第百十五話 魔法祭 二年目 中編
「ルート様!?どうして起きてらっしゃるんですか!?」
「あぁ、おはようございますラフィ」
魔法祭二日目の早朝、自室で俺が机にかじりついて作業をしていると、その物音に気が付いたラフィが部屋の様子を見に入ってきた。俺が机から顔を外さずに朝の挨拶をすると、ラフィはつかつかと早足で近付いてくる音がする。俺は顔を上げると、そこには腰に手を当てながら目を三角にするラフィの姿があった。
「おはようございます、ではありません!まだ、お日様すら昇っておりませんよ!」
早朝といっても、まだ日が昇る前なので深夜とも呼べる時間帯と言えなくもない。訂正しよう。今は魔法祭一日目の深夜である。そんな時間帯に、俺のような子供が寝もせずに机で作業をしていることをラフィは咎めてくる。
「魔法祭のために必要なことなのです」
「なぜですかルート様?昨年と違って大盛況だったと伺っております」
「ん?どうして、ラフィがそのことを・・・。あぁ、お婆様からですね。それで間違いはないですが、それが原因で今、こうして作業をしているのです」
去年の閑散とした魔法祭とは打って変わって、ラフィの言う通りたくさんの見学者が我が展示場所にやってきた。たった一日だけで、前年の何十倍、いや、何百倍も超える人が。多くの人が見に来てくれたこと自体は嬉しく思うが、忙殺されることは全く望んでいなかった。
俺は自分の展示物を、何度も何度も何度も何度も説明した。展示物に興味がある人ない人、エスタの袴姿が気になっている人や俺のことを見にきた人といった色々な目的を持ってやってきた人たちに、俺は一切妥協することなく同じ説明を繰り返した。
・・・一体、何回同じ説明をしただろうか。二十ぐらいから数えていないが百は軽く超すだろうなぁ。
この世界の人は、並ぶということは知らないようだが、待つということは出来るようだ。整列は全くしないが後ろの方で待っている人は、大人気アトラクション並みに何時間待っても見学する、という状態だった。
正直なところ、闘技場内の展示物を見に行った方が有意義じゃないか?と思えるほどだったのだが、それでもわざわざ長い時間を待って、俺の展示物を見に来てくれるのだから、無下にする訳にもいかなかったのだ。
だから俺はベッドに寝転びながら考えた。どうしたら、楽が出来るかと。そして、閃いたのだ。どうせ同じ説明をするならば、その説明を代わりにしてくれるものを作ればいいじゃないか、と。
「何度も同じ説明するのは、もう飽きました。だから、その代わりを作るのです」
「その代わりですか?」
「そうです。何のために魔法があると思っているんです?こういう時のためでしょう」
「魔法はそのようなものはないように思うのですが・・・。余程、お疲れになったのですねルート様」
俺の言い分にラフィは苦笑しながら「お飲み物でもお持ちしますね」といって、部屋から出て行った。どうやら、俺を止めるのは諦めてくれたようである。俺はホッと胸を撫で下ろしつつ、顔を机に戻して手を動かす。
早朝、自動車と電車の模型を展示する屋台の真横に、俺は新たに掲示板を設置する。その掲示板にせっせと準備した自動車と電車の模型に関する説明書きを画鋲で留めていく。最後に、各説明書きの横に空けた穴に小型の魔術具を埋め込み、魔術具のボタンを押せるように設置する。
「おはようございますっす、ルートさま。あれ?この掲示板は一体どうしたんっすか?」
「おはようございますルート様」
「おはようございますティッタ、ムート。これは自動車と電車の説明用に作った掲示板です。今日から見学者が来たら、これを勝手に見てもらうことにします」
首を傾げてながら尋ねてくるティッタに、俺が新たに設置した掲示板の理由を説明すると「あはは、昨日は大変だったっすもんね」と苦笑いする。ムートは興味深そうに掲示板を眺めると「ルート様、このボタンは?」と聞いてくる。
