閑話 ルミールの町防衛戦 中編
「隊長。このままではとてもじゃないですが一日も持ちません」
「分かっている。だが、アルフレッドが王都に救援要請をして、それから騎士団が急いで駆け付けてくれたとしても、少なくても二、三日には掛かる」
「そんなっ!?・・・どうにかならないんですか隊長!」
「隊長、俺たちは一体どうしたら・・・」
二日目の夜、警備兵の皆が俺に募る様に詰め寄った。すでに警備兵は半数以上の者が大怪我をして動けなくなっていた。不幸中の幸いなのは、その中から未だに死者が居ないことだろうか。だが、もはや、闘って凌ぐだけの戦力は俺たちには残されていない。俺は「大丈夫だ。何としてでも救援が来るまでしのぎきって見せる」と月並みな返事をして、皆に休息を取らせるために解散させた。俺は自分の不甲斐なさと満足に動かない右腕を見下ろしながら、グッと奥歯を噛み締めた。
・・・くそっ。この腕さえ満足に動けば、俺はもっと闘えたのに。
自分の利き腕である右腕を動かすことが出来れば、災害級の魔獣を相手にして後れを取ることなどない。俺はそれだけの鍛練を積んでいたし、それだけの実力があったのも確かだ。だが、今は一人で災害級の魔獣を相手することも儘ならない。戦況は魔獣のいい様に結界を打ち破られる様子を、俺たちは止めることも出来ずにただ固唾を飲んで見守る様になっていってしまった。
そして、襲撃二日目、日が落ちて辺りが暗闇に包まれた時には、いくつもあった結界は南の広場のものを最後に残して、全て打ち破られてしまった。折角、ルートから結界の魔術具を託されていたというのに、不甲斐ないことこの上ない。あのままの勢いで魔獣に雪崩れ込まれれば、最後の結界も破られて、全滅するのは必至だった。だが、夜になると一日目と同じ様に不思議と魔獣の侵攻が止まった。
・・・くっ、確実に遊ばれている。だが、これで時間が稼げるのはありがたい。ありがたいのだが、今侵攻が止まったところで明日を持ち堪えるだけの戦力はもう・・・。
俺は自分が諦めかけていることにハッと気が付いて、何を馬鹿なことを考えているんだ、と両手で自分の頬を強く叩く。バチンという小気味良い音が響き渡る。状況は絶望的だが、後ろ暗い気持ちになっている場合ではない。そんなことをうだうだと考えたらところで、状況が好転する訳ではないのだ。王都から救援が来るまで、最後の最後まで絶対に抗い続ける、と決意する。こんなことでは、王都で頑張っているルートに笑われてしまうと俺は自分を鼓舞した。
三日目の早朝、朝日が顔を出し始めた頃、余り眠ることが出来なかった俺が冷たい水に浸したタオルで顔を拭っている時だ。ヴェストが俺のことを呼びに来た。何でも結界の外、中央通りのど真ん中に三人の亡骸が捨てられていると見張りから報告があったらしい。
俺は今までになかった変化に嫌なもの感じつつ、ヴェストを含めた数名を連れて現場へと向かう。すると、話に聞いていた通りに、そこには三人の女性の亡骸があった。妙齢な女性が一人と娘のソフィアと同年代か、それよりも少し若い娘が二人、裸の状態で転がされているのを発見した。彼女たちには、身体の至るところに無数の切り傷や引っ掻き傷といった傷跡がある。それだけじゃなく、何かに噛み千切られた様な身体の欠損が見られた。そして、極めつけは血濡れに混じって誰のものとも知れない白い体液がついているのが見えることだろう。
・・・何と言うことだ。
