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約束を果たすために  作者: 楼霧
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第百二十六話 船旅 中編

「ルゥ、お風呂に入りたい」

「はい?」


船旅二日目の朝、すっかり船酔いから立ち直ったソフィアと一緒に食堂で朝食を取っていると、いきなりソフィアが我儘を言い出した。当たり前だが、この船にお風呂など付いていない。ソフィアもそれが分かっての要求である。


俺が何を言ってるんだという顔を見せると、ソフィアは「だって、昨日、ルゥのせいで汗をかいちゃったんだもの。責任を取って欲しいわ」と頬を膨らませた。ソフィアの発言を聞いた船員たちが、こちらの話に耳を傾け始めた。


女っ気がほとんどない船上なので、変な注目が集まるのはある意味仕方がない。だが、姉がそういう目で見られるのは、弟としてはちょっと面白くない。


「ソフィア姉様は、本気で言ってますか?」

「あら、ルゥは私が伊達や酔狂で言ったと思っているの?」

「いいえ、思いません・・・」


譲る気のないソフィアの気配に、話の動向を見守っていたアーシアが心配そうに口を挟む。


「あのソフィア様?この船にお風呂場はないのですがどうされるのですか?」

「アーシア、心配しなくてもルゥなら何とかしてくれるわ」

「ルートちゃん?」


アーシアが不安そうな顔をして、俺のことを見る。その顔には、船を壊す気?と書いてあるのが見て取れた。アーシアは俺がエルスタード家の屋敷にある離れの地下に、新たなお風呂場や武舞台を造ったことを知っている。俺がソフィアのお願いを聞き入れて、船を魔改造するのではないかと心配しているのは明らかだった。


・・・さすがに人様のものに、許可なしでそんなことはしないよ?


「アーシア、心配しなくても人様の船を勝手に弄ったりはしませんよ」

「それはつまり、許可が欲しいということ?」


アーシアを安心させるための一言が、船を弄らせろと俺が要求しているように取られてしまった。俺は思わず首を横に振ったが、許可をくれるならそれに越したことはないとけど、と頭の片隅で思っているあたり、俺はソフィアのお願いを叶えようとしていることに気が付いた。


・・・うぅむ、今更ながら俺は俺でソフィア姉様に甘いよなぁ。


「許可は要りませんよアーシア」

「そうなの?でもそれだと・・・」

「そうですね。ソフィア姉様の我儘に応えるには・・・そうだ。アーシア、良かったら魔法制御の練習がてら、手伝って頂けませんか?」

「私がルートちゃんのお手伝い?」

「はい、水属性を使えるアーシアにはピッタリです」


朝食を終えたらアーシアを連れて、ソフィアの船室へと移動する。船室内はそれほど広くない。一人用のベッドに書き物をするための小さな机が置いてあるだけで、部屋の七割方が埋まってしまっている。それでも、たたみ一畳分ぐらいのスペースはあるので、お風呂を作るには十分だろう。


・・・まずは練習の目的を説明しないとな。


俺はソフィアにドア前に留まるように言い、アーシアには机のある部屋の奥側に移動してもらう。俺はアーシアに魔法で握り拳ぐらいの水球を目の前の空中に出し、その場に留めるように指示を出した。それに一体何の意味が?と言いたげな顔をするアーシアは首を一度捻ってから、手を前に掲げて魔法で水球を出す。


「ルートちゃん、それで、これから私はどうしたら・・・え!?」


アーシアが魔法で出した水球は、空中にぷかぷかと浮いた状態で、スーと滑るように移動し始める。アーシアにとって、それは予期しない出来事だったようで、アーシアが驚きに目を見張る。勝手に空中を移動する水球は最終的に、ソフィアの顔にバシャリとかかった。


・・・ナイスヒット!


