
「では、なぜコト様はここに?しかもリーズベルさんまで巻き込んで」
「おかしなこと言うのルートは。ここは妾の屋敷にある温泉。つまりは、主人である妾が入るのに何の問題があると言うのじゃ?」
・・・あ、うん。分かった。これあれだ。何を言っても無駄なやつだ。
折角の温泉を目の前にして、俺に入らないという選択肢はない。それはコトも一緒の様だ。ここでコトといくら問答をしたところで、コトが出ていくということはないだろう。ああ言えばこう言うのがコトという人だ、と判断した俺は、コトに出ていってもらうことを早々に諦めることにした。コトに巻き込まれたリーズベルは、運が悪かったのだ。
「なるほど。確かに何も問題ありませんね」
俺はコクリと頷いてコトの言い分を肯定してから、何事もなかった様にかけ湯をして温泉へと浸かる。少し熱いが、それが心地良い。
「はふぅ、いい湯だ」
久しぶりに入った温泉の心地良さに、俺が吐息漏らしていると、コトたちも温泉に入って俺の目の前でゆっくりと腰を下ろした。
「気に入ったのじゃ?」
「はい、とっても」
「それは良かったのじゃ」
それは良かった、と言っている割りに、コトはとても不満げな顔だ。何ならちょっと俺のことを睨んでいる様な気がする。温泉のことを褒めているのに何が気に入らなかったのだろうか。
「俺の返事がお気に召しませんでしたか?」
「いや、それは良いのじゃ。そなた、美女二人と温泉に入っておるのに、もう少し何か反応をしたらどうなのじゃ?」
「何でしょう?良い身体してますね、とでも言えばコト様は満足ですか?」
「むむ、えらい淡白な反応じゃな。もっとこう、リズみたいに恥ずかしがるとないのかえ?」
自分たちのことを美女と評するコトの言葉に嘘偽りはない。二人とも女性として、とても魅力的だと俺も思う。普通の男性なら、赤面の一つでもして、まともに二人の裸を見ていられなかったかもしれない。でも、俺には関係のない話だ。なぜなら、俺は俺の御付のメイドであるラフィのせいで、女性の裸を見慣れている、という変な免疫が出来てしまっている。だから、コトが求める様な反応を俺に期待されても最早遅い。
「顔を真っ赤にして恥ずかしがるのは無理ですね。残念なことに慣れてますから」
「慣れてるじゃと?」
コトはぐにゅっと眉を寄せると「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「変わっておるとは言っても、所詮は魔人族じゃったということか」
「何を想像されたのか知りませんが、ちょっと特殊な環境だっただけです。公言することではありませんが、俺はまだ一度もしたことはありませんよ」
「ほほぅ?特殊な環境とな?怪しいものじゃなぁ」
俺とコトが睨み合って火花を散らしていると、黙っていたリーズベルがおずおずと言った様子で「ルート様は何をしたことがないのでしょう?」と尋ねてきた。俺は思わず目を瞬いてしまう。
「コト様、こちらの貞操観念がどうなっているのか知らないので勝手なことを言いますが、さすがに今までの話の流れで、リーズベルさんから今の質問が出てくるのはいかがなものでしょう?」
「うむ、さすがに妾もルートと同意見じゃ。いくらまだ生娘とはいえ、知らぬ話ではないはずなのじゃが」
「では、その辺りのことはコト様にお任せしますね。男の俺が言うことではないので」
男女の情事についてリーズベルに教える役目を、俺はコトに全て丸投げした。俺がリーズベルに話すのはどう考えてもセクハラだ。すでに一緒に温泉に入っているという事案があるので、これ以上、事案になりそうな問題は必要ない。コトはコトでリーズベルにどう話したものかと思案した挙句「コリィに任せることにするのじゃ」と言って放棄した。
・・・考えるのが面倒になったって、コト様の顔に書いてるな。まあ、俺としては火の粉が飛んで来なければ誰が教えてもいいけど。
「そう言えば、そのコリィという愛称はコールディア様のことでいいんですよね?」
「ん?おお、そうじゃ。妾とコリィ、それにリズは幼なじみで大の仲良しなのじゃ」
比較的に近く同じ森の中で暮らす者同士ということもあって、ドライアドと妖狐は頻繁に種族間の交流があるらしい。コトたちが幼い頃は、よく互いの親に連れられて行き来をして、その都度一緒に遊んでいたそうだ。コトとコールディアは年齢が近く、少し歳の離れたリーズベルのことは実の妹の様に可愛がっている、とコトは教えてくれる。