それだけで、彼女ら三人が弄ばれ、辱しめられ、痛めつけられ、冒され、最後に無惨にも殺されたことがハッキリと分かる。そして、魔人族の男が夜の侵攻を止めていた理由がこれで分かった。あの男は、昼間は俺たちを甚振って楽しみ、夜は彼女たちを慰み者して楽しんでいたということだ。
すでに物言えぬ状態となってしまった彼女たちだが、その悲痛に歪んだ表情を見れば、どれだけひどいことをされたのか想像に難くない。人を人とも思わない所業に、俺は血が逆流するかの様に身体を巡り、怒りで頭が沸騰しそうだ。もし、愛するリーゼたちが同じ様な目に遭っていたらと考えると、余計に怒りがいや増した。余りにも力が入りすぎて、左手で握った拳から血が滴り落ちる。
・・・くそっ!くそっ!・・・助けることが出来ず、苦しい思いをさせて本当にすまない。
三人の亡骸を丁重に回収する様に命じ、自分の不甲斐なさを今一度俺は噛み締める。俺が妹のフィアラの情報を得たことに浮かれず、魔人族が下級の魔獣を掻き集めているらしい話をしっかりと吟味していたら、もう少し何か打つ手はあったかもしれない。
王都の学園で行われる魔獣討伐演習で、下級の魔獣に魔石を与えて、上級の魔獣にして闘わせることは俺も知っていたことである。それを魔力に長けた魔族が知らないはずがないし、何より魔獣に与えられる魔力が、俺たちの比ではないだろう。そんな簡単なことに気が回らなかった自分が、本当に不甲斐なくて仕方がない。
・・・俺がもっと気を配っていれば、こんな痛ましいことには。
怒りも沸き起こったが、それよりも自分への失望と喪失感の方が上回ってしまった。折れそうになっていた自分の心を頑張って鼓舞してきた俺だが、ここに来て初めて心が折れそうになっていた。血の気が引いたのか、頭痛がして耳鳴りまで聞こえてくる。その時、今は聞きたくもない男の声が聞こえてきて、俺は声のする方を睨み付ける。
「よう、俺からのプレゼントは気に入ってくれたかよ?」
「貴様よくもこんなひどいことを!」
「ハハッ、気に入ってもらえた様で何よりだぜぇ?」
魔人族の男は俺の反応に満足げな顔をしながら口の端を吊り上げる。俺はその態度に苛立ちを覚えながら、より一層睨み付けた。
「彼女たちに一体何をした!?」
「何ってそりゃ、子供じゃねぇんだから分かるだろ?まあ、それなりに楽しめたぜ?最後なんか傑作でよぉ。三人の内、頑張った一人だけは助けてやるって言ったら、三人とも必死で奉仕してくれたんだぜ?しかも、三人で争って醜い姿を晒しながら。あぁ、さすがは下等な人族なだけのことはあると、思わず納得して嗤っちまったぜ」
彼女たち三人がどんな辱めを受けたのか、魔人族の男が楽しげに話す。皮肉なことに、折れかけていた自分の心に、再び火が付き始めたのを俺は感じた。
「貴様それでも人間か!?」
「ハッ、俺たち魔人族からすれば、お前たちは隷属すべき存在でしかねぇ。つまりは、端っから対等な存在でも何でもねぇんだよ。身の程を知れよ馬鹿が。お前たち下等な人族は必死で泣き喚いて命乞いする姿が、お前たちにはお似合いなんだよ」
俺が糾弾してもケタケタと笑うだけの魔人族の男。思いっきりその顔をぶん殴ってやりたい。そう思って拳を握っていると、魔人族の男は不意に嘲笑うのをやめると頭をポリポリと掻いてから大きなため息を吐いた。丸で夢中に遊んでいた子供が急に興味を失くして、遊ぶのをやめてしまったかの様な態度だ。
「はぁ、あーあ。何か変わったものを使ってきやがったから、もうちっと楽しめると思ったんだけどなぁ。所詮、人族相手じゃこの程度ってことか。とっとと終わらせて、俺もフラウガーデンとやらに向かうとすっかな?」
