第百十八話 魔法少女シノブ
「ね、ねえ、ルート。本当に出なきゃ駄目?」
俺は今、エスタと一緒に闘技場内の通路を歩いている。袴姿に変身ステッキを持つという異色の姿をしたエスタは、変身ステッキを胸に抱き寄せるように持ちながら不安そうに瞳を揺らす。闘技場では現在、魔法使いコースの学生が魔獣討伐演習の真っ最中だ。
すでに騎士コースの演習は終わっている。今年も魔法剣を使える騎士で編成された闘いは、去年の同様大いに盛り上がりを見せた。少し残念だったのは、去年に比べると大幅に時間が掛かってしまったということだろう。学園側は去年、狼の魔獣であるクリムギアが、あっさりと倒されてしまったことを受けて、今年はヘオンズンという猪の魔獣を用意した。
ヘオンズンは、クリムギアよりも一回りか二回りも身体が大きな魔獣で、全長五、六メートルぐらいある。しかも、かなり獰猛で攻撃的な魔獣である。その上、そのでかい図体に見合わない俊敏さを持つという、とても厄介な魔獣だ。
そんな魔獣を相手にして、騎士コースの面々は果敢に闘った訳なのだが、今年は魔法剣の属性が偏ってしまっていた。そのため、ヘオンズンの弱点となる風属性を突くことが出来ず、時間が掛かってしまったという訳だ。
・・・それでも、魔法剣なしで闘った場合と比べたら、断然早いだろうけどね。
騎士コースが終わったので、魔法使いコースの出番となっている訳だが、恐らく今年は魔法使いコースが早いだろう。今年の魔法使いコースの出場者は、去年の出来事を受けて、かなり鍛練を積んだと聞いている。中には剣を使って魔法剣の斬撃を飛ばすことが出来るようになった猛者も居るらしい。
・・・思惑通り、学園全体がレベルアップしているようで何よりだ。これで、俺も埋没出来るな。多分。
そういうことで、魔法使いコースの闘いが終わったらいよいよエスタの出番となるため、俺はエスタを連れて会場に向けて移動中という訳だ。
「ここまで来て、まだそんなことを言うのですか?」
「だって、こんなにも大勢の人が居る場所でやるだなんて・・・」
「そんなにも嫌ですか?」
「だって、恥ずかしいじゃない」
もうあまり時間がないというのに愚痴愚痴と愚図りだすエスタ。往生際が悪い。だが、このままの状態のエスタを死地に向かわせる訳にはいかない。いくらエスタが身体能力の高い忍ぶ者であったとしても、こんなやる気のない状態のエスタ一人で相手にして良いほど、ヘオンズンは甘い魔獣ではない。
・・・さて、どう説得したものか・・・。
「・・・分かりました。エスタの言う通り、やめにしましょう」
「え?良いの?」
「ちょっとばかり色々な人に迷惑が掛かりますが、エスタがそこまで嫌がるのなら仕方ありません。忍ぶ者たちのためを思ってのことでしたが、俺がエスタに嫌われるよりかマシです」
俺は、はたと止まってから踵を返した。俺の突然の行動にエスタは目を白黒させてから、駆け足で俺に近付いてくると、制服の上着の裾を掴んで引っ張った。でも、俺は歩くのをやめない。
「ちょっと待って、待ってルート。本当にこのまま戻って良いの?」
「エスタは不思議なことを聞きますね。恥ずかしいから人前に出るのは嫌なんでしょう?何の問題があるんです?」
「だって今、色々な人に迷惑が掛かるって・・・」
俺はエスタが掴んでいる制服を放してもらって、エスタの方に向き直る。俺はその通りだと言わんばかりに、エスタに大きく頷いて見せてから、迷惑が掛かる人を指折り数えながら懇々と説明する。
「そうです。色々な人に迷惑が掛かります。まず、騎士コースと魔法使いコースの魔獣討伐演習後に時間をもらう申請をした俺とそれに賛同してくれたエルレイン先生。こちらから申請して許可をもらったのにも関わず、それを本番直前に、しかも勝手に中止するからには、それなりの罰を受けることになるでしょうね」
「えっと、ルート?」
