第百五十一話 強化薬の打ち合わせ 前編
新学期が始まって初めての闇の日、今日は図書室で文官コースのティッタたちと会うことになっている。水の季節の間にティッタたちが取り組んだ強化薬の研究成果を聞くためだ。俺が図書室に入り、いつも打ち合わせに使っている机に向かうと、すでに椅子に座って談笑しているティッタとムートの姿あった。
こちら向きに座っていたティッタが、俺が来たことに気が付くと、パァと嬉しそうな笑顔をしながら立ち上がる。それを見たムートも椅子から立ち上がって、クルリと反転した。ティッタと違って分かりにくいが、微かにムートの口の端が上がっているので、ムートも嬉しく思ってくれている様である。
「お久しぶりっすルートさま!」
「ご無沙汰、ですルート様」
「はい、お久しぶりです二人とも。ティッタは相変わらず元気そうですね。それにムートも変わりありませんね」
ティッタとムートの二人と挨拶を交わすと、ティッタが自分の隣の席を引いて勧めてくれる。俺がその椅子に座ろうとしていると、図書室の扉がガチャッと開いて、慌てた様子で少年が一人入ってくる。
「遅れて申し訳ございません!」
「別に遅れなどいませんよヴォルド。あと、声量はもう少し抑えてください。司書の先生が怖い顔で睨んでますよ」
「も、申し訳ありません」
俺は人差し指を立てて口元に当てながら、ヴォルドに注意を促す。受付で怖い顔をしている司書の先生に謝ってから、ヴォルドがこちらにやって来てムートの隣の席に座った。ヴォルドはティッタとムートの二人を目の敵にして、いじめていた奴だ。もっと言えば、去年の魔法祭で、ティッタとムートと俺の共同研究の発表にいちゃもんをつけてきた奴でもある。
その魔法祭で俺はヴォルドにちょっとお灸を据えた訳なのだが、実はその後もヴォルドは俺たちの打ち合わせに顔を出す様になる。当初は、ティッタたちをいじめていたので陰険な奴かと思っていたが、意外と根性があることが分かり、性根が腐っていたという訳でもないことを知った。
自分と交流を持つことでどれだけの利があるのか、というプレゼンを俺にし来ていたのだ。それを通じて、俺の中でヴォルドという人物は、意外と根が真面目な奴と言う評価に至った。
また、魔法祭の時、ヴォルドは貴族であることを鼻にかけている様子だったが、それも貴族同士であるということのアピールだったようで、普段は平民だ、貴族だ、と身分に関して、強いこだわりがあるという訳ではなかった。どちらかと言えば、ヴォルド本人ではなく、その取り巻きが身分に関して思うところがある様であった。
ヴォルドが自分をプレゼンをする中で、俺は「どうしてそんなにも俺と係わりを持とうと思うのですか?」と尋ねたことがある。ヴォルドは「だってルート様は凄いじゃないですか!」と目を輝かせて言った。ヴォルドから見た俺は、今までに見たことがない凄い魔術具を次々と生み出す天才だそうで、憧れの対象なのだそうだ。だから、同じ文官コースの身でありながら、俺と仲良くなったティッタとムートの二人に嫉妬したそうである。
度重なるプレゼンで知ったヴォルドの人となりと、ティッタとムートがヴォルドの行いをすでに許していたこともあって、俺がティッタとムートに依頼している研究にヴォルドも加わることになったという訳だ。但し、残念ながら、ヴォルドの取り巻きとは仲良くなれそうになかったので、遠慮してもらうことした。時間が惜しいので、面倒を引き起こしそうな人と係わる気はない。
ちなみに、身体能力を上げる薬のことを、強化薬と呼ぶようになったのは、ヴォルドが俺たちの研究に参加し始めてすぐのことだ。特段、俺たちの中で何も呼び名を考えていなかったので、早速ヴォルドが役に立った事案と言える。
「さてと、それじゃあ皆揃いましたし、早速、研究成果を聞かせてもらいましょうか」
「はい!はい!ルートさま。本題に入る前にルートさまがロクアートに行かれた話を聞きたいっす」
俺が話を切り出すと、いきなりティッタの横やりが入る。ティッタは胸元でキュッと手を組みながら、目を輝かせて「どうだったっすか?どうだったっすか?」と興味津々に聞いてくる。ティッタのその期待の籠った顔を見て、俺はティッタが何を聞きたいのかすぐにピンと来た。
・・・ティッタもお年頃ってやつか。いや、と言うよりもゴシップ狙いかな?
