第百五十六話 騎士コースへの依頼
風の季節の三月目、最終週の風の日、俺は久しぶりに騎士コースの剣の訓練に参加していた。去年の今頃なら何てことのない日常の一つだったが、三年生になってからは今日が初めてとなる。それと言うのも、新しい魔術具の構想に、強化薬の研究、そして、三年生の試験をとっとと終わらせる、と言った感じに立て込んでいたのが原因だ。
俺が今日、騎士コースの剣の訓練に参加するのは二つの理由がある。一つは、ようやく三年生の試験をクリアしたことにより、少し余裕が出来たので、思いっきり身体を動かしにやって来た、という理由。もう一つは、身体を動かすことよりも、もっと大事なことあって訓練に参加している。騎士コースの皆に協力して欲しいことがあるのだ。
剣の素振りに地稽古を一頻り行い、新入生の顔に疲れの色が見え、明らかにバテ始めたところで一度休憩となる。訓練に慣れている三年生は、良い汗をかいたと涼しい顔をしており、去年までは一年生だった二年生も、まだまだ余裕そうに見える。それだけ、騎士コースの訓練は厳しいということだろう。
・・・魔法使いコースも騎士コースみたいにもっと身体を鍛える授業があっても良いような気がするな。おっと、それよりも、今が話を聞いてもらうチャンス。
俺から依頼したいことがあることは、事前に騎士コースの先生に話を通して、実行しても良いと許可をもらっている。後は、騎士コースの皆が納得して、首を縦に振ってもらえるかが焦点だ。俺は、騎士コースの皆から協力を取り付けるために、まずは情報提供を行うつもりだ。何事もギブアンドテイクが大切である。
「それで、どうしてわたくしがルートの助手をしなくてはならないのです?」
「いやだなぁ、アンジェ。俺と会えたのが二日ぶりだからと言って、そんなにも嬉しそうに言わなくても良いじゃないですか」
「ルートは一体何を言っているの?それに、どこをどう見たらそんな風に思えるのかしら?」
騎士コースの一年生から三年生までの全学年が集まる中、俺はアンジェを引っ張り出して前に立つ。何の抵抗もすることなくついて来てくれたアンジェだったが、皆の前に立った瞬間に不服そうに文句を言ってくる。でも、これから行うことを考えたらアンジェが一番適任なので、譲る気はない。
「あはは、そんなに睨まないでくださいアンジェ。ちょっとした冗談じゃないですか。でも、助手の話は冗談じゃないですからね。アンジェが適任だからです。ほら、アンジェは火属性の魔法剣を扱える様になっているでしょう?その上、闇属性の適性もありますし・・・」
「闇属性・・・」
アンジェはぼそりと呟いてから、今度は恨めしそうな目で俺のことを見る。アンジェが魔法剣を使える様になっていたことを知ったのは、新入生の実技試験の後に行った戦闘訓練の時だ。元々、アンジェは一年生の魔法使いコースとの戦闘訓練の時に、魔法反射用の重装備を任されるだけの魔力を持っており、魔力を動かすことが出来ていた。
あとはマナに愛されるだけだが、アンジェはどのマナにも愛されてはいなかった。そこで、密かに魔法を使える様になるための訓練用魔術具を手に入れていたらしいアンジェは、毎日真剣に魔力をマナに捧げた様だ。その結果、火のマナに愛されたアンジェは、水の季節に掛けて魔法剣を使いこなすまでに至っていた。
そして、二日前、俺が図書室のある本校舎を移動した時のことだ。偶然、図書室のある廊下で、アンジェと出くわすと、アンジェは俺の姿を見つけるや否や、ものすごい勢いと怖い笑顔で迫ってきた。見た目だけは、貴族の令嬢らしく優雅な歩みだが、漫画の様な効果音を付けるなら「ドッドッドッドッ」といった感じだ。
索敵魔法を使うまでもなく、身の危険を感じた俺は後退りした。だが、俺はすぐに校舎の壁に追い詰められてしまう。アンジェは俺のことを逃がさないと言わんばかりに両手を壁にドンとついた。どうやら、今年は女性に壁ドンされる年の様だ。そんなことを考えていると、アンジェは張り付けていた怖い笑顔を解いて、眉間に皺を寄せて俺のことを睨む。
「どういうことですのルート!?」
「アンジェが何を怒っているのか分かりませんが、まずは落ち着きましょう」
