第百三十三話 静かな異変 後編
マルティナが動揺したことで、均衡を保っていた戦況が一気に崩れた。その結果、マルティナ、ズラール、ボヤードの三人は三体のゴーレムに木剣で叩きのめされてその場に崩れた。そんな中でも、マルティナのことを身を挺して守ろうとしていたズラールとボヤードの二人は褒めてあげたいと思う。
・・・何にせよ、今日の訓練はここまでだな。
俺は三体のゴーレムを消して、マルティナたちに近付いて治癒魔法を掛けてあげる。「うぅ、ひどい目に遭った」と言って、起き上がったマルティナは、ギラリと目を光らせながら、俺に突っかかるようにして、さっきの質問を繰り返してきた。
「それで、どうして坊やがそのことを知ってるんだい!」
「クロエから聞きました。私たちのお姉ちゃんは凄いんだからっと、嬉しそうに話してくれましたよ」
クロエというのはマルティナたちが面倒を見ている三人の子供たちの一人だ。三人の中で一番の年長者、五歳の女の子である。俺がクロエたちを初めて発見した時に、マルティナたちを捕らえたことを告げると「お姉ちゃんを返せ!」と言って、小さなナイフで斬りかかってきたアグレッシブな子である。
とても危険で無謀な行為をする女の子だったが、血が全く繋がっていなくても家族を守ろうとするクロエの心意気が気に入ったことも、俺がマルティナたちを助けようと思った一因の一つである。
マルティナ、ズラール、ボヤードの三人には、ノクトゥアで冒険者をさせることになったので、クロエたちも含めてノクトゥアに住まいを移してもらった。古びたボロアパートのような建物の一室だが「あの雨風が十分に凌げているとは言えない廃墟と比べたらマシだ」とマルティナが言って喜んでいた。
最近は、そのボロアパートに美味しいお菓子を持参して、マルティナたちが居ない間にクロエたちところへ遊びに行っているという訳だ。主にマルティナたちの昔話を聞かせてもらっている。子供の知る範囲ではあるが、中々ハードな人生を送っているようである。
・・・元貴族が盗賊だもんな。色々と苦労したようだ。
「全くあの子たちは・・・。それにしても本当に悪い子だよ坊やは」
「俺は悪い子供じゃないですよ?善い子供でもないかもしれませんけど。それよりもクロエたちのためにも頑張ってください、マルティナお姉ちゃん」
唸るような声を出すマルティナに俺がそう言うと、マルティナはガクッと肩を落として項垂れる。俺はその様子に小さく笑ってから、顔を上げて辺りを見渡した。ノクトゥア湖は夕日の光で赤く染まり、辺りがたんだんと暗くなってきている。綺麗な風景だな、と思いながら湖を見下ろしていた俺は、ふと疑問を口にしていた。
「マルティナ、最近ノクトゥア湖の水位が減っているのように思いませんか?」
「ノクトゥア湖が?・・・私にはいつも通りの湖にしか見えないけどねぇ。というか、私がロクアートに来たのが最近の話なんだ。そんなことを聞かれても違いが分かる訳がないだろう?そんなことは、ロクアートの住人に聞きな」
俺の問い掛けにマルティナがまじまじと湖を見下ろすが、両手をお手上げといった感じに上げると、そういうことは現地人に聞けと言われてしまう。俺はそれもそうだ、と手をポンと叩いた。
・・・あとでベルダかアーシアに聞いてみるかな?