「も、申し訳ありませんソフィア様」

「気にしないで良いのよアーシア。全てこの子が仕組んだことだから」


水球をソフィアにぶつけてしまったアーシアは、慌ててソフィアに駆け寄って謝った。水も滴る良い女状態になったソフィアは、アーシアに謝る必要はないとニッコリと微笑みかける。俺の両頬をグニグニと引っ張りながら。


「ほうふうふぁけふぇあーふぃあ。べうふぃてそうなふぁかあふぁふぃあふあ?」

「ごめんなさいルートちゃん。さすがに何を言ってるか分からないわぁ」

「・・・・そふぃあふぇしゃま。はらしてきらしゃい」

「もうルゥたら!私は水浴びがしたいんじゃなくて、お風呂に入りたいんだからね」


俺の頬っぺたを弄っているといつまで経ってもお風呂に入れないことを悟ったソフィアは、ぷりぷりと怒りながら手を離してくれる。俺は両頬を優しく擦りながらアーシアに改めて質問をする。


「アーシア、今のはどうしてそうなったのか分かりますか?」


俺たち姉弟の様子を見てクスッと笑っていたアーシアは、俺の質問に視線を落とすと、すぐにハッとした顔になる。水球が勝手に動いた理由が、もう分かったようだ。


・・・さすがアーシア、頭の回転が早い。


「・・・船が移動いるから、かしら?」

「そうです。さすがアーシア。理解が早いですね」


水球をその場に留めるように、と俺は言ってアーシアに魔法を出してもらったが、アーシアは間違いなく普段通りの感覚で魔法を出しただろう。それにより、魔法が一定の位置に固定されて出現することになった。だが、今の俺たちは船で絶賛、移動中である。つまり、魔法が勝手に動いたのではなく、俺たちが動いた結果、ソフィアの顔面に水球がクリーンヒットしたという訳だ。


「そう言うことで、動かない平地で魔法を出すのとは訳が違う。意識的に魔法の出現位置を流動的に動かす必要があるという訳です。十分に魔法制御の鍛練になるでしょう?」

「ルートちゃんは凄いわね。こんなことを思い付くなんて」

「褒めて頂いてありがとうございます。でも、これ、馬車に乗っていた時にずっとやっていた街道の舗装とやっていることはほとんど同じなんですけどね」

「・・・ルートちゃんはそうやって強くなっていくのね」


アーシアが俺の説明を聞いて「ほぅ」と感嘆の息を吐く。俺はアーシアが理解してくれたことに満足したところで、実際にやってもらうことを実践して見せることにする。


「こうやって、魔法障壁で浴槽を作って、その中にお湯を入れます。魔法障壁を魔法制御すればお湯に関しては、出しっ放しにしてしまっても問題ないのですが、出来れば二つ同時にやった方が鍛練になりますね」

「・・・わざわざ魔法障壁で浴槽を作らなくても、お湯を浴槽のような形状にすれば良くないかしら?」

「それだと駄目です。お湯だけだと、そのまま突き抜けてしましますから」

「なるほど。確かにルートちゃんの言う通りだわぁ。ふふ、その感じだとすでに経験済みなのね」

「すでに経験済みなのです」


ちなみに経験したのは俺ではなくてソフィアだ。そんなソフィアは今、こちらに話を振らないでと言わんばかりにそっぽを向いている。アーシアは「ルートちゃんって結構やんちゃよね」と言って、納得してしまっているが、俺は何も言わないであげることにする。


全ての説明を終えた俺は、俺が出した魔法障壁とお湯を消してアーシアのことを見遣る。


「では、アーシア。これはアーシアにしか出来ないことです。頼まれてもらえますか?」

「私にしか出来ないこと?」


俺の言葉に引っ掛かりを覚えたアーシアは、コテリと首を傾げながら聞き返してくる。


「ルートちゃんも出来るんじゃないの?今、出して見せてくれたばかりじゃない?」

「確かに俺にも出来ますが、出来ません。大きな問題があるのですよ」

「大きな問題?」

「そうです。昨日の馬車と違って、船は波で大きく揺らぐことがあります。しかも、不規則に。その場合、目視してないと、さっきの水球みたいに魔法の出現位置がぶれる可能性が高いのです」