「その話はもうクラスメイトやりました。そんなに話を聞きたければ、アーシアにでも尋ねてください」
「つまりは、ルートさまはアーシアさんとそういう関係になったという訳っすね?」
俺の回答に、アーシアが明後日の方向に解釈をした。キラキラとした笑顔でペンを走らせるティッタの様子は、とても楽しそうだ。俺はちょっとめんどくさいと思いながら、ティッタに聞き返す。
「どうして今の話を聞いてそうなるのですか?」
「え?違うっすか?ルートさまがアーシアさんに話を任せられるということは、それだけアーシアさんのことを信頼している。つまりは、そこに愛が生まれたということっすよね?」
ティッタは絶好調な様子で、グイグイと勝手に話を進めてくると、ついには「甘い体験をされたんっすよね?」と恥ずかしげもなく聞いてくる。ティッタの頭の中では、俺とアーシアは完全に男女の仲ということになってしまっている様だ。さすがにそろそろティッタのピンク色の暴走を止めた方がいいだろう。
「はぁ、今日のティッタはいつにも増して機嫌がいいですね。そういうティッタこそ、ムートとはどうなのですか?」
「わ、私とムートっすか?それは、その・・・」
人の話は爛々とした目で聞いてくるのに、ティッタは自分のことになると、目を泳がせてから恥ずかしそうに俯き加減になる。人の話は良くても自分の話は駄目な様である。俺はそこに勝機を見出した。
「あぁ、そうか。ティッタがいつもより何だか輝いて見えるのは、ムートと進展があったということですね?女性は恋をすると綺麗になる、とどこかで聞いたことがあります。どうやら野暮なことを聞いてしまいましたね」
「そ、そっ、そんなことは、ないっすよぉ?」
「はっはっは、ティッタは嘘を付くのが下手ですね。俺と違って男女の仲を一歩先を行く先輩が、どんな風に男女の仲を深め合ったのか、是非聞かせて頂きたいものです」
俺がニッコリとした笑みを浮かべてティッタに尋ねると、ティッタはムートの顔をチラリと見てから、顔を真っ赤にして両手で隠してしまった。ティッタの顔から湯気が出ているように見える。ちなみにムートはいつも通りに口数がほとんどなく、そして無表情だ。でも、それが出来る男に姿に見えてきた。
・・・ふ~ん、へぇ。つまりは、口では言えない様なこと、それこそいくところまで二人ともいったってことかな?寡黙な男ムート。中々のやり手ではないか。・・・もしかしてこれは、その辺りがよく鈍いと言われる俺は、ムートに教えを乞うた方が良いかもしれない?
ティッタと違ってどっしりと構えるムートを見ながら、俺がそんなことを真剣に考えているとヴォルドが眩しいものを見る様な目で「羨ましい」とボソリと呟いた。ヴォルドの意外な言葉を聞いて、俺は首を傾げる。
「羨ましい?・・・ハッ、ヴォルドはもしやティッタのことが!?」
「え?いや、ちが・・・」
俺の発言に戸惑いを見せるヴォルドを余所に、ティッタが身を守るように自分のことを抱き締めると身を捩らせて見せた。
「ヴォルドさまが私のことをそんな風に?でも、その気持ちには応えられないっす。私の身も心も、すでにムートのものっすから」
「あの、ちょっ、え?待って・・・」
「ここに来てのまさかの三角関係勃発ですか?同じ目標に向かうチームとしては、由々しき問題ですよ。これは修羅場になるやも知れませんね」
「そんなことにはなりませんってルート様。ムートも黙ってないで何とか言ってくれ!」
ヴォルドが困り果てた顔で隣に座るムートに助けを求めると、ムートがそれに応える様にコクリと頷く。「ルート様、ティッタ、調子に乗り過ぎ」と静かな口調で俺たちのことを諫める。俺とティッタは、顔を見合わせてから肩を竦めて見せた。
「仕方ありません。これぐらいにしておきましょう。でも、羨ましいとはどういう意味でしょう?」
「それは、その。ティッタがルート様と他愛のない話で盛り上がっているのが、その、単純に羨ましいなと思って」
「つまり、ヴォルドも恋バナに花を咲かせたかったと?」
「え?それは、ちが・・・はないのか。そうかも知れません」
頬をポリポリと掻きながら答えるヴォルドを見たティッタが、俺に視線を送ってくる。俺はそれに応える様にティッタに頷いて見せた。
「それならば、ヴォルドさまの恋愛事情を教えてくださいっす。好きな人はいるっすか?」
「なっ、僕のことはどうでもいいだろう?」
「そんな訳にはいきません。ヴォルドも他愛のない話に混ざりたいというのなら、しっかりと晒されてもらいましょうか」
「うっ、ルート様まで・・・」
俺とティッタに話を振られたヴォルドは、もう一度助けを求める様にムートを見遣る。だが、今度のムートは黙ったままだ。どことなく、頑張れと視線でエールを送っている様に見えなくもない。もはや何か話すしかない道しか残されていないことを悟ったヴォルドは、少し緊張した面持ちで話始める。
