第百八十四話 牢獄生活 後編
・・・相手の動きを止めるのに効果的なのは雷属性と言えるけど。あれは加減を間違えると威力が強すぎるんだよなぁ。とはいえ、手を出した者に捌きの鉄槌を下すのなら許されるんじゃないだろうか?いやいや、さすがにちょっと冷静になれ俺。いきなり目の前の人間が真っ黒焦げになったらトラウマになってしまう。
・・・これはあれだな。どう考えてもやり過ぎだな。あれこれと考えるのがちょっと楽しくなって、勢いそのままに考えたからな。ノクトシアーズの涙を使うことにした辺りから気が付くべきだったか。・・・でも、仕組みとしては結構いい感じのものが出来上がったと思うんだよな。うーん、となれば、もっと大規模な展開を想定して、やってみるか?
・・・あれとこれを掛け合わせて、それからこの術式をこっちに当てはめてっと。あとは、こっちに書いたやつをここに入れて、複合的な効果を持たせる。よし、そしたらこっちとあっちの術式が連動し合うはずだな。それで、防衛だけでなく反撃の効果が出るはず。それからそれから・・・・。
俺が牢屋に入れられてどれだけの日が経っただろうか。当初は、牢屋の中に転がっていた石ころで壁に印を付けていたが、それは一週間を過ぎた辺りから書くのをやめた。と言うのも、そんなことをしても何ら意味がないことに気が付いてしまったのと、壁という大きなキャンバスはもっと建設的な使い方をすることにしたからだ。
今や牢屋に三面ある壁の内、二面は魔法発動に関する術式が俺の手の届く範囲にびっしりと書いてあり、一面はそれを組み込んだ魔方陣が描いてある。当初は全く別の目的で作り始めたもので、それとはかなり目的がずれてしまったが、これで来るべき魔人族たちとの大規模な争いに備えることが出来ただろう。
俺の予想では、本当はもっと早くに魔人族が攻めてくると思っていた。魔人族からすればエルグステアへの侵攻は何の憂いもなく勝てるはずの勝負だったのにも関わらずの敗北。しかも魔族領に戻る者は誰一人居ないという最悪な結果で侵攻が終わった。
ルミールの町を襲っていた魔人族の男の性格から考えても、魔人族はかなりプライドが高い人種だ。自分たちよりも劣ると考えている種族にやられたとあっては、魔人族の沽券に係わると憤慨して、すぐにでも報復に出ると思ったのだ。だが、その気配は一向になかった。
罪人である俺に、そんな情報が入ってくるのかと言われたら、本来であれば否である。だが、魔人族が攻めてきたとなれば、それに対抗するために俺をぶつけることが、一番の対策になるのは間違いない。自分で言うのも何だが、エルグステアに住まう人間の中で一番攻撃力があるのは俺だろう。それだけの自負もある。
・・・但し、ドラゴンは度外視。あれは頭一つも二つも飛び抜けてるから比較にならないから。
魔人族が本気で攻めてきたら、エルグステアもただでは済まない。それは、ルミールの町を惨状を見れば明らかである。そんな時にエルグステアの中で最も実力のある俺を遊ばせておくだけの余裕はエルグステアにはないはずだ。だから、魔人族が攻めてきたのであれば、俺は戦場に投入されると見込んでいた。
・・・罪人なので、使い捨ての捨て駒にも出来るだろうし。使わない手はないだろう。
もちろん、罪人の俺が離反するリスクを恐れて、戦場に投入されないことも考えられる。でも、その可能性はほとんどないと言っていい。なぜなら、国は俺の弱味を知っているからだ。俺に言うことを聞かせたかったら、俺の家族を人質に取ればいいだけの話である。家族を盾に取られたら、俺は言うことを聞くしかない。但し、言うことは聞くが、その時点でエルグステアは俺の敵だ。