「それってつまり・・・」

「何事もなく終えようと思ったら、ソフィア姉様がお風呂に入っているところをずっと見ながら魔法を維持することになります」


隣の俺の部屋から、俺がやっても構わないが、目視出来ないと細かな対応が出来ない。その場合、部屋の中がお湯で水浸しになったり、魔法障壁で作った浴槽が壁やドアをぶち破ったりしてしまう可能性がある。俺は船を壊す気も無ければ、姉の裸を他人へ晒すつもりもない。そのことをアーシアに話していると、ソフィアがニヨッとした笑みを浮かべて、話に混じってくる。


「ルゥのえっち」

「はいはい、真面目な話をしているのですから、ソフィア姉様は黙っていてください」

「ルゥが冷たい!?」


ソフィアがガーンという効果音が聞こえるようなショックの受け方をすると、その場に泣き崩れる仕草を取る。それがオーバーリアクションだということは、どこからどう見ても明らかだ。俺はソフィアの反応にそっと息を吐いてから、改めてアーシアにお願いする。


「こんなどうしようもない姉様ですが、アーシア。頼まれてくれますか?一思いに、ソフィア姉様を魔法制御の鍛練に使える、とでも思って頂ければいいです」

「さすがにそれは恐れ多いけれど。分かったわルートちゃん。それにこれが上手くいったら私もお風呂に入れるようになるもの、ね」


アーシアは茶目っ気たっぷりにウィンクすると、自分のためにもなると引き受けてくれる。俺はアーシアにソフィアのことを押し付けて・・・、もとい、託してソフィアの部屋を後にした。


・・・さてと、俺はこれからどうしようかな?


ソフィアの船室から通路に出たところで、俺は立ち止まってこれからの予定を考える。そう言えば、昨日の夕食と今日の朝食でロンド夫婦の姿を見ていないことに、はたと気付く。


貨物船に乗船している船員は、それぞれの与えられた持ち場を完全に放置することは出来ないため、交代交代で食事を取ることになっている。そんな中で、客分として船に乗っている俺たちは、一番初めに食事をすることになっているのだが、ロンドとコーリンの姿を見ていない。


・・・跡取りを作れと焚き付けたけど、早速も実践?


ロンドとコーリンの二人が愛を深め合ってくれるのは良いことだが、寝食を忘れてただれた生活をするのは少し頂けない。旅はまだまだ始まったばかりなのだ。索敵魔法で二人の位置を探ると、自分たちの船室に居ることがわかったので、俺は苦言とロンドを冷やかしに二人の船室へと足を向ける。


「ロンドさん、コーリンさん。ルートです。入っても良いですか?」

「ルート君?どうぞ入って」


俺はドアをノックして中の二人に話し掛けると、コーリンから入室の許可があっさりと出た。どうやら、二人は子作りの真っ最中、という訳ではないらしい。ロンドさんのヘタレ、とさっきまでとは全く逆のことを考えながら俺は部屋の中へと入る。


ロンドとコーリンの部屋の中は、部屋の真ん中に通路があり、その奥に書き物をするための机、通路を挟んだ両サイドに一人用のベッドが一つずつ置いてある。だが、ベッドの一つは空っぽである。もう一つのベッドに目を遣ると、ベッドの枕元付近にコーリンが正座をして、ロンドがコーリンの膝を枕して寝転がっていた。


・・・ん?どうやら甘えてはいるらしい。けど、この様子は・・・。


「ルート、か?へへ、なかなか船の旅というは、大変なものなんだな・・・うぷっ」

「こんな格好でごめんなさいねルート君。ロンドは見ての通り、船酔いのせいで昨日からこの調子なの」


ロンドは今までに見たことがないような真っ青な顔をして寝転がっていた。でも、どことなく幸せそうな顔をしているのはコーリンに膝枕をしてもらっているからじゃないかと思う。