「これが怒らずにいられますか!どうして光ではなく闇が使える様になるのです!」
目にちょっと涙を浮かべて、プルプルと手を震わせ始めたアンジェを宥めながら、俺はアンジェが怒っている理由を聞く。どうやら、アンジェは火のマナだけでなく、闇のマナからも愛されることになったらしい。訓練用魔術具を使って、一つのマナに愛されたという結果は報告としてよく聞いていたが、二つ目のマナに愛されたと言う話を聞くのはこれが始めてだ。
俺はこれはすごい、と思いながら、良い結果として記録を残しておくために、アンジェにどの様にして闇のマナに受け入れられたのか確認する。すると、アンジェは「闇のマナには何もしてませんわ」と面白くなさそうに口を尖らせながら言った。
「闇のマナには何もしてない?どういうことですか?」
「どういうことか聞きたいのはわたくしの方です!わたくしはソフィア様と同じ光属性を扱える様になるために、ずっとずーーーーっと、光のマナに魔力を捧げていたのです。それだと言うのに、どうしてこうなりますの!?」
・・・うーん。どうしてだろうね。俺が聞きたい。
アンジェはソフィアとお揃いになるために光のマナに魔力を捧げていたそうだが、なぜか闇のマナに受けいられる結果になった様だ。恐らくだが、元々、アンジェの魔力が闇のマナに受け入れてもらいやすい性質だったのではないかと、と俺は推測するが本当のところは分からない。マナというのは、かなり気まぐれな存在らしい。
「どうしてくれますのルート!責任を取ってくださいまし!」
闇のマナに受け入れられたことで、光のマナに受け入れてもらえなくなったと訴えてくるアンジェは、俺に責任を取れと言い出した。アンジェの気持ちが分からない訳ではないが、マナが受け入れるかどうかの責任を俺に取れと言われても正直困る。
「確かに光と闇は相反関係にありますので、光のマナに受け入れられるのはグッと難しくなったと言えます。でも、絶対に受け入れられないと決めつけるのは良くありません。現に俺は光も闇も使えますから」
「ルートと一緒にしないでくださいませ!わたくしは至って普通の人間なのです」
・・・えぇ?そうかな?
アンジェは胸元に右手を添えながら宣言する。だが、どちらかと言えば俺と係わりが深いアンジェは、少し普通の人間のカテゴリーから外れつつある様に思う。でも、ここでそれを口にするような愚行はしない。
「うぐ、さすがにその言われ方は傷付くなぁ。でも、やっぱり諦めるのは早いと思いますよ。何もしなければ何も始まらないのですから」
「うっ・・・、でも」
俺が顔を歪めて見せると、それ見たアンジェが少し怯んだ。俺は勝機を見出してアンジェを諭す。
「ソフィア姉様の様に強くなるため、アンジェは今まで努力をしてきたのでしょう?アンジェはそれを放り捨てるのですか?」
「そんな訳ありませんわ!わたくしはソフィア様に憧れて・・・」
「だったら、光のマナに受け入れてもらえるまで諦めずに頑張りましょう。俺も責任を持ってアンジェが光のマナに受け入れてもらえるように協力をしますから、ね?」
「ルート、あなた・・・。分かりましたわ。ルートの言う通りですわね。あと、協力の件、約束ですわよ?」
このあと、「取り乱してごめんなさい」と言うアンジェに俺が「アンジェがわざわざ俺に会いに来てくれて嬉しかったですよ」と答えると、なぜかアンジェに思いっきりため息を吐かれてしまった、という出来事があった。
「アンジェ、これに協力してくれたら光のマナに受け入れられるための特訓をしましょう」
「光のマナの特訓ですの?」
アンジェは俺の提案に思案顔になる。多分、騎士コースの学生全員の前に晒されるのと、ソフィアと同じ光属性が使える様になることを天秤に掛けている違いない。と言っても、答えはすでに出ていると言っていいだろう。アンジェはすぐに「良いですわ。その案、乗って差し上げます」と言って、ニッコリと微笑む。いつだって、アンジェの最優先はソフィアのことである。思った通りの回答に俺も満足だ。
快くアンジェの協力を取り付けた俺は、アンジェに魔法剣を使用してもらう。アンジェが剣を抜き、刃に火のマナを帯びさせるのを確認してから、俺は道具袋から一メートルほどある丸太を取り出して、アンジェの目の前に置く。そのまま丸太を斬るだけでは効果が分かり辛いと思うので、丸太に土属性の補助魔法を施し、防御力を強化しておく。