・・・それに、その過程で少しでも家族が傷付いたら絶対に許さないけどね。フフフ。
そんな訳で、俺の予想は大はずれした様で、すぐに報復に出なかったらしい魔人族。すぐに報復に出なかったということは、今度こそエルグステアを徹底的に潰すため、そのための戦力を蓄えているのではないかと俺は思った。だから、俺はその対抗策を考えて、それが壁にびっしりと書いた術式であり、魔方陣という訳だ。
学園で学んだことや図書室で読んだ本の記憶を思い出しながら、あれやこれやと検討するのはとても楽しかった。その上、色々なことを思い付くことが出来たので、お陰でいい暇潰しになったと言える。
・・・まあ、当初の目的は、大きくなって可愛いから美人になってきたリリに、悪い虫が付かない様にするための防護策を考えていたんだけど。あれ?ちょっと過激じゃね?と思った時には、とてもではないが一般人に対して使うものじゃなかったのはここだけの話だ。
「ルゥ!」
「・・・」
「聞いてるのルゥ!」
「・・・」
「ちょっとルゥ!ねぇ、ってば!」
複雑な魔法陣を完成させることが出来るほどの時間がさらに経った。魔法陣の最後の確認をしていると誰が俺のことを呼んでくる。何だかとても懐かしく聞き覚えのある声だったが、俺は今、魔法陣を確認するのにとても忙しい。魔法を使うために一番大切なことは、イメージをすることだが、魔法陣はそれを可視化したものと言える。文字と記号を組み合わせて、何のマナに、何を、どうして欲しいのか、といった情報を魔法陣に詰め込むと言う訳だ。文字や記号の配列が少し違うだけでも、意図した効果が現れないことがあるため、今回俺が作り上げた魔法陣の様に複雑なものになればなるほど、少しの間違いも許されない。
「・・・」
「ルート!!」
薄らとそんなことを思いながら声を無視していると、聞き覚えのある声で余り聞き覚えのない呼び方で名前を呼ばれたことで、俺の意識は声がする方に向いた。鉄格子の向こう側に、口端をヒクッとさせてちょっと恐い顔をしたソフィアが立っているが見えた。
「何ですかソフィア姉様?こう見えてちょっと忙しいんですけど?」
「何ですか?じゃないわルゥ。忙しいって、牢屋の中で何を忙しくするっていうの?全くルゥはマイペース過ぎよ!」
俺の返事にソフィアが額に手を当てながら、やれやれといった感じに首を振った。そんなに不満そうにされても、俺が基本的にマイペースなことは、姉であるソフィアなら百も承知のことである。俺は何を今更なことを、と首を傾げ、そう言えば俺の呼び方が元に戻っているなと意識を飛ばす。
自分だけの世界に浸ってしまうのは、長い間一人の時間を過ごした弊害と言える。そして、人の話を聞いていないことに気が付いたソフィアは再び「ルート!」と俺のことを呼んだ。
「ソフィア姉様にそう呼ばれるのは何だがとても新鮮ですね。何だか背中がムズムズします」
「はぁ、ルゥは一体何を言ってるの?その様子だと、私が今話したことを聞いていなかったわね?」
「はい、全く聞いてませんでした」
「もうっ!正直に言えばいいというものじゃないのよ?ちょっとこっちに来なさいルゥ」
ソフィアが鉄格子の間から手招きをしてくる。それだけで、ソフィアが俺に何を要求しているのか、今までの経験ですぐに察した。俺は大人しく鉄格子に近付いて、顎を少し上げてソフィアの顔を見上げる。鉄格子の間からソフィアの両手が伸びてきて俺の両頬をグニッと摘まみ、ソフィアは自分の気が済むまで俺の頬っぺたを弄り倒した。
・・・ん、この痛みも何だか懐かしいな・・・。いて、いてて、いてててて。手加減、手加減してソフィア姉様!