「よくぞ聞いてくれましたムート。どうぞ、押してみてください」
俺の言葉を聞いてムートがボタンを押そうとするが、「あ、私が押したいっす」とティッタが割り込んで、魔術具のボタンを押した。ティッタがボタンを押すと「ポーン」という電子音がした後、俺の声で電車に関する説明が始まる。所謂、音声ガイドである。
「おぉ、録音の魔術具っす。私が見たことがある魔術具より、随分と小さいっすね。ふむふむ、なるほどっす。これで、説明書きを見つつ、ルートさまのお声で説明もしてくれるという訳っすね。それにしても、よくこんな魔術具を都合よく持ってたっすねルートさま」
「当然、都合よくは持ってなかったので、昨日、準備したものですよティッタ」
「準備したっすか?え?でも、昨日にそんな時間は・・・」
「寝てないわねルート?あなた疲れた顔をしてるわよ?」
不思議そうな顔をするティッタに、エスタが答えを出しながら近付いてくる。エスタは俺の顔を両手で包み込むと、ぐいっと俺の顔を引き寄せる。まじまじと俺の顔を検分してから大きなため息を吐いた。魔法で立て直しはしているので、顔色が悪いと言うことはないはずなのだが、見る人が見ると疲れているのが分かるらしい。
「まさか、ルートさま。この魔術具を徹夜して作ったんっすか!?」
「ふふ、一日寝てないぐらい、どうってことないです」
「そんな疲れた顔で、そんなこと言われても説得力がないわ」
目を丸くするティッタに俺が胸を張って答えると、エスタがやれやれといった感じに肩を竦める。何だか出来の悪い子供を見るような目で、エスタに見られているような気がするのは気のせいじゃないだろう。
「・・・むぅ、そう思うなら、ムプラをくれても良いのですよエスタ」
「はぁ、全くもう。仕方ないわね」
エスタはブツブツと文句を言いながらも、ムプラの塩漬けを取り出してくれる。「別にルートに無茶して欲しくて用意してる訳じゃないんだからね」とツンデレさんが言いそうな言葉を口にしながら、ムプラを摘まんで差し出してくれる。俺はエスタに向けて口を大きく開けた。
「あーん。んんん!」
「ルートは本当に美味しそうに食べるわね」
「ルートさまが美味しいそうに食べる姿を見てると、何だかこっちまで嬉しくなるっすね」
「ルート様は、酸っぱいもの好き」
何やら三人から微笑ましいものを見るような目を向けられてしまう。本来なら「何を見てるんですか?」と俺は見世物じゃないと怒るところなのだが、俺は今、口の中に広がる酸味を味わうのに忙しいので無視だ。
・・・はぁ、あとはこれにお米があれば完璧なんだけど。あ、そうだ。今度、ムプラを使って、梅ソースでも作ろう。収穫祭で出す予定のあれにも合うに違いない。
俺は密かにムプラの小さな破片を口から出して、樹属性の魔法で元の塩漬けになる前に復元させてから、大事に道具袋へ仕舞う。これでよしと気を取り直したところで、未だに微笑ましいものを見る目をしているを三人に、俺は手をパンパンと叩きながら、「さあ、二日目も頑張って行きましょう!」と声をかける。
一日目と同じく二日目も訪れる見学者の数がそれなりに多かったが、自動車と電車の展示に関して音声ガイドを付けたことにより、基本的に放置で大きな問題はなかった。小さな問題としては、エスタが掲示板に取り付けた魔術具を押すと音声が流れることを説明するのがちょっと大変そうだったぐらいだろう。
だから、二日目以降は、自動車と電車の展示はエスタに任せて、俺はティッタとムートの二人と一緒に回復薬の研究発表に参戦することにした。
回復薬の発表は、俺の展示物を見終わった見学者の中でも、興味がある人だけがやってくる。見に来るのは人はある程度、薬学に精通した人たちなので、説明のし甲斐があった。特に今回、発表した魔力の回復薬に使用しているのは、薬草だけでなく毒草も混じっていることに驚きの声を上げる人が多いので、余計にちょっと楽しい。