「フラウガーデン?まさか、お前たちの狙いは避難してきた魔族か?」
「あん?何だ。気付いてなかったのかよ。魔獣の大半がフラウガーデンに向かったことをよぉ。まあ、お前らは必至こいて、ちまちまと闘っていたもんなぁ。何も知らず頑張って闘ってきて、しかもそれが何の意味もないことだと思ったら笑っちまうなぁおい」
魔人族の男は、一々こちらを馬鹿にしながら、べらべらと内情を喋ってくれる。魔人族が攻めてきた本当の理由は、魔族領から逃げ出してエルグステアに住み着いた魔族を粛清するためらしい。エルグステアを侵略するにあたって、一番邪魔になりえる障害を排除しに来たのだそうだ。そして、そんなことを俺たちに聞かせるということは、魔人族の男は俺たちを生きて返えさないつもりの様だ。これでもう、本気で終らせる気らしい。
「そんなことを聞かされて、はいそうですかと、やられると思っているのか?」
「思ってるぜぇ?実際に魔獣を闘わせてハッキリとなぁ。お前たちは余りにも弱い。脆弱過ぎて、俺が手を出しちまったら弱い者いじめになっちまうぐらいによぉ」
「確かにお前たち魔人族と比べたら我等は弱い。だが、だからと言って、むざむざとやられる訳ではないぞ!」
「威勢だけはいっちょまえだなおっさん。だったら、精々足掻いて見せろよ!いけ、魔獣ども。下等な人族を食い散らかしてやれ!」
魔人族の男の声に呼応して、後ろに控えていた魔獣が雪崩の様に襲い掛かってくる。その大半は俺たちを素通りして、広場の結界を打ち壊そうと結界に攻撃を加え始めた。急いで反転をしたいところだが、俺たちは二匹の災害級の魔獣に挟まれて、結界を守りに行くことが出来ない。
「ほらほら、どうしたよぉ?さっきの威勢はどこに行ったぁ?このままだとあっという間に、魔獣の腹の中に入っちまうなぁおい。まあ、俺はその方が早くフラウガーデンに行けて良いけどよぉ。啖呵を切った分ぐらいは、楽しませてくれねぇとなぁ?」
魔獣の一匹を椅子代わりにして、高みの見物と言った感じの魔人族の男。言われ放題で実に腹立たしいが、状況は男が言う通りの状況になりつつある。数十体もの魔獣が何の障害を受けることなく結界に攻撃をするのを許してしまっている。結界の耐久が見る見る内に減っていくのが見てと捕れて、遂には結界にヒビが入り始めた。避難した町の住民が集まる南の広場に、魔獣が雪崩れ込むのも時間の問題となってしまっていた。
・・・くっ!このままでは・・・。
俺は力任せに目の前の魔獣を斬り伏せて、急いで結界を守りに走る。力任せに剣を振ったことで、剣が折れてしまったが関係ない。剣がなくても身体を張って、魔獣を殴り倒せばいい。魔人族の男の思い通りになってやるつもりは微塵もないのだ。だが、俺の思いとは裏腹に結界を襲う魔獣の中でも一際大きな魔獣シロ・クマの突進攻撃によって到頭、結界が打ち破られてしまった。
魔獣が広場に雪崩れ込んでしまう、そう思った次の瞬間、何かが風を切るけたたましい音が聞こえると共に、光の線が魔獣シロ・クマの真上に落ちた。その衝撃でシロ・クマの身体は一瞬の内に押し潰されて、辺りに砂埃が舞い上がる。目の前で起こった出来事だが、一体何が起こったのか分からない。とりあえず、頭に思い浮かんだのは、目の前に雷でも落ちたのか?ということで、俺は思わず天を仰ぐ。空に雷を落とす様な雲は見当たらない。
・・・空はこんなにも晴れているのに、今の雷みたいなのは何だ?