「それから、それを魔法祭の出し物として採用したエリオット学園長。それに開会式で、最終日に何かすると匂わせていたレオンドル王。お二人は国内の来賓は兎も角として、国外の来賓の方々からは、きっと顰蹙を買うでしょう。もしかしたら、その辺りの責も、俺とエルレイン先生は取らなければならないかもしれません」
俺が捲し立てるように言葉を連ねるにつれ、エスタの顔色がだんだんと悪くなっていく。だが、俺は話すのをやめない。
「あと最後に」
「まだあるの!?」
「忍ぶ者の頭領であるゲードも、今日のことは期待して頂いていたみたいなので、きっとガッカリとすることでしょう。そう考えると忍ぶ者一族全員が、ということになるでしょうか。一先ず、思い付くのはそんなところですね。それじゃあ、早く戻りましょうか」
俺はそう言ってニコッとエスタに笑いかけてから改めて踵を返す。歩き出そうと一歩足を前に出したところで、またもやエスタに制服を掴まれて引っ張られる。さっきよりも力が強く、俺は思わず後ろによろめくとそのままエスタに抱き留められた。俺は眉を寄せて振り返りながらエスタに文句を言う。
「何するんですかエスタ。危ないでしょう?」
「・・・・・るわよ」
「え?エスタ、言いたいことがあるなら、はっきりと言ってください」
「あぁ、もう!あたしやるわ!やれば良いんでしょう!そんなこと聞かされたらやるしかないじゃない!」
俺がクルリと身体の向きをエスタに向けると、エスタが投げ遣り気味に叫んだ。エスタの心情が「やりたくない」から「やらざるを得ない」に変わったことに心の中で頷きながら、俺はエスタに首を横に振って見せた。
・・・あともう一息。
「必要ありません。そんな嫌々やられても、見ている観客の方も困るでしょう。ほら、さっさと戻りますよ」
俺に断られるとは思っていなかったエスタは、俺の言葉に衝撃を受けて目を丸くして固まった。が、すぐにぶるぶると首を横に振ってエスタは気を取り直すと、ハシッと俺の袖を引っ張る。制服の布地が伸びるので、そろそろ制服を引っ張るのはやめて欲しいものである。
「待って待ってルート。あれはぜーんぶ嘘!嘘だったの!本当はちょっとめんどくさいと思っただけで、嫌って訳じゃないから。実は出たくて出たくて仕方がなかったの。だから、お願い。早く会場に行こう、ね?」
エスタの言葉の半分ぐらいは、嘘と本当が入り交じっている。でも、それで問題ない。エスタは今、「やらざるを得ない」から「やりたい」に気持ちをさらに変化させた。それに、エスタからの言質も取ったので、これで何が起こっても、エスタに嫌とは言わせない。
・・・押して駄目なら引いてみろ作戦、これにて完了!
「エスタがそこまで言うなら仕方ありません。これで行かなかったら、逆にエスタに嫌われてしまいますからね。行きましょう。ほら、何をしているのですかエスタ?先ほど大きな歓声が聞こえてきましたから、魔法使いコースの闘いが終わったのでしょう。急がないと出番に間に合いませんよ?」
「え?あ、ちょっと待ってルート!」
俺は、俺の制服を掴むエスタの手を取って、エスタを引きずるようにして、駆け足で会場を目指す。
「さて、皆様。今年は彼の魔法剣を生み出したルート君たっての依頼で、もう一戦魔獣討伐演習があります」
闘技場の北側の観客席に居るエリオットから紹介されて、俺はエスタを伴って通路から会場内へと歩を進める。会場内に入ると大勢の観客から割れんばかりの拍手で出迎えてもらう。エスタはその歓声にちょっと気圧されてしまったのか身体をビクッと震わせる。
「大丈夫ですかエスタ?」
「だ、大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
「あまり大丈夫そうには見えないんですけど・・・。でも、まあ、俺はエスタを信じています。これまでの五日間、散々、展示場所で大勢の人を相手にしてきたのですから。ちょっと人から向けられる視点の位置が違うだけですよ」
「・・・そう言われるとそうかな?散々、あたし一人で見学者の相手をしたもの。特に二日目以降、誰かさんは、ティッタたちのところに行って、ずっとこっちはほったらかしだったもんね」