「ロンドさんも船酔いでしたか。・・・もしかして、コーリンさん。ずっと膝枕をしているのですか?食事はちゃんと取りましたか?」

「心配してくれてありがとうルート君。船員の人にお願いして、部屋で食事を取らせてもらったから大丈夫よ」

「そうですか。それならよかった。とりあえず、船酔いならアーシアから船酔いの薬をもらってきましょうか?ソフィア姉様も船酔いだったのですが、昨日、船酔いの薬を飲んで今日は我儘が言えるぐらいすっかり元気になってます。良く効く薬みたいですよ」

「そうなの?ふふふ。・・・あ~、でも、その薬ならアーシアさんからすでに頂いているの」


コーリンはロンドのオレンジ色の頭を撫でていた手を上げると机の上を指さす。俺は視線を移すとそこには小瓶が置かれていた。中身が紫色をしているので、アーシアからもらった船酔いの薬で間違いないだろう。それにしても、小瓶の中身がほとんど残っているように見えるので、薬をもらっているのに飲んでないのはどういうことだろうか、と俺は首を傾げた。


「この人、苦すぎるって言って飲もうとしないから・・・」

「・・・ロンドさん。意外と子供ですね」

「うる、せぇ・・・、うっ。そんな、苦いもの、飲める、奴の、気がしれねぇ・・・ぐぷ」

「確かに味はひどいですよね。俺もちょっと舐めたので知っています。それでも俺は無理矢理ソフィア姉様に飲ませましたが」


俺が胸を張ってソフィアに有無言わさずに薬を飲ませた話をすると、コーリンが「それはソフィア様も災難でしたね」とクスクスと笑う。でも、一時の苦味を我慢すれば船酔いから解放される話を聞いてもコーリンはロンドに無理矢理、薬を飲ませる気はないらしい。コーリンは何かを思い返しながら「ロンドは昔から苦いものが駄目だから」と目を細めるだけである。


「コーリンさんはロンドさんにちょっと甘いんじゃないですか?」

「ごめんなさいね。でも、私はロンドの嫌がることはしたくないの」

「・・・嫌がることはしたくない、ですか。うーん、だったらそうですね・・・。あ!コーリンさんが口移しでロンドさんに飲ませるというのはどうでしょう?ロンドさんが嫌がることはないと思います」

「ぶっ!ば、お前は、何を・・・うぐ」

「・・・妙案だと思ったのですが、ロンドさんが精神的に耐えれなさそうなので駄目ですね」

「ふふふ、そうね。ちょっと試してみたかった気がするけど、ね」


俺の提案にロンドが青い顔を赤くするほどの動揺を見せたので、俺は首を横に振った。薬は間違いなく飲んでくれそうだが、精神的に色々と振り切れてしまいそうだ。コーリンは、残念と微笑みながらロンドを見下ろし、ロンドは心底ホッとしたような表情をすると、また気持ちが悪そうな苦悶の表情になってしまう。


「しかし、困りましたね。少なくともあと四日は船の上です。それまでの間に慣れる可能性もないとは言えないですが、この調子だと難しそうですね。ふむ、仕方ありません。薬を加工しても問題ないか確認してきます」

「薬を加工?ルート君は薬も作れるの?」

「薬を作るのではなく、薬を飲みやすくするための加工ですね。すでに案はあるのですが、それをして薬の効果がなくなってしまわないかどうかが俺には分かりませんので」

「何だかよく分からないけどルート君は本当に賢いのね」

「今回のことでそれを言うなら、ずる賢い、の方が正しいかもしれませんけどね」


クスクスと笑うコーリンに見送られながら俺はロンド夫妻の船室を後にした。本当は薬を準備してくれたアーシアに話を聞きたかったが、今は魔法制御に集中している頃だろうし、ソフィアが入浴中なので部屋の中にも入れない。俺は一先ず、近場に居た船員のお兄さんを捉まえて誰が船酔いの薬に詳しいのか話を聞いた。