身体が押し潰されてことで吹き出した魔獣シロ・クマの血が雨の様に降ってくると、舞い上がった砂埃が血で洗い流されていく。すると、潰れたシロ・クマの身体の上に人影があることに俺は気が付いた。シロ・クマの血の雨を浴びて全身が真っ赤に染まっているが、それが誰だか俺にはすぐに分かる。
・・・ルート、お前がどうしてここに!?お前は王都から出て来れないはず。・・・いや、そんなことは決まっている。救援要請を聞き付けて助けに来てくれたのか。
ルートの突然の登場に俺は驚愕する。それと同時に、ルートが三年前の水の季節に魔獣シロ・クマを屠った時の記憶が蘇った。あの時もルートはシロ・クマの血で全身血塗れになっていたはすだ。小さな救援だが心強い救援の登場に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
だが、そうしていられたのも束の間だった。よく見るとルートの身体からもやの様なものが吹き出しているの見える。可視化出来る程に魔力が暴走している証拠だった。ルートは変わり果てた故郷を見て、怒り心頭に発しているに違いない。
ただそのルートから漏れ出ている魔力のお陰で、南の広場に雪崩れ込もうとしていた他の魔獣たちの動きが止まった。魔力がだだ漏れになっているルートに注目して、警戒体制に入ったのだ。ルートから発せられる魔力が、自分たちにとって危険な存在で脅威になると魔獣たちは判断したらしい。
というよりも、魔獣たちはルートを見て怯えている様に見える。ルートから感じられる威圧感は、俺でも畏怖してしまう程の迫力があるので、分かりたくもないが魔獣たちの気持ちが少し分かる気がする。
・・・魔獣が怯えてくれているのは良いが、今のままではまずい。これでは、ルートが皆を危険な目に遭わせてしまう可能性が。一先ず、ルートに落ち着く様に声を掛けなければ。ん?
魔獣シロ・クマが絶命したのか、潰れた身体がドロリと溶けてなくなった。魔石と共に地面にストンと足が付いたルートは、不愉快そうに自分の身体を見下ろしてから、右手で身体を払う様な仕草をする。すると、それだけで、血で真っ赤に染まっていたルートの全身が、何事もなかった様に綺麗な状態になった。浄化魔法を使って、身綺麗にしたのだろう。
それを見た俺は、思ったよりもルートは落ち着いているのかもしれないと思った。その証拠にさっきまでだだ漏れになっていた魔力が見えなくなっている。ルートは冷静さを取り戻した様だ、と安心した矢先だ。ルートは腰にぶら下げた道具袋に手を突っ込んでごそごそとすると、何かを取り出して南の広場の空に向けて放り投げた。ルートが投げた物が見覚えのある形をしていることに、俺は自分の目を疑った。
・・・ちょっと待った。あれはシュリュウダンじゃないか!?
どういうつもりだ!?と驚いている内に、ルートの投げたシュリュウダンらしき魔術具が空中で小さな音を立てて弾け飛んだ。すると、白い光の粒が飛び散って、南の広場に広がっていく。あの白い光の粒にも見覚えがある。あれは光属性の治癒魔法の光だ。ルートは降り注ぐ光の粒を見て、これでよしと言わんばかりに一つ頷くと、またもや道具袋に手を突っ込んだ。
俺はルートの行動にやきもきするが、ルートはそんなことは露知らず。ルートは再び空中に何かを投げた。今度のも魔術具なのだろうが、あの魔術具は今までに見たことがない。どんな効果があるのかと俺は魔術具を目で追った。
魔術具は空中でピタリと動きを止めてその場に留まると、一瞬の内に広場を包み込む結界を展開させた。垂直の壁を作り出す結界が一般的なのだが、空を覆う形の結界なら空からの攻撃も防ぐこと出来る。俺はルートが張った結界に思わず感心してしまった。
