第百六十二話 事前準備 後編
授業の終了を告げる鐘の音が鳴って少しして、闇属性の研究室にティッタたちがやってきた。積み上がった強化薬の入った箱と、何袋もある薬草の入った麻袋を任せた俺は、急いで校門にある馬車の停留所へと向かう。馬車を使わない俺には全く縁のない場所だが、今日やっておくべきことの最後の仕事に取り掛かるために、人を迎えに行くのが目的だ。
馬車の停留所に着くと目的の人物がポニーテールにしたピンク色の髪を左右に揺らしながら、キョロキョロと辺りを見渡している姿が見えた。帰るための馬車を探しているのだろう。走って停留所まで来たが、ティッタたちが研究室に来るのを待っていたこともあり、少し出遅れてしまった様だ。
いつもなら待ち構えているはずの馬車がないことに、おかしいと首を傾げるアンジェに近付きながら、俺は「いくら探しても馬車はありませんよ」と声を掛ける。
「あら、ルートではないですか。この様な場所で会うのは珍しいですわね。それより、どうしてルートがわたくしの馬車のことを知っているのかしら?・・・ん、ルートが何かしましたわね?」
いつも通りの場所に馬車が居ない原因の犯人が、すぐさま俺と断定したアンジェは、ジトリとした目で俺のことを睨む。俺はその場に片膝を地面に付いて「詳しい話は移動しながら話しますよ。アンジェ、お手を拝借しても?」と言って、右手をアンジェに差し伸べる。アンジェは怖い顔で警戒しながらも、俺の右手に手を重ねてくれる。
俺はアンジェの手を握り、少し強めに引っ張る。軽く引っ張っただけでは、騎士コースで身体を鍛えているアンジェは、ビクともしないので許して欲しいところである。小さく「きゃっ」と声を上げて、体勢を崩したアンジェの背後に素早く回り込んで、俺は手早くアンジェの足を払う。
一瞬、宙に浮いたアンジェの身体に両腕を差し入れてから持ち上げるとお姫様抱っこの完成だ。アンジェのことをお姫様抱っこした俺は、屋敷に帰るためにその場を後にした。
「さあ、いい加減に説明してくださいまして?」
抵抗しても無駄であることを察しているアンジェは、俺に大人しくお姫様抱っこされながら、眉間に皺を寄せた顔で質問してくる。俺はアンジェに礎の巫女を知ったことと、打開策を探しに行くことを話す。そして、それがいつ終わるのかが分からないので、先日アンジェと約束した、光のマナに受け入れてもらう特訓をするために、アンジェをエルスタード家に連れて帰ることを話した。
「特訓のために今夜は、エルスタード家の屋敷に泊まって頂きます。すでにリーフェルト家には、連絡済みで許可も頂いてますから。あ、ちなみに当家に泊まる理由は、久しぶりにソフィア姉様から剣の指導を受けるため、としてますから安心してください」
「はぁ、あなたという人は全く。余計なことに首を突っ込み過ぎではないこと?と、言って話を聞く様なら端から動いてませんわね。ルートらしいと言えば実にルートらしいですけど」
話を聞いたアンジェは、呆れた様に深々とため息を吐いてから俺のことを咎める。が、すぐに首を横に振った。アンジェの言う通り、誰かにやめろと言われて、やめてしまえる程度のことだったら端から俺は動いていない。自分のことを分かってくれているアンジェの言葉を嬉しく思っていると、アンジェが不敵な笑みを浮かべて俺を見た。
「ルートが特訓をしてくれると言うのであれば、望むところですわ。わたくしは少しでもソフィア様に近付くのです。ただ、ルートにしては珍しくわたくしの体面を保つために配慮してくれている様ですが、この様な格好で運ばれている時点で意味がないのではなくて?」
女性が男性に誘われて男性宅に泊まると言うのが、アンジェの体面を傷付ける恐れがあると思った俺は、アンジェを屋敷に招く理由をソフィアにした。でも、人目に付く街中でお姫様抱っこで運ばれている姿を見られたら全く意味がない、とアンジェに言われてしまう。
・・・ふふん。その点も心配しなくても大丈夫なのだよアンジェ君。
「心配には及びませんよアンジェ。光のマナに働き掛けて、魔法で俺たちの姿が見えない様に光を屈折させてますから。周りの人には、俺たちの姿は見えてませんよ」
「光を屈折?つまりはどういうことですの?」
俺は自信満々にアンジェに語るが、アンジェには意味が分からなかった様だ。何言ってるの?と言わんばかりの顔で、首を傾げられてしまう。