お兄さんの話によると船医は居ないようだが、そういった医学に繋がる知識は船長が持っているそうだ。だから、船酔いの薬を準備してくれたのは船長のゴードフだという話であった。ゴードフは見た目がいかにも戦闘向きな良い体格をしているので、俺は思わずそんな繊細なことが出来るのか、と失礼なことを思ってしまったのはここだけの話だ。


ゴードフは今、船長室に居るが、客分である俺はあまり船内をうろついてはいけないとのことで、お兄さんがゴードフを呼んできてくれることになった。俺はお兄さん言われた通り、食堂に移動して座って待っているとゴードフが姿を現す。ゴードフは俺を見つけるや否や「船酔いの薬について、聞きたいことあるんだって坊っちゃん?」と聞きながら近付いてくる。


「はい、そうです。あ、わざわざ呼び出しに応えて頂いてありがとうございます」

「はっはっは、坊っちゃんはお貴族様というのに随分と律儀だな。気にすることはない。それに、坊っちゃんはお嬢の大切なお客人だ。その坊っちゃんが話を聞きたいとあらば、いくらでも話をするぜ」


ゴードフは椅子に腰を下ろしてテーブルに肘を置くと、ニカッと笑みを浮かべながらそう言った。ゴードフは俺のことを客人だと言うが、何となく客人以上の意味が込められているような気がするのは気のせいではないだろう。


・・・まあ、とりあえず、何でも話を聞けるならいっか。


「コホン。では、早速、船酔いの薬について聞かせてもらって良いですか?」

「あぁ、構わない。が、船酔いの薬の何が聞きたいんで?」


俺はロンドが薬を飲めなくて船酔いで苦しんでいる話をし、船酔いの薬を飲みやすくするのに薬を加工しても問題がないかゴードフに尋ねる。ゴードフは「無理矢理にでも口に入れちまえば良いものを、軟弱な」と呟いた。概ね俺もその通りだと思うが、それは解決策にはならない。


「奥さんからお許しが出ませんでしたからね」

「うぅむ、甘い、甘いなぁ。ちょっと、羨ましくはあるが。・・・で、薬の加工だが、何かを加えるっていうのはなしだ。薬が効かなくなっちまうからな」

「ほぅほぅ、なるほど。果物とか混ぜて味を変化をさせるのは駄目ということですね。ちなみにあの薬って、あの劇的な不味さで船酔いを吹き飛ばすっていう訳ではないんですよね?」

「ん?どうしてそう思うんで?」

「不味いのに複数回に分けて飲まないといけないからです。まあ、さすがにそれで船酔いが治るとは思ってないですが念のため」


そもそもショック療法であった場合、薬を飲みやすくする意味がなくなってしまう。そう思ってゴードフに質問すると、ゴードフは軽く目を見張ってから「ククッ、その発想はなかった」と面白がるように笑う。


「むぅ、一応こちらは真面目に聞いているんですけど?」

「あぁ、こいつはすまねぇ。お嬢から坊っちゃんのことを色々なことを思い付く面白い子だと聞いていたのでつい、な。あの薬を複数回に分けて飲むのは、単にあれがドロッとしていて飲みづらいからで、嫌がらせって訳じゃあないんだぜ」


ゴードフの説明によると、船酔いの薬はズゥインという薬草の葉とヌーバという薬草の根っこを擦り合わせて煎じたものらしい。そのズゥインという薬草に粘り気があるそうで、薬がドロッと粘着質になってしまうそうだ。だから、一度に飲む量が多いと喉の奥に残って、もっと大変な目に遭う、という先人たちの経験に基づく飲み方なのだそうだ。


「・・・そうですか。ちなみに煎じて飲む必要はあるのですよね?」

「そうだな。擦り合わせたやつを飲んでもあまり意味がない。煮出すことが重要なんだろうな」

「なるほど、参考になりました。ありがとうございますゴードフさん」

「今の話だけでもう何か思いついたのか?いやはや、これはお嬢が気に入る訳だ」


ゴードフは頭をポリポリと掻きながら感嘆の息を吐くと最後に「こりゃ、坊っちゃんのことを旦那と呼ぶ日も近そうだな」と小さな声で呟いた。俺はそれを聞き流しておくことにする。