「では、アンジェ、まずはその魔法剣でこれを斬ってもらえますか?」
「丸太を斬るだけですの?・・・ルートが何をしたいのか全く分かりませんが、考えるだけ無駄ですわね。分かりましたわ」
意味が分からないとブツブツと言いながらアンジェは剣を縦に振り下ろす。アンジェの剣は、丸太の半分辺りでその動きが止まった。斬り口を見ると少し焦げてるのが分かる。土属性の補助魔法で防御力を最大限に上げた丸太に、ここまで剣を通すことが出来る辺り、アンジェがしっかりと魔法剣の鍛練をしていることが分かる。
・・・初動も悪くないし、すっかり自分のものにしてるなアンジェ。さすが努力家。
「ルート。丸太を強化してますわね?」
「その通りです。では、アンジェ。もう一回魔法剣の準備を」
アンジェは丸太を叩き切れなかったことにムッとした表情を浮かべながら、丸太から剣を引っこ抜く。それから俺は樹属性の魔法で丸太を元に戻した。その間にアンジェは剣を構えてもう一度、火のマナを刃に帯びさせ始める。俺はアンジェに近付いて、剣を握るアンジェの手に自分の手を重ねる様に包み込む。すると、アンジェが「きゃっ」と言いながら、手を引いてしまった。
「なぜ、避けるのですか?」
「な、な、何をする気ですの。突然、この様な大勢の前で手など握って・・・」
「魔法剣に属性を上乗せしようとしただけなのですが?」
「何をするのか説明が全く足りてませんわルート!・・・突然、手を握られたらびっくりするではないですか」
配慮が足りないとアンジェに怒られて、俺は確かにその通りだと反省する。女性の肌に何の前触れもなく、いきなり触れるのは、確かに配慮が足りないと思うからだ。でも、ここまでアンジェに拒否されるとは思ってなかった俺は、内心ちょっとショックを受けていた。
・・・前はこんなことなかったのになぁ。どうしたんだろう?
俺はズズンと気落ちしながら、アンジェにこれから何をするのか軽くを説明して、今一度、アンジェに魔法剣を使ってもらう。
「えと、それじゃあ、もう一度良いですか?」
「分かりましたわ。・・・・・・はい、どうぞ」
アンジェはたんたんとした様子で剣に火のマナを帯びさせると、ズイッと剣を持った手を俺の前に差し出してくる。さっきまで取り乱していたアンジェと違って、随分と淡白な様子を見せるアンジェの変化に、俺は思わず目を瞬く。
驚き戸惑って手を握らない俺に、アンジェは首を傾げながら、早くと言わんばかりに手を付き出してくる。なぜか、今度はアンジェに急かされている状況に俺は疑問符を頭にいっぱい浮かべんがら、恐る恐るアンジェの手に自分の手を重ねて包み込んだ。
今度はアンジェの方から急かされたこともあって、避けられる様子はない。それでもアンジェの反応が気になった俺は、アンジェの顔色を窺っていると「それで、次はどうしますの?」と先を促されてしまった。気のせいか、アンジェの顔がちょっと顔が赤い様な気がするが、それは置いておくことにする。
「アンジェ、これから火のマナに闇のマナを混ぜます」
「そんなことが出来ますの?」
「出来ます。アンジェはすでに見ていますから。俺が今年の新入生の実技試験で見せた魔法です。それと同じことを魔法剣でやります」
「あのとんでもない威力の魔法のことですか・・・。先に確認しておきますけど、そんなことをして大丈夫ですの?」
アンジェは思い出す様に上を向いてから、心配そうな顔で俺のことを見る。アンジェのその考えは正しい。俺が見せた魔法ほどの威力はないにしても、属性を掛け合わせることで、威力が上がるというところを見せるために行うのだ。アンジェには、思う存分しっかりと威力が上がった魔法剣を見せつけて欲しいと思う。
「すでにアンジェの頭の中では、属性を掛け合わせた魔法剣が出来ているイメージが湧いているなら問題ありませんね。衝撃は俺が抑えるので、アンジェは何も心配する必要はありません。まずは、火と闇のマナが混ざり合うことにアンジェは集中してください」
「・・・分かりましたわルート。どうなっても知りませんからね」