そんな感じに何事もなく時が流れていくかと思えたが四日目、問題が起こった。国外や国内の来賓たちの見学が終わり、手の空いた学生たちが見学に回るようになった頃のことである。
「やあ、ティッタとムート」
「ヴォルドさま・・・」
四、五人の男女の取り巻きを連れた金髪の男子が、ニヤッとした意地の悪い笑顔を浮かべながらティッタとムートの二人に近付いた。ティッタが嫌そうに顔を歪めながら、その男子を様付けで呼んだ。ティッタが様付けして相手の名前を呼ぶということは、ヴォルドという男子は貴族である。
ヴォルドとその取り巻きは、制服にペンを象った校章を付けているので、ティッタとムートと同じく文官コースの学生のようだ。ただ、同じコースのはずだが、二人に向ける侮蔑や嘲笑を見る限り、良いお友達関係という訳ではないことは、一目で分かる。
・・・ティッタたちが俺と仲良くしているのを良く思ってない筆頭がやって来たか。これは一騒動起きそうだな。
「何やら発表していると聞いてはいたが、まさかこれだったとはね。ひどいなぁ二人とも」
「それはどういう意味っすかヴォルドさま?」
「おや?僕が言わなくては分からないかい?僕が見つけた新しい調合方法を、こうして勝手に発表してしまっている、と言うことに決まっているじゃないか」
「なっ!?一体何を言ってるんっすか!これはルートさまと私たちが協力して見つけ出したものっすよ!」
ヴォルドは何食わぬ顔で回復薬に関する研究成果は自分が考えたものだと言い出した。ティッタはそれに噛み付くように反論するが、ヴォルドはふんと鼻で笑う。ティッタが大きな声を出したことで、辺りに居た見学者たちがわらわらと野次馬として集まってくる。なんだなんだという声の中に「まさか、盗作か?」と言う声が混じっているのが聞こえてくる。
・・・なるほど。研究成果が自分のものだと主張したもの勝ちって感じか。回復薬は秘匿されるのが当たり前で、碌に発表されてないからな。自分が考えたものだと実証するのが難しいところを突いてきたって訳だ。嫌な奴だけど、頭は中々、回るようだ。
俺がヴォルドのことをそう評価して、その頭の良さをもっと別なことに使えば良いのに、と思っている間に、状況が徐々に悪化していく。ティッタたちがヴォルドの研究成果を盗んだという風潮になりつつあり、二人の立場が危ういものになっていく。ティッタが盗人呼ばわりされて、怒りで声を荒らげながら反論する姿が、逆効果となっていた。
・・・そろそろ止めに入らないとまずいな。・・・さて、どうやって収拾をつけたものか。それに、どうしてくれようかこいつ。
「ヴォルドと言いましたか?それは、どういう意味か説明をしてもらって良いですか?」
「これはこれはルート様ではないですか。初めまして、僕はヴォルド。カームベル家の者です。以後、お見知りおきを」
俺がヴォルドに近付いて話し掛けると、ティッタたちに向けていた顔とは全く別の優しい笑顔を見せながら、ヴォルドは俺に挨拶をしてくる。俺の呼び名に敬称を付けてくるということは、カームベル家はエルスタード家よりも階級が低いということが分かる。
・・・まあ、エルスタード家よりも階級が高い貴族というのは、そうそう居ない訳だけど。俺は自分の名前が呼ばれるときに敬称が付く付かないのこだわりはないので、呼びやすい呼び方で好きに呼んでくれたら言いと思っている。
ヴォルドの嬉しそうな表情を見る限り、俺と係わりを持ちたかったということが嫌と言うほどに伝わってくる。だが、社交辞令的な面があることもその表情から読み取れて、今からヴォルドと素直に友人関係を築くのは難しそうだ。
「お労しいことです。まさかこの二人がルート様に取り入るために、僕の研究成果を勝手に使うとは。本来であれば、僕とルート様で発表すべきものだったのです」