その日の午後は、自分の船室で船酔いの薬の改良に取り掛かる。煎じた状態の薬の成分を体内の取り込めれば良い訳だから、まずは薬の水分を魔法を使って飛ばす。俺は小瓶の蓋を開けて、薬の水分を完全に排除すると、薬の嵩が小瓶の三分の一ぐらいまで減った。軽く小瓶を振ると紫色の粉末がサラサラと揺れる。


「これでとりあえず、粉薬にしたって感じかな?」


この状態で薬の効き目に変わりがないことを実験したいところだが、この状態の薬をロンドに飲ませるのは難しいだろう。粉薬はコツを知らないと口の中が大参事になることを俺は知っているし、コツを知っていても失敗する時は失敗する。


ロンドが粉薬を飲むのに失敗して、口の中に粉薬が残るという事態に陥った場合、二度と船酔いの薬は飲まないと言い出しかねない。その様子が目の裏にありありと浮かんだ俺は、次の加工に取り掛かる。ちなみにオブラートという選択肢もなしだ。そもそもオブラートがないという理由もあるが、あれもまた飲むのにコツがいる。


・・・ゼリー状のものもないしな。あ、コーヒーゼリーが食べたい。


「って、脱線してる場合じゃないな。えっと、とりあえず圧縮して固形化させてみるか」


俺は風のマナに魔力を捧げて空気を操る。小瓶の中に空気を集め、小瓶の底に粉薬をグイグイと押し込んだ。圧迫された薬はさらに嵩が減り、小瓶の底に一センチぐらいの塊が出来上がる。上から見ると、丸いラムネのように見える。


・・・紫色なので、ブドウ味って感じだな。実際は、そんな良いものじゃないけど。


粉薬から錠剤に改良した薬を小瓶から取り出そうとして俺はハッとすることになる。塊にしたことで小瓶の飲み口から薬を出すことが出来なかったのだ。俺は一度薬を崩すかどうか逡巡してから、ピッと人差し指を立てて、小瓶の腹部分に一筋の線を引くように走らせた。


小瓶の上部を持ち上げると、線を引いたところより下の部分が机の上の載ったままとなっている。そう、魔法で小瓶を切り分けたという訳である。机の上に残る小瓶の下部をひっくり返して中身を取り出してから、俺は小瓶を元の形にくっつけて、魔法を使って直す。


・・・使えて良かった鋼属性の魔法。でも、直せるからといって人様のものを勝手に壊すのは、やっぱり良くないよなぁ。


心の中でアーシアに謝りながら、俺はラムネ状態の薬を四分割に切り分ける。さすがにそのままの大きさでは水で一飲みするのは難しそうだったからだ。水薬、粉薬と経て錠剤へと生まれ変わった薬を手に、俺はロンド夫婦の部屋と向かった。


「さあ、出来ましたよロンドさん。これなら文句はないでしょう?」

「まあ、随分と小さな塊になったのねルート君」

「おぉぅ、これなら、飲めるかも、しれねぇ、な」

「一応、忠告しておきますが、これ自体が薬そのものなので、口の中に含んだらすぐに水を飲んでくださいね。口の中に残りっぱなしとかになって、苦いと文句を言うのはロンドさん自身の責任ですからね」



次の日の朝、朝食の時間にロンド夫妻たちも食堂にやってきた。ロンドの顔色が良くなっているところを見れば、錠剤にした薬でもちゃんと効果があったことが分かる。


「すまねぇなルート。恩に着る」

「本当にありがとうルート君」

「気にしないでください。困った時はお互い様ですから、ね」


ロンドとコーリンが俺の姿を見つけると、開口一番にお礼を言ってくるので、俺は不要だと首を振って見せる。その様子を見たソフィアとアーシアが不思議そうな顔をしながら首を傾げる。