・・・それにしても、どれだけ魔術具を作っているんだルートは。ちゃんと勉強もしているんだろうな?勉強をしなかったら母がうるさいぞ?俺は口を酸っぱくしてよく怒られたものだが・・・。
不意にルートがちゃんと勉強しているのか俺は不安になった。が、すぐに心配するのをやめた。そんな心配をしなくても俺と違って座学の成績も優秀だという、母からの歓喜の手紙を読んだ覚えがあるのを思い出したからだ。
「アァン!?何だお前は?魔人族でありながら、人族に与するとは、お前さては融和派のやつだな?融和派は全員取っ捕まえたってぇ話だったが、こっち側に逃げていたやつが居たとはな」
魔人族の男がルートに話し掛けるが、ルートは振り向くことなく結界がきちんと張れているか確認をしている。ルートは完全に魔人族の男を無視だ。魔人族の男はルートに無視をされて、苛立たしそうに顔を歪めるとそれを魔獣に当たり散らす。
「ちっ、ガキのくせして無視するとはいい度胸じゃねえか。融和派でも同族は殺さず捕らえる様に言われているけどよぉ。お前みたいなガキが一人、居ても居なくてもなんの問題もねぇよなぁ?おい!下僕ども!ビビってないでとっととそのガキを食い殺せ!さもなくば俺がお前らを食い殺すぞ!?」
ルートに怯えていた魔獣たちだったが、魔人族の男の命令には逆らえないらしい。魔獣たちは及び腰になりながらも、一斉にルートに襲い掛かった。だが、そんな状況でもルートは魔獣たちの攻撃に身構える気配が全くない。
ルートは何事もないかの様に結界をグイグイと手で押して満足そうに頷いているだけだ。そんなルートに一番近く居た狼の魔獣クリムガルストが、大きな口を開けてルートを噛み砕こうと牙を立てた。
「ルート!?危な、いっ??」
俺は信じられない光景を目の当たりにして思わず声が裏返る。クリムガルストの牙がルートに突き刺さそうになったその刹那に、クリムガルストが黒い炎に包まれて忽然と消えた。本当に瞬きをするぐらいの一瞬の出来事だ。
しかも、それはクリムガルストだけに限った話ではなかった。ルートに群がろうとしていた魔獣たちが、ルートに近い順番に次々と黒い炎に包まれて、その姿形が一瞬の内に焼失していったのだ。
・・・これがルートの攻撃魔法なのか。何という威力なんだ。
本来、魔獣を倒したらその後には必ず魔石が残る。それが当たり前のことで普通のことだ。だが、黒い炎に焼かれて消えた魔獣の後には、一切何も残らない。丸で初めからそこに存在していなかった様だ。あの黒い炎が、一瞬で魔獣を絶命させるだけでなく、魔石までもを焼き切って焼失させてしまう程の威力があることに、俺は開いた口が塞がらない。何より、魔石が燃えて無くなるということを俺は生まれて初めて知った。
そんなとんでもないことをしたルートは、今までに見たことがないぐらいに冷やかな目で魔人族の男を睨み付けていた。魔人族の男に対して怒っているのがありありと透けて見える。自分に向けられている訳ではないが、思わず背筋がゾクリとして身震いしてしまう程にその目が怖い。可愛いと評される程に顔立ちが整っている分、余計にだ。
・・・落ち着いた様に見えたルートだったが、内心はずっと怒りをたぎらせていたか。
「あぁ?何だこれ?何だよこれ?お前、一体何をした?今の魔法は一体何なんだ!?黒い炎の魔法なんぞ見たことねえぞ!?一瞬で魔獣が消えるとかありえねえだろう!」
俺たちを襲っていた魔獣だけてなく、魔人族の男が後ろに控えさせていた魔獣までもが、ルートの黒い炎に焼き尽くされて、瞬く間にこの世から退場した。それに驚いた魔人族の男が椅子にしていた魔獣から立ち上がると、その瞬間に椅子になっていた魔獣も燃えて消えた。