「えっとですね。光がなければ物を見ることは出来ません。それは分かりますね?」
「もちろんですわ。馬鹿にしないでくださいまし」
「馬鹿にした訳ではないのですが・・・。まあ、そのことは置いておきましょう。つまりはですね、光があると物が見える。それは物に当たった光を目で捉えているからなのです。だから、俺たちに当たった光を屈折させることで、他人の目には入らない様にしている、という訳です」
「ルートは随分と難しいことを知ってるのですね。それもいつものことですけれど。・・・残念ですが、今のお話、わたくしには少し難しいですわ。・・・何にしても、他の方々に、わたくしたちのこの姿を見られることはない。そう言うことですのねルート?」
「その通りですアンジェ」
アンジェの質問に俺はコクリと頷いて見せると、アンジェはホッと息を吐く。本来であれば、アンジェのその姿は、他人の目を気にすることがないことに、胸を撫で下ろしているはずのものだが、どことなく寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
・・・何か不満でもあったかな?あ、そうか。
「まあ、特訓はしますけど、夕食などではソフィア姉様が一緒ですから。アンジェはソフィア姉様に甘えたらいいですよ」
「ソフィア様にお会い出来るのは嬉しく思いますがそういう・・・。はぁ」
俺のアンジェを思っての気遣いは、なぜかため息で締め括られてしまった。解せぬ。
エルスタード家の屋敷にアンジェを連れ帰り、メイドにアンジェを託して客室へと案内してもらう。アンジェを家に招くことは事前に通知してあるので何の問題もない。着替えもちゃんと用意してある。俺は自室に戻り、制服から普段着に着替えを済ませていると、程なくして夕食の時間となった。カジィリアとソフィアと俺のいつもの三人に加え、アンジェも交えて夕食を摂る。
食事中、カジィリアから「突然のことで驚いたでしょう?」と話し掛けられたアンジェが「はい、少々驚きましたわ」と小さくなりながら答えていた。さすがのアンジェもカジィリアを前にすると、緊張してしまう様である。
アンジェの対面側に座っていた俺は、ちょっと珍しいアンジェの反応を眺めていると、それに気が付いたアンジェに軽く睨まれてしまった。俺はスイッと視線を逸らして、何食わぬ顔で切り分けたお肉を口に入れた。
食事が終わったら、アンジェにはソフィアと一緒にお風呂に入ってもらう。着替えの際に、軽く身体を拭いてもらっていると思うが、騎士コースの授業は身体を動かし、鍛えることが多い。特訓をするにあたり、疲れた身体を癒してもらうためにも、湯あみは最適だろう。
アンジェがお風呂に入っている間、俺は自室で明日の準備を続ける。自分の身体は浄化魔法でサクッと清めた。お風呂にゆっくり浸かるよりも、明日の準備を優先したかったからだ。アンジェがお風呂から上がり、客室に戻ったという報告を受けてから、俺はラフィを伴ってアンジェが寝泊まりする客室を訪ねた。
「入りますねアンジェ。あれ?なぜに制服?寝間着も準備されてあったと思うのですが?」
「別にいいでしょう?寝間着は寝る時に着させて頂きますわ」
アンジェが少し顔を赤くしながらそう言ったのを聞いて、俺はポンと手を打った。確かに寝間着姿は普通、他人に見せるものではないな、と思ったのだ。それでも、食事のために着替えてもらっていた軽めのドレス姿でも良かったのでは、と思わなくもない。だが、こう言うことで口を出すと大体の場合で、俺は墓穴を掘ることが多い。だから、俺は不要なことは言うまいと口を噤んだ。
・・・成長したな俺。
「どうかしましてルート?」
「いえ、何でもありません。それじゃあ、早速始めましょうか」
自分の成長を噛み締めていると、アンジェに不思議そうな顔をされてしまう。俺は首を振って見せてから早速、光のマナに受け入れてもらうための特訓に取り掛かることにした。
ラフィとアンジェの世話係として付いているキキルに指示を出して、部屋に置いておいてあった椅子を向かい合わせに置いてもらう。アンジェに椅子に座る様に促して、俺はアンジェの向かいの椅子に手を掛けて、アンジェの膝小僧と引っ付きそうなぐらいの距離で椅子に座る。