「何々、ルゥが何かしたの?」

「そういえばルートちゃん、昨日の午後はずっと船室に籠りっぱなしだったのよね?」


俺が二人に答えるよりも前にコーリンが口を開いた。コーリンは俺がロンドのために船酔いの薬を飲みやすく改良したことを話す。話を聞いたアーシアは「そんなことをしていたのね」と目をキラリと光らせて俺を見てくるが、ソフィアは「どうして私の時は・・・」と恨めしそうにそう言ってからじっとりとした目で睨んでくる。分かりやすいぐらいに対照的な二人の視線に俺は頬をポリポリと掻く。


「えーと、アーシアには今度やり方を教えますね。ソフィア姉様はちゃんと飲めたでしょう?だから、そもそもそんなことをするつもりは微塵も考えてなかったのですよ」

「つまり、私も我儘を言って、飲まなければ良かったのね?」

「うぐ、その、ソフィア様?ルートのことを責めるのはそれぐらいにして頂けるとありがたいです」


不機嫌なソフィアの様子に、ロンドが胃の辺りを押さえながらソフィアに声を掛けた。元はと言えばロンドの我儘から改良した薬だ。俺がソフィアに怒られているのはロンドのせいと言っても良いので、ロンドはその辺りを気遣ってくれているのかもしれない。だが、ロンドの訴えも虚しくソフィアは未だに不満顔をしたままだ。


ちなみにソフィア姉様が飲みにくそうにしていた時点で、薬を改良する構想はすでに持っていたのだが、そのことは口が裂けても絶対に言わない。ここでそれを言っても、火に油を注ぐだけで、俺の頬っぺたが犠牲になるだけだ。


俺はソフィアを真っ直ぐ見据えながら、別の角度から説得してみることにする。


「苦しんでいたロンドさんのためにやったことでは確かにあります。でも、本当はコーリンさんのために俺は薬を改良したのです」

「コーリンさんのため?」

「そうです。コーリンさんはずっと船酔いで苦しむロンドさんのことを膝枕で介抱していたのですよ。まだまだ先は長いというのに、ロンドさんがずっと船酔いで苦しんでいては、コーリンさんが身体を休めることが出来ません。それに何より、愛する夫がずっと苦しんでいるのです。それをずっと見ているのは精神的に辛いことでしょう?」

「それは、確かにルゥの言う通り、かもしれないけど」


俺の説得にソフィアが少したじろいだ。もう一押しかな?と思っていると、俺が名前を出したせいかコーリンがスッと前に出てくると、ソフィアの前で申し訳なさそうに頭を垂れた。


「あのソフィア様。私からも謝ります。うちのロンドのせいで不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」

「え?あぁ、いえいえ。その、コーリンさんに謝って頂く必要などないのですよ。これは私とルゥの問題ですから」

「そうですね。コーリンさんが気にする必要は全くありません。姉の我儘に応えるのは、弟の義務だとは思っていますが、何事も度が過ぎると良くないのですよ」

「むぅ、それは昨日のお風呂の件を言ってるのかしら?」

「さあ、どうでしょうか?」


こんな感じに昨日とは違って、賑やかな朝食を取ることになるのだが、楽しい時間というのは存外、長くは続かないものである。突然、貨物船が今までに感じたことがない揺れ方をすると、丸で急ブレーキをかけたかのように、身体がつんのめる感覚に襲われる。


「きゃ!」「何ごとだ!?」と周りがざわめく中、俺はテーブルに置いてあった、皿に盛られたパンやスープがテーブルを滑るようにして落ちてしまったのを、各個魔法障壁を作り出して全てが床に落ちる前に魔法障壁で受け止めるという大道芸を見せる。「おぉ」という船員の感嘆の声のあとに、船内にゴードフの声が響き渡った。


「アシュハポンが出たぞ!総員戦闘準備、繰り返す、総員戦闘準備!!」

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