「さてと、これから俺が一人前のリューエル使いなったことのお祝いがあるのですが、マルティナたちにも同席して頂きたいのですが良いですか?」
「うん?そう言えば、前々からそんなこと言ってたね。試験に合格したってことかい?」
「はい、そうです。今日、最終試験があって見事に合格を勝ち取りました」
「確かリューエル使いは女性しか出来ないって話だったはず。こりゃ凄いことですよ姐さん」
「へぇ、それは本当に凄いことじゃないか。おめでとう坊や」
ズラールの説明を聞いた、マルティナは驚いたような表情をしてから、何やら良いことを思い付いたと言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべながら俺のことを祝ってくれる。俺は少し警戒をしながら「ありがとうございます」とお礼を述べると、マルティナは「いやいや、本当にめでたいことだよ」と言って、腕組みをしつつ、俺に顔を近付けてくる。
「きっとリューエルには、坊やのことが女の子に見えるだね。性格は鬼畜だが見た目は可愛い顔をしているもの。こうなると坊やのことは今後、お嬢ちゃんと呼んだ方が良さそうだね」
「あぁ、なるほど。マルティナは飲み食いするよりもここで特別厳しい訓練を続けたいようですね」
俺はひどいことを言うマルティナにニッコリとした笑みを返しながら、すぐさま四体のゴーレムを作り出す。四体のゴーレムに取り囲まれたマルティナは、顔を引きつらせて手をワタワタと上げ下げしながら弁明する。
「じょ、冗談。冗談だから!本気にするんじゃないよ!」
「今のは姐さん悪い。一言余計ですって」
「うんうん、ボヤードの言う通りだ」
「ズラール!?ボヤード!?あんたたち私を見捨てる気かい!?」
・・・二人の言う通りだ。怒らせると分かっててどうして言うかな?マルティナの悪い癖だよ本当に。
「やっと来たね坊っちゃん。遅かったじゃないかって、何だいありゃ?」
「ルートちゃん遅いわぁ。・・・ルートちゃん?あまりいじめちゃ駄目よぉ?」
ベルダが貸し切ったという酒場に着いた俺が、酒場の扉を開けようとすると中からベルダとアーシアの二人が出てきて、出迎えてくれる。二人は一旦、俺に視線を向けるが、そのまま俺のことは突き抜けて、すぐ後ろの人物に注意が行ってしまう。
二人の視線の先には、椅子に座ったマルティナを四体のゴーレムが神輿を担ぐようにして、仰々しく運んでいる姿があったからだ。
「くっ、いっそのこと殺してくれ」
「それを言って良いのは騎士だけですよマルティナ」
「どうして騎士がそこで出てくるんだい!?うぅ、私が悪かったよ。反省してる。お願いだから降ろして」
「ホント、どうしたんだい坊っちゃん?」
俺が少々酒場に到着するのが遅くなったのは、失礼なことを言ったマルティナへの罰を執行していたからだ。不思議そうにするベルダに、マルティナにはゴーレムに仰々しく運ばれる姿を衆目へ晒すという罰を科し、ちょっと街の中を行脚していたという説明をした。
・・・羞恥心に堪え兼ねたマルティナが、くっころさんのようなことを言い出したが大丈夫。君は紛れもなく魔法使いだから、その願いは聞き入れられることはない。
「罰ねぇ。ちなみに何をしたんだい?」
「えぇ?聞きたいですか?」
「聞きたい。面白そうだ!良いだろう坊っちゃん?」
楽しげなベルダに押し切られる形で俺は罰を科した理由を話す。すると、ベルダが「マルティナとは仲良くなれそうだ」とカラカラ笑いながらそう言った。
・・・むぅ、マルティナが受け入れてもらえるならそれで良いけど。ちょっと釈然としない。
「しかしそうなると。以前に似たようなことを言った私とアーシアもそれに乗る必要があるねぇ」
「どうしてちょっと嬉しそうに言うんですか。そもそもベルダとアーシアにはしませんよ。二人と違って、マルティナは意地悪で俺にそう言ったのですから。まあ、意地悪じゃなくても、傷付く時は傷付きますけど」