魔人族の男はついさっきまで座っていた魔獣がいた場所に目を遣ってから、顔を引きつらせて声を荒げながらルートに突っ掛かる。だが、ルートはそれに答えることなく、黙って冷やかに睨み付けるだけだ。魔人族の男は、返事をしないルートの態度にひどく腹を立てていたが、ルートが魔人族とは違うある部分に気が付いて眉をひそめた。
「んん?お前のその瞳、なぜ青い?黒髪をしながら、なぜ目の色が違う?・・・お前まさか混血か!?だが、それはありえねぇ。俺たちが下等な他種族との間に子供を作るなんてこと・・・いや、待てよ?確かあの任に就いていたのは、反抗的な態度を取っていたあいつらだったな。随分と俺たちを煙たがっていたあいつらが、俺たちを謀っていたとしたら?」
途中からルートに話し掛ける訳でもなく、独り言の様にブツブツと言い出した魔人族の男は、何か思い至った様にハッとした顔をしてから、再びルートに突っ掛かる。
「まさかお前、下等な人族との間に産まれ、ぐぇ」
魔人族の男は最後まで言い切るよりも前に、急に苦しむ声を上げる。それもそのはず。いつの間にか距離を詰めたルートが、魔人族の男の胸ぐらを掴んで締め上げていたからだ。ルートの目にも留まらぬ速さが、もはや俺とは次元が違いすぎて呆然とするしかない。
魔人族の男は息が出来ないのか、呻き声を上げながら必死でルートの手を振り解こうとじたばたともがく。だが、ルートは全くびくともしない。魔人族の男にどれだけ腕を掴まれ、引っ掻かれ、叩かれても微塵も動く気配がない。補助魔法であれだけ素早く動ける様になっているのだから、補助魔法で筋力も相当強化することが出来るはず。魔人族がどれだけ抵抗しても、当然の結果と言える。
・・・しかし、それならそれで、あいつはなぜ魔法を使って抵抗しないんだ?
魔人族の男は、手足を動かしてもがくだけで魔法を使う気配が全くない。魔人族の男の行動に疑問を感じている内に、魔人族の男が口から泡を吹き始めた。このまま放っておいたら魔人族が死んでしまう。
・・・皆の安全を考えたら、ここで確実に仕留めておくべきではあるが。ルートがいればこのまま捕獲することも出来るか?
そう思っているとルートは胸ぐらをグイッと引いて魔人族の男の額に頭突きを食らわせた。少し離れたここからでも、ゴンッと鈍く重い音が聞こえてくる。俺は思わず自分の額に触れた。
・・・頭がかち割れて死んでしまったのではないだろうか?
そんな俺の心配を余所にルートは、頭突きを受けてグラリと後ろに仰け反った魔人族の男の胸ぐらを掴んだまま強引に投げ飛ばして地面に叩き付けた。今度は、ドシンという地面を叩く鈍い音と共に、砂埃が舞い上がる。心なしか地面が少し陥没している様な気がするのは気のせいじゃないだろう。
今度こそ魔人族の男は死んだんじゃないかと思いつつ、俺はルートの見事な体捌きに思わず感嘆の息を吐く。ルートが魔法だけでなく、身体を鍛えることも忘れずに努力しているのが見て取れたからだ。
・・・ほんの数年前までは、家の周りを走るだけで息を切らせていたとは、今となっては信じられないな。っと、いかん。感心している場合じゃないな。
短い時間の中で色々なことがありすぎた。それに頭がついていってないということもあるが今、目の前で起こった出来事が何だとても現実味が薄い。丸で目を開けながら夢でも見ているかの様な気分だ。
それでも、はっきりとしていることはある。ルートが救援に来てくれたことで、俺たちの命は救われたということだ。息子の驚きの急成長ぶりに喜びとちょっとした寂しさを噛み締めながら、俺はルートに近付いて声を掛けた。
Q.防衛戦をしましたか?
A.主人公が来たらこうなるに決まってる(棒読み)
次回、後編は父と子の再会がメインです。




