4.弱い私なら愛してくれた?
溜息混じりに有希は事務室のパソコンの電源を落としていく。
只今の時刻は20時15分。
この園の延長は20時まで。子どもたちは保護者と降園し、閉じまりの確認中である。延長の勤務は2人1組。その為、20時を過ぎた事務室には有希のペアーである千尋しかいない。
「いったい何回目の溜息ですか、有希先生」
「……」
「香先生も、とも先生も、子どもたちも、みんな心配していましたよ?」
好きだと言われた。間違いもあった。でも、わからない。やけ酒の勢いではなかったと言い切れるのか。時間が経てば経つほど、考えれば考えるほど、わからなくなっていく。
あたしはいつも通りのつもりなのに……。受け持っている赤ちゃんは、あたしの不安定な気持ちを敏感に感じて機嫌がよくない。そんなあたしに香先生からは、『鏡を見て、大丈夫と思える笑顔になってから部屋に入りなさい』と休憩に入る前にやんわりと言われてしまった。
「それで、その悩んでますって顔はどうしたんですか?」
「千尋先生……」
「どうせここにはわたしと有希先生しかいないんだし、何を悩んでるのか話してください。有希先生がそうなったのって先週の飲み会からでしょう?」
いきなり核心を突いてくる千尋に、有希はしょっぱい顔になりながら躊躇う。単なる酒の失敗だったら、面白おかしく話をして笑いを取るだろう。だが、この話は痛すぎる。話してもいいのだろうか。
「ほら、ちゃっちゃか話してください」
「……いやもう、話せば長くなることだから」
「辛いことでも笑い話に換えて話しちゃう有希先生が黙っているなんて、しんどいですよ。
それに誰かに話すと、ちょっとは気持ちが楽になると言いますし。もちろん守秘義務は守ります」
「……」
うなだれるあたしに千尋はにっこりと微笑を浮かべ、向い合せになるように椅子をぐるりと回した。
「それで。あの後、何があったんですか?」
示された椅子に座ると、有希は俯いたまま口を開いた。
***
「―――――結局あのライン以外は、送られてこなかったし。それに悠斗先生、会っても何も言ってこないし」
「そうだったんですか……」
話し終えた有希に、千尋は一度頷くとそのまま黙った。黙られるとこの空間は気まずい。時計の秒針がかちこちと刻む音が大きく聞こえる。
「状況は大体わかりました。でも、有希先生がどうしたいのかがわかりません」
「え……?」
「終わってしまったことは、終わったことにしましょうよ。
付き合うにしろ、お断りするにしろ、次は明日笑う為に、有希先生がどうしたいのかを考えたらいいと思います」
ざっくりと投げられた球は、有希を大いに怯ませた。
「明日笑う為に…?」
「そうです。有希先生ならきっと答えが見つかりますよ」
千尋は悠斗とのことをつつきに来なかった。ただ黙って話を聞いて、有希なら答えを自分で見つけられると、背中を押して笑った。
―――嫌い……じゃない。
保育の業界は今でこそ男性保育士が増えてきてはいるが、やっぱり女性の方が多い女の世界。うちの園も男性保育士は悠斗先生一人である。男性一人で頑張ると言うのは、とてつもない苦労だと思う。でも悠斗先生は、愚痴をほとんどこぼさない。悪口だって言わない。今年は年長児の担任で大変そうではあるが、力仕事を頼まれるといつも快く頼まれてくれる。
恋愛対象には見たことがなかった。同期で長い時間傍にいたのに、どうしてだろう?答えは、まだ見つからない。いつもみたいにお酒を飲んで、愚痴って忘れる。……なんて出来ない。あたしの中で何でも話せる別格のような存在だったから―――。
両親に見切りをつけた時に、弱い自分は捨てた。捨てて、強くなったハズなのに…。大切な人に置いていかれるのを恐れて、泣いているあの時の小さなあたしがいる。
悠斗の本意は解らない。
けれど、2人で話してみようと思った。