俺が腕組みをしながら頬を膨らませて抗議して見せると、ベルダが「あぁ~」と申し訳なさそうな声を出してポリポリと頬を掻いてから、後ろに振り向きながら話し掛けてくる。
「主役である坊っちゃんに挨拶してもらうために用意したんだが、ない方が良いかい?」
そう言ってベルダが親指を立てて酒場の中を指差した。酒場の一番奥、カウンターとなっている前に木箱が一つ置かれてあるのが見える。どうやら身長が低い俺のために用意してくれたものらしい。内心としては、とても複雑な気分だが、わざわざ準備してもらったものを無下にする訳にはいかない。俺はベルダに「いえ、要ります。ありがとうございます」とお礼を言っておく。
・・・うぅ、絶対大きくなってやる。とりあえずあれだ。カルシウムだ。小魚をいっぱい食べないと。
「えー、コホン。今日、俺は一人前のリューエル使いになることが出来ました。これも、ベルダをはじめとしたお姉様方のご指導の賜物です。と、まあ、堅苦しい挨拶はこれぐらいにさせてもらいますね。美味しそうな料理が冷めてはもったいないですし。それでは皆様、ご唱和ください。かんぱーい」
「「「「かんぱーい!!」」」」
ベルダの準備してくれた木箱の上に乗って、俺は挨拶と乾杯の音頭を取った。宴の始まりである。ベルダたちは、木製のジョッキを高らかに上げてから、グイッと美味しそうに飲み干した。中身はロクアート原産の果物を使った果実酒で、とても爽やかな香りがするが、同時にアルコールの匂いもきつい。かなりアルコールの度数が高そうだが、ベルダたちはただの水を飲むかのように平然と次々に飲み干していく。
・・・もちろん俺が飲むのはただのジュースだけどね。
ちなみにアーシアはベルダたちに混じってお酒を飲んでいる。一応まだ未成年だが、別にお酒を飲むのに年齢制限がある訳ではない。ベルダ情報によるとアーシアは蟒蛇らしい。どれだけ飲んでも顔色一つ変えないそうだ。
「さすがはアタシのルート。一発で合格するなんてね」
「あら、ルートはこの私が教えたのだから当然よ」
「いいえ、ルートに手取り足取り教えてあげたのはわたし。わたしのお陰ね」
「それを言うなら僕だって、ルートに優しく教えてあげたよ」
「コラコラみんな。坊っちゃんをここで取り合うのは良いけど、忘れちゃいけない。坊っちゃんはアーシアのものだよ」
まだ始まったばかりなのだが、お酒が入ったことでベルダと同僚のお姉様方はいつも以上に絶好調といった感じだ。俺を取り合うようにしてお姉様方が手を引っ張り合う。リューエル使いは力仕事が多いためか、ベルダと同じく皆、男勝りで姉御肌がとても強い。俺に抗う術はなかった。
俺はあっちに行っては揉みくちゃになり、こっちに行っては揉みくちゃになる。揉みくちゃにされるついでに、お酒も注いで回っているので、目の回る忙しさだ。俺のお祝いとはいえ、リューエル使いの中では見たら新人で一番下っ端になるのだから、先輩を立てるのは後輩としての務めだろう。
・・・何だろうこの既視感。新入生歓迎会で、上司に無茶振りされた時に似てる気がする。
いくつかあるテーブルを回り、一通りの相手を終えた俺は一旦、自分の席に戻って腰を下ろす。「お疲れ様ルゥ、随分と楽しそうだったね」と皮肉を言うソフィアの手にはジョッキがある。どうやら、ソフィアもお酒を飲んでいるらしい。
「珍しいですね。ソフィア姉様がお酒を飲んでる姿を見るは初めてです」
「そうだったかしら?・・・そうかもしれないわね」
クピッとお酒を一口飲んだソフィアは、頬を少し赤くしながらニッと優しげに微笑んだ。いつもとは雰囲気の違うその微笑みに、俺は小首を傾げてから思わず「・・・まさか、酔って介抱させようだなんて思ってませんよね?」と聞いてしまう。ソフィアは目を丸くしてから、心外と言わんばかりに頬を膨らませた。
「あら、そんなことをしてもルゥのことだから、浄化魔法を使っちゃうでしょう?」
「無論です。浄化魔法を使うか、放っておいて帰るかのどちらかですね」