音声ガイドを作った二日目以降、俺はほとんど回復薬の共同発表に張り付いて、闇属性の研究室としての展示物はエスタに任せっきりにしていた。それを思い出したエスタがジトッした目で俺のことを見てくる。俺はニッと笑みを浮かべながら「ほら、そう思ったらこんな状況、何てことないでしょう?」と胸を張る。
「はぁ、全く。調子の良いことばかり言って。でも、ありがとルート。ちょっと緊張が解れたわ」
「それは良かったです」
俺とエスタは会場の中央付近まで歩を進めて止まる。そこでもう一度エリオットから改めて紹介をしてもらい、俺が説明する手番となる。俺は声を増幅させる魔術具を使わずに直接、音属性の魔法を使って、大音声で観客に語りかける。
「皆様にはこれから、先ほど騎士コースと魔法使いコースが闘っていた魔獣ヘオンズンと闇属性の研究室で助手を務める、俺の隣に立つ彼女との闘いをご覧頂きます」
俺がそう発言すると観客席がざわざわと騒ぎ始めた。あちらこちらで「大丈夫か?」といった心配する声が漏れ聞こえてくる。それはそうだろう。魔獣を相手するのに騎士コースと魔法使いコースの中で、優秀とされる学生複数人で編成を組んで、さっきまで闘っていたのだ。
それを見た目が完全に子供で、傍から見たら俺よりも少し年上にしか見えない少女が、たった一人でヘオンズンと闘うと聞かされたら、そんな反応になるのは仕方ない。
「不安に思われる方が大勢いらっしゃるようですが問題ありません。その辺りは追々説明させて頂きますね。それでは早速、準備に取り掛からせてもらいます」
俺は右手を高々と上げて、パチンと指を鳴らす。この仕草自体に特に意味はないが、気持ちの問題である。俺が指を鳴らすと会場内がふっと一瞬で真っ暗となった。俺が光のマナの働き掛けて、ランプの魔術具に干渉して光を抑えたのである。さらに、光属性の魔法でエスタの頭上から光を当てる。エスタは今、スポットライトに照らし出されたようになっている。
真っ暗闇の中、光が当たるエスタに観客の視線が一気に集まるのを感じる。注目を一身に浴びるエスタは、愛想笑いを浮かべて佇んでいる。この五日間、見学者を散々、相手にしてきた成果が、こんなところで発揮されたようである。
・・・まあ、ちょっと、頬がヒクヒクとしているけど。遠目からじゃ分からないだろうから問題ないな。
愛想笑いの中で「こんなの聞いてないわよ!?」という目を向けてくるエスタに「じゃあ、打ち合わせ通りに頑張って」と俺は小声で話し掛けて壁際に避難する。変身してから闘うという打ち合わせはしたが、会場の明かりが消えたり、スポットライトが当たったりするという話はしていない。後ろの方でエスタが「もう!」と小さな声で怒っているが無視だ。
俺が壁際に立つとエスタが大きなため息を吐いたような仕草を見せてから俯き加減となる。でも、エスタが次に顔をキッと上げた時には、意を決した顔をしている。エスタはふっと息を吐いてから、変身ステッキを高々と掲げて「変身!」と声を上げた。
次の瞬間、エスタの身体が闇に包まれると、今度はカッと眩い光に包まれる。エスタの袴姿は一瞬にして魔法少女の服装へと変貌する。白と赤とピンクを基調とした、フリルが沢山付いた可愛い服はいつも通りだが、今日の髪型は大きなリボンで後ろ手に、一本に纏めている。
エルレインはツインテールがお気に入りなのだが却下した。首を振った時に、髪の毛が顔に当たって邪魔になりそうだったからだ。それにツインテールにしなくても、魔法少女服姿になっている時点で、十分に幼く見えて・・・、いや、十分に可愛い。
・・・本当は身体のパーツごとに、徐々に変身させたいところなのだが、それが出来ないのはちょっと残念なところだ。でも、変身するのに時間を取られるようでは、実用性に乏しくなるので仕方ない。
変身を終えたエスタの周りに、俺は魔法でキラキラとした光の粒子をエフェクトとして作り出す。その中をエスタがゆっくりクルリと一度回ってから、目の前に変身ステッキを突き出すように掲げる。