「さて、これから特訓を始めたいと思いますが、一つ確認をしておきます。この特訓はアンジェの身体に負荷が掛かるのは明白です。もしかしたら、何日かまともに動けなくなる可能性があるかもしれません。しかも、魔力、魔法関係の体調不良は、残念なことに魔法では癒すことが出来ません。それでも、アンジェは特訓をする覚悟がありますか?」
「見くびらないでませルート。その程度のことで怖じ気付く訳がないでしょう?敬愛するソフィア様に近付くためですもの。どんな苦行も耐えて見せますわ」
アンジェがやめると言わないことは、端から分かっていた。それでも一応忠告してみたが、やはり思った通りの回答が返ってきた。アンジェのそのブレのない生き様は、尊敬に値するほど清々しい。これがもっと有用なことだったら、俺も素直に見習っていたことだろう。
「分かりましたアンジェ。だったら、俺がアンジェに光のマナとの渡りを付けましょう。それじゃあ、両手を前に出してもらえますか?」
「両手を前に、ですの?また、引っ張るのではありませんわね?」
アンジェは俺に両手を差し伸べながら、ジトッとした目で俺を睨む。どうやら、アンジェをエルスタード家の屋敷に連れ帰るために俺がやった、お姫様抱っこをするために手を引っ張ったことを根に持っているらしい。
俺はクスッと小さく笑ってから「アンジェはお姫様抱っこをご所望ですか?」とおどけて見せる。アンジェは「何馬鹿なことを言ってるんですのルートは。その様な戯れを言って、本当はわたくしのことをお姫様抱っこしたいのはルートではなくて?四年後顔を洗って出直しなさい」と言ってツンと顔を逸らした。
アンジェの言った様な断り文句や、お前にまだ早いなどの常套句で使われる年数は、十年や百年といった感じのキリのいい数字が一般的ではないだろうか。妙に具体的な年数をアンジェに言われて、俺は「四年後?」と呟きながら首を傾げる。
すると、アンジェはアッといった感じの表情をほんの一瞬だけ見せてから「無駄話はこれぐらいにして、早く始めなさい!」とちょっと怒り気味に、俺の腕を軽く叩いた。初めに茶化したのは俺の方だが、話に乗っかってきたのはアンジェである。俺は、ちょっと理不尽じゃない?と思ったが、大人しく特訓を始めることにした。
・・・余計なことを言ったら、より怒られそうだしね。
「分かりました。これから行う特訓は、俺の魔力をアンジェの身体に流し込みます。俺の手からアンジェの手を通じてアンジェの身体の中にです。一度俺の魔力をアンジェの身体に入れてから、光のマナにアンジェが魔力を捧げるという寸法です。すでに受けられている俺の魔力にアンジェの魔力を混ぜて・・・ん?アンジェ?顔が赤いですが大丈夫ですか?」
「気にしないでくださいませ。ちょっとのぼせただけですわ」
俺が部屋に入った時よりもアンジェの顔色が赤くなっている様に思ったからの質問だったのだが、アンジェは違うと首を振る。アンジェの回答に俺は心の中で、そうだったかな?と思う。思いはしたが、深く追求するのはやめておいた。アンジェがのぼせたと言うのだから、そう言うことなのだろう。
「そうですか?でも、俺はアンジェに無理をさせるつもりはありません。身体に不調を来したら、すぐにでも言ってくださいね?こればっかりは、無理をすると本当に危険かもしれないのですから」
俺は真剣に心配をするが、アンジェはなぜかクスクスと笑ってから「分かっていますわルート」と言って微笑んだ。
「むぅ、笑い事ではないのですよ本当に・・・。まあ、アンジェの覚悟は決まっている様ですからいいですけど。それじゃあ、始めましょうか」
「えぇ、お願いしますわルート」
使用する魔法は治癒魔法。補助魔法の場合、掛け過ぎると後が大変なことになるので、今回の特訓には向かない。治癒魔法の使用をイメージした状態をアンジェにキープしてもらいつつ、俺は光属性の治癒魔法を使うつもりで放つ魔力をアンジェの手を通じて、アンジェの中に流し込む。
すでに光のマナに捧げるはずの魔力なので、アンジェの中に流し込んだ俺の魔力は半強制的にアンジェの身体から放出されて治癒魔法へと昇華する。その時、俺の魔力に混じって、アンジェの魔力も引っ張り出される様に差し向ける。かなり高度な魔力制御を必要とするが、常日頃、魔力制御の鍛練に励んでいる俺には、やってやれないことではない。
・・・魔力の扱いに長けているのは、魔人族の血を引いてるっていうのも、あるんだろうけど。