頬っぺたがヒリヒリと痛くなるぐらいまでソフィアに弄ばれたところでようやく解放された。本来であれば、頬っぺたがヒリヒリするとソフィアに抗議をするところだが、俺は頬っぺたを擦りながら、いつの間にか自分が笑みをこぼしていることに気が付いた。どうやら、久しぶりの家族とのスキンシップが嬉しかったらしい。
そんな俺の様子を見たソフィアが、仕方なさそうな顔をしてから、優しく頭を撫でてくれる。何だかんだ怒っていても基本的にソフィアは俺に甘い。俺の優しいお姉様である。
・・・この感触も随分と久しぶりな気がするな。
ソフィアが頭を撫でてくれるのを、俺は目を閉じて感じ取る。ソフィアの優しい手つきに心がじんわりと温かくなるのを感じていると、ふとあることに思い至った。ところでどうしてこの牢屋にソフィアが居るのだろうと。俺は目を開けてソフィアに尋ねた。
「ところでソフィア姉様はどうしてここにいるのですか?」
「聞いてなかったって言ってたけど。本当に全然聞いてなかったのね。はぁ」
ソフィアは一つため息を吐いてから、羊皮紙を一枚俺に向かって差し出してきた。羊皮紙には文字がびっしりと書かれてあるのが見える。俺はソフィアから羊皮紙を受け取って、書かれた文字を目で追った。
差出人はレオンドルで、文章の前半はとても事務的な内容が、追伸とある後半はレオンドルの愚痴がつらつらと書かれてあった。前半より後半の筆圧が強い様に見えるのは、それだけレオンドルの思いが込められているということだろう。
「ルート・エルスタードに告げる。王都を出てはならないという王命を破ったそなたは、本来であれば反逆の意思ありと極刑に処すところである。だが、今までにそなたがエルグステアにもたらした実績、保留となっていた究極魔石の報酬、多くの民から寄せられた嘆願は、無視すべきことではない。そこで、そなたに反逆の意思がないことを確かめることとし、それが実証された。だが、そなたが犯した罪は重い。そなたにはこれから起こる大戦で功績を上げてもらうことで、その罪を禊ぐこととする」
・・・ふむふむ、つまりは俺は極刑を免れて、とりあえず釈放されるって感じと思っていいのかな?それで追伸の方は・・・。
「よくもやってくれたなルート!そなたのお陰で俺がどれだけ大変だったことか!そなたのことだからジッとしれられる訳がないと思って、各所に根回しをしていたというのに全部台無しにしよってからに!ちょっとぐらいは待つことを覚えよ!それだけじゃないぞ。どこから聞き付けたのか知らぬが、ロクアートからそなたを処刑するぐらいなら、秘密裏にこちらへ亡命させろと圧力まで来たぞ?しかも、その情報を意図的に漏らされたのか、他国からも干渉されることになった。折衝するのに俺がどれだけ胃が痛い思いをしたのかそなたに分かるか?分からないだろうが分かれ。想像しろ!ようやくそなたの処遇を他国に納得してもらえて一段落したところに、今度はルミールの町の住民に加え、フラウガーデンの魔族たちがそなたを釈放しろと徒党を組んでの嘆願があった。全くそなたはどれだけのことを想定して今回の事を運んだのやら考えもつかぬ。・・・だがまあ、そなたのその無茶苦茶な行動力がなければ、二つの町とそこに住まう者が、それに我が盟友が死んでいたかもしれぬ。そのことは、礼を言いたい。ありがとうルート」
・・・文字の乱れ具合を考えると、レオ義伯父様は苦悶の表情でこれを書いたんだろうな。それにしても、色々と想定はしていたけど、ロクアートが動いたのは想定外だったな。当然、情報源はアーシアなんだろうけど。アーシアは一体どこで俺の情報を掴んだんだろう?ふふっ、アーシアはやっぱり侮れないなぁ。
全て文面を読み終えた俺は、頬をポリポリと掻きながら「レオ義伯父様は随分と大変だった様ですね」と他人事の様に感想を言った。ここに書かれてあることはすでに終わった話なので、今の俺がどうこう出来るものではない。ソフィアは「今度会ったらちゃんと謝っておきなさい。レオ義伯父様の愚痴に付き合わされるのはもうお腹一杯だわ」と肩を竦めながら答えた。
どうやらソフィアは、レオンドルの愚痴聞き役をさせられていた様だ。いつもの小会議室で愚痴愚痴とソフィアに愚痴をこぼすレオンドルの姿が容易に想像出来る。
「あはは、それは災難でしたね。ソフィア姉様もお疲れ様でした」
「笑い事じゃないわよルゥ。一体誰のせいだと思っているのかしら?・・・はぁ、もう。本当に仕方のない子ね。さあ、そんなことよりも、ここから早く出ましょうルゥ」
「ちょっと待ってくださいソフィア姉様。それは出来ません」