「ま、魔法少女シノブ。どんな魔獣が相手でも、このあたし、魔法少女シノブが打ち倒します!」
俺は会場を元の明るい状態に戻しつつ、口上を述べたエスタの背後に小規模の爆発を起こすとピンク色の煙が立ち込める。戦隊モノでよくあるカラー付きの煙幕である。自分で言うのも何だが、タイミングはバッチリだと思う。
ちなみに、エスタが俺が付けた偽名を名乗っているのは、本当の名前が大勢の人に知れ渡るのが恥ずかしいからとのこと。名前を変えたところで、闇属性の研究室の助手だと宣言しているので、あまり意味がないようにも思ったのだが、それでエスタの心の安寧が保てるならと、エスタの好きにさせている。
・・・口上を考えたのもエスタだけど、魔法少女なのに打ち倒すとはこれいかに。まあ、細かい話はいっか。
朦々とした煙幕が消えた頃には、闘技場内が静寂に包まれていた。皆唖然としているのか、ざわざわとした声すらも観客席から聞こえてこない。そんな雰囲気に不安を覚えたのか、エスタがすごい形相でこちらを睨んでくる。魔法少女にあるまじき表情に、俺は仕方なくエスタに近付いた。
「ちょっとルート。どうなってるの!?」
「心配しなくても大丈夫ですよエスタ。バッチリ決まってましたよ。それはもう、ビデオカメラを作っておけば良かったと後悔するほどに、です」
「ビデオカメラって何よ、ビデオカメラって。そんな訳の分からないこと言って、誤魔化そうとしても駄目なんだからね」
「声は上がってませんがあちらこちらで、異様な興奮状態にある人が居ることは索敵魔法で掴んでいますから。全く受け入れられてないという訳ではありません。大半の人は、驚きに目を見張ってるといった感じです。そんなことよりもほら、変身が終わったら、魔獣をけしかけてもらうようにお願いしてましたから。あちらさんは殺る気満々なようですよ」
小声で怒鳴るエスタを宥めながら、俺は問題ないとエスタに告げる。観客の大半は服装が突然変わったことに驚いて、思考が追いつかないといった感じなのである。興奮状態にある者は、多分エルレインと同じ可愛いもの好きたちなのだろう。忍ぶ者のイメージアップに必要な存在ではあるが、ちょっと要注意な存在とも言える。
・・・このロリコンどもめ、みたいなことにならないようにだけ気を付けないとな。
そうこうしている内に、すでに魔石が与えられて進化したヘオンズンが、目立つ行動をしたエスタを完全に敵視して睨んでいる。今にも襲い掛かってきそうだと思っていたら、ズンッズンッと力強く地面を踏みしめてから、突然こちらに突っ込んできた。
恨めしそうに俺を睨むエスタに、俺は「それじゃあ!」と声を掛けてから、自分に補助魔法を掛けて素早く壁際に退避する。エスタは「こうなったら自棄よ。覚悟なさいヘオンズン」と意気込みながら、キッとヘオンズンを睨み付ける。怒りの矛先を魔獣に変えてくれたようで何よりである。
エスタは、ズシンズシンと大きな音を立てながら突進してくるヘオンズンに向かってジャンプすると、ヘオンズンを踏み台にして攻撃をかわす。さらに、エスタは空中でヒラリと身体を捻りながら、通り過ぎたヘオンズンに向き直るようにして地面へと舞い下りた。その姿に観客席から「おぉ!」という歓声が上がる。特に男性の声が多い。
・・・あの服スカートが短いからな。世の男性にはちょっと刺激が強いようだ。まあ、その分、見せパンというものしてあるけど。普通の人は馴染みのないものだから、本当にパンツが見えていると思っているんだろうな。
だが、疚しい歓声はすぐに消えて無くなった。エスタに踏み台にされて突進攻撃を避けられたことに怒ったヘオンズンが、何度となくエスタに襲い掛かるが、エスタはそれを軽々と避けて見せた。観客は驚きの声を上げるが、俺はヘオンズンよりも忍ぶ者であるエスタの方が素早いことを知っているので何も驚くことはない。
・・・それじゃあ、俺も俺の仕事をしますか。
「ご覧の通りシノブは、ヘオンズンの攻撃を容易く避けていますが、これは魔法によるものではありません。彼女の自身の力なのです。そう、彼女は彼の有名な忍ぶ者なのです」