そっと目を閉じて集中し始めたアンジェ。俺はアンジェの手を通して、闇のマナに働き掛ける。火のマナを打ち消してしまわない様に、闇のマナが火のマナに取って代わって刃に覆い被せさらない様に、と丁寧に火と闇のマナを馴染ませていく。火の魔法剣を使って赤い光を帯びていた刃が、柄の付近から徐々に黒い光が混ざり始める。
「くっ、中々に難しいですわね。ちょっとでも気を逸らそうものなら、火のマナが離れていってしまいそうになりますわ」
「えぇ、その通りです。でも、大丈夫。アンジェなら出来ます。火と闇、どちらのマナにも愛されているのですから間違いありません」
「はぁ、随分と簡単に言ってくれますわねルートは。・・・でも、期待されているのであれば、応えなければなりませんわね」
いつの間にか、やる気満々になっているアンジェの姿に頼もしさを感じながら、俺はアンジェをサポートする。時間は少し掛かってしまったが、剣先まで赤と黒の光が入り交じった状態となり、俺たちを見守っていた騎士コースの皆から「おぉ」という歓声が上がる。それと同時にアンジェからは焦りの声が上がる。
「ルート、あまりに持ちませんわ!」
俺は「分かりました」と頷いて、すぐさまその場を飛び退いた。アンジェは上段に剣を構えると勢いよく火闇の魔法剣を丸太に振り下ろす。先ほどと違い、剣が丸太の途中で止まることなく、勢いのまま丸太を真っ二つする。二手に別れてゴトンと倒れた丸太は、斬り付けられた表面から立ち上がった黒い火が、たちまち丸太を飲み込んだ。
それだけじゃない。アンジェには、さっき丸太を斬り付けた時のイメージが残っていたのだろう。途中で止まらない様にと、勢いが強すぎたアンジェの剣撃は、そのまま地面をも斬り付けてしまい、アンジェは慌てて剣を振り上げた。地面には剣の刃が通った細い跡が残され、斬り口が燃える様に赤くなって、少しドロリとした状態になっているのが分かる。それを見たアンジェが目を丸くしながら「恐ろしい威力ですわね」と唸るような声で呟いた。
「今見て頂いた通り、一つの属性だけでなく、二つの属性を併せることによって、威力が上がります。その分制御が難しいのですが、二つ以上のマナに愛されている人は、試す価値は十分にあると思います」
俺が説明をすると騎士コースの学生たちは、すごいものを見たと言った感じの表情から、落胆の色を浮かべる学生とやってやると意気込む学生に分かれるが、圧倒的に意気込む学生が少ない。魔力制御が出来ない者を筆頭に、二つ以上のマナに愛されている者自体が少ないので、仕方がないことではある。
そんな空気を察したウィルが、騎士コースの皆を代表して一歩前に出てくる。騎士コース三年生となったウィルは、騎士コース全体を取りまとめるリーダー役をしている。残念ながら、魔力関係に恵まれなかったウィルだが、地道に努力を積み重ねた剣技、人を先導することが出来る統率力を買われての抜擢である。
「すごい情報をありがとうルート。ただ、折角の情報だけど、活かすことが出来る者が少ないのもまた事実。何か他に有用な情報があったりするかな?」
ウィルの言葉に、うんうんと追随するように頷いている学生が多い。騎士コースの大半の学生が抱いている心の声をウィルが代弁したと言っていいが、今のはウィル自身の声でもある。なぜならウィルもまた落胆の色が顔に出てしまっている。ウィルは自身の力で魔法剣を使えないことをとても気にしているのだ。
・・・俺たちのためでもあるけど、ウィルたちのためにもなるはず。
俺はウィルにありますよ、という意味を込めて頷いて見せてから「一段階上の鍛練をしてみる気はありますか?」と提案する。ウィルは「一段階上の鍛練とは、どういう意味だい?」と首を傾げるが、興味はありそうな顔付きになる。
俺は道具袋から木箱を取り出して、その場に置いた。木箱の中は縦に十、横に十のマス目状に区切られており、その区切られた一つ一つに小瓶が入っている。小瓶は真っ赤な液体が入れた状態で蓋がしてある。
「ルート?これは一体?」
「火属性の強化魔法を付与することが出来る薬、俺と文官コースの協力者との間では強化薬と呼んでます」
「そう言えば、ルートたちがそんなものを作ってるって前に聞いたことがあったな。ということは出来たのかい?」