「はぁ、そう言うと思ったわ。他の年上の女性にはあれだけ、優しくしているのに。実の姉のために、お姫様抱っこして運んでくれても良いと思うんだけどなぁ」
ソフィアの言葉を聞いて、ソフィアが拗ねていると俺は察した。姉としての自分よりも他の年上の女性を大事にしている姿を見て、ソフィアは姉として寂しく思っているのかもしれない。ロクアートの居心地はとても良いが、ここは他国で身内は俺しかいない。さすがにちょっとソフィアのことを放置し過ぎたかもしれない、と俺は少し反省した。
・・役に立ったか立たなかったは別として、俺のために一緒について来てくれた訳だしな。
「ククッ、坊やは本当に人気ものだね」
「玩具にされてるだけ、と言えなくもないですけどね。どうですか?楽しんでもらえてますか?」
「あぁ、十分に楽しませてもらってるさ」
俺が反省しているとマルティナがズラールとボヤードの二人を引き連れてやってきた。宴を楽しんでくれているという割には、三人はお酒を飲んでいないように見える。そんなことを思っていると、マルティナが申し訳なさそうに頼みごとをしてくる。
「ところでさ、坊やにお願いがあるんだけどいいかい?」
「何でしょう?」
「この料理をさ、あの子たちに持って帰ってやりたいんだがいいかい?」
「クロエたちに?あぁ、そうか。俺としたことが失念してました。申し訳ないです」
マルティナからクロエたちために料理を持って帰りたいと言われて、俺はハッとした。マルティナたちをここに連れてきてしまった以上、クロエたちの夕食を準備する者がいない。俺はクロエたちにひもじい思いをさせていることを謝って、すぐに行かねばと立ち上がる。
「あぁ、いや待った待った。坊やが謝ることじゃないんだ。落ち着いておくれ。あの子たちのご飯なら、ちゃんと用意してあるんだよ。訓練がある日はへとへとに疲れちまうからね。ただちょっとね。自分たちの身を考えれば仕方がないんだけど・・・。あの子たちにあまり良いものは食べさせてあげられてないからさ。だから、ここの料理を持って帰ってやりたいんだ」
「そういうことなもちろん良いですよ。ベルダ、別に良いですよね?」
マルティナの気持ちが嬉しかった俺は、ベルダの方へ振り返って確認する。ベルダは、ニッと口の端を上げながら「チビたちの面倒を見てるって話だったね?もちろん、今日の主役が許可を出してるんだ。構わないよ」と許可をくれる。
「ありがとうございますベルダ。と言うことです。マルティナ、クロエたちに持って帰ってください」
「恩に着るよ坊や。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。俺はマルティナたちのそういうところが気に入って、手を貸しているんです。素敵なことですよ」
「なっ!?たくっ、坊やはそんな恥ずかしいことを恥ずかしげもなく・・・」
「姐さん、お酒も飲んでないのに顔が赤いぜ?」
「お黙り!仕様もないことを言ってないで、料理を取り分けてくるんだよ!」
マルティナが余計なことを言ったズラールと何も言っていないボヤードの二人を蹴飛ばして、料理を取ってくるように言った。一緒になって蹴られたボヤードが「何で俺まで!?」と涙目になっていたが、きっとボヤードのポジション的にそういう役目なのだろう。俺は心の中で「頑張れ!」と応援しておくことにする。
クロエたちのために取り分けた料理を持って帰るため、ズラールとボヤードが先に酒場を後にした。マルティナは律儀にも一人残って、俺のお祝いに付き合ってくれるそうだ。
「久しぶりにお酒も飲みたいしね」と誤魔化すように言っていたが、マルティナが一人残ってくれたのは、ちゃんと俺のことを祝ってくれようとしてくれているからだ。その気持ちに嘘や偽りは全くないので、俺はそのことを嬉しく思う。こういう面倒見のいいところが、クロエたちに慕われているということなのだろう。
「さて、たくさん料理があったとは言え、ちょっと料理が足らなくなってきたでしょうか?俺も何か作りましょうか?」