エスタが忍ぶ者だと知った観客席から「あんな子が忍ぶ者?」「あの悪辣非道の?」「忍ぶ者だとあんなにも簡単に攻撃をかわせるものなのか?」と言った様々な声が聞こえてくるが、その大半は悪いイメージがばかりである。改めて、世の中の人たちが持つ忍ぶ者へのイメージの悪さに俺はそっと息を吐いてから、話の続きをする。
「さて、皆様はご存知でしょうか?その身体能力の高さ故に、忍ぶ者は魔法を一切使うことが出来ないということを。そこで、我が闇属性の研究室は、新たな魔術具を開発しました。それが先ほど、シノブが使ったあの変身ステッキなのです。シノブ、そろそろ避けるばかりではなくて攻撃を」
「やっと?じゃあ、遠慮なく行くわよ!!」
エスタは俺の言葉を聞くと、変身ステッキを横一文字に振るう。すると、複数の火の玉がエスタの目の前に横一列に並ぶように出現した。エスタは「行け!」と言いながら、変身ステッキをヘオンズンに突き出すように振るうと火の玉が次々とヘオンズンに襲い掛かる。突然、攻撃魔法を浴びせられたヘオンズンは「ヴォォォォ」と呻き声を上げた。
その光景を見た観客は、目を見張って驚いた表情をしている者、本当なのかといった感じに懐疑的な表情をしている者に二分された。驚いた表情をしている人は、忍ぶ者をよく知っている者たちか、俺の言うことを信じてくれた人たちだ。
懐疑的な表情をしている人は、忍ぶ者のことをよく知らないか、もしくはエスタ本人が忍ぶ者ではない、つまりは俺が嘘を吐いていると思っている人たちである。まずは、この人たちに俺の話を信じてもらうことが、先決である。
「このように、変身ステッキとその服装の効果によって、魔法を使えない者でも魔法を使えるようになる。それがこの魔術具の効果なのです。・・・ですが、どうやら、観客の中には疑っている人が多いようですね。本当は予め補助魔法を使って身体能力を上げた、魔法を使えるただの女の子なんじゃないかと。という訳でシノブ、次の攻撃をお願いします」
「分かったわ。でも、立て続けに出すのは結構疲れるんだからね!」
エスタは俺にちょっと文句を言いながらも、再び変身ステッキを振るう。エスタは周りに土の塊、水の玉、風の刃を出現させると、ヘオンズンに向けて放つ。立て続けにエスタの攻撃魔法を浴びせられることになったヘオンズンは、攻撃魔法を嫌うかのようにエスタと距離を取る。
懐疑的な表情をしていた観客も驚きの表情に変わり「そんな馬鹿な」「今、四属性を使ったぞ!?」「ありえない」と言った感想を口々に言い始めた。それはそうだろう。魔法が使える者で三属性以上のマナに愛されている者は、極端に少ない。現に俺の知り合いのなかでは唯一、エリオットだけが四属性に愛されている。多くの者は、一つか二つが一般的なのだ。
そんな世の中で、エスタが四属性を使うという特異性を見せつけることにより、俺の言ったことへの信憑性を持たせるという算段だ。どうやら、俺の思惑通り、魔術具の効果で魔法を使えるようになったのだと納得してくれる人が増えていくのが分かる。
エスタは自分自身が魔法を使って魔獣を翻弄していること、観客から賞賛交じりの声が上がっていることにちょっとにやけ顔になっている。忍ぶ者以外の人との係わりが薄かったエスタは、見ず知らずの者たちから褒められることに慣れていない。
一見すると微笑ましいものだったが、そんな浮わついた場の空気は一瞬にしてガラリと変わる。褒められて照れるエスタに出来た一瞬の隙を突いて、ヘオンズンがエスタに向けて土属性の攻撃魔法を放つ。エスタの身体が簡単に見えなくなるほどの大きな岩石だ。
完全に油断していたエスタは、ヘオンズンの攻撃魔法を避けることが出来ずに、岩石に押されるようにして、観客席の壁に叩き付けられてしまう。
「あぐぅっ!?」
エスタが壁に叩き付けられる音と同時に、エスタの痛々しい声が闘技場内に響くと、丸で時間が止まってしまったような静寂が訪れた。そんな中、エスタを襲った岩石が自分の存在を見せつけるかのように、ズシリと音を立てながら地面に落ちる。