ヴォルドは顔をしかめながら、本当に残念なことだと首を横に振って見せる。その芝居がかった態度には、思わず感嘆してしまうほどの演技力があった。
・・・俺たちが試行錯誤した結果をここまで堂々と自分のもののように言い切るとは。詐欺師の素質が有りそうだなこいつ。
回復薬の研究成果は、ティッタとムートの二人が有能であることを知らしめるために、二人の成果なのだということを前面に押す形で掲載している。当然、調合については俺も係わっている訳だが、そんなことは一言も書いてない。どうやら、それが裏目に出たらしい。
・・・今さら俺も調合に係わっていたと説明したところで、今の雰囲気では二人を不憫に思って俺が庇ったとでも言われそうだな。ふむ・・・。
「ヴォルドの言い分は分かりました。ですが、ヴォルドの言うこともまた真偽が定かではありませんね。効果の高い回復薬が出来ている以上、誰かが作ったことは間違いありません。でも、それがヴォルドではなく、さらに他の第三者がという可能性もあるでしょう?」
「ルート様がお疑いになるのは仕方のないことです。ティッタとムートの二人に騙されていた訳ですから。いきなり僕の言うことを信じる方が難しいでしょう。ですが、だからこそ言わせてください。僕の言うことは間違っていませんと」
「ルートさま、私たちはルートさまを騙してなんか・・・」
ヴォルドは、悪いのはティッタとムートの二人だと主張する。その言葉を聞いたティッタが、俺に焦りながら詰め寄ってくるので、俺はティッタに止まるようにと手を上げて制する。不安そうに瞳を揺らすティッタを落ち着かせるために、俺はティッタにニコッと笑みを見せてから、ヴォルドに向き直る。
・・・さて、俺の友達をこれ以上侮辱するのは止めてもらおうか。
俺はパンと手を合わせながら「それじゃあ、こうしましょう」と提案する。
「どちらの言っていることが正しいか、実際に回復薬を調合することにしましょう」
俺の提案にヴォルドはピクリと眉を動かすと「残念ですが、それは難しいです」と首を横に振る。ヴォルドが言うには、今、手持ちに回復薬を作るための薬草がないので、それは出来ないということだ。
「心配いりませんよ。もちろん、俺が言い出したことなのですから、回復薬を作るための材料ぐらい俺が用意します」
俺はそう言いながら、目の前に一粒の種を蒔いて、樹属性の魔法でテーブルを作り出す。その上に道具袋から魔力の回復薬の材料を取り出して、並べて見せた。ヴォルドは俺の行動に目をパチパチとさせて、少し動揺を見せるが、すぐに笑顔を見せながら「材料だけでは作れません。調合釜がないですから」と心底残念をそうに言う。あくまでも回復薬を作って見せる気はないらしい。
「ヴォルドは心配性ですね。調合釜なら自前のがあるので問題ありません」
「え?」
俺は並べた薬草の横に、自分用に購入した調合釜をドンと置く。ヴォルドは目の前に置かれた調合釜に、目を剥いて驚愕といった表情になる。ついでに、今度は調合するための道具がないと言われても良いように、調合で使うための器具も次々と道具袋から取り出して並べて置く。言い訳して逃げる隙を与えるつもりはない。
「あぁ、そうだ。調合釜を使用するための魔力の心配を知る必要はありません。作ってもらうのは、魔力の回復薬ですから。効能を上げた回復薬であれば、調合釜で使用する魔力ぐらい回復させるのは何てことないですから」
俺はヴォルドに、暗に魔力が使えないとは言わせない、と告げて逃げ道を塞ぐ。俺の集めた情報によれば、ヴォルドはマナに愛されていれば魔法を扱うだけの魔力は十分にあるらしい。だから、調合や魔術具の作製といった魔力を必要とする授業は、優秀な成績を収めているらしい。
・・・だからこそ、自分が考えたという、俺たちには突拍子もない言い分でも、ヴォルドを知る者ならそれが出来るぐらいの実力がありそうだ、と周りから認められているってことなんだろうな。それだけ優秀なんだったら、ティッタたちを妬むよりも前に、直接俺のところにくれば良かったのに。