コトがリーズベルに話し掛けている時に、表情が柔らかくなっているとは思っていた。それは妹を慈しむ姉の顔だった、ということだろう。コトの話を聞く限り、とても微笑ましい話の様だ。でも、リーズベルがどことなく遠い目をしているので、全てを話している訳ではないのだろう。
コトとコールディアの性格はどことなく似ている気がする。主に人が困る様子を見て楽しむという姿が。悪い人たちではないのだが、少々趣味が悪いと言える。そんな二人に振り回されるリーズベルの姿が容易に想像出来てしまった。多分、リーズベルの遠い目はそういうことに違いない。
「何だが失礼なことを考えてないですか?」
「そんなことはありませんよ。って、あれ?その声はコールディア様?」
コトとリーズベルの後ろから突然コールディアの声が聞こえてきた。二人の後ろにあるのは温泉と屋敷を繋ぐ出入り口だ。でも、コールディアの姿は見当たらない。その代わりに一輪の花が淡い光を放っていた。
「まさかその花を通して話し掛けているのですか?」
「正解ですルート。ウィスピ様からこう言うことが出来ると教えて頂いたのです。この花は、あなたがよく知るフロールライトと同じ種類なのですよ」
フラリエと呼ばれるその花は、一つ種から必ず対で二つの花が咲く。それを丁寧に切り分けて、フロールライトと同じく魔力を通わせることで、対となる花同士で通信することが出来る、とコールディアは教えてくれる。
フラリエは、フロールライトと同じ種類というだけのことはあって、花の大きさがフロールライトよりも一回り小さくはあるが、花の形はほとんど同じく様に見える。淡い光を放ちながら咲いているところは全く一緒だ。でも、日が出ている内に花が咲いている点は、フロールライトとは違うところだろう。
一見すると、花が咲く夜にしか通信出来ないフロールライトとよりも万能の様に思えるが、フラリエは花が咲くと三、四日しか持たないそうで、それを切り分けてしまっているため、さらに短命なってしまっているそうだ。そういう意味では、フロールライトは何度も使えるので、フロールライトの方が優秀なところだ。でも、やはり、フラリエのいつでも使えるというのは魅力的なところである。
「なるほど、でも、使い勝手が良さそうなことには変わりないですね。コールディア様、俺にもそのフラリエを分けてください」
「それは出来ません。フラリエは貴重な花ですから」
「貴重ですか・・・。だったら、そんな貴重な花がどうしてこんな場所にあるんでしょうね?」
俺はコールディアに問い掛けつつ、コトにも目を向けた。コトはすいっと俺から視線を外したので、フラリエをここまで持ってきたのは、コトが犯人で間違いない。俺がじとっとした視線をコトに送ると、コトはあからさまに話題を変えた。
「それよりもコリィが話し掛けてくると言うことは、言っておった仕事は終わったようじゃな?」
「えぇ、グリムッドが目を三角にするので手早く終わらせてきました。それでココ、どうだったのかしら?」
「うむ、それについては実につまらん結果じゃったぞ。ルートは顔色一つ変えなかったのじゃ」
俺が恥ずかしがって慌てふためく様子を期待していたであろうコールディアは至極残念そうに「それは確かにつまりませんね」と言って、ため息を吐いた。そんな話をするために、貴重なフラリエを持ってきたのであれば、俺にも分けろ、と声高して言いたい。
「ルートはココとリズの裸がそんなにも不満ですか?」
「不満はないですよ。二人とも大変、魅力的かと。ただ、俺が女性の裸を見慣れているだけです」
「でも、今までにしたことはないそうじゃ。コリィはどう思う?」
「したことがないのに見慣れている、ですか?意味が分かりませんね」
・・・あぁ、うん、コールディア様の反応は正しい。俺も意味が分からないからな。
「ココ、ルートがウソを言っているだけではないのですか?」
「いや、それはないじゃろうな。さも当然の様な顔をしておったしの」
「俺のその話はもう置いておいてください。それよりも、先程からコールディア様がコト様のことをココと呼ばれているのはどういうことですか?」
俺の質問にコトがポンと手を打った。