岩石は地面に落ちるや否や役目を果たしたと言わんばかりに霧散した。特殊な結界に守られてるため、傷一つ付いていない壁とは対照的に、傷だらけのエスタの姿が露わとなる。ボロボロとなったエスタの姿を見て観客席から悲鳴のような声が上がった。
攻撃魔法で壁に叩き付けられたエスタは、壁から剥がれ落ちるようにして力なくその場に倒れる。観客席からどよめきの声が起こる中、俺はため息を吐きながらエスタに声を掛ける。
・・・普通の女の子だったら、確実にペチャンコになって死んでたろうな。
「はぁ、シノブ、油断しましたね?戦闘中なのですから、如何なる時も注意を払うものですよ?」
「うぅ、こんな時まで冷静にお説教をしないで・・・」
「俺の手はいりますか?」
「ううん、それは大丈夫。身体中が痛いけど、動けない訳じゃないから。それに今のあたしにはこれがあるでしょ?」
俺が声を掛けるとエスタはムクッと身体を起こし、足を引きずるようにして膝立ちになる。利き腕で致命傷となるのを防いだのか、エスタの右腕はぶらりと肩から垂れ下がるだけで全く力が入っていない。破れた袖の合間から見える腕の肌の色が酷く、腫れ上がっているように見えた。
エスタは地面をキョロキョロと見渡すと、地面に落ちた変身ステッキを左手で拾う。変身ステッキを手に取ったエスタは、へらっと俺に笑って見せた。痛々しい姿だが、泣き言ひとつ吐かないとは、中々の根性である。
・・・いや、お説教は嫌という泣き言は言ってるか。
エスタは左手に持った変身ステッキを身体に寄せて抱き留める。光属性の治癒魔法を自分に掛け始めると暖かな光が、エスタの身体の所々に宿る。魔術具があるとはいえ、まだまだエスタの治癒魔法は未熟である。一気に治すのは難しいため、ひどい怪我を負ったところを重点的に治すことにしたようだ。
少しするとエスタは、変身ステッキを右手に持ち直し、怪我が治ったことを確かめるように身体を動かし始める。当然ながら、まだまだ完全に怪我が癒えたという状態ではないため、痛そうに顔をしかめていたエスタだったが、一つ頷くと動く分には問題ないといった感じに笑顔を見せた。
「本当に魔法ってすごい」
「そうです。魔法は便利ですごいんですよ。でも、だからといって、力に溺れてはなりませんよ」
「うぅ、本当に油断したのは悪かったと思ってるから。こんな大勢の人が見ている前で、お説教するのは許してください」
治癒魔法を自分で使い、自分の力で動けるようになったことに感動するエスタに、俺は容赦なくエスタのことを咎める。力に溺れた者が辿る末路は破滅だと相場が決まっているのだ。
「本当に反省していますか?」
「はい、反省してます」
シュンッと肩を落とすエスタの様子に、俺は「良いでしょう。ここでのお説教はこれぐらいにして、あとは終わってからにしてあげます」と頷いて見せる。お説教から逃れられないことを悟ったエスタは軽く目を見張ってから「好きにしてください」と項垂れた。
・・・増長する前にしっかりと引き締めることが肝心。さて、これ以上、ヘオンズンに空気を読んでいてもらう訳にはいかないな。いつまでもヘオンズンに動きがなかったら、不信に思われるだろうからな。
相手に深手の怪我を負わせたのだから、普通は止めを指しに魔獣は動くものだ。だが、ヘオンズンにはエスタを警戒するかのような行動をしてもらっている。というのも、俺は誰にもバレないようにヘオンズンの周りに膜のような薄い魔法障壁を張って、ヘオンズンの動きを制限していた。
「さあ、これ以上、長引かせる必要はありません。一気に決着をつけてしまいましょう」
「うん、分かったわ。次の一撃で終わりにして見せる」
エスタはコクりと頷きながら俺にそう返事をすると、魔法少女の服に仕込んでいた魔力の回復薬を手に取って、一気に飲み干した。空になった小瓶は、その辺りに捨てることなくアンダスローで俺に投げ渡してくる。いつの間にかエスタにも研究室の備品を大事にするというの意識が、しっかりと身に付いたようである。