「はぁ、仕方ないですね。と言っても、僕の場合は許嫁が居るので、ルート様やティッタが望むような話は出来ないですよ?」
「ほうほう、ヴォルドには許嫁が居るのですね。差し支えなければ、お相手がどなたか聞いてもいいですか?」
「もちろんいいですよ。ルート様ならご存知だと思います。僕たちと同じ三年で魔法使いコースのBクラスに居るモニカという名前の子が僕の許嫁です」
「モニカなら知っています。騎士コースとの戦闘訓練で一緒に闘ったことも、闘う相手になったこともありますから。風属性を得意としている方ですね」
俺がモニカのことを知っているとヴォルドに頷いて見せると、ヴォルドが「そうです」と嬉しそうに笑みを浮かべる。そのあと、ヴォルドは、俺のことを初めて知ったのはモニカからであることを語る。
「自分よりも幼い子に、思いっきり説教されて泣きそうだったという話をモニカから聞いています。しかも反論をさせてもらえない、ぐうの音も出ないほど完膚なきまでに、と」
「一年生の時の話ですね。騎士コースとの戦闘訓練が終わった後の、皆の反省の色の無さに俺が激怒した話ですね。懐かしいですね」
「あ、その話、私も聞いたことがあるっす。・・・そう考えると、ルートさまって今も昔も変わらないっすね」
「んん?それはどういう意味でしょう?」
クスクスと笑うティッタのことを俺が睨んでいる中、ヴォルドは話を続ける。
「でも、彼女にとっては良い切っ掛けになった様です。自分の考えは甘かったと溢していましたから。それから、それまでは余り力を入れてなかった魔法を親友のキーリエと一緒に、真剣に学ぶ様になりました」
「確かに、二年生の時の戦闘訓練では、二人ともかなり腕を上げていましたね。努力しているのが見てとれて、嬉しく思ったものです」
「ルート様の目にもそう映っていたのであれば光栄ですね。モニカも頑張った甲斐があるというものでしょう。僕はそんな彼女が眩しくて仕方がなかった」
ヴォルドは、魔法使いになる二つの要素の内、魔力には恵まれていたが、マナには愛されていなかった。魔力があってもマナに働き掛けることが出来なければ魔法を使うことは出来ない。そんなヴォルドの許嫁であるモニカには魔法使いになる資格があり、モニカに対して劣等感を持っていたとヴォルドは語る。
モニカと同じ魔法使いとなる道を断念せざるを得なかったヴォルドは、少しでも自分の能力を活かすには、と考えた結果、文官コースの道を選んだ。文官コースの中でも、色々と専門が分かれる内、ヴォルドはその魔力を活かした調合、魔術具の開発を専門として学ぶ様になっていったそうだ。
他の文官コースの学生と比べたらヴォルドには魔力がある。魔力があればその分だけ、他の者よりも試行錯誤をすることが出来る。自分を活かすことが出来る道を見つけたヴォルドは、モニカに抱いていた劣等感が薄れつつあった。
そんな風に自分の将来を見据えていきつつあった頃、たまたま訪問する機会があった魔法ギルドで、俺が色々と魔術具を作成して、登録していることをヴォルドは知った。噂やモニカから聞いた話では、様々なマナに愛されていて、魔力が豊富。そして、よく分からないがすごい魔法を使うらしいと。
才能に恵まれているだけでも凄いことだというのに、今までに見たことがない魔術具を作る天才が居ることを目の当たりにして、ヴォルドの中で俺という存在は、妬みや嫉みの対象とするだけでも烏滸がましく、憧れや尊敬という対象を通り越して、ただただ崇拝する対象に昇華したそうだ。
「そういう風に言われると、普通は恥ずかしいとか、照れくさいとか、光栄だとか思うのでしょうけど、何だか自分のこととは思えなくて、他人事にしか思えませんね」
「ルートさまって、他の人からどの様に思われていても、我関せずってところがあるっすよね」
「それはまあ、そうですけど。だからと言って、顔に出してないだけで、密かに傷付いている時もあるのですよ?」
俺はじとっとした目をティッタに向ける。俺の視線に含まれる、身に覚えがあるでしょう?という無言の問い掛けは、ティッタにしっかりと伝わった様で、ティッタはそっと俺から視線を外す。
・・・子供先生という二つ名の件は、今でも忘れてないからね。
その様子を見ていたヴォルドはクッと小さく笑ってから、恋バナ?の続きを再開する。
「ルート様を切っ掛けにして、良い意味で彼女は変わっていきました。それはとても喜ばしいことでした。でも、自分よりも成長していく彼女姿を見て、僕はそれが少し疎ましく思ったのです」