アンジェの魔力を俺の魔力に混ぜて無理矢理、光のマナにアンジェの魔力を捧げる。そうやって、光のマナにアンジェの魔力を受け入れてもらうというのが、今回の特訓の内容である。平たく言えば、大好きなハンバーグの中に大嫌いなピーマンが刻んで混ぜてあるのを気付かずに食べさせることで、知らず知らずの内に食わず嫌いをなくしちゃえ、みたいなことを想定している。
それに、魔法を使える様になるための訓練用魔術具よりも、より効果的に光のマナにアンジェの魔力を捧げることが出来るはずだ。俺はアンジェの様子を確認しながら、少しずつアンジェの身体に流す魔力を増やし、アンジェの魔力を放出させる量を増やしていく。
特訓を開始して小一時間が経った頃、アンジェの上半身が突然、ふっと前のめりに倒れる。アンジェの魔力の限界が近いのだろう。一瞬、身体の力が抜けてしまった様だ。アンジェはすぐに身体を起こすと椅子の背もたれにもたれ掛かり、ふぅと大きく息を吐いた。
「急に身体が重くなった様な感じがしましたわ」
「魔力の限界が近いということですね。どうですか?今のところ、光のマナを感じ取る感覚は掴めましたか?」
「まだ何も。ルートの言うほのかに温かいと言うのは全く感じ取れませんわ。ルートの手のひらが温かいせいかしら?・・・うぅ、やっぱり闇のマナに愛されているせいで、光のマナに受け入れてもらえないのかしら?」
「大丈夫ですよアンジェ。俺はどちらのマナからも愛されてますし、誰とは公言出来ませんが、光と闇のどちらにも愛されている子が居ることを俺は知っています。決して出来ないという訳ではありません」
「ルートだけじゃないのですね。・・・比較対象にならないルートならまだしも、他にも居るというのでしたら、まだ諦める訳にはいきませんわ」
・・・それは俺が特殊だと言いたいのかなアンジェさん?まあ、いいけど。
「やる気があるなら十分。と言う訳で、はい、アンジェ。魔力の回復薬です。それを飲んで少し休んだら再開しましょう」
「回復薬まで用意してあるなんて。ルートはわたくしにとことんやらせる気なのですね?でも、分かりました。望むところですわ」
「その意気ですアンジェ」
俺の手渡した回復薬をグイッと一気に飲み干したアンジェに、良い飲みっぷりだと拍手を送っていると、廊下からやけに騒がしい足音が聞こえてくる。ドドッドドッドドッドドッ、と力強い足音は、この客室の前まで来るとピタリと止まる。その次の瞬間にはバンッと大きな音を立てて扉が開いた。そこに立っていたのは、恐い顔をしたソフィアである。
「どういうことなのルゥ!?私、何も聞いてないわ!!」
客室に入って来るや否や、俺にぶつかる勢いで詰め寄ってくるソフィア。そんなソフィアの姿を見て「わたくしに会いに来てくださったのですねソフィア様」と目を輝かせているアンジェはさすがだと思う。アンジェの本当にブレない姿に、思わず俺は感嘆の息を吐くが、この姿勢を見習う必要は全くないな、とも冷静に思った。
「ようこそソフィア姉様。その様子ですと俺の明日からの行動を聞いたのですね?」
「聞いたわ。学園の森にある遺跡に一人で挑むってどういうことなの!?」
ソフィアは俺の両肩をガシッと掴み、自分の正面に来る様に俺の向きを九十度捻る。上半身だけソフィアに向くという苦しい体勢になった俺は、ソフィアの腕に手を掛けてながら少し腰を浮かせて座り直す。そして、ニコリとソフィアに微笑み掛けながら、ソフィアが言い出しそうなこと先に潰しておく。
「予め言っておきますが、何をどれだけ言われてもソフィア姉様は連れて行きませんからね」
「どうしてルゥ!?」
「今回の件は単純に俺の我が儘なのです。それにソフィア姉様はもちろん、他の人を巻き込む訳にはいきません。それは、王族から言われていることですし、お婆様もそう認識し、許可を頂いていることです」
俺の話を聞いたソフィアはギリッと奥歯を噛み締めてから「王族ってエリオットさんのことでしょう?だったら、話を付けてくるわ」と言って、俺の肩から手を離しクルリと踵を返す。俺はすぐさま腰を浮かせて立ち上がり、部屋を出ていこうとするソフィアの腕を掴んで引き止めた。
「たから、駄目だと言っているでしょうソフィア姉様?」
俺はそのまま強引にソフィアを引っ張って、俺が座っていた椅子にソフィアを無理矢理座らせる。椅子に座らされたソフィアはキッと俺のことを見上げながら睨む。