「・・・く。まあ、良いでしょう。ここまで、ルート様にお膳立てして頂いたのです。僕が正しいことを証明してあげましょう」
引きつった笑みを浮かべたヴォルド。別にヴォルドのためにお膳立てした訳じゃないよ?と心の中で思っていると、回復薬の研究成果を掲示した掲示板を一瞥したヴォルドは、余裕そうな顔付きになる。それはそうだろう。そこに大体の作り方は載っているのだ。作ろうと思えば誰でも作れる。
・・・但し、正しく作れれば、の話だけどな。
調合釜は一つしかないので、先にヴォルドが魔力の回復薬を作って見せることになった。ちょっとした騒ぎになっているので、野次馬がとても多い。皆の視線がヴォルドに集まる中、ヴォルドは何事もなく薬草を切り刻み始める。ヴォルドが優秀だという情報に誤りはないようで、調合するための手捌きは見事なものだ。
それに何より感心するのは、掲示板を見ていることを他者に気付かれないように、自然な動きの中で掲示板をチラチラと確認している。そのため、調合に一切の迷いがない。順調に材料を細切れにして混ぜ合わせ、さらに磨り潰すといった過程を経て、調合釜に混ぜ合わせた材料を放り込んで、調合釜の蓋を閉じた。
ヴォルドは勝利を確信したかのような笑みを浮かべながら調合釜に魔力を流す。魔力は十分にあるという情報も正しかったようで、俺と比べると時間は掛かるが、難なく調合釜で回復薬を調合して見せる。ヴォルドは調合釜から出来上がった回復薬を小瓶に移し替えながら「いかがでしょう?」と芝居がかった口調で、コトリと小瓶をテーブルの上に置いた。
回復薬が出来上がったことで、野次馬から「おぉ」という歓声が起きる。一部の薬草に詳しい者は、それで本当に大丈夫か?という顔をしているが、魔力を回復させる効果を持つ薬が出来ていることは間違いない。
だが、それが明確に失敗作であることは、回復薬の正しい作り方を知っている者には分かる。だから、周りが回復薬が出来たことに盛り上がっていても、ティッタとムートの顔にそれを悲観する色は全くない。当然、俺もである。
ヴォルドが万が一にも本当に作り方を知っていて、発表をしていなかっただけなら情状酌量の余地があった。だが、これでヴォルドは、ただただティッタとムートの二人を貶めたいだけだということが確定した。
・・・まあ、端っから索敵魔法で嘘を付いてることは分かってたけど。では、裁きの時間と行こうか。
「お疲れ様ですヴォルド。無駄に魔力を消費させて申し訳ありませんでした。では、どうぞ回復薬を飲んでください。その回復薬で、魔力が確かに回復するところを見せる必要もありますしね」
「そうですね。問題なく回復薬が出来上がったことを見せておくことも大切ですね」
ヴォルドは俺の言葉に頷くと何の躊躇いも見せずに出来立てほやほや回復薬をグイッと煽る。ヴォルドの喉仏が上下するのを確認してから、俺は「あぁ、そうだ。一つ言い忘れたことがありました」とわざとらしくヴォルドに話し掛ける。
「ヴォルドは先程の薬草の中に、毒草が混じっていたのは当然、分かってますよね?」
「は?あ、いや、もちろんですとも」
ヴォルドは一瞬、素っ頓狂な声を上げるが、すぐに動揺を隠すように平静さを装う笑顔を見せる。但し、額に汗をかいて、顔色がとても悪い。
「じゃあ、ヴォルド、この初めの注意書きを読んでもらえますか?」
「注意書き?ここを読めば良いのですか?えっと、回復薬を使用したいと考える人は、必ずルート・エルスタードの許可を取ること。劇薬となる危険な毒草を使用するため、ここに誰も彼もが調合することが出来るだけの全ての情報は敢えて載せていません。もし、許可を取らず勝手に作製して使用した場合、それは自己責任であり、当方は一切の責任を負いません、だって!?」