モニカが魔法使いとしての腕を上げていくのを目の当たりにしたヴォルドは、どうしてもモニカに対する劣等感を拭い切れなかった。それどころか、見るからに成長していくモニカに益々、劣等感が増してしまったとヴォルドは語る。そんな時に、モニカが変わる切っ掛けとなった俺が、同じ文官コースの学生と接触しているという噂を聞いたらしい。
それがティッタとムートの二人である。同じ文官コースの二人が、どうして俺と係わりを持つことが出来たのか。ヴォルドはそれを調査したらしい。ヴォルドの持つ伝手や取り巻きを使い、ヴォルドは情報収集をしたそうだ。
そして、ヴォルドは俺がティッタとムートの二人に、薬学について聞いていること、効能の高い回復薬を作ろうとしていることを知ったのである。別に秘密にしていたことではないが、しっかりと情報を掴んでいる辺り、そういう面でも文官としてヴォルドは優秀な様である。
俺とティッタとムートの係わりを聞いたヴォルドは、ティッタとムートに激しく嫉妬した。そういう話であれば自分の方が優秀であり、役に立つと。それなのに、どうしてティッタとムートの二人なのかと。
ヴォルドは勝手に嫉妬して、勝手に恨みを募らせた。その結果、ヴォルドが取った行動が、ティッタとムートに対しての嫌がらせである。自分でも悪いことをしているとは思っていたようだが、どうしても衝動が止められなかったそうだ。ティッタとムートの二人が視界に入る毎に嫌がらせは行われた。
「結局、それをルート様の目の前でやらかして、ルート様には手酷くやられてしまいました。でも、それが切っ掛けで、こうしてルート様とお話し出来る様になったかと思うと、不思議なものです」
恥ずかしそうに話を終えたヴォルドは「あはは」と渇いた笑い声を出す。俺はティッタを見遣って「どう思いますか?」とティッタに話を振った。
「ヴォルドさま、話が重い、重すぎるっす!」
「うんうん、初めは惚気話かと思いきや、途中から自省の話になってましたし」
「そうっすよ。でも、考え様によっては、ヴォルドさまがルートさまに懸想していると言えなくも・・・」
「ちょっと待ったティッタ。それ以上はいけない」
ヴォルドの話を聞いて俺が思っていたことを、ティッタがそのまま口にしてくれる。俺はその通りだと大きく頷いていたら、ティッタがあらぬ方向に話を繋げようとして、俺は慌ててティッタを止めた。ティッタを腐らせる訳にはいかない。そんなことになったらムートに怒られそうだ。
「何がっすかルートさま?」
「何が、は考えなくてよろしい。それよりも、まあ、話の内容は重かったですが、ヴォルドの気持ちを知ることは出来ました。それは悪いことではなかったです。でも、どうせするならもっと楽しい話をしましょう」
「僕の話を聞いて頂ける機会だと思って、ついつい色々と話してしまいました。申し訳ありません」
肩を小さく丸めて謝るヴォルドに俺は、謝らなくても良い、と口にし掛けてから一度口を噤む。あることを思い付いたからだ。俺は口元に手を当てて、コホンと一つ咳払いをしてから改めて口を開く。
「では、許してあげる代わりに、ヴォルドが今、モニカとどこまで進展しているのか話して頂きましょうか」
「うぇ!?その様なこと、ルートさまにお聞かせする様なことは何も」
「つまり、人に聞かせることが出来ないことをしていると?ティッタとムートの二人と一緒ということですか?」
俺が興味津々にヴォルドに聞くと、ヴォルドは狼狽する様子を見せながら「違います、違います!」と大きな声を出して否定した。その途端、司書の先生から「図書室は静かに!騒ぐなら出て行ってもらいますよ!」という叱責の声が飛んできて、再びヴォルドは司書の先生に謝ることになる。
・・・如何に声を抑えて騒ぐか。ヴォルドも慣れないとね。
司書の先生に謝り終えたヴォルドは、疲れた様子で椅子に座り直すとひそひそ声で抗議する。
「僕とモニカはまだ成人していません。そういう、男女の関係を築くことは成人になってからすることでしょう?だから、何もお聞かせする様な話はないと言ったのです」
「なるほど。嘘は言ってませんね。と言うことは、この中ではティッタとムートが一歩、二歩リードしているということですね。二人は大人ですね」
人の話を聞くのは楽しくても、自分の話となると恥ずかしいティッタは、手をぽふと合わせながら「さてと、いい加減に、成果の話をするっすよ」と話をはぐらかす。そもそも、一番初めに話が脱線したのはティッタのせいなのに、と俺は思いながらも、ティッタの耳が真っ赤になっているので、追求するのはやめておいた。
・・・肝心な研究成果の話を聞く前に、図書室を追い出される訳にはいかないしな。
ちょっと短めですがキリが良いので。
続きは金曜です。