「どうして止めるのルゥ!?」
「ですから、今回の件は、俺の我が儘なのです。それにソフィア姉様を付き合せて、危ない目に遭わせる訳にはいきません」
「危ないと分かっているなら、なおさら私も・・・」
言い返そうとするソフィアの言葉を遮る様に、俺は「そんなにも俺のことが信用出来ませんか?」と努めて悲しげにソフィアに尋ねる。ソフィアは、うっと息を詰まらせると「ルゥのこと信用してない訳じゃなないけど」と困った様に呟いた。
言い募ろうとしていたソフィアの勢いが、ようやく弱まったことに勝機を見出した俺は、ソフィアの手を取って、両手でギュッと握り締めながら話し掛ける。
「ソフィア姉様が心配してくれるのはとても嬉しく思います。でも、今回は俺一人で遺跡に向かいます。でも、勘違いはしないでください。俺は別に遺跡に死にに行く訳ではありません。それに自分の実力を過信しているつもりもありません。もし、少しでも自分の身が危険だと分かったら、ちゃんとしっぽを巻いて逃げますよ」
「ルゥ・・・本当に?」
「はい、もちろんです。だって、俺はまだ死ぬ訳にはいきません。少なくともメルアとメルクの二人に直接会って、ギュッと二人を抱き締めるまでは死んでも死に切れません。俺は・・・本物ではないですが、それでも二人の兄ですから。兄として、二人を愛でるまでは絶対に死にません」
ソフィアは俺の決意を聞くと軽く目を見張ってから「ルゥはどんな時でもルゥなのね」と仕方なさそうな顔をしてから小さく笑う。ソフィアに呆れられている様子だが、妹や弟を可愛がらない兄が居るだろうか。いや、居ない。それに、そう言う意味ではソフィアも俺と同類である。
・・・ソフィア姉様はソフィア姉様で、俺のことを可愛がってくれてるでしょう?
それからソフィアは思案顔になる。俺のことを信用していない訳ではないが、それでもやっぱり一緒に行きたい。だが、それを言ってしまうとやはり俺のことを信用していないことになる。板挟み状態のソフィアが堂々巡りに陥っていることが、分かりやすいぐらいに見て取れた。
俺は握ったままのソフィアの手を、俺たち姉弟の様子を見守るアンジェの手のひらの上に置く。急に出番が回ってきたアンジェが困った様に、俺とソフィアを交互に見た。
「ソフィア姉様がそこまで心配してくれるのであれば、アンジェの特訓をソフィア姉様に託します。今日の特訓であれば、俺がやるよりも光のマナに愛され過ぎていると目されるソフィア姉様の方が適任ですし、アンジェもその方が嬉しいでしょう?それに、アンジェはソフィア姉様の弟子の様なものです。弟子の成長を補うのは、師匠の役目と言えるでしょう」
「私にアンジェの特訓を託してルゥはどうする気なの?」
「ソフィア姉様が請け負ってくれるなら俺は安心して休みます。明日のために体調を万全にしておくことは、無事に遺跡を踏破するためには必要なことですから」
俺が明日に備えて寝ると胸を張って説明すると、ソフィアがハッとした顔になる。そして、何かに思い至ったのか、ソフィアはジトリとした目付きで俺のことを見た。
「こうなる様に謀ったわねルゥ?」
「さて、何のことでしょう?」
ソフィアの質問に俺は明言を避けるが、ある意味それが答えである。そのことが分かったのか、ソフィアは呆れた様に首を横に振るが「仕方ないわね。アンジェの特訓を引き受けてあげるわ」と仕方なさそうにいいながら微笑んでくれる。俺は「ありがとうございますソフィア姉様。後を任せます」とお礼を言って、自室に戻ることにした。
客室からの去り際、俺は魔力の回復薬を十本ほどテーブルの上に置く。それを見たソフィアから「どれだけアンジェに無理をさせる気なの?」と怪訝そうに言われ、アンジェは「ソフィア様とならどれだけ無理なことでも頑張れますわ」と意気込む。対象的な反応を見せる二人に俺は小さく笑った。
「今夜中に全部使い切るまで特訓して欲しいという意味ではないですよソフィア姉様。無理は命に関わるので、絶対に駄目です。必要に応じて回復薬を使ってください。これはアンジェだけの話でなく、ソフィア姉様も同様ですからね?」
無理は駄目だと釘を刺してから、俺は客室を後にする。真っ直ぐ自室に戻った俺は、減った分の魔力の回復薬を作ってから、ソフィアに宣言した通り、明日に備えてベッドに潜り込んだ。
次回ようやく遺跡へ突入。