「あ、だったら坊っちゃんあれ食べたい。貨物船で食べたあれ。あのたこ焼きとか言った丸っこいやつ」
「ベルダはたこ焼きがお気に入りなのですね。良いですよ、焼きましょう」
各テーブルの上に置かれた料理の残りを見て、俺は料理を作ることを提案する。すると、ベルダが一番に手を上げてリクエストをしてきた。どうやら、ベルダはタコなしたこ焼きをお気に召したようだ。材料なら全て道具袋の中に入っているので、俺は酒場の調理場を借りて、もくもくとたこ焼きを焼くことに励んだ。
「しっかし、男の身である坊っちゃんが雌のリューエルに受け入れらえたことだけでも驚いたのに、まさか私たちにさえ靡かない雄のリューエルにまで受け入れられたのは、今でも信じられないよ」
「ベルダの言う通りだわ。私も今でも信じられないもの。雄のリューエルがルートの呼びかけに反応して群がってる光景が」
「実は男性なら雄のリューエルに言うことを聞かせることが出来たってことなのかしら?」
「ないない。それは先代たちが散々調べて結果が出ているじゃないか。男の言うことなんか聞きやしないよ」
「そうなるとどういうことだろうね?坊っちゃんは女の子のように可愛い男の子ってのが、リューエルに受けが良いってことかねぇ」
ベルダたちが俺のことで何か仕様もないことを言い始めたが、俺が雄のリューエルにも受け入れられたという話は本当の話だ。性別に係わらず誰の言うことも聞かないはずのリューエルの雄は、俺の呼びかけに反応して集まった。試しに雌のリューエルに指示を出すように俺が笛を鳴らしてみると、その笛の音に雄のリューエルたちが応えてくれたのだった。
種馬としての役割りしか期待されていない、そんな雄のリューエルにも指示を出すことが出来るかもしれないという話題でベルダたちは盛り上がっているという訳である。
・・・多分、それも海属性が関係してそうなんだよな。ここに滞在している間にちょっと検証してみようっと。
雄のリューエルは、雌のリューエルと比べてとても身体が小さい。子供リューエルとそれほど大差ないぐらいなのだ。そんな身体で船を引くことは難しいかもしれないが、イルカショーやアシカショーといった感じのエンターテインメントとしてのショーをしたら、受けが良いのではないかと思っている。実は可愛さで考えると、身体の小さい雄の方が可愛いので適任ではないだろうか。
「うーん、こうなったら一度。坊っちゃんの服を引ん剥くしかないかねぇ?」
「うぇ!?ちょっと待ってください。どうしてそんな話になっているんですか?そんなことをしたら、ベルダたちとは二度と口を聞きませんからね」
「えぇ?それは困るわ。でも、謝れば優しいルートなら許してくれるだろ?」
「ルート君とお喋る出来るのが最近の癒しなのに」
「ちょっと、ちょっとだけだから、ね?ほら、優しくしてあげるから」
「何を言われようと、駄目なものは駄目です!」
そんな感じに賑やかな時間が過ぎていった。酒場に置いてあったお酒を全てベルダたちが飲み干したところで楽しい時間がお開きとなる。ベルダたちの顔は赤いし、どこからどう見ても酔っぱらているようにしか見えないのだが、皆はまだまだ飲めると元気いっぱいだ。さすがに子供の身体的には辛い時間帯になってきた俺は、ここで帰らせてもらうことにする。
「さあ、次に行くよ!」と皆を引っ張って次の酒場に梯子しようとする逞しいベルダ。その後ろ姿を見ていた俺は、不意にベルダに聞いておきたいことがあったことを思い出す。
「あ、そうだベルダ。聞きたいことがあったのですが良いですか?最近ノクトゥア湖の水位が減ったように思いませんか?」
「あん?あぁ、そうか。坊っちゃんは海の水が満ち引きしているのは知っているかい?」
「えぇ、知ってます」
「ふふ、さすが博識だね。実はこのノクトゥア湖も海のように満ち引きしてるんだ。そのことは、さすがに知らなかったようだね?」
・・・ふむふむなるほど。つまりはノクトゥア湖も潮汐してるってことか。ということは、今は干潮の時期ということかな?