ヴォルドが注意書きを読み終えると口をパクパクとさせながら、目を見開いて固まってしまう。折角、掲示物の一番初めにデカデカと注意書きを載せているというのに、読み飛ばして読んでいなかったことがよく分かる。
材料に毒草が含まれる以上、誰も彼もにその毒草を手にさせる訳にはいかない。別の利用目的で使われる危険性があるからだ。毒草の取り扱いは要注意であり、調合する際は毒を無力化させる手順がある。だから、ちゃんとした薬草の知識を持ち、信頼に足る者だけに製法を教えることにしている。それが、俺に許可を取るということだ。
「何をそんなに驚いているのですかヴォルド?」
「こ、ここに劇薬となる毒草を使うと書いてありますが・・・。いや、そんな、まさか」
「もちろん使用していますよ?ヴォルドがさっき調合した回復薬にも間違いなくバッチリに」
「そ、そんな馬鹿な。では、僕はどうなってしまうのです!?」
明らかに狼狽し始めるヴォルドに、俺は何を言ってるのか分からない、といった雰囲気を前面に醸し出しながら、首を傾げて見せる。
「どうなるとはどういう意味でしょう?ヴォルドは自分が研究した回復薬を作って、自分で飲んだだけなのでしょう?何を狼狽えているのですか?」
「それはちが・・・」
「ちが?ちが何なのでしょう?あぁ、そうです。ちなみに先程の調合に使用した毒草は、そのまま摂取すると致死量となるものです。ヴォルドはそんなこと、もちろん知っていると思いますが」
俺はニッコリと笑みを浮かべながらヴォルドに毒草の説明をする。俺の説明を聞いたヴォルドは、真っ青な顔をしながら、その場にへたり込むように尻餅をついた。そんなヴォルドに取り巻きが、「大丈夫ですかヴォルド様!」と心配する声を掛けながら駆け寄ったことで、野次馬たちもヴォルドが嘘を吐いていたということに気が付き始めた。そして、事の重大さに、にわかに辺りが騒がしくなる。
「さて、ヴォルド。何か言いたいことはありますか?」
「言いたいこと?僕は・・・まだ死にたくない」
「死ぬのは誰でも嫌でしょうね。俺だって嫌です。それだけですか?」
「それだけって。そんな・・・」
俺の突き放すような言葉にヴォルドがガクッと肩を落とす。人を妬むような捻くれた性格なので、ヴォルドは性格的にもっと噛み付いてくるかと思っていたが、相当堪えているようだ。もはや、言葉を返す力もないといった感じに弱っている。
「ルート様、どうかヴォルド様をお救いください」
「お願い致しますルート様」
「ヴォルド様を、ヴォルド様を助けてください」
弱りきったヴォルドに代わりに、ヴォルドの取り巻きがその場に跪きながら、口々に助けて欲しいと訴えかけてくる。貴族という地位を傘に着る関係かと思いきや、どうやら、ヴォルドはかなり慕われているらしい。助けて欲しいと願ってもらえるだけの関係を築けていることに、思わず少し感心してしまう。
・・・そんな関係をティッタとムートの二人とも築けば良かったのに。
「助けて欲しい?それはまた随分と身勝手なお願いですね。ヴォルドが仕出かしたことは、自業自得ではありませんか。なぜ俺が助けなければならないのです」
「そ、それはその・・・」
「あのルートさま、どうかヴォルドさまを助けて欲しいっす」
俺が取り巻きの願いに素気無く対応していると、見兼ねたティッタが俺の袖口を軽く引っ張りながら、自分たちを貶めようとしたヴォルドを助けて欲しいと言ってくる。俺は考えるように一度目を伏せてからムートの顔を見遣る。ムートは、ティッタの言う通りにして欲しいと言わんばかりに、無言で大きくコクリと頷いた。
「はぁ、甘いですね二人とも。禍根が残るかもしれないというのに助けるというのですか。まあ、今回の件、被害者であるティッタとムートの二人がそう判断するのであれば、ヴォルドを助けることは吝かではありません」