一度、強化薬に視線を落としたウィルは、顔を上げて驚いた様に目を張る。俺はコクリと頷いて見せた。
「まだまだ試作段階ではありますが、効果ははっきりと出ます。飲むだけで間違いなく、火属性の補助魔法が掛かった状態になりますよ」
「・・・相変わらずルートはとんでもないものを作るね」
「今回は、俺だけじゃないですよ。文官コースのティッタやムート、それにヴォルドとの共同研究ですから」
「つまり、ルートに毒された者が三人は居るということだね?」
明らかに面白がる顔付きでウィルが酷いこと言ってくる。俺に毒されたとはどういう意味だろうか。俺は抗議の意味を込めて、腕を組んで膨れて見せると、ウィルが「冗談だよ冗談」と言って楽しげに笑う。悔しそうな顔付きをしているよりもよっぽど良い顔ではあるが、人を弄るのはやめて欲しいものだ。
「むぅ、まあ良いですけど」
「それで、ルートはこれを私たちに提供してくれるということで良いのかな?」
「えぇ、そう考えてもらって構いません。強化薬を使って、火属性の補助魔法を掛けられた状態の鍛練が、手軽に出来る様になります。いつもより負荷を掛けたり、補助魔法が掛かった者を相手にしたり、鍛練の質を上げることが出来るでしょう。それに、補助魔法に慣れておくということも、いざという時に必要なことだと思います」
騎士コースの学生の中でも、個人で補助魔法を掛けれる者は居る。だが、誰かに補助魔法を掛けてあげるだけの腕前はない。強化薬を使えば、誰もが火属性の補助魔法が掛かった状態になることが出来る。それを利用して、一段階上の鍛練を積んでもらうという算段だ。
「それで、ルートは見返りに何を求めるんだい?」
「さすがウィル。話が早くて助かります。さっきも言った通り、効果はありますがこの強化薬はまだ試作段階です。強化薬の調合で最適な配分を把握するために、いくつかのパターンで作った強化薬を用意してあります。それを摂取してもらって、効果時間やその効力の程を、結果として報告して欲しいのです」
「つまり我々がその強化薬の実験台になるということだね?」
ウィルがキラリと目を光らせながら問い掛けてくる。俺は木箱から強化薬を一つ手に取って「その通りです。この強化薬の実験台になる覚悟はありますか?」と尋ねながら、ウィルに強化薬を放り投げる。放物線を描いた強化薬をウィルがパシッと掴み取ると、挑戦的にニッと笑みを浮かべた。
「覚悟?そんなものをする必要はないだろう?試験段階とはいえ、ルートが外に出しても問題ないと判断したんだ。それを疑う者は騎士コース三年生にはいないさ」
ウィルの言葉に三年生の皆から「その通りだ」「今さらですよ」「信じてますから」と言った声が上がる。ウィルの言った通り、騎士コース三年生は全員、やる気満々な様子である。
俺は騎士コースの三年生の皆から信頼してもらっていることに、じんわりと心が温かくなる。そんな嬉しさを噛み締めていると、アンジェが木箱に近付いて強化薬を取り出すと「あら?それでしたら、わたくしたち二年生だって。ねぇ、ベルベット?」と言いながら、後ろに振り返りざまに強化薬を投げた。
アンジェの振り返った先に視線を向けると、紫色の長髪をポニーテールにした少女が佇んでいる。ベルベットは、アンジェが投げた強化薬をパシッと掴むと、アンジェに応える様にニコリと笑みを浮かべながら頷いて見せた。ベルベットは騎士コース二年生のリーダー役をしている少女で、アンジェに負けず劣らずの勝ち気な性格をしている。
アンジェとベルベットは、学園で初めて顔を合わせた仲だが、ベルベットもソフィアの大ファンとのことだ。二人は、共通の話題があったことで意気投合し、すぐに仲良くなったそうだ。冒険者見習い時にソフィアから直々に教えを受けていたアンジェのことを、ベルベットがとても羨ましがっていた姿を俺も見たことがある。
「もちろんですアンジェ。己を磨くことが出来る機会を逃す理由はないでしょう?それに何よりソフィア様の弟君であるルート様の提案なのですから、断る方がソフィア様に失礼です」
ベルベットは胸元に手を添えながら、キリッとした顔で言い切った。俺の提案にソフィアを絡めてくる辺り、アンジェと同類だということがよく分かる。