「そう言えば話してなかったのじゃ。妾たち妖狐は、幼少の時分、名前の前にコを付けて呼ぶ習わしがあるのじゃ」
「つまり、コト様は、幼少の頃はココト様と呼ばれていたと?」
「うむ、その通りじゃ。まあ、さすがにその頃は、まだ様呼びではなかったがの。それでコリィは妾のことをココと呼ぶという訳じゃ」
ココというのはコールディアがコトに付けた愛称だと、コトが教えてくれる。ココは、幻ではなく実在した人物ということだ。
「そうなると、俺たちを案内してくれたココさんは、コト様ご本人だった?」
「うむ、その通りじゃ。あれは妾の幼少期の姿。可愛かったじゃろう?」
「えぇ、可愛かったですよ」
自慢する様に胸を張るコトに、俺はコクリと頷いて見せるとコトは「・・・臆面もなく返しよるとは」と口を少し尖らせながら呟いた。そして、なぜか俺のことを恨めしそうに睨む。悪いことを言った覚えはないで、そんな目で俺を睨むのはやめて欲しいところだ。俺はコトからの視線を逃れるために、リーズベルに話し掛ける。
「あ、ということは、招きの鈴でココさんが現れた時から、リーズベルさんの様子が少しおかしかったのは、リーズベルさんはコト様だと分かっていたからですね?」
「はい、その通りでルート様。まさか、いきなり会いに来たコト様本人が、しかも幼少の姿で現れたことに驚いてしまって」
いつも出迎えてくれる人ではなくコト本人が出てきて、しかもなぜか幼少の姿をしていた、それを俺に伝えてもいいかどうか迷ったことを、リーズベルは眉尻を下げながら答えてくれる。結局、リーズベルからその話は聞いていないので、黙っておくことにしたのだろう。
・・・コト様の性格を考えたら、黙っておくのが正解だろうな。それよりも、問題なのは・・・。
「コールディア様に一つ文句を言っておかなければなりません」
「あら?何かしら?」
「俺たちがこちらに来るよりも前に、フラリエを使ってコト様とレジスタンスとの同盟の話をされていましたね?どうして先に話をしておいてくれなかったのですか?」
コールディアから話を聞いた時点でコトの心は決まっていた。それが分かっていたら、わざわざアールフォンまで足を運ばなくても良かったと言える。何より、悪戯心を遺憾なく発揮したコトのせいで、俺は燃やされなくても済んだはずだ。
「お陰で俺は燃やされたのですよ?」
「事前に話を通していたとはいえ、ルートの人となりを分かってもらうには、直接会わなければ分からないでしょう?何分、ルートは何かと特殊ですからね」
コールディアからの真面な反論に俺は口を噤む。特殊と言われるのは少し遺憾だが、人となりを分かってもらおうと思ったら、顔を付き合わせるのは必須だと思う。
「それに聞きましたよ。ココの悪だく、こほん、試しの様子を見たことで、里の者たちにすっかり受け入れられた、と。初めはものすっごく、里の者たちから睨まれていたのでしょう?」
「うぐっ」
後から知った話だが、実はコトの屋敷前で起こった一連の出来事は、ワガクで完全生中継されていたらしい。幻を見せる応用で、コトの視覚情報を幻として映し出していたそうだ。そして、火だるまにされてもなお攻撃の意思を見せなかった俺の姿を見て、里の者たちの俺に対するが評価が変わった。あいつは他の魔人族とは違うと。だから、言ってしまえば、俺は火だるまにされたことで、里の者たちからの信用を得たという訳だ。
「それはそうかもしれませんが、不幸中の幸いと言うか、怪我の功名と言うか。・・・何にせよ燃えて死んでいた可能性もあったかもしれません」
「それはありえないでしょう。ココがルートを燃やせるぐらいなら、魔人族に怯えて暮らしてませんもの」
コールディアが間髪入れずに反論してきた。俺はそんなことない、と言い返したかったところだが、またしても黙らされてしまう。ドラゴンのうろこが持つ属性の加護を打ち破るだけの力があれば、確かに魔人族に対抗出来そうだと思ってしまったのだ。
「ククッ、コリィの言う通りじゃな。あれで火傷一つ負わなかったルートを妾たちがどうこうするのは無理じゃろうて・・・。ふむ、と言うことは、妾の作戦のお陰でルートは里の者たちに受け入れられたと言っても過言ではないようじゃな?」
「感謝してくれてもよいのじゃ」と言って高笑いするコトに乗っかる様にして、コールディアも「私も感謝してくれていいのですよ」と言ってくる。二人の行動から得られものは確かにある。でも、結果オーライとも言えなくもないので、素直に感謝するのは難しい。
俺が鼻に皺を寄せていると「ルート様。我儘な姉二人が申し訳ありません」とリーズベルが気を使ってくれる。コトとコールディアの二人から振り回されている分、三人の中で実はリーズベルが一番大人かもしれない。
「はぁ、ここはリーズベルさんに免じて、お礼を言っておきましょう。コト様、コールディア様、ありがとうございました」
「リズの一言は余計じゃったが、うむ、苦しゅうないのじゃ」
「どういたしまして。リズは帰ってきたら二人で話をしましょうね」
コトとコールディアからの言葉に、リーズベルがビクッと身体を震わせた。リーズベルに何かあった時は、矢面に立ってあげようと思う。
それから程なくしてコールディアの食事が出来たという報告があり、コールディアが退席することになった。コールディアの名残惜しそうな声でぶつぶつと何か言っている声が徐々に小さくなっていく。完全にコールディアの声が聞こえなくなったところで、コトがピクッと耳を震わせた。
「ふむ、打ち合わせが終わったのじゃ」
「ゾーさんが戻ってきたのですか?」
ゾーの打ち合わせは、山を下りた里の寄合所で行われている。俺には聞こえなかったが、コトにはゾーの羽ばたく音でも聞こえたのか、と思っての質問だったが、コトに「何を言っておるのじゃ?」と首を傾げられてしまった。
「違うのですか?打ち合わせが終わったのですよね?」
「打ち合わせはたった今、終わったのじゃぞ?ほれ」
コトはそう言いながら右手を俺に向かってかざす。すると、目の前にテレビの様な画面が現れた。映し出されているのは、座敷の様な造りの場所で、いくつもの座布団が置かれているのが見える。その一角に里の妖狐と談笑しているゾーの姿があった。それで、この映像は寄合所を映して映っていることを理解した。
「これは今現在の映像ですか?」
「そうじゃぞ。そして、妾が言った通り、打ち合わせは終わっておろう?」
「確かにそのようですね。・・・ん?でも、この映像ってコト様視点の映像が流せるのではなかったでしたっけ?」
「その通りじゃが、なぜその様なことを聞くのじゃ?」
俺とコトは見つめ合う様にして、お互いに黙り合ってしまう。でも、俺はおかしなことは言ってないはずだ。なぜなら、そのコト本人は絶賛、俺と一緒に温泉に入っているのだから。今俺の前にいるじゃないですか?、という意味を込めた視線をコトに送っていると、ようやく俺の視線の意味に気が付いたコトがポンと手を打った。
「そう言えばまだ話していなかったじゃ。妾は何も温泉で楽しんでいただけではないのじゃぞ?幻を遣わせて、妾も打ち合わせに参加していたのじゃ」
「・・・もしかして、同時平行で複数の意識を保つことが出来るのですか?」
コトはココとして俺たちを案内していた時の一部始終を知っていた。だから、コトはココという幻に自分の意識を乗せて操作しているのではないかと俺は考えていた。それは、ココとコトが入れ替わる様にして現れたことも、その可能性が高いことの裏付けになると思っていたのだ。でも、俺が考えていたことよりも、もっとすごいことかもしれない。
「うむ、単に幻として出すことも出来るが、思念体を送ることで、自分の身体として動かすことも出来るし、妖術も使えるのじゃ」
「それはもう幻の域を超えてるじゃないですか!妖狐の皆さんは皆出来るのですか?」
「そうじゃな。大人であれば一つの思念体を送ることが出来る。じゃが、妾は五つも同時に送ることが出来るのじゃ。どうじゃ?すごいじゃろう?」
「えぇ、それはすごいですね。さすが妖狐の長ということでしょうか」
俺がコトのことを褒めると機嫌を良くしたコトが「もっと褒めていいのじゃぞ?」と増長するが、俺はさらにコトを褒めておいた。身体として実態はなくとも、そこに意識だけでなく妖術までも使える力を持たせることが出来るというのであれば、最早もう一人の自分を自由に作り出すことが出来るということ。映像を映し出したり、分身体を作り出したり、と妖術の使い勝手が想像以上に良すぎる。妖術は魔法と同じくかなり汎用性が高い力だと言って過言ではない。
・・・何て便利そうな力。どうにか俺も使えないだろうか?