「それは本当ですか!?」
「但し、一つだけ条件があります。ヴォルドを含めたあなたたち全員で、ティッタとムートの二人に謝りなさい。そもそも二人に嫉妬して、嫌がらせをすること自体がお門違いなのです。俺が二人と付き合っているのは、二人が俺にとって利のある存在だからです。俺と誼を結びたいなら、二人に嫉妬するのではなく、俺にとって利になることを提示することです」
ヴォルドと取り巻きは、すぐさま俺の要求に応えようとティッタとムートの二人に謝ろうとする。毒が回って死ぬかもしれないという事態に陥っているので、とても素早い行動だ。だが、そんなことはお構いなしに俺は「あ、ちょっと待ってください。謝るなら土下座を要求します」と言って、謝ろうとしていたヴォルドたちを止める。
「土下座とは何ですか?僕にどうしろと言うのですか?」
「まあ、そうなりますよね。土下座とは最大級の謝意を示す行為です。口では説明しづらいので、そうですね。それじゃあ、そこで生暖かく見守っているエスタ。こっちに来て皆に土下座の見本をしてください」
「ちょっとルート!?どうして、そこであたしを巻き込むの!?」
「ん?だって、こっちの様子を見守れるほどに、暇なのでしょう?だったら仕事してください」
「・・・ルートは鬼だわ」
このあと、エスタの見事な土下座の見本を参考にして、ヴォルドたちはティッタとムートの二人を前にして土下座をする。二人がヴォルドたちの謝罪を受け入れたことで、この件は決着した。野次馬が大勢居る前で屈辱的な行動を取らされた訳なのだから、これで少しは懲りるだろうか。
・・・まあ、懲りなかったら懲りなかったで、何度でも凹ませるだけだけどな。
土下座のあと、俺は形だけの浄化魔法をヴォルドに掛けてあげる素振りする。死ぬかもしれないと脅していたが、実は調合釜で合成した時点で毒草の性質が変化しているので死ぬことはない。毒草を正しく処理しなかった場合、酷い下痢に襲われることになるだけである。つまり、ヴォルドは魔力が回復する下剤を飲んだという訳だ。
ヴォルドが謝ったのは、回復薬が自分の研究成果だと嘘を吐いたことだけだった。だから、今までにティッタとムートの二人に対して行われていたであろう嫌がらせについては、ヴォルドにちょっとひどい目に遭ってもらうことで、俺の中で手打ちにすることにした。このあとトイレで日頃の行いを思う存分、反省すると良い。
浄化魔法を掛けてもらったと勘違いするヴォルドたちはホッと胸を撫で下ろすと、俺にも一言謝ってから、そそくさと去っていった。その殊勝な態度が続くかどうか、要経過観察といったところだろう。
注目を一身に集めていた主役が居なくなったことで、集まっていた野次馬も散り散りになっていく。俺は、とりあえずこれでよし、と思っていると、ティッタとムートが俺に近付いてくる。ティッタが顔を俺に寄せるように話し掛けてくる。ティッタの顔には珍しい眉間に皺が寄っていた。
「ルートさま、あんなにもヴォルドさまを追い詰める必要はなかったんじゃないっすか?それにあんな言い方をしたら、ルートさまが丸で心無い人のような印象を持たれてしまったんじゃないっすか?」
「俺が誰にどのように思われようが構いません。大事だったのは、俺の友達に手を出そうとしたら、ひどい目に合う、ということ広く知らしめることでしたからね。その点においては、ヴォルドたちは役に立った言えるでしょう」
ティッタの問い掛けに俺はやるべきことは出来たと満足げに語ると、ティッタは口をすぼめて不機嫌そうに俺のことを睨んでくる。ティッタに睨まれる理由が分からない俺は、答えを求めるようにして隣に佇むムートの顔を見遣る。すると、基本的に感情が顔に出ないのムートの眉間の皺が、深くなっていることに気が付いた。どうやら、ムートも不機嫌な様子である。
・・・おかしいな。二人とも、どうしてそんなにも不機嫌そうだろう?