俺が首を振って見せるとソフィアが「どうして!?」と目を丸くした。どうやら、俺の返事はソフィアに俺が牢屋から出たくない、と思われたらしい。俺は「違います」と首を振ってから、牢屋の壁を指差した。ソフィアの視線が壁に描かれた魔法陣に移る。
「少し時間を頂いていいですか?レオ義伯父様の手紙に書いてあった様に、魔人族との大戦が控えているんですよね?だったらこの魔法陣を描き写す時間をください。それに備えて、俺は魔法陣を作り上げていたのです」
・・・初めからっていう訳じゃなかったけど。馬鹿正直に話す必要はないな。
ソフィアは複雑な魔法陣を見るや否や、ぐにゅっと眉間に皺を寄せると少し考える素振りを見せてから「描き写すのではなく、ほら、ルゥが作ったカメラで写真を撮ればいいんじゃない?」と提案してきた。ソフィアは魔法陣を描き写すのに、時間が掛かると思ったのだろう。俺はソフィアの提案にポンと手を打った。
「あぁ、なるほど。えっと、それじゃあ、はいソフィア姉様。俺の代わりに撮ってもらえますか?俺はご覧の通り、手枷が邪魔で写真が撮れませんので」
俺は腰の道具袋を頑張って外して、鉄格子から道具袋を持った手を突き出し、道具袋からカメラを取り出して壁の魔方陣を写して欲しいと、ソフィアに差し出す。すると、ソフィアがハッとした顔をして両手を胸元で合わせて見せた。
「そうだったわ。その手枷。ルゥなら簡単に外せるわよ?」
「俺なら簡単に?それは魔力に物を言わせて、この魔術具を破壊しろと言うのですか?」
俺が眉間に皺を寄せると、ソフィアは小さく笑ってから首を左右に振った。
「違うわルゥ。実はね、その魔術具。魔法を使えなくするための魔術具じゃなくて、魔法を使うと簡単に外れる魔術具なの。レオ義伯父様の手紙にも書いてあったでしょう?ルゥに反逆の意思がないことが実証されたって」
ソフィアの説明に俺は目をパチパチとさせた。試しに右手の人差し指を立てて、指先にろうそくの火ぐらいの大きさの火を魔法で出す。すると、ソフィアが言った通りに、手枷がガシャンと外れて床に落ちた。
・・・なるほど、確かに簡単に外れた。つまりこれは・・・。
「魔法を使うために放出した魔力に反応してるって感じか。・・・ということは、もしかしてもしかしなくても、道具袋がなぜか回収されなかったのは、魔力を使う誘惑が多い状態を作り出すためだった?」
「そういうことね。でも、ルゥは約三ヶ月の間、大人しく牢屋に入っていた。いえ、大人しかったどうかは、ちょっと怪しいかしら?フフッ、でも、それでルゥに王様への反逆の意思がないことが証明されたの」
ソフィアの説明に俺はやっぱり試されてたのかと項垂れる。それから、俺は牢屋の中で三ヶ月もの時間を過ごしたことにも衝撃を受けた。魔法陣を作り込んでいる時は、何だかものすごくハイな気分になって、ちょっとしたトランス状態にあったので時間の感覚がほとんどのなかったと言える。俺は何だかんだで思ったよりも長い時間を牢屋の中で過ごした様だ。
「約三ヶ月・・・。と言うことはもう水の季節ですか?」
「いいえ、まだ土の季節よ。と言っても、あと二日だけだけどね」
「そんなにも経っていたのですか・・・」
俺の口から漏れた感想に、ソフィアがムッとした表情を見せた。
「本当はルゥはもっと早くに出られたはずなのよ?それなのに、ルゥったら書簡を持った牢番の説明も聞かずに、今は忙しいと言って追い払っていたのでしょう?あまつさえ、何度も来るものだから無視される様になったって牢番の人が嘆いていたわ。それで、私が迎えにきたって訳よ」
・・・牢番から?そんなことがあった様ななかった様な。色々な仕組みを組み上げるのが楽しく過ぎて、ハイになっていた自覚はあるから、それで記憶にないのかな?
コテリと首を傾げる俺の様子に、身に覚えがないことを察したソフィアは、やれやれといった感じに肩を竦めて見せた。そんなソフィアの様子は見なかったことにして、魔法が使えることになった俺は、壁に書いた術式と魔法陣を道具袋から取り出した紙に転写する。そのあとは、誰かに悪用されない様に、魔法で壁を綺麗にした。その間にソフィアは牢番に声を掛けて牢屋の鍵を開けてもらい、俺に向かって手を差し伸べる。
「さあ、行きましょうルゥ」
「はい、ソフィア姉様」
牢屋の鍵が開けられて、そこからソフィアが手を差し伸べてくれる。俺はソフィアの手を取って、牢屋の外へと出た。三ヶ月という長い時間を過ごした感覚は余りないが、こうして俺の牢獄生活は幕を閉じた。
Q.主人公の運命や如何に?
A.平常運転でした。
仕事のピークは過ぎましたがこちらの進捗率が
著しく低下中。ぬぅ。