「俺も妖術が使える様になれないでしょうか?」
「ふふん、随分と食い付きがいいのじゃ。じゃが、残念なながら他種族が妾たちと同じ妖術を使える様になったという話は、今だかつて聞いたことがないのじゃ」
「やはり、特殊な力を持っている必要がある、ということでしょうか?魔力なら人並み以上にあると自負しているのですけど」
「魔力とは別の力じゃからな。言うなれば、妖力と言ったところじゃ」
「妖力ですか・・・」
俺は腕を組ながら考える。妖力という力は、今だかつて聞いたことがない力だ。そして、妖狐以外には使えないと言われてしまった。でも、簡単に切り捨てるには惜しい力である。俺が真剣に考えていると、コトが湯船を揺らしながらスッと近付いてくる。分かりやすいぐらいにとても悪い笑みを浮かべながら。
「そこまで気になるのであれば、妾と一つ交わってみるかえ?」
コトは俺に抱き付く様に腕を回すと俺の耳元でそう囁いた。とても、甘い声の囁きだ。俺はコトの両肩を持って軽く引き離してから、ニッと微笑んで見せた。
「今までに妖狐の方が他種族の方と結ばれたことは?」
「・・・あるのじゃ」
「では、論外ですね」
他種族では妖術を使えない、と教えてくれたのは他でもないコトである。コトの甘い囁きには何の意味もない。
「ふん、ルートは本当にからかい甲斐がないのじゃ!」
コトはそんな捨て台詞を吐きながら温泉を出ていく。リーズベルもペコリと一礼してから、コトにくっついて出ていった。
・・・そんなにも俺の恥ずかしがる様子が見たいのか?面白くも何ともないだろうに。
俺は「はぁ」と一つため息を吐いてから、ゆっくりと肩まで温泉に浸かった。
その日の夜、座敷に引かれた布団で寝るという、懐かしいスタイルに胸が躍り、そのせいで目が冴えて中々な眠りに付くことが出来ないでいた。俺は寝転びながら道具袋に手を伸ばし、一つの魔術具を取り出して起動させてみた。
「レオ義伯父様、聞こえますか?」
俺が起動したのは遠距離用通信機だ。ロクアートへ行った時に、エルグステアにいるレオンドルと話すことが出来た代物である。フラリエでコールディアが話しているのを見て、思い出したのだ。
「・・・やっぱり、繋がらないか」
この場所がエルグステアと遠すぎるため繋がらないか、レオンドルに渡した通信機の魔力が切れてしまっている可能性が高い。三年もの間、魔力が持つものではないし、誰かが魔力供給するには込めなければならない魔力量が多すぎる。魔人族との全面抗争は避けられたとはいえ、繋がるかどうかも分からない魔術具に、膨大な魔力を供給する余力はレオンドルたちにはないだろう。
・・・期待はしてなかった。と言えば嘘になるか。
俺は今日一番の大きなため息を吐いてから、ゆっくりと目を閉じた。
二つ目です。
次は森に帰ります。