・・・あぁ、うん。嬉しいけど、その信頼のされ方はちょっと複雑。ソフィア姉様、全く関係ないし。
騎士コース二年生の代表としてのベルベットの発言に、騎士コースの二年生で俺と同じ様に苦笑している者がチラホラと居る。だが、その通りだと頷いている者の方が多い。改めてソフィアの人気が高いことを目の当たりにして、俺は思わず感嘆の息を吐く。
・・・まあ、二年生も三年生と同じ様に、やる気のある目になっているから細かいことはいっか。人数は多い方が良いし。
俺のことを信頼してくれる理由の一番に、何を持ってくるかは人それぞれである。俺がとやかく言うことではないし、受け入れてもらっていることに越したことはない。さすがにまだまだ関わりの薄い騎士コースの一年生たちは、困惑そうな顔をしている者が多い。二、三年生の先輩たちの姿を見て、これから自分たちの意思で判断してくれたらと思う。
このあと、俺は強化薬が入った木箱をさらに五つ取り出す。初めに出したものと合わせて計六つ、三種類の配合パターンで作った強化薬が入った木箱が二つずつという訳だ。「また随分とたくさん作ったんだね」とウィルは苦笑していたが、騎士コースの学生の人数は百を優に超えている。一年生はまだ参加しないだろうが、それでもこれだけあってもすぐになくなることだろう。
とりあえず、今日はウィルとアンジェが手に取った強化薬を試してもらうことにする。ウィルとベルベットが指示を出して、二、三年生に強化薬が行き渡る様に配ってもらった。
二、三年生全員に行き渡ったところで、俺も強化薬を手に取って強化薬をゴクリと飲んで見せた。信頼してもらっているとはいえ、初めて見る薬に忌避感がない訳ではないだろう。俺は提供者として、強化薬が安全であることを見せる必要がある。言ってしまえば自ら毒味をして見せるパフォーマンスだ。
俺が強化薬を飲むを見て、皆が思い思いに強化薬を口にしていく。俺の近くで手早く薬を飲んだウィルが意外そうな顔をしながら、俺を見下ろす。
「薬と言う割には、想像以上に飲みやすいね」
「効果が出たついでに味もちょっとこだわって見ました」
俺がフフンと胸を張って答えると、ウィルは「ルートらしい」と言ってクスクスと笑う。
「そうでしょう?薬だって美味しい方が良いですからね」
「飲む立場としたらその方が嬉しいけど、薬でそんなことを言うのはルートぐらいだよ」
「とはいえ、全部が全部、飲みやすいという訳ではないので、それは悪しからず。残りの二種類の内、一つはびっくりする程、酸っぱいですから」
「ふふ、心に留めておくことにするよ」
ウィルはそう言ってから「これより鍛練を再開する!」と声を掛けて、一対一形式の稽古が始まる。当然、俺もその中に混じって、嬉々として身体を動かしたのは言うまでもない。
鍛練後、最後に俺は強化薬の注意点を話す。注意と言っても何てことはない、飲み過ぎ注意という話だ。個人的には、摂取量によって、持続時間や効力の上昇が見込める試験したいところではあるが、過剰な補助魔法は身を滅ぼす。俺は過剰な補助魔法によってどんな目に遭うのか、自分の経験を話して聞かせた。
全身が筋肉痛になった様な状態になり、身体を少し動かすだけでも激痛が走る、と脅したっぷりに話し、それを聞いてもなお、挑戦したいという者は自己責任でどうぞ、と言っておいた。これで無茶をする者は出ないと思うが、数名は神妙な顔付きで話を聞いていたのが見えた。その辺りのコントロールは、騎士コースの先生に任せておこうと思う。
注意点を説明し終えた俺は、闇属性の研究室に寄ってから帰ることにした。今は、騎士コース側の運動場の北側に居たので、俺は騎士コースの校舎の裏手を通って、魔法使いコースの校舎を目指すことにする。運動場から、騎士コースの校舎裏を越え、闘技場の代わり映えのしない豆腐建築に目を遣ってから正面を向くと、魔法使いコースの校舎裏からこちらに向かって歩いてくる人影があることに気が付く。
相手も俺が正面から来ることに気付いたのか、ハッした顔で立ち止まると、慌てた様子で踵を返す。明らかに俺を避けているその行動に、俺は首を傾げるしかない。
・・・イシュエラ先生?