ティッタとムートの二人から不機嫌そうな顔を向けられてことに困惑していると、後ろからエスタが俺を咎めるような口調で「こら、ルート」と俺の頭を軽く小突く。全く痛みはなかったが、俺は小突かれた頭を擦りながら後ろに振り返る。エスタもまた眉間に皺が寄っているのが見えた。
「ルートはもっと自分のことを大事にすべきだわ」
「エスタ?」
「あのねルート。ルートってさっきみたいに意地悪することもあるし、我儘なところもあるし、頑固なところもあるし、いつも何考えてるかのかよく分からないところもあるけど・・・」
「何だか、ひどい言いようですよ?」
さっきの土下座のことを根に持っているのかエスタが指折り俺の悪口を並べる。俺は思わず眉をひそめて口を歪めた。
「ふふ、本当のことでしょう?でも、あたしたちは知っているわ。ルートが誰よりも家族を、友達を、大事にしているってことを。それこそ、今みたいに自分のことを悪者に仕立て上げてでもね」
エスタの言うことを肯定するかのようにティッタとムートの二人が頷く。その様子を見たエスタも一つ頷きながら、俺を言い聞かせるような口調で話を続ける。
「良い?ルートがあたしたちを大事にしてくれているように、あたしたちもルートのことを大事に思っているわ。だからこそ、あたしたちのためにルートが自ら敵を作るような危ない真似をして欲しくないの。あたしたちだって、ルートを悪しざまに言われたり、危ない目に遭ったりして、ルートが嫌な思いをするのは嫌だもの」
エスタはそう言いながら俺の頭を優しく撫でる。俺はエスタにそう言われて胸がキュッと締め付けられる感覚して、ちょっと息苦しくなる。でも、嫌な感覚では全くない。
・・・まさか、面と向かってそんなことを言われるとは。
これでも俺は、自分の立場は悪意に晒されやすい立場にあると思っている。それは俺の周囲の者も含めてだ。だからこそ、そう言った悪意を撥ね退けることが出来るだけの力を色々と身に付けてきたつもりだし、少なくとも人の間で起こるいざこざであれば、撥ね退けるだけの力を得ていると思っている。
でも、力があることと、自分自身の心が傷付かないこととは別の話である。エスタはそれを見透かしたように俺を諭そうとしてくる。ティッタとムートの二人もエスタと同じようなことを思ったから、俺の言動に不機嫌な顔をしたのだろう。
「・・・そっか。そう、ですね」
「分かってもらえたのかしら?」
「はい。自分で言うのも何ですが、俺は良き友人に恵まれたようですね」
「はいっす!私たちとルートさまは良き友人っす!」
「・・・ティッタの言う通り」
ティッタが手を上げて元気に宣言すると、ムートも追随するように一つ頷く。だが、エスタだけは片眉を上げて、おどけたような顔を付きになる。
「あら?あたしとしては、友人と言うよりも手間の掛かる弟といったところかしら?」
「なるほど、そんなにもエスタ姉様と呼んで欲しかったのなら、言ってくれれば良かったのに」
俺がエスタに「これからはエスタ姉様と呼びますね」と宣言するとエスタはうぐっと息を呑んだあと、「ごめんなさい。恥ずかしいのでやめてください」と懇願してくる。何が恥ずかしいのか分からないが、嫌がることをするつもりはないので、快くやめてあげることにした。