・・・うんうん、何だかんだ言って、すっかり研究室に馴染んでいるようで何よりだ。
魔力が回復したエスタは、変身ステッキを利き手に持ち直すと、丸で小刀を逆手に握るようにして変身ステッキを持つ。変身ステッキにエスタの魔力を吸収させ始めたのか、変身ステッキに黒いもやが発生すると、徐々にもやが変身ステッキの先っぽから伸びるようにして刀身を形作っていく。
少し短めだが闇属性の魔法で闇の小刀を作り出したエスタは、ふぅっと一度長く息を吐きながら、ゆっくりと目を閉じる。次に目を開けた瞬間から、エスタはビリビリと肌で感じ取れるほどの殺気を放ち始めた。先ほど油断した時のような甘えは一切ない。全身全霊を以って相手を仕留めることに集中してるといった感じだ。
・・・凄まじい集中と容赦のない殺気。手負いになってしまったことが余程、悔しかったらしい。
準備万端になったエスタを見計らって、俺はヘオンズンを邪魔していた魔法障壁を消して、ヘオンズンを解き放つ。ヘオンズンは、やっと自由に動けると言わんばかりに、無謀にもエスタの真正面に突っ込んでいく。
「はぁぁぁぁ!」
突っ込んでくるヘオンズンに、エスタは気合いの籠った声を上げながら、グッと地面を蹴って走る。動き始めから高速で走るエスタは、その目にも止まらぬ速さで、ヘオンズンのでかい図体をすり抜けたかのようにして通り抜けた。
目を瞬く時間ほどの一瞬の出来事に観客席から「何がどうなった?」という声があちらこちらから聞こえてくる。あまりの速さにほとんどの人は、今のエスタの攻撃を目で追うことは難しかっただろうから無理もない。でも、すぐに何が起こったのか目に見える形で結果が出た。
走っていたヘオンズンが、徐々にスピードを落としていくと、最後はよたよたと力なく歩く。ヘオンズンがその歩みを完全に止めると、ヘオンズンの身体が真ん中から縦に割けるようにして、ズシンと音を立てながら左右に分かれて地面に転がった。ヘオンズンは見事に真っ二つとなったのだ。
「うぉぉぉ。あんな女の子が本当に一人で倒してしまったぞ!?」
「辛うじて見えた。一瞬であの黒い短剣のようなもので魔獣を斬りつけたぞあの子。なんて子だ」
「速すぎて全然見えなかった。ステッキに闇を纏わせていたように見えたが何をしたんだ?」
「いやいや、それよりもその前に治癒魔法を使ってなかったか?あの感じは光属性だろう?どうなってるんだ!?」
最高潮の盛り上がりを見せる観客席から割れんばかりの歓声がエスタに降り注ぐ。俺は観客の反応を満足に思いながらエスタの様子を見遣る。魔獣との闘いが終わったので、大勢の人から賞賛の声を浴びることとなったエスタは照れているかと思いきや、さっきの戦闘中とは違って難しい顔をしながらブツブツと何か言っている。よくよく聞いてみると「踏み込みが少し甘かった」と先ほどの攻撃に満足していないご様子だ。
・・・次に向けての反省か。悪くない反応だ。
今のところ、忍ぶ者としての身体能力の高さに物を言わせた魔法少女(物理)となってしまっている。今後、エスタが真の魔法少女になれるように努力してくれることを期待したいと思う。
「シノブお疲れ様でした。もう元の姿に戻っても良いですよ」
「ほんと?じゃあ、お言葉に甘えるわね」
大勢の視線からやっと解放されることが分かったエスタは、意気揚々と変身ステッキを使って元の袴姿に戻る。エスタが元の姿に戻ったことで、これで終わりだと悟ったのか観客席から聞こえてくる歓声が徐々に弱まっていった。だが、これで全てが終わった訳ではない。まだ、大切な話が残っているのだ。だから、ここからは俺のターンである。
「これにて、闇属性の研究室が開発した魔術具のお披露目は終了となりますが、一つ皆様に申しておかなければならないことがあります。今、ご覧頂きました魔術具ですが、販売する予定もなければ、技術供与する予定もございません」
俺の発言で、観客席が蜂の巣を突ついたような騒ぎとなった。