ベルダもお酒が入って良い気分になっているのか、今までに見たことがないぐらいにニマッとした上機嫌な笑顔を見せる。俺は不貞腐れるように「俺だって何でも知っている訳ではないですよ」と返すと、ベルダに「ん~、やっぱり坊っちゃんは可愛いねぇ」と言いながら、ガシガシと頭を撫でられた。やっぱり、完全に酔っぱらいだ。
少し乱暴に撫でられて乱れた髪を俺が直している間に、ベルダたちは「それじゃあね」と言って行ってしまった。その様子をぼんやりと見つめながら、アーシアが頬に手を当てて首を傾げている。何か考え事をしているよう様子だ。
「難しい顔をして、どうかしたのですかアーシア?」
「・・・さっきのルートちゃんとベルダ姉の話が少し気になったの」
「ノクトゥア湖が海のように満ち引きしてるって話ですね?でも、それがここにとっては普通の話なのですよね?何か違っていたのでしょうか?」
「ううん、その通りなんだけど。でも、いつもの周期と比べるとノクトゥア湖の引きが随分と早いような気がして」
「いつもより早いですか。うーん、いつもの状況が俺には分かりませんから、俺ではアーシアの疑問に答えてあげることが出来ませんね」
俺がそう回答するとアーシアは、ほぅと息を吐いてから「気にしないでルートちゃん」と言って首を横に振って、ニコリと微笑む。
「それにしてもアーシアも結構な量のお酒を飲んでいたはずなのに、全く酔っているようには見えませんね」
「ふふ、それは酔っぱらってる私の姿が見たかったということルートちゃん?」
「それはそれでちょっと見て見たかったような気もしますが違います。ソフィア姉様も似たような感じに飲んでいて、しっかりと潰れているのに、アーシアは何事もなかったように振舞ってますから。凄いなと思っただけです」
俺はアーシアに返事をしながら、後ろに振り返って視線を落とす。そこには、地面に座って酒場の外壁に身を預けて寝ているソフィアの姿がある。ソフィアはとても気持ちが良さそうによく寝ている。貴族にはあるまじきあられもない姿と言えるだろう。
・・・メイド長のエイディがこんな姿を見たら説教コース待ったなし、だな。
「ソフィア様は意外とお酒が弱いのね」
「いや、アーシアやベルダたちが強すぎるんだと思いますけど。酒場にあったお酒を全部飲んでしまった訳ですし。・・・まあ、ソフィア姉様の場合、普段お酒を口にしている姿を見たことがなかったので、ちょっと羽目を外して飲んでしまったのでしょうね」
「ルートちゃんが一人前のリューエル使いになったことを自分のことのように喜んでいらしたものね」
「えぇ、そうですね」
俺はソフィアをお姫様抱っこして、アーシアと一緒に家路につく。道中、アーシアが俺にお姫様抱っこで運ばれるソフィアのことを見て、羨ましそうに「やっぱり私も酔っぱらえば良かったかしら?」と本気の顔で悩んでいる様子だったので、似たような打ち上げがあったとしても、次回からは浄化魔法で強制的に治すと釘を刺しておいた。
・・・酔っぱらいは何人もいりません!
ちなみに、気持ちよく眠っていたソフィアは、翌日俺がお姫様抱っこして連れて帰ったことを聞かせると「どうして寝ていたの私」と嘆いた。それからソフィアは「覚えてないからもう一回」と言い出してくる。もちろん、俺はソフィアのお願いを素気無く却下したことは言うまでもない。
ガクッと肩を落とすソフィアと一緒に階段を下りていると、玄関の扉がバンッと勢いよく開いた。何事かと視線を玄関へ向けてると外から男性が「失礼します!」と言いながら、家の中に駆け込んでくる。騒ぎを聞き付けたコードネルやアイフィンたちが奥から顔を出すと、男性は息も切れ切れといった様子で「コードネルさん大変です!!」と声を